グラウンド沿いの、葉桜の下。
一組情報科・二組商業科・三組電子工業科問わず集まった一年女子の列に、オレも加わる。
今週始めた「丈士先輩を知ろう大作戦」の①として、野球部の練習を見学するためだ。
つか、毎日女子十人くらいが見学してるの、知らなかった。うちわ振って騒ぐのとか無断撮影は禁止って、ひと月のうちにルールができてる。
「次、ケースバッティングじゃ」
練習メニューまで把握してる。気合入ってんな。
「……ケースバッティングって何や?」
オレはたまたま隣になった、二組の杏奈ちゃんに小声で尋ねた。
「攻撃の練習じゃわ。状況に合わして、どっち方向に打つとか、どう走塁しょんとか、作戦練りよんの」
「へええ」
じゃ、丈士先輩の打つとこ見られるかも。見学集団の知識量に追いつきたいのもあるし、真剣にグラウンドを見つめる。
いきなり先輩の番だ。一球目を打って、走る。
作戦どおりのヒットのようだ。一塁手役とグータッチして、一塁を離れる。
オレに手ぇ振ったりはしてこない。体育の授業とは集中度合いが違う。先輩がいちばん好きで楽しいのは、やっぱり野球ってこと。
集中した横顔もかっけえ……、ん?
「ボール投げるの、丈士センパイじゃのうて、まだ粟野センパイ?」
「打てな進まんじゃろ? ほんでこのメニューでは、内野手が投げることが多いよ」
「なるほど。めっちゃ助かる! ありがと!」
「そなん、これくらい、なんちゃ……」
杏奈ちゃん、親切な上に、野球に詳しい。
放課後になっても他の女子みたいに髪巻かないで、ふたつ結びのまんま。オレよりひと回り小柄なのに後列にいる。きっと部員が目当てじゃなく、純粋に野球が好きなんだ。
ガッキン! と重い音がした。打球は外野側のネットに当たって落ちる。
「大西、ホームランじゃのうて犠牲フライでええぞぉ」
「すません」
打席で恐縮する大西先輩をなごませようと、笑いが起こった。
「大西先輩は讃岐リトルシニア出身で、期待のスラッガーなんや。粟野先輩もそう。他の先輩たちは軟式野球部出身で、硬球を使うた練習は高校からなの」
ふむふむ。オレは素直な生徒になって、杏奈ちゃんの解説に耳を傾ける。
「二人は硬式の経験者やけん、めっちゃ巧いんだ」
納得したけど、杏奈ちゃんは「うーん」と腕を組んだ。その仕草、謎おじさんと被る。
「めっちゃ巧い選手は、高松とか大阪とかの強豪私立からスカウトくるんじゃわ……」
んん? 二年生にしてエースの丈士先輩も、リトルシニア出身に決まってる。なのに、甲子園には大昔に出たきりの、田舎の県立高校にやってきた。
巧い選手の逆コースじゃね? どういうことだよ。
「おーい。飲みもんちょうだい♪」
オレのあんまりよくない頭がバグりそうになったところで、粟野先輩が見学集団に呼びかけてきた。
みんな一斉に日陰から出る。オレも慌ててついてく。
部員二十人ちょいがネットの切れ目に集まってる。水分補給休憩になったっぽい。
野球部は意外にマネージャーがいない。代わりに、見学集団がウォータージャグにスポドリつくって、プラスチックコップに注いでは配ってる。
何人かは、部員から預かってたタオルを渡してあげたりもしてる。おお……。
甲斐甲斐しさに感心してたら、ぬっと影に覆われた。
丈士先輩だ。寝る前に「明日野球部見学しますね!」ってLINEして、十分後に[ん]って返ってきたから、だめではないはず。でもピリッとしてる。
「お疲れ様、っス」
上目遣いに窺うと、無言で右手を差し出された。手当て? じゃないか。握手? オレも右手で迎える。先輩の手、相変わらず大きくて、熱い。
「……。飲んでいいん?」
「あああかん! オレはうどんやないですっ」
指を吸われかけて、小さく跳び上がった。
見学集団のボスにコップもらってスポドリを注ぎ、献上する。うおお、震えんなオレの手。
丈士先輩は通常運転でスポドリを呷った。その口角がやっとちょっと上がってるのを見て、ほっとする。
いっぱい見て勉強してえし、それでオレも野球めっちゃ好きになれたら最高だからな。
先輩は「あんがと」と言って、グラウンドの真ん中に戻っていく。
オレはひそかに先輩の喉仏の動きの余韻を味わっていた。ら、
「チアボーイくん、練習も応援してくれんのー?」
粟野先輩に話し掛けられる。
やっぱり目線の高さ、オレと変わらねえ。それでも猫毛をふわっと長めにした(うちの野球部は坊主じゃなくてもいい)のが似合ってて、女子に人気だ。弟子入りすべきか?
「粟野センパイ、ショートって呼ばれとるの、あだ名っスか」
「あ? コ○すぞ。ポジションじゃわい」
ヤンキーばりに凄まれる。弟子入りどころか地雷踏んじまった。秒で人当たりのいい笑顔に戻るのが逆に怖え。
「スミマセンっした……!」
「わかりゃええよー。チアボーイくんがおると、丈士の機嫌ようて助かるし」
あれで機嫌いいんだ。半年間チームメートとして過ごした粟野先輩には、まだまだ観察力が及ばない。
オレも機嫌よしサインを探そうと、丈士先輩に目を向ける。
それを勘違いしたのか、粟野先輩がこそっと耳打ちしてきた。
「で、丈士とどこまで進みよんの?」
「どっ、ええ!? すすすみま?」
「あはは、おっけー了解」
進むもなにも、始まってませんが? 了解って?
ひっひっふー、じゃない、すううはああ、と深呼吸した。落ち着けオレ。やましいことはない。むしろ丈士先輩について知るチャンスじゃねえか。
「あの人、今は彼女おらんってことスか」
探りを入れる。途端、粟野先輩が思わせぶりに笑った。
「ほーか。一年は去年の修羅場知らんのや」
何それ気になる。目で続きをねだる。
粟野先輩にちょいちょいと手招きされ、頭を寄せた。
「丈士の転入で、女子マネがめちゃ増えてな。うちは鬼監督がおるでもないし、最大で各部員にマンツーマンでつけるくらいになった」
二十人もか。一学年の女子の半分だ。あんなイケメンが転校してきたら、そりゃそうなるよな。
「マネは全員丈士狙いで、順番に告って、順番に付き合うてったんやけど」
「ハイ!?」
オレはあんぐり口を開けた。
丈士先輩、手が早い速球派ってか? 知りたくなかった。
いや、現実はきちんと知ったほうがいい……。神妙に聞く。
「全員すーぐ別れてさ。今カノ元カノ入り乱れて部の空気凍るじゃろ、んで耐えきれんで一人ずつ辞めてくじゃろ、んで女子マネも丈士のカノジョも消滅したってわけや」
別れるのも速えのかよ! それはそれで複雑なんですけど。
だから二・三年生は練習見学してないんだ。ダンス部の先輩、オレを生贄でチアにした説。見学集団をマネとして入部させないのも、新たな修羅場を生まないためとみた。
女子の先輩たちは、丈士先輩のイケメンっぷりに沸いても、恋はしない。アイドルとファンって形に落ち着いたんだな。
今のオレは、そんな先輩たちとは違う。
丈士先輩は誰のものにもならないって突きつけられて、けっこう打ちのめされてるし……。
放置してかぴかぴになったうどんみたいに、元気が出ない。
粟野先輩は責任を感じたらしく、オレの背中をさすってくれる。
「チアボーイくんのために補足しとくと、丈士としちゃ、」
「集合!」
山田部長、空気読んでくれ! って、練習邪魔してんのこっちか。
「ま、本人に聞きな~」
粟野先輩は爆弾発言するだけして、駆けていっちまう。
どでかい溜め息を吐いたオレは、休憩後半、丈士先輩がどこ見てたかも知らずにいた。
次の休憩は、空がみかん色がかってからだ。
「日高、コップ洗う手際ええなぁ」って打ち解けた見学集団は、これを区切りに帰宅する子がほとんどみたい。
「蒼空くんは帰り、山方面じゃわいなぁ?」
「うん。杏奈ちゃんも?」
杏奈ちゃんが頷く。だったらオレもこの辺にしとこうかな。
練習終わるまで見学してても、家の方向違う丈士先輩と一緒には帰れねえし。さっき聞いた衝撃の事実に対する気持ちを整理してえし……。
「蒼空」
チャリの鍵を取り出すと同時に、丈士先輩に呼ばれた。
先輩はもくもくと投球練習してたせいで、汗ばんでる。夕陽に照らされてるのも相まって、何だかいけない雰囲気だ。
「帰るな」
「へ?」
引き留められた? 予想外で、オレは小さく口を開けたままになる。
「そいつらと帰るな」
先輩が早口で繰り返す。
そいつらって、杏奈ちゃんたち? 女子と仲良くするなってご命令で?
「ひとのこと言えんじゃろ」
オレはふん、とそっぽを向いた。なんかちょっとむかついた。
丈士先輩はオレの気も知らず、ネットに指引っ掛けて食い下がってくる。
「なんだよその顔。粟野に何吹き込まれたん」
「事実を聞いただけです」
「そうそう事実を言うただけ。女子マネ事件のな。チアボーイくん、おれに推し変する?」
グラウンドの土を均すやつを担いだ粟野先輩が、通りがかりに言う。丈士先輩に睨まれ、ささっと逃げていった。ふてぶてしい猫って感じ。
丈士先輩は、苦々しげに耳上を掻く。
「……断んなかっただけだから」
言い訳ときたか。まあ聞いてあげましょう。
「野球最優先なの変えないでたら、別れたことになってんし。てか、付き合った覚えない子もいたし」
待ってください? まさか、告られたの忘れたときもあったって言ってます?
実質、彼氏彼女らしいことはしてない、と。それも酷くね? 彼女のほうは丈士先輩を好きだったのに。
なのに、オレ――じわじわ喜んじまってる。酷え男にはなりたくない。
「結局別れるなら、なんで断わらんスか」
「そりゃ、今度こそ手離さないって……」
かろうじて正論をぶつけると、丈士先輩は掠れ声で答えた。
よく聞き取れなくて、「ハイ?」と一歩前に出る。じっと先輩を見上げる。
「なんでもいいじゃん。とにかくまだ帰んなよ」
でも先輩ははっとしたような、ばつの悪そうな顔で、話を終わらせた。一方的に言い置いて、キャッチャーの山田部長のもとに行ってしまう。
はあ。オレは杏奈ちゃんに「ごめんね」って手を合わせ、ひとり葉桜の幹に凭れかかった。
山田部長と話し込む丈士先輩を、ぼんやり見やる。
先輩の新たな一面を知って、衝撃だったし、ちょっぴりがっかりもした。
けど、ぜんぜん嫌いにはなってない。むしろ知れば知るほど好きになるような気がする。
丈士先輩を知ろう大作戦、後戻りできなくて危険かも……?
一組情報科・二組商業科・三組電子工業科問わず集まった一年女子の列に、オレも加わる。
今週始めた「丈士先輩を知ろう大作戦」の①として、野球部の練習を見学するためだ。
つか、毎日女子十人くらいが見学してるの、知らなかった。うちわ振って騒ぐのとか無断撮影は禁止って、ひと月のうちにルールができてる。
「次、ケースバッティングじゃ」
練習メニューまで把握してる。気合入ってんな。
「……ケースバッティングって何や?」
オレはたまたま隣になった、二組の杏奈ちゃんに小声で尋ねた。
「攻撃の練習じゃわ。状況に合わして、どっち方向に打つとか、どう走塁しょんとか、作戦練りよんの」
「へええ」
じゃ、丈士先輩の打つとこ見られるかも。見学集団の知識量に追いつきたいのもあるし、真剣にグラウンドを見つめる。
いきなり先輩の番だ。一球目を打って、走る。
作戦どおりのヒットのようだ。一塁手役とグータッチして、一塁を離れる。
オレに手ぇ振ったりはしてこない。体育の授業とは集中度合いが違う。先輩がいちばん好きで楽しいのは、やっぱり野球ってこと。
集中した横顔もかっけえ……、ん?
「ボール投げるの、丈士センパイじゃのうて、まだ粟野センパイ?」
「打てな進まんじゃろ? ほんでこのメニューでは、内野手が投げることが多いよ」
「なるほど。めっちゃ助かる! ありがと!」
「そなん、これくらい、なんちゃ……」
杏奈ちゃん、親切な上に、野球に詳しい。
放課後になっても他の女子みたいに髪巻かないで、ふたつ結びのまんま。オレよりひと回り小柄なのに後列にいる。きっと部員が目当てじゃなく、純粋に野球が好きなんだ。
ガッキン! と重い音がした。打球は外野側のネットに当たって落ちる。
「大西、ホームランじゃのうて犠牲フライでええぞぉ」
「すません」
打席で恐縮する大西先輩をなごませようと、笑いが起こった。
「大西先輩は讃岐リトルシニア出身で、期待のスラッガーなんや。粟野先輩もそう。他の先輩たちは軟式野球部出身で、硬球を使うた練習は高校からなの」
ふむふむ。オレは素直な生徒になって、杏奈ちゃんの解説に耳を傾ける。
「二人は硬式の経験者やけん、めっちゃ巧いんだ」
納得したけど、杏奈ちゃんは「うーん」と腕を組んだ。その仕草、謎おじさんと被る。
「めっちゃ巧い選手は、高松とか大阪とかの強豪私立からスカウトくるんじゃわ……」
んん? 二年生にしてエースの丈士先輩も、リトルシニア出身に決まってる。なのに、甲子園には大昔に出たきりの、田舎の県立高校にやってきた。
巧い選手の逆コースじゃね? どういうことだよ。
「おーい。飲みもんちょうだい♪」
オレのあんまりよくない頭がバグりそうになったところで、粟野先輩が見学集団に呼びかけてきた。
みんな一斉に日陰から出る。オレも慌ててついてく。
部員二十人ちょいがネットの切れ目に集まってる。水分補給休憩になったっぽい。
野球部は意外にマネージャーがいない。代わりに、見学集団がウォータージャグにスポドリつくって、プラスチックコップに注いでは配ってる。
何人かは、部員から預かってたタオルを渡してあげたりもしてる。おお……。
甲斐甲斐しさに感心してたら、ぬっと影に覆われた。
丈士先輩だ。寝る前に「明日野球部見学しますね!」ってLINEして、十分後に[ん]って返ってきたから、だめではないはず。でもピリッとしてる。
「お疲れ様、っス」
上目遣いに窺うと、無言で右手を差し出された。手当て? じゃないか。握手? オレも右手で迎える。先輩の手、相変わらず大きくて、熱い。
「……。飲んでいいん?」
「あああかん! オレはうどんやないですっ」
指を吸われかけて、小さく跳び上がった。
見学集団のボスにコップもらってスポドリを注ぎ、献上する。うおお、震えんなオレの手。
丈士先輩は通常運転でスポドリを呷った。その口角がやっとちょっと上がってるのを見て、ほっとする。
いっぱい見て勉強してえし、それでオレも野球めっちゃ好きになれたら最高だからな。
先輩は「あんがと」と言って、グラウンドの真ん中に戻っていく。
オレはひそかに先輩の喉仏の動きの余韻を味わっていた。ら、
「チアボーイくん、練習も応援してくれんのー?」
粟野先輩に話し掛けられる。
やっぱり目線の高さ、オレと変わらねえ。それでも猫毛をふわっと長めにした(うちの野球部は坊主じゃなくてもいい)のが似合ってて、女子に人気だ。弟子入りすべきか?
「粟野センパイ、ショートって呼ばれとるの、あだ名っスか」
「あ? コ○すぞ。ポジションじゃわい」
ヤンキーばりに凄まれる。弟子入りどころか地雷踏んじまった。秒で人当たりのいい笑顔に戻るのが逆に怖え。
「スミマセンっした……!」
「わかりゃええよー。チアボーイくんがおると、丈士の機嫌ようて助かるし」
あれで機嫌いいんだ。半年間チームメートとして過ごした粟野先輩には、まだまだ観察力が及ばない。
オレも機嫌よしサインを探そうと、丈士先輩に目を向ける。
それを勘違いしたのか、粟野先輩がこそっと耳打ちしてきた。
「で、丈士とどこまで進みよんの?」
「どっ、ええ!? すすすみま?」
「あはは、おっけー了解」
進むもなにも、始まってませんが? 了解って?
ひっひっふー、じゃない、すううはああ、と深呼吸した。落ち着けオレ。やましいことはない。むしろ丈士先輩について知るチャンスじゃねえか。
「あの人、今は彼女おらんってことスか」
探りを入れる。途端、粟野先輩が思わせぶりに笑った。
「ほーか。一年は去年の修羅場知らんのや」
何それ気になる。目で続きをねだる。
粟野先輩にちょいちょいと手招きされ、頭を寄せた。
「丈士の転入で、女子マネがめちゃ増えてな。うちは鬼監督がおるでもないし、最大で各部員にマンツーマンでつけるくらいになった」
二十人もか。一学年の女子の半分だ。あんなイケメンが転校してきたら、そりゃそうなるよな。
「マネは全員丈士狙いで、順番に告って、順番に付き合うてったんやけど」
「ハイ!?」
オレはあんぐり口を開けた。
丈士先輩、手が早い速球派ってか? 知りたくなかった。
いや、現実はきちんと知ったほうがいい……。神妙に聞く。
「全員すーぐ別れてさ。今カノ元カノ入り乱れて部の空気凍るじゃろ、んで耐えきれんで一人ずつ辞めてくじゃろ、んで女子マネも丈士のカノジョも消滅したってわけや」
別れるのも速えのかよ! それはそれで複雑なんですけど。
だから二・三年生は練習見学してないんだ。ダンス部の先輩、オレを生贄でチアにした説。見学集団をマネとして入部させないのも、新たな修羅場を生まないためとみた。
女子の先輩たちは、丈士先輩のイケメンっぷりに沸いても、恋はしない。アイドルとファンって形に落ち着いたんだな。
今のオレは、そんな先輩たちとは違う。
丈士先輩は誰のものにもならないって突きつけられて、けっこう打ちのめされてるし……。
放置してかぴかぴになったうどんみたいに、元気が出ない。
粟野先輩は責任を感じたらしく、オレの背中をさすってくれる。
「チアボーイくんのために補足しとくと、丈士としちゃ、」
「集合!」
山田部長、空気読んでくれ! って、練習邪魔してんのこっちか。
「ま、本人に聞きな~」
粟野先輩は爆弾発言するだけして、駆けていっちまう。
どでかい溜め息を吐いたオレは、休憩後半、丈士先輩がどこ見てたかも知らずにいた。
次の休憩は、空がみかん色がかってからだ。
「日高、コップ洗う手際ええなぁ」って打ち解けた見学集団は、これを区切りに帰宅する子がほとんどみたい。
「蒼空くんは帰り、山方面じゃわいなぁ?」
「うん。杏奈ちゃんも?」
杏奈ちゃんが頷く。だったらオレもこの辺にしとこうかな。
練習終わるまで見学してても、家の方向違う丈士先輩と一緒には帰れねえし。さっき聞いた衝撃の事実に対する気持ちを整理してえし……。
「蒼空」
チャリの鍵を取り出すと同時に、丈士先輩に呼ばれた。
先輩はもくもくと投球練習してたせいで、汗ばんでる。夕陽に照らされてるのも相まって、何だかいけない雰囲気だ。
「帰るな」
「へ?」
引き留められた? 予想外で、オレは小さく口を開けたままになる。
「そいつらと帰るな」
先輩が早口で繰り返す。
そいつらって、杏奈ちゃんたち? 女子と仲良くするなってご命令で?
「ひとのこと言えんじゃろ」
オレはふん、とそっぽを向いた。なんかちょっとむかついた。
丈士先輩はオレの気も知らず、ネットに指引っ掛けて食い下がってくる。
「なんだよその顔。粟野に何吹き込まれたん」
「事実を聞いただけです」
「そうそう事実を言うただけ。女子マネ事件のな。チアボーイくん、おれに推し変する?」
グラウンドの土を均すやつを担いだ粟野先輩が、通りがかりに言う。丈士先輩に睨まれ、ささっと逃げていった。ふてぶてしい猫って感じ。
丈士先輩は、苦々しげに耳上を掻く。
「……断んなかっただけだから」
言い訳ときたか。まあ聞いてあげましょう。
「野球最優先なの変えないでたら、別れたことになってんし。てか、付き合った覚えない子もいたし」
待ってください? まさか、告られたの忘れたときもあったって言ってます?
実質、彼氏彼女らしいことはしてない、と。それも酷くね? 彼女のほうは丈士先輩を好きだったのに。
なのに、オレ――じわじわ喜んじまってる。酷え男にはなりたくない。
「結局別れるなら、なんで断わらんスか」
「そりゃ、今度こそ手離さないって……」
かろうじて正論をぶつけると、丈士先輩は掠れ声で答えた。
よく聞き取れなくて、「ハイ?」と一歩前に出る。じっと先輩を見上げる。
「なんでもいいじゃん。とにかくまだ帰んなよ」
でも先輩ははっとしたような、ばつの悪そうな顔で、話を終わらせた。一方的に言い置いて、キャッチャーの山田部長のもとに行ってしまう。
はあ。オレは杏奈ちゃんに「ごめんね」って手を合わせ、ひとり葉桜の幹に凭れかかった。
山田部長と話し込む丈士先輩を、ぼんやり見やる。
先輩の新たな一面を知って、衝撃だったし、ちょっぴりがっかりもした。
けど、ぜんぜん嫌いにはなってない。むしろ知れば知るほど好きになるような気がする。
丈士先輩を知ろう大作戦、後戻りできなくて危険かも……?