揺  動 

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「ナターシャ、あなたは(だま)されているのよ」
 モスクワの郊外に住む母親の声は確信に満ちていた。
「ウクライナが悪いのよ。クリミアやドンバス地方でロシア人を虐待(ぎゃくたい)しているからプーチンが()らしめているのよ」
 揺るぎのない口調だったが、国営放送を鵜呑(うの)みにしているのは明らかだった。

「そうじゃないの。プーチンが言っていることは全部嘘なの。全部でたらめなの」

「何を言うの。そんなバカげたことを言うなんておかしいんじゃないの」
 母親はまったく聞く耳を持っていなかった。
「アメリカやヨーロッパや日本の戯言(たわごと)を信じたらダメよ。あいつらはありもしないことを言いふらしているだけなんだからね」
 完全に洗脳されていると思った。
 情報の選択肢がないのだから仕方がない面はあるが、それでも偏り過ぎている。
 
「お母さん、聞いて。ロシアの放送局や新聞は本当のことを伝えていないの。プーチンにとって都合のいいことしか言っていないの。これはロシア人を守るための特別な軍事作戦ではないの。ウクライナを占領するための侵攻なの」
「もういい!」
 いきなり電話を切られた。
 一刀両断に切り捨てられた気分だった。
 仕方なくスマホを置いたが、やりきれない思いが消えることはなかった。