追  跡

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 ナターシャはオデーサにいた。
 モルドバでの支援活動を続ける中で、どうしても現地に行かなければならないという使命感のようなものが湧いてきたからだ。
 それは日々接する情報によって誘発されたものだった。
 
 マリウポリに比べて比較的安全だったオデーサの状況は一変していた。
 10年の歳月をかけて昨年7月に完成させたばかり空港滑走路が4月30日に破壊され、5月2日には住宅や教会をロケット弾で狙われて14歳の少年が殺された。
 外国製兵器を保管していた倉庫も破壊された上に、ロシア軍による海上封鎖によって重要な港が閉鎖を余儀なくされ、大量の穀物が出荷できなくなった。
 その結果、アフリカなど多くの国で食糧危機を引き起こそうとしている。
 
 そんな中でウクライナの人たちは戦っている。
 恐怖に怯えながらも逃げずに戦っている。
 祖国のために、そして世界のために戦っている。
 そんな状況を避難民や人道支援のボランティアから毎日のように聞いていたナターシャは、内から湧き出てくる疑問に耐えられなくなっていた。
 
 このまま安全な所にとどまっていていいのだろうか?

 もちろん、モルドバで支援活動を続けることは意味がある。
 決して無駄なことではない。
 しかし、ロシア人として、罪もないウクライナ人を殺し続けているロシア軍人と同じ血が流れている者として、ここで支援活動を続けるのは綺麗事(きれいごと)でしかないように思えてきたのだ。
 
 残忍な同胞の罪を償わなければならない、

 思い詰めたナターシャはこれ以上モルドバにとどまることはできなかった。
「命の保証がない」とボランティア団体から猛反対されたが、それを押し切って支援物資を運ぶトラックの助手席に乗り込んだのだ。

「遺体が転がっているかもしれないから覚悟しておきなさい」
 運転手から告げられた衝撃的な内容に体が震えたが、例えどんな惨状を目にしようともそれから逃げてはならないと自らに言い聞かせた。
 ロシア人が犯している罪をしっかり目に焼き付けなければならないのだ。
 そしてそれを暴かなければならないのだ。
 プーチンを断罪(だんざい)するために、
 ロシア軍を断罪するために、
 そして、ロシア人に流れている罪深い血を断罪するために。