「待っていても危険が増すばかりです。行くなら早い方がいい」
 確信を持った言い方だった。
 なんらかの情報を得ているのだろうか? 
 ロシア軍の総攻撃が近いという噂を聞いたことがあるが、それが現実になろうとしているのかもしれなかった。
「土地勘はあるのですか?」
 即座に彼は首を振った。
 頼れるのはナビだけだと言って何故か口角(こうかく)を上げた。
 しかしすぐに厳しい表情になった。
「今を逃せば奥さんに会えるチャンスは二度とやってこないかもしれないですよ」
 それは最も心配していることだった。
 見つけられないだけならいいが、永遠の別れになる可能性があるのだ。
 しかし、これだけは確認しておかなければならない。
「私と一緒に死んでもいいのですか?」
 すると即座に首を振って強い口調で返してきた。
「死ぬ気はない。奥さんをモルドバに連れ帰る」
 ウクライナ人のために体を張っている妻を助けるのが自分の使命だと言い切った。
「でも、ロシア人ですよ」
「それは違います。奥さんはプーチンと同じロシア人ではありません。優しい心を持った人間です」
 それを聞いてグッと来た。
 彼の本音がどこにあるのかはわからないが、妻に対する気持ちは嘘ではないように思えた。
 ここまで言ってくれるのだから、これ以上彼の好意を無にすることは失礼なような気がしてきた。
 それでも安易な言葉を口にするのは(はばか)られたので彼の手を握るだけにしたが、強く握り返されると不意に琴線が触れ合ったような気がした。
 すると、同志という言葉が頭に浮かんできた。