「山田部長、めっちゃ泣きよったっスね」
「こっちは逆にスンってなったわ」

 チャリの後部座席で、丈士先輩がうそぶく。ほんとは大西先輩みたいにもらい泣きしそうだからオレと抜けてきたの、黙っててあげます。
 昨日の決勝――讃岐高は、0対1で惜敗した。
 八回裏をタッチアップの一失点で食い止めたものの、九回表に得点できずじまい。
 春の準決勝と同じスコアだけど何倍も苦しかったって、相手監督がインタビューで語ったらしい。スタンドも春と違って、誇らしげな拍手が鳴りやまなかった。
 先輩から預かったボールは未だオレの部屋にある。
 県予選の打ち上げ兼甲子園の壮行会は、部を引退する三年生の慰労会に替わった。
 山田部長はひたすら「ありがとう」って泣いてた。悔しいでも、ふがいないとかでもなく、ありがとう。それって全力出しきれたってことで、かっけえ。
 丈士先輩には、讃岐へ来たことの肯定にも聞こえただろうな。
 市役所の駐車場にチャリ停めて、防波堤の先端まで歩く。

「やけど、謎おじさんが『さぬき』の先代大将やったの、まじびびりましたよね」

 慰労会会場のお好み焼き屋に行ったら、なぜか大将の隣に謎おじさんがいた。頑張ったなって、幻の角煮味玉ハンバーグうどん振る舞ってくれたんだ。
 しかも大将が甲子園出場したときの監督だっつーんだから、ひっくり返った。

「ん」

 丈士先輩はちっとも驚いてない声で相槌を打つ。
 決勝直後は、「センパイが頑張ったのぜんぶ見よったっスよ」って声も掛けられなかった。完全に燃え尽きてそこにいないみたいだった。
 うどんとお好み焼き食ってるときは普通だったのに、潮風に灰を持ってかれちまいそうで、オレは先輩の手にしがみつく。

「ん?」
「あ、えーっと」

 目が合って、心拍数が上がる。先輩はちゃんとここにいて、手も熱い。

「す」
「す?」
「すすっス……ストレート、すごかったです」

 うああ。野球部員じゃないのに慰労会呼んでもらえたから、今日こそ先輩に「好き」って言うぞって勇んで来た。
 それが好きって気持ちが大き過ぎて、喉につかえてる。
 決勝のスタンドではあんな大胆なこと言えただろ、オレ。ほら。
 口ごもる間に、先輩が自分の手を上にして握り直した。指先のマメの感触がする。

「蒼空さあ」
「ハイ」
「甲子園行けなかったら、キスしてくんねえの?」
「キ、きこ、えええ!?」

 オレは悲鳴を上げざるを得ない。
 昨日の帰り道、オレのキスで先輩が奮い立つわけないって正気に戻った。大声援に紛れてセーフって思ってたんだけど……。顔が熱い。

「聞こえよったんスか」
「ん。だからあのストレート投げれた。今の俺にはあれ以上は投げれない」

 先輩の指先が、わずかに震える。

「全力でやっても手に入らんもんって、あるんスね」
「ん。でも簡単に手に入らないほうが燃える。俺の欲しいもんはそれだけ価値があるって」

 先輩は不敵に笑った。
 ああ。これ、うずうずの震えだ。先輩は昨日の負けを終わりじゃなく始まりにしようとしてる。
 その姿勢に、オレはいつもわくわくする。もっと、ずっと、一緒にいたい。

「そなん丈士センパイが、大好きじゃ」
「やっと聞けた」
「え? ……あ」

 無意識にあふれてた。先輩の声が嬉しそうで、オレもふへへ、と笑う。
 好きな人に好きって言うまではめちゃくちゃ難易度高いけど、言えたら言えたで楽しくて、もう一回、もう一億回でも言いたいって思う。

「好きって、毎日食うても飽きんうどんみたいっス!」

 つないでる手をぶんぶん振ってはしゃぐ。丈士先輩も吹き出した。

「じゃあ、超うどん一口味見してみ」

 超うどんって? と問う間もなく、唇にやわらかいものが押し当てられる。あったかくて、癖になる匂いをまとった――丈士先輩の唇だ。
 ででで、出た、速球派!
 息は勝手に止まったけど、顔の筋肉の動きも止まって、目ぇ閉じらんない。先輩、至近距離でもかっけえ。
 日高蒼空、初彼氏と早速ファーストキスしちゃいました。
 名残惜しくも、体温が離れていく。

「超うどんの味、どう。幻うどんとどっちが美味い?」

 先輩が悪戯っぽく尋ねてくる。オレは真剣に考えたものの。

「はじめてで、よくわかんねっス。やけんもう一口……」

 おずおずおかわりをねだれば、先輩はオレの腰をぐいっと引き寄せた。早口で「蒼空がかわいいことすっからだからな」って言うや、ほっぺたに手も添えて、さっきより長くキスしてくれる。

「ん……、ぁ、」

 あむあむ食われてる。オレもめいっぱい背伸びして味わわせてもらう。
 胸が「好き」でふくらむせいか、風船みたいにふわふわして、やっぱり味はわからない。気持ちいいってことだけ確か。
 熱い息が交じり合う。最後は、ちゅってリップ音つき。

「ちなみに、オレの味はどうっスか?」

 先輩の胸にくっついたまま、ちょっと気になったことを訊いてみる。

「甘いよ」

 間髪入れず答えが返ってきた。先輩のそばにいたり先輩のこと考えたりすると身体が甘くなるの、オレの気のせいじゃないのかも。

「俺がぜんぶ食う」

 頼もしくも怖ろしくもある宣言と同時に、先輩のスマホが鳴った。
 先輩は画面も見ずに通話拒否したけど、また鳴る。今度は通知音だ。しぶしぶといったふうにポケットから取り出す。

[監督が締めの挨拶するけん、いったんいちゃつくの終わりにしまいー]

 粟野先輩からのLINEだった。何してたかばれてる。

「店、戻らんと」

 急に恥じらいが湧いて、丈士先輩の腕を引っ張った。
 でも先輩はゆったりとしか歩いてくれない。粟野先輩に返信するでもなくスマホ見てる。それで気づいた。

「そのロック画面」
「ん。蒼空は、快晴の空の色が似合う」

 先輩のお父さんが撮ったのだろう、チアボーイしてるオレだ。

「阿母にさ、スタンドにいんの見つけろって言われる度に、集中してるし人多いし無理って思ってたけど、一瞬で目に入ったわ」
「ふふん。それほどでもあります」

 オレが素直に誇れば、先輩はまぶしそうに入道雲を見上げる。

「八月は、練習休みの日もあると思う」
「んじゃ、オレと遊びましょ」
「スカート穿く?」

 先輩がにやりと笑った。

「す、え、えっち……!」
「は? 健全じゃん」

 目の前に、速球派彼氏と過ごすはじめての夏が広がっている。