それにしても、奇跡のような旅だった。
 右も左もわからない異国の地で、それも戦争の最中(さなか)のウクライナまで行って無事に帰ってくることができたのだ。
 それに、オデーサの病院にナターシャは運び込まれていなかった。
 見つけることはできなかったが、少なくとも治療が必要な状態にはなっていないようだ。
 それだけでもありがたいと思わなければならない。
 
 そんなことを考えていると、また妻の顔が浮かんできた。
 しかしそれはさっきと違って何かを訴えるような顔だった。
 いや、理解を求めるような顔だった。
 それが何かはわからなかったが、妻がオデーサに行った理由と関係しているように思えた。
 だとすれば、それを知らなければならないし、その気持ちに寄り添わなければならない。
 そう思い至ると、妻を探し出して日本に連れ帰ることだけが正解ではないような気がしてきた。
 妻とウクライナにとどまる選択肢だってあるのかもしれないのだ。
 とにかく、先ずは体力を回復して、それから会社とのことを整理して、その上で妻の捜索を再開するための方策を考えなければならない。
 課題は山積しているが、一つ一つ解いていかなければならないのだ。
 その先にある希望の存在を信じて。