すべきことは理解できた。
 しかし、それに相応しいハンドルネームが思いつかなかった。
 妻の発信を援護するだけならどんな名前でもいいが、夫の発信だとわかってもらえなければ意味がない。
 
 それからあとも何がいいかと考え続けたが、これというものは浮かんでこなかった。
 それはそうだ。
 日本文化を愛し、ジャズを愛する妻と違って芸術的センスは乏しいのだ。
 気の利いた言葉が浮かんでくるはずがなかった。
 
 それでも、これしか妻と繋がる方法がないので諦めるわけにはいかなかった。
 ノートに書いては線で消し、書いては線で消しが続いた。
『オデッサの日本人』『東京の日本人』『ロシア人女性の夫』
 しかし、どれもピンとこなかった。
 目に留まるほどのインパクトがあるとは思えなかったし、妻にも気づいてもらえないだろう。
 このまま続けてもこれという言葉が浮かんできそうもなかったので、気分を変えるためにシャワーを浴びて外に出た。