点 火
1
「わたし……」
スマホから懐かしい声が聞こえてきた。
あの愛しい声、ナターシャだった。
2か月振りに聞く夢のような声だった。
『ロシア語を話す日本人』を見て、すぐに夫だと気づいたらしい。
しかし、相談もせずに家を出た身勝手さを思うと、連絡するのを躊躇ったという。
それでも毎日メッセージを読み続けるうちにたまらなくなって電話番号をタップしたのだという。
「まだオデーサにいるの?」
「うん。まだいる」
「攻撃は?」
「続いてる」
「避難しなくて大丈夫?」
「大丈夫。みんな残っているから」
ボランティアは全員現地にとどまっているという。
戦闘の訓練をしている市民も少なくないし、自分たちの土地は自分たちで守るという意識は更に高まっているという。
ただ、先行きの見通しは厳しく、希望を見いだせる状況ではないという。
「でもね、復興に向けて動いている人もたくさんいるの」
その中の一人に穀物を扱う会社で働く女性がいて、地元政府との調整に走り回っているのだという。
「ロシア軍を追い返さない限り輸出再開は難しいんだけど、ウクライナ軍の反転攻勢に期待して準備を始めているの。それと、EUに加盟することを視野に入れて軌道変更のプランを考えているの」
それは大胆な計画だった。
ウクライナの線路の幅はロシアと同じ広軌の1,520ミリに対し、ポーランドなど欧州を走る鉄道は1,435ミリと標準軌なので直接接続できない。
その結果、荷物を積み替える必要があり、穀物を鉄道で輸出しようにも多大なコストがかかる。
そこで、EUと軌道を統一することを考えたのだという。
「ウクライナはロシアと国交を断絶してもう二度と交流しないことを決めているから、ロシアと同じ広軌を保つ必要はないのよ。それよりも今後関係が拡大していくEUと軌道の統一を図る方がよっぽど理にかなっているの」
しかし、そのためには膨大な投資が必要で、しかも何十年にも渡る継続的で一貫した取り組みが必要だという。
「あなたに手伝ってもらえたら嬉しいのだけど……」
控え目な声が耳に届いた。
しかしその奥には、なんとかしてもらいたいという切実さを感じた。
「こういうのって商社は得意かなって思って」
さっきより押しの強い言い方だった。
「うん。不得意ではないね。でも」
「スケールが大きすぎる?」
「うん。ちょっと桁外れな気がする」
「そっか~」
天を仰ぐような声が聞こえたあとに続く言葉はなかった。
それはこちらも同じだった。
なんとかしてあげたいという気持ちはあるが、安請け合いをすることはできない。
ウクライナ再建という重たいテーマだし、投資金額も想像を絶するレベルになるのは間違いない。
事は簡単ではないのだ。
しかし、できないという返事をすればこの話は終わってしまう。
「やっぱり無理よね。ごめんなさい。この話は忘れて。じゃあ、また電話する」
躊躇している間に妻が話を終わらせてしまった。
「あっ、ちょっと待って」と言った時には通話は切れていた。
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「わたし……」
スマホから懐かしい声が聞こえてきた。
あの愛しい声、ナターシャだった。
2か月振りに聞く夢のような声だった。
『ロシア語を話す日本人』を見て、すぐに夫だと気づいたらしい。
しかし、相談もせずに家を出た身勝手さを思うと、連絡するのを躊躇ったという。
それでも毎日メッセージを読み続けるうちにたまらなくなって電話番号をタップしたのだという。
「まだオデーサにいるの?」
「うん。まだいる」
「攻撃は?」
「続いてる」
「避難しなくて大丈夫?」
「大丈夫。みんな残っているから」
ボランティアは全員現地にとどまっているという。
戦闘の訓練をしている市民も少なくないし、自分たちの土地は自分たちで守るという意識は更に高まっているという。
ただ、先行きの見通しは厳しく、希望を見いだせる状況ではないという。
「でもね、復興に向けて動いている人もたくさんいるの」
その中の一人に穀物を扱う会社で働く女性がいて、地元政府との調整に走り回っているのだという。
「ロシア軍を追い返さない限り輸出再開は難しいんだけど、ウクライナ軍の反転攻勢に期待して準備を始めているの。それと、EUに加盟することを視野に入れて軌道変更のプランを考えているの」
それは大胆な計画だった。
ウクライナの線路の幅はロシアと同じ広軌の1,520ミリに対し、ポーランドなど欧州を走る鉄道は1,435ミリと標準軌なので直接接続できない。
その結果、荷物を積み替える必要があり、穀物を鉄道で輸出しようにも多大なコストがかかる。
そこで、EUと軌道を統一することを考えたのだという。
「ウクライナはロシアと国交を断絶してもう二度と交流しないことを決めているから、ロシアと同じ広軌を保つ必要はないのよ。それよりも今後関係が拡大していくEUと軌道の統一を図る方がよっぽど理にかなっているの」
しかし、そのためには膨大な投資が必要で、しかも何十年にも渡る継続的で一貫した取り組みが必要だという。
「あなたに手伝ってもらえたら嬉しいのだけど……」
控え目な声が耳に届いた。
しかしその奥には、なんとかしてもらいたいという切実さを感じた。
「こういうのって商社は得意かなって思って」
さっきより押しの強い言い方だった。
「うん。不得意ではないね。でも」
「スケールが大きすぎる?」
「うん。ちょっと桁外れな気がする」
「そっか~」
天を仰ぐような声が聞こえたあとに続く言葉はなかった。
それはこちらも同じだった。
なんとかしてあげたいという気持ちはあるが、安請け合いをすることはできない。
ウクライナ再建という重たいテーマだし、投資金額も想像を絶するレベルになるのは間違いない。
事は簡単ではないのだ。
しかし、できないという返事をすればこの話は終わってしまう。
「やっぱり無理よね。ごめんなさい。この話は忘れて。じゃあ、また電話する」
躊躇している間に妻が話を終わらせてしまった。
「あっ、ちょっと待って」と言った時には通話は切れていた。