先週、スタンドのみんなが豊南(ホウナン)の梨みたいにさっぱりしてたのは、理由があった。

「三位決定戦、勝って終わろう!」

 ダンス部の部長の声が、朝イチの県営球場に響く。
 県大会、もう一試合できるらしい。
 オレは金曜の昼休みに丈士先輩から「日曜の三決来るよな?」って言われて、はじめて知った。でも、三位決める意味ってあんのかな。

『甲子園行けるのって県で一校だけやないんスか?』
『それは夏の県予選大会』

 違う大会らしい。ただ、今日もいる謎おじさんの試合前解説によれば、夏の県予選の行く末を占う上で大事な一戦だという。
 だったら、オレも着るしかないな。チアの青いミニプリーツスカートを。

「かっ飛ばせーっ!」

 勝利の少年神としての役割を、全力で果たす。念のため足つるつるにしてきてよかった。応援に来た女子に二度見されたって構わない。丈士先輩に届けばいい。
 丈士先輩は闘う男の顔つきで、ずばずば速球を投げ込んでいく。すげえテンポ。
 相手チームはたまにバットの先っぽに当てるのがやっとだ。ぽてぽて内野に転がったボールは、この前丈士先輩と一緒にいた小さいほう――粟野(あわの)先輩が軽快に捕ってはアウトにする。
 打っては大きいほう――大西(おおにし)先輩がホームランを放ち、讃岐高は快勝を収めた。


「オレにかかりゃ朝飯前よ」
「蒼空は何もしとらんじゃろ」

 英翔こそ何もわかってない。
 ほら、貸し切りバスの前に野球部が来てくれたじゃないか。応援ありがとうございますって労ってくれる。
 試合の昂揚がまだ残ってるような雰囲気の丈士先輩と、目が合った。

「ガッコ戻ったら、打ち上げ行くって。蒼空も来な」
「え。ハイ!」

 元気に返事して、英翔にドヤる。野球部とは別々のバスだけど、残念じゃない。
 高松の球場から高校に帰るまでの四十五分間、揺れる座席でずっとにまにましてた。先輩が試合に勝ったらオレもこんなに楽しいんだって思った。
 の、だけど。
 琴電沿線の野球部御用達お好み焼き屋へ歩く道も、先輩は三年生に囲まれっぱなし。
 店内の卓も、野球部と保護者・彼女とで分かれる。
 鉄板からじゅうじゅう食欲そそる音と匂いが立ち始めても、野球部OBの大将がつきっきりで甲子園出場の秘訣を伝授してる。
 先輩に、香川風お好み焼き焼いてあげたかったな。外はカリカリ中はふわふわに仕上げる腕あんだけどなー……。
 そう思っても、彼氏にくっついてきたダンス部の先輩と、遠巻きに眺めるほかない。
 目も合わないし、ちょっとさみしい。これが高校の運動部の上下関係ってやつ?
 まあ、オレが「かっこよかった」って言わなくても丈士先輩は笑ってるし、いいか。オレは野球のディープな話はわかんないし。昼飯奢ってもらったって思おう。
 大人が会計する間、駐車場に出て待つ。野球部員は〆うどん行こうかって話してる。
 オレは帰宅することにした。丈士先輩とは明日の昼休みに話せる、よな。
 高校から引いてきたチャリ(バスの集合場所が高校だった)に跨る。
 漕ぎ出す直前、腹に腕が回った。

「セ、センパイ?」

 手の温度と形で誰だかわかる。振り仰げば案の定、丈士先輩が人差し指を唇に当てていた。
 ハイ、黙ります。

「二人でどっか行こ」

 え――。思ってもないお誘い。もちろん行きます! と、表情だけで答える。
 先輩が後部座席でエナメルバッグ抱えて長い脚畳むのを確認して、オレはペダルを踏み込んだ。
 ダンス部の先輩の「あれ日高どこ?」って声が聞こえたけど、すまん。減速はしない。
 ひとまずみんなの視界から外れようと、県道に出て、海のほうへ曲がる。
 二人乗りは弟妹が小さかったとき以来だ。あ、大人の二人乗りはだめって、こないだ交通安全講習で習ったっけ。お巡りさんに鉢合わせませんように。

「あ、ひゃひゃひゃ、ちょっと!」

 オレは真剣に前方を警戒してたのに、丈士先輩に腹をくすぐられた。
 そのせいで変な声出たし、チャリもふらつく。抗議すると、先輩も笑ったらしい振動がエナメルバッグ越しに伝わってくる。
 ほんとに弟妹じゃなく先輩がオレのママチャリに乗ってるんだ。
 さっきは他の人に気づかれる前にって、急いだけど。

「よかったんスか? 抜けてしもうて」
「もういいだろ。話聞かされ過ぎて、あんま食えなかったわ」

 今度は溜め息が聞こえた。なるほど。行き先未定で何となく海に向かっててよかった。

「センパイ、甘いもんいけます?」
「むしろ好き」

 また破壊力のでかい二音が来た。その対象はオレじゃないのににやけそうになるのをこらえて、提案する。

「んじゃ、デザート食いましょ」


 海沿いに四国八十八ヶ所巡りの寺があって、寺前通りには飯屋や菓子屋、花屋がぽつぽつ暖簾を出している。そのひとつ、老舗和菓子屋でチャリを停めた。
 ほんの数分の二人乗り。もう少ししてたかったけど、先輩に早く何か食わせてあげたい。

「苺大福、今週までやっりょったはず……あった!」

 冷蔵ショーケースに直行して、思わず飛び跳ねた。名物の苺大福がちょうど二個残ってたんだ。

「苺は『さぬき姫』がいちばんっスよね」
「そうなん? 去年の秋に越してきたばっかで、食ったことない」

 やっぱり先輩はうどん育ちじゃなかった。し、讃岐に来たのにもったいない。

「夏はここの瀬戸(せと)マスカット大福が美味いんで、食うたほうがええですよ」

 ね、と女将さんと頷き合った。オレは小さいときから毎年欠かさず食っている。
 イートインスペースはないので、駐車場の隅でセロファンを開けた。ピンクがかった大粒の苺大福に、先輩と一緒にかぶりつく。

「ふひひ、うま。最初に苺とあんこ合わして餅で包もうって考えた人天才じゃわいな」

 ここの苺大福は白あんに練乳が入ってて、甘酸っぱい苺とめちゃくちゃ相性がいい。求肥はもっちもちで、いつまでも噛んでいたくなる。

「どうスか?」
「美味いよ」

 丈士先輩が笑う。あれ? 弁当一口あげたときと違う。
 もしかして、前住んでた街にもっと美味い苺大福があったのかな……。
 ぜったい喜んでくれるって確信してたけど。オレのお気に入り、どこにでもある感じだったかもしれない。
 苺の酸っぱさだけが、口にも胸にも居座る。二口目にいけないでいたら、先に食い終わった丈士先輩が、オレのほっぺたを指で突ついてきた。

「お好み焼きめっちゃ食ってたから、もう食えないだろ」
「甘いもんは別腹っス。つか、見よったんスか」
「見てたよ。蒼空は食いもんしか見てなかったけど」
「オレだって見よったわい!」

 すかさず言い返した後で、顔が熱くなる。
 オレ、今だいぶ恥ずいこと言わなかった? 方言も取り繕えなかった。
 先輩は真顔に見えて笑ってるし。肩が触れそうなほど近いから、はっきりわかる。
 ごまかそうと、苺大福の残りを口に押し込む。
 あの……すげえ見られてるんですけど……。

「大福みてえ」

 オレがもぐもぐする間ずっと、先輩はオレのうどん肌ほっぺ改め大福肌ほっぺを堪能していた。
 とにかく、食い終わった。食い終わっちまった。
 でもまだバイバイしたくない。日曜の今日は五時間目の本鈴だって鳴らないんだし。
 ゆっくりチャリに歩み寄る先輩の背中に、声を掛ける。

「あの! よければこの辺の買い食いスポット、他にも()っせてあげましょか!?」

 よりによって。この数秒じゃ、それしか思いつかなかったんだ。先輩が魅力的に感じる店があるかわからない。また酸っぱさがこみ上げる。

「そ? 頼むわ」

 意外にも、丈士先輩は頷いた。
 オレは酸っぱさを呑み込み、持ってる情報をフル動員する。

「いちばん食うてほしいんは『さぬき』の幻の角煮味玉ハンバーグうどんっスけど、三代目大将が『最高の肉仕入れた』判定した日限定でまじ幻なんで、」
「何それ。てかハンバーグとうどんって合うん?」
「合います何にでも。なんで、讃岐山(さぬきやま)側の県道沿いのショコラカフェとか。パフェもサンドイッチもおしゃれじゃ……です」

 まず、先輩から見てもおしゃれかどうかで選抜した。

「同じ並びにたこ焼き屋もあって、そこ実は焼き鳥が美味うて」
「へえ。部活終わりに寄ろうかな。いつも腹ぺこなンだわ」
「ハイ! あ、どっちも十八時終わりですけど」

 野球部って何時頃まで練習してるんだろ? 甲子園目指すならけっこう遅そうだ。
 実際、丈士先輩は視線を逸らして「そ」とだけ言う。間に合わないぽい。それで引っ越しから半年経っても店にぜんぜん詳しくないとみた。
 この辺の店、ほぼ十八時とか十七時に閉まる。都会と違って夜は人が歩いてねえもん。

「島側の弁当屋なら、二十一時まで開いとります! メンチカツは百円せんです。焼きうどん・オムうどん・キムチうどん揃うとります。場所は……こっちっス」

 オレは丈士先輩を乗せてチャリを走らせた。目印がなくて説明が難しい。
 瓦屋根の民家前を突き進む。チャリなしだと遠いよな、って今さら思い至る。
 はあ、我が地元、ほんと田舎だ。だんだん悔しくなってきた。

「海が近くにあんの、いいな」

 先輩はと言うと、午前中怖ろしいほどの速球を投げていたと思えないくらい呑気に、讃岐(さぬき)湾を眺めてる。
 転校前の高校、ここより都会でも、海はなかったのか。

「海はあるけど、なんもない田舎っスよ」
「なんもなくねえよ。蒼空がいるじゃん」

 ドキッ、と心臓が跳ねた。何なら一瞬止まった。
 センパイ、オレのこと殺す気ですか。もし今死んだらチャリも倒れて、先輩の大切な手怪我しちゃうでしょ。
 ……つか、丈士先輩にとっては「冷蔵庫にうどんあるじゃん」くらいの発言だろうに、ドキッてなんだ。同じ男として憧れってだけで、こんなに心臓が大暴れするもんか?
 何だか無性に海に向かって叫びたかった。