「なあ英翔、恋ってなんじゃろうな」
「ヘンなもんでも食うたのか?」
「は? がいに尊いもん食うたわ」

 チャイムが鳴り、悪友は肩を竦めて自分の机に戻った。生粋のうどん育ちのくせに帰国子女みてえな仕草やめろ。
 はあ。丈士先輩の家で、全身に沁み渡る甘さのタピオカドリンクを味わってから、二日。オレは恋とは何か、ずっと考えている。
 授業も上の空。授業って、高校生が知りたいことはぜんぜん教えてくれないよな。
 オレの席は窓際だ。換気のために窓が細く開いてて、風向きによっては潮の匂いがする。日当たりもよく、グラウンドに面してて――
 待て。二年一組が体育してる! 
 オレの列はみんな黒板じゃなくグラウンドに目が向いてる。そりゃ数Ⅰより先輩の勇姿だよな。
 男子は走り高跳び、女子は走り幅跳びに分かれてる。
 抹茶色の学校ジャージでもスタイルが鬼いい丈士先輩は、すぐ見つかった。助走列の前から二番目。
 バーの高さは翼の身長くらいかな。
 丈士先輩の番だ。あの大きな歩幅で、ゆったりと半円を描く。
 踏み切り位置に透明なスプリングでも仕込んであんのかってくらい、高く浮き上がる。
 快晴の空を仰ぎながら、背をしならせ、バーの遥か上を通過していく。
 前にふたりで校内を走ったときみたいに、スローモーションで見えた。
 一片の躊躇もない背面跳び。頭から、しかも後ろ向きに落ちるのに、怖くねえんだ。
 オレの前後から、感嘆の溜め息がいくつも聞こえる。グラウンドでも自然に拍手が起こってるし、体育の先生は「()っせることない」って顔だ。
 丈士先輩本人はドヤるでもすかすでもなく列の最後尾に戻るのがまた、かっけえ。
 かと思うと、急に校舎のほうを向く。
 目が合う。県営球場ではじめて目が合って以来、もう何度目かわからない。
 先輩が、ひらりと手を振ってくれた。
 ……ときめいた。
 え、ときめいた? イケメンとはいえ同性の丈士先輩に? ほんと最近のオレってばどうしちゃったんだろう。
 動揺して、手を振り返しそびれる。ほら、二階か三階の誰かに手ぇ振ったのかもしんねえし。ぜったいみんな先輩のこと見てるでしょ。
 先輩は、笑ってるのとも集中してるのともちょっと違う気がする真顔で、前に向き直った。
 淡々と跳ぶ。一周するごとに、バーの高さが上がる。
 失敗した人は列を抜けてって、ついに丈士先輩と大西先輩の二人だけになった。
 野球部対決だ。まず大西先輩が、大きな身体を筋力で持ち上げる! って感じで成功する。
 オレのふたつ前の席の男子が、ひそかに拳を握った。
 大西先輩、でかくて強いのにひけらかさないって、一年男子ファンが急増してんだよな。
 続いて丈士先輩も、重力に反したジャンプを決める。よしよし。
 マットの上に立った先輩が、「今度はちゃんと見たか」って、人差し指と中指で自分の目差した後こっちを差すジェスチャーをした。帰国子女みてえな仕草、丈士先輩なら様になる。
 見てますとも。まぶしいくらいだし。
 チアダンスの振りつけを手だけでしてみせると、丈士先輩の口角が上がる。
 そうさせたのはオレ、って思ってもいいかな……?
 さっきのジェスチャーに目ざとく気づいた男バスの先輩が、丈士先輩を小突く。つか、ジャンプが得意なバスケ部やバレー部を差し置いて一騎打ちしてるんだ。
 男バスの先輩はさらに、丈士先輩の肩に腕を回した。やにわに女子が色めき立つ。四時間目なのに誰も居眠りしてないし、日焼けするからカーテン閉めろとも言わない。
 向こうは全クラスに見られてんのわかってて、人気者同士でファンサしてあげた感じ。
 先生は咳払いしたけど、横目に誰がファンサしたか確認して諦め顔だ。ごめん、進学校じゃねえし、見逃して。
 先輩二人の話し声は聞こえない。男バスの先輩があれこれ質問して、丈士先輩が短く答えてるっぽい。
 うざそうにはしてない。先輩はあんなイケメンで野球部エースにもかかわらず、他の部の人もどこにでもいる男子高校生のオレも、見下したりしないんだ。
 日曜だって、後で愚痴こぼしはしたけど、三年生やOBの話をマジメな態度で聞いてた。
 そういうところも、いい。
 なんてにやけてたら、男バスの先輩とも目が合った。
 「あ~あの子ね」って表情になる。オレ、二年の先輩に知られてる? 謎に丈士先輩に話し掛けられまくる一年生、的な。
 タピオカメロンミルクティーを飲んだときの甘さが、身体中を巡る。
 何だこれ。
 オレが心臓やほっぺたに手を当てる間に、バーの高さが丈士先輩の身長並みに上がった。
 大西先輩もさすがに跳び越えられず、激突しちまう。大柄な身体を受け止めたマットがずれて、土埃が上がる。
 丈士先輩が跳べれば、丈士先輩の勝ち。
 そこでチャイムが鳴った。体育の先生が先輩を急かす。
 先輩、らしくもなく迷ってる? ちらりとオレを見る。次の瞬間には地面を蹴る。
 結果としては、今日いちばん綺麗な跳躍をしてのけた。
 まるでオレも一緒に高いバーを飛び越えたみたいに、胸が熱くなる。
 何なんだ、これ。
 男子の先輩たちが丈士先輩に駆け寄った。大西先輩に笑顔で背中ぽんぽんされた丈士先輩、くすぐったそうだ。ほっとしてるようにも見える。めずらしいリアクション。
 隣と上の教室から、丈士先輩を讃える声が聞こえた。もう昼休みだもんな。
 オレも目の前の窓を全開にする。また叫びたい衝動にかられて、でも具体的に何て言うか決めきらなくて、「丈士センパーイ!」って呼んだ。
 丈士先輩がもみくちゃの輪を抜けて、振り向く。
 まっすぐ、オレを指差した。
 呼んだのはオレなのにドキドキが止まらない。ストレートの速球が飛んできたかと思った。

「昼休みに連行されたときもやけど、なんでおまえか?」

 オレの机にやってきた英翔が、不思議がる。クラスの女子の総意感があった。めっちゃ答えを待たれてる。

「オレもわからん」

 今はそうとしか言えない。身体の内側から沁み出す甘さに、かすかに切なさが混じる。
 丈士先輩がなんでオレに構うのか。オレだけの良さがあるのか。ミニスカが似合う? 飯が美味い? うどん肌ほっぺ? どれもオレ特有ってわけじゃない。
 先輩が、昇降口じゃなく一組の窓――オレのもとに直行してきた。花壇をやすやす跨ぐ。耳の上の産毛のところが、汗で光ってる。

「蒼空、見てた?」
「ハイ」
「途中見てなかったろ」
「ぜ・ん・ぶ見よったっス!」

 頬をふくらませると、丈士先輩が苦笑する。そりゃ、林丈士のぜんぶどころかほんの一部しか見たことないだろって言われちまえば、否めませんが。
 先輩は一秒で苦笑を引っ込め、腹をさすった。

「いつもんとこ」
「準備万端っス」

 得意満面に弁当箱を掲げてみせる。
 最近オレが感じてるものの正体も、わからない。これが恋ってやつなのか自信がない。
 四月後半の二週間、先輩に誘われるがままだった。
 一緒にいたらオレの何がヒットしたか判明するかなと思いきや、ますますこんがらがる。
 だからこそ、知りたい。丈士先輩の好きなもの。丈士先輩が楽しいこと。
 そもそも先輩はオレをどう思ってるのか。
 直接訊くのは恥ずいし、言葉で説明されて理解できる気もしない。
 けど、頑張りもせずに初彼女……初彼氏? はできないし、高校生活だって充実するはずない。
 もっと自分から頑張ってみよう。たとえば――。