制服にエプロンを着け、弟妹の身支度を世話しながら朝飯つくるのが、中一以来のオレの日課だ。高校に入って弁当づくりも加わった。
 今日のおかずラインナップは、カレー粉で味つけした鶏肉(かっしゃ)焼き、トマトのクリームチーズ和えオリーブ風味、ほうれん草入り卵焼き、にんじんとキノコの甘辛炒め。
 味のバリエも栄養バランスも彩りも、我ながら完璧だと思う。ふふん。
 いつもは朝飯の残りをちゃちゃっと弁当箱に詰めるけど、今日はつい三十分も早起きしちまった。
 ……何やってんだか。
 年代ものの壁時計を確かめるついでに、雑然とした居間を見やる。

(つばさ)、体操服持っとん? あっ、トマト残すなや」
「今食いじょるけん。口うるさいと女の子に好かれんぜ」

 うっせえわ。小六にして彼女いるからって。

「おまえがモテんの、オレが母ちゃんの腹に『スポーツ万能』『クール男子』ってモテカード温存しといたったおかげやで? あとオレが小六んときより身長あるのも、オレがつくっとる朝飯のおかげが! もっと感謝して食いまい」

 翼は感謝のかの字もなくトマトを口に押し込み、座卓から逃れた。
 入れ替わりに、ラベンダー色のランドセルが跳ねてくる。

「蒼空()ぃ。今日六時に『an9el(エンジェル)』のダンス動画が公開されるの、()っせとらんよね? 蒼空兄ぃのスマホで観たいけん、六時までに帰ってきてね」

 翼の二個下の美羽(みう)は、ヨジャグルのダンスカバーにハマってる。
 県庁所在地・高松まで行けばK-popダンススクールもあるのに、市役所勤務の母ちゃんは倹約家で、オレに先生役を言いつけた。オレだって中学の文化祭で踊ったのがはじめてで、ちゃんと習ったことないけどな?
 まあ、茶毛を伸ばして天使みが増してる美羽に頼られるのは、悪くない。

「おや? 今日はいつもの砂糖たっぷりふわふわ卵焼きちゃん(ちがう)のか」

 かと思うと、出勤用眼鏡を装着した母ちゃんが、粗熱取ってた卵焼きをつまみ食いする。

「ちょ、そりゃ、」

 丈士先輩の! とは言えないんだな。溜め息を吐かざるを得ない。
 ひみつの場所での昼飯には、火曜だけじゃなく、昨日もお付き合いさせてもらった。
 丈士先輩は毎回オレの弁当に興味しんしんで、「美味そう」って言う。「くれ」って言われるより、一口あげたくなる。毎日一緒に食うならって、

『センパイ、LINE交換しませんかっ?』
『ん』

 思いきった。で、昨日の夜スマホでおかずのレシピいろいろ検索しながら、

[鶏肉と牛肉だったらどっち派ですか?]

 って初LINE送ってみた。「()っせてつるっ」ってお願いしてるうどんどん(語尾が「つるっ」なご当地キャラ)スタンプ付き。
 でも、オレが風呂入っても、美羽の髪をドライヤーで乾かしてやっても、寝落ちても、既読がつかない。今の今まで見事な未読スルー。
 丈士先輩、LINEの返信は速球派じゃなく、見逃し三振派らしい。
 女子からたくさん通知きてそうだもんな。オレはID交換したとき、手が震えるくらい嬉しかったってのに。
 せっかくの力作弁当も、オレの胃袋に入るだけだったら、切ない。
 別に、先輩に「俺のためにつくって」って頼まれたわけじゃないし、オレの身長の足しになればいいけど……。

「って、オレももう出んと!」

 男子高校生は忙しい。急いで弁当を詰め、畳を蹴った。田んぼに出る準備してる父ちゃんの横をすり抜け、ママチャリに飛び乗る。
 春花と新緑の薫りが入り混じった田舎道を爆走した。


「LINEの返信ひとつでそなん曇っとんの。やけん童貞なんじゃね」
「うっせえうっせえうっせえわい」

 三時間目が終わっても未読スルーを引き摺ってたら、小学校からずっと同じクラスの英翔(えいと)に痛いところを突かれた。
 オレより三センチ背が高いのと床屋で整えた眉が、よけい鼻につく。

「おまえも童貞じゃろ」

 オレたちは中学時代、隣の中学にいた「讃岐の井上和ちゃん」に片想いして、その和ちゃん(ウドーンのすがた)に高校生彼氏ができて同時に失恋した仲じゃねえか!
 教室移動しながらやいやいしていると、近くを歩く女子まで「蒼空が曇っとるって?」と寄ってくる。
 違う中学出身の女子にも、とっつきやすいって第一印象を持たれたのは上々だ。
 ただ、この調子だと、お情け友チョコもらいまくりエンドな予感しかない。高校では中学の失敗を繰り返すまい。
 いっそこの機を逆手に取って、翼みたいなクール男子になるとか。こう、目を伏せて……
 うおお、まぶしい! オレは目を伏せるどころか全閉じした。
 階段のほうに、うどんの宝石か何か埋まってないか!?

「何してんの」

 うどんの宝石がシャベッタ……んじゃなく、丈士先輩が下りてきた。

「交通安全講習、だるいわいなー。去年と内容同じじゃろ? 自転車通学の皆さんは気ぃつけまいー、って。こなん田舎なのにさ」

 オレと身長はほぼ変わらないけど頭の回転は二倍速そうな先輩と、

「ほう言うな。県道はそれなりに車が多い。登下校で怪我して、練習できんようなったらえらいことじゃ」

 がっちり体型に塩顔で、豪快さと堅実さを兼ね備えた印象の先輩と連れ立っている。二人とも野球部だ。
 オレはうっそりと丈士先輩を見た。何してんの、って。先輩と同じですが。
 四時間目は全校参加の交通安全講習で、ぞろぞろ体育館に向かってる。
 女子たちは、制服着崩さなくてもかっこいい丈士先輩に見惚れてるけど、未読スルーされた身のオレは居たたまれない。スニーカーのつま先に目を落とす。
 かと思うと、大きな手に顎を持ち上げられた。

「蒼空。俺、鶏のが好き」

 唐突に言われる。
 ってこれ、顎クイでは? 丈士先輩は気難しい職人みたいな表情で、オレのうどん肌ほっぺをむにむに揉んでいる。強制的に目を合わされて息が止まりそうだ。
 しかも、「好き」って二音の破壊力がやばい。でも相手はオレじゃなくて……。

「トリノって誰スか」
「? 牛じゃないほう」
「……、……あ」

 あー! 鶏ね。鶏肉ね。勘違い、恥ずい。オレのほっぺたも先輩の指並みに熱くなる。
 LINE、朝見たのかな。でもオレが駐輪場に着いたとき、野球部はもう朝練してた。一応校内ではスマホ使用禁止。だったら、昨日の夜の時点で通知に気づいてた?
 じとっと先輩を見上げる。

「オレのLINE、スルー()たんやないん()か」
「してねえよ。今答えたじゃん」

 それをスルーと言うのであって……。
 体育館前まで来てようやく開放された顎に、自分の手を当てる。もしかして。

「センパイって、テキスト返信するより、会うたとき話す派っスか?」
「んー、文字打ちめんどう」

 先輩が耳上を掻く。やっぱり。丈士先輩は白球は打っても、文字は打たないんだ。
 この情報知ってれば通話にしたのに、知らなかった。そりゃそうか。まだ出会って一週間も経ってないわけだし。
 勝手に拗ねてたオレ、子どもっぽい。英翔の一言が改めて刺さる。

「蒼空、返信欲しかったん?」

 先輩はそんなオレの気も知らず、顔を覗き込んできた。
 はうう、まぶしい。かろうじてこくこく頷く。

「なら次はするわ」

 え。オレに合わせてくれるんですか。またLINE送っていいんですか?
 昨日五分おきにスマホ見てはうだうだしてたのも帳消しになって、「ふへへ」と笑う。
 先輩も片眉を上げて笑った。

「やっと戻った」
「ハイ? あ、オレあっちなんで、それじゃ」

 体育館前方のステージにはスクリーンが下りている。じきに講習が始まる。
 でも、オレは一年一組の列に合流できなかった。
 丈士先輩がオレの腕を引っ張って、自分の前に並ばせたんだ。
 丈士先輩と、大きいほうの野球部の先輩とに挟まれ、すっぽり隠れる。
 とはいえ横からは丸見えで、二列向こうにいる英翔が「なんで二年一組んとこおるん!?」って口パクしてきた。
 オレも何が起きてんのかわからねえ。
 そのうちに、丈士先輩がオレの旋毛に顎を乗せる。

「今日の弁当なに」

 もう四時間目が終わった後のことを考えてるらしい。上目遣いに応答する。

「かっしゃ焼きです。鶏っスよ。日高家でも大人気で、いつも母ちゃんと父ちゃんと弟と妹で取り合うとります」
「ふーん。兄弟いんだ。てか、蒼空がつくってるん?」
「ハイ! 親が共働きで、オレ料理担当なんス」

 つい声がでかくなっちまって、マイク持って交通ルール解説してるお巡りさんが眉を顰めた。
 慌てて縮こまる。さすがに丈士先輩の八重歯スマイルも効くまい。隣の列で、小さいほうの野球部の先輩が声出さずに爆笑してる。

「センパイ、講習聞かんでええんスか」
「俺、琴電(ことでん)だから」

 電車通学か。そう言えば駅前のコンビニのパン食ってるっけ。

「昼飯のが大事。蒼空の飯、どれも美味い」

 うおおおお、「美味い」いただきました! 日高家は丈士先輩を見習ってほしいもんだ。
 高校一、いや香川一、いや――日本一イケメンの胃袋を掴んじまった。
 その日は、昼休みはもちろん放課後まで誇らしさいっぱいで過ごした。

 ただ、帰宅して美羽と「an9el」の美女たちの動画観ながら、はたと気づく。
 高校で初彼女つくるっていうささやかな目標から、むしろ遠ざかってねえか?
 ……兄の威厳を犠牲にして、翼にアドバイスもらわないとかもしれない。