七月二十七日、決勝。
[ウイニングボールと交換のボール、持っていきますね!]
[ん]
朝六時のLINEに、一分で返信が来た。丈士先輩も決勝が楽しみで早起きしたのかも。
ビデオ通話までかかってくる。待って寝起き。華華さまのうちわで顔隠して応答する。
『……蒼空の顔見てえんだけど』
「まだ顔洗ってのうて、かわいくないっスけん」
オレの言い訳に、先輩は息で笑った。
『そんな自信ないのに、俺を応援してくれてたん?』
声が甘い。励まされてるみたいだ。今日はオレが先輩を応援する日なのに。
「センパイを応援できるんは、センパイが本気で野球しよるって信じられるからですけん!」
目が合う。先輩は目を見開いてる。
しまった、顔ガードが……!
かわいい、と囁く声で通話は切れた。オレの顔見れば元気出るんだっけ? オレは照れて死にそうですけど。
ふう。顔と手をきちんと洗ってから、先輩の初勝利ボールを抽斗から取り出す。
見るのも辛くてしまい込んでたの、ウソみてえ。
推しぬいを連れ歩く用の透明ショルダーバッグを、美羽に借りてある。マチがあって、ボールの護送にぴったりなんだ。御守りみたいにセットする。
居間に行くと、父ちゃんが朝の日課のみかんジュースを飲んでいた。
「蒼空、データは送れたの?」
「うん、父ちゃんのおかげで。助かった」
父ちゃんが準決勝二試合とも録画してて、それを記録・分析して山田部長に送信済みだ。
オレはさっと冷やうどん五人分つくって、アイロン掛けに取りかかる。
封印してた青いミニプリーツスカートを、パリッと仕上げていく。
「……あとは蒼空兄ィが頑張るだけやな。だいじょぶ、うまくいく」
起きてきた翼にぼそっと言われる。あやうく火傷しかけた。経過一切話してないのにお見通しか!? 我が弟ながら恋愛巧者過ぎて怖え。
今日は春の三位決定戦ぶりに、スタンドに立つつもりだ。ちなみに丈士先輩には内緒。
『決勝の記録はわたしに任せて』
一昨日、杏奈ちゃんがそう言ってくれた。下心で師匠になったわけじゃないにしたって責任感が強い。
告白断った身としては、もし「友だちには戻れん」って言われたら引き下がるしかなかったけど、普通に話せてよかった。
で、ダンス部の先輩に復帰したいって頼み込んだ。いいとこ取りすなって却下されるかと思いきや、「あんたのデカ声当てにしとらい」って返ってきた。
今日は土曜だから、地元の大人も讃岐高OBもたくさん県営球場に詰めかける。
大応援団をまとめて、届けてみせる。みんな先輩と一緒にいますよって。
「さあ車乗れ。凍らせ麦茶と冷やしタオルとミニ扇風機と帽子持ったな」
母ちゃんが、田んぼ作業用の日焼け防止グッズフル装備で号令を出す。
「持った」「持ちました」「蒼空兄ィが持った」
日高家も、田んぼ放っとけない父ちゃん以外、総動員だ。いざ、県営球場へ!
九時五十分。内野スタンドは、オレたち三塁側も相手の一塁側もざわめいてる。
「うちだけで三千人来とるって」
「さんぜんにん!?」
ダンス部の部長が口にした数字、予想超えてた。地元はすっからかんなんじゃなかろうか。球場の席数だって一万とかだよな? 芝生の外野席も開放されてる。
丈士先輩を一目見ようって人も多いのかな。
「決勝進出は三十年ぶりやが、過去二回の決勝はどっちも勝っとる。験はええ」
今日も非公式解説してる謎おじさんは、讃岐高応援席横のベスポジ確保してる。さすがです。首に掛けてる褪せた青のタオル、三十年前の応援グッズかも。
内腿を汗が伝う。屋根はバックネット席上方に陰をつくるくらいで、ほぼ炎天下だ。気温も体温もぐんぐん上がる。
オレの緊張もMAXに近づくけど――ダグアウトでゆったりキャッチボールする丈士先輩見たら、ぜんぶ昂揚に変換された。
丈士先輩、八重歯が覗いてる。観客が多いほどテンション上がるとみた。
エースが悠然としてるから、部員のみんなもリラックスできてる。いい感じ。
「ここでこのメンツで踊るんは最後やし、あっけにだけ注意して、出しきろう!」
スタンドでも、部長が増員したチアガール(うちボーイ一名)の「おー!」って声を引き出す。
山と海に囲まれた球場に、試合開始を告げるサイレンが響いた。
相手は春に負けた、高松の強豪だ。うちが春の三決で勝ったから、夏は決勝まで当たらない逆の山に入った。
第一シードの相手は有利な後攻。つまり一回表、オレたち讃岐高の攻撃でスタートする。
チアはそれぞれ持ち場に散った。春の応援は在校生と保護者くらいだったからスタンド下に固まってたけど、今日は通路の間に陣取る。
オレは丈士先輩の視界に入りやすいバックネット寄りに配置された。透明バッグを斜め掛けしてたら、女優帽にサングラスの美女を発見する。先輩のお母さまだ。隣の先輩のお父さんが、一眼カメラをオレに向けた。
捻挫ばっちり治ったんで、いくらでも撮ってくださいよ。
青いミニスカをひるがえす。めいっぱい息を吸う。
「せーの! かっ飛ばせー、粟野!」
粟野先輩が、コール始めるやいなやヒットを打った。相手ベンチと大応援団真ん前の一塁ベース上で、飄々としてる。ほんと小柄だけど大物だ。
三塁側スタンドのみんなは、身を乗り出してメガホンを打つ。いける! って手応えを感じる。
ただ、相手も昨夏の甲子園出場校なだけあって、浮足立ちはしない。先制点はもぎ取れなかった。
攻守交替。マウンドに、丈士先輩がゆっくり歩いていく。
ゆっくりなのはあくまで所作のみ。一球目、キレッキレの速球がミットに突き刺さる。
球場がどよめいた。高松だし相手のホームって雰囲気だったのが、一変する。
二・三球目もストレートを投げ込む。見逃し三振。
「センパイ、真顔やけど絶好調じゃ!」
そのまま前半は投手戦になった。スコアボードに「0」が五個ずつ並ぶ。うおお、痺れる。
グラウンド整備兼水分補給休憩に入る。オレはつい爆踊りして持参の麦茶飲み干しちまったけど、例のお好み焼き屋の大将が「飲みな」って冷たい薄め出汁を持ってきてくれた。あざっす。
そろそろ大西先輩が大会三本目のホームラン打ってくんないかな、もちろん丈士先輩が自分で打ってもいいけど――ってグラウンド眺めてたら、丈士先輩と目が合った。
先輩が目を見開く。
「ふふん、眼福じゃろ」
かと思うと、ユニフォームの腹をさする。腹いっぱい? 逆だ、腹減ったのジェスチャー。
そう言えば先輩、「栄養ありそうなヤツ」が好きって言ってたっけ。
少しでも栄養補給してもらうべく、オレは青いスカートを揺らして飛び跳ね、力と元気をありったけ送る。
――先輩はめっちゃ頑張ってます、先輩は超うどん級ピッチャー、甲子園は目の前っス、一緒に行きましょ!
試合再開に向けて讃岐高で円陣組む直前、先輩の八重歯が垣間見えた。よし。
「打者二巡したし、配球読まれてきよるなあ」
出汁入りウォータージャグを抱える大将と謎おじさんがひそひそ話すのが聞こえたけど、たとえストレートってわかっても先輩の速球は打てっこない。
って、オレは自信満々だったのに。
六回も七回も、先輩はランナーを背負う。山田部長のサインに首振ることも増えた。
「準決勝までのデータ、相手は後半の得点が多かったっけ……」
試合中に対戦ピッチャーの特徴把握して、対応する力があるんだ。
粟野先輩が賢く送球して送りバント阻止したり、センターの大西先輩がダイビングキャッチしたりして無得点に抑えたものの、やきもきする。
うちが一点取れれば余裕ができるけど、なかなかチャンスつくれない。
相手ピッチャー、丈士先輩より球は遅い。でも変化球を効果的に使ってる。
八回表、打席に立った丈士先輩もタイミングずらされて、手からバットがすっぽ抜けた。そのまま内野ゴロになってアウト。うう。
「とにかくあと二回、守りつか」
八回裏。相手は打順九番からだ。
ファールで粘られる。投球数が増えてきた先輩は、何度も帽子取って汗を拭う。
結局、四球で出塁された。一塁側スタンドが声援と演奏で盛り立てる。こっちは守備中ででけえ声出せないのがもどかしい。
二人目のバッターはバントの構え。一番打者は足の速い選手が務めることが多い。あわよくば自分もセーフになろうとしてる。
その企みは何とか阻んで、一アウト二塁。
ただ、ランナーが盗塁の素振りして、丈士先輩の気を散らせる。そのせいか、三盗された上に、二番打者にまた四球を与えちまう。
「今のはストライクじゃろ審判……!」
唇を噛む。一アウト一・三塁で、相手の三・四番を抑えないといけない。
山田部長がタイム取って、マウンドに向かう。他の七人も集まる。みんなこんな大舞台ははじめてで、プレッシャーと疲労で足取りが重い。
でも、丈士先輩がひとつ頷けば、安心が広がった。それぞれ先輩の背中の「1」をぽんと叩いて、自分のポジションに戻っていく。
チームメートも、スタンドの応援団も、丈士先輩を信じてる。
三番打者に対しては、山田部長を立たせてあえて四球にした。
「満塁策じゃ」
一見ピンチだけど、塁が埋まってるぶんランナーはぜったい走らないといけなくて、ダブルプレーを取りやすい。
オレはそうくるかって震えた。野球がおもしろくて、丈士先輩の強気にわくわくして。
相手の四番が打席に入る。怒りのオーラを発してる。そりゃそうだ、三番じゃなく四番と勝負して抑えようってんだから。
でもこっちからすれば、左打ちの三番より右打ちの四番のが、丈士先輩と相性がいい。
一球目、ボール。二球目、ストライク。三球目、ファール。四球目もファール。
うちのエースも、相手の四番も、譲らない。
五球目、あわや死球のボール。山田部長が外角低めに構えたミットの真逆に行った。汗で滑ったのかな。
六球目、チェンジアップがまた高く外れてボール。フルカウントになった。
……もしかして、握力だいぶなくなってる? さっきバットすっぽ抜けたし、準決勝の後オレのほっぺた触る力も弱かった。この県予選、ずっと一人で投げてきた。
「先輩、真顔やけどえらそうや……」
オレにはわかる。
ベンチには三年生のピッチャーが一人いるものの、丈士先輩に抑えられないものを抑えきれまい。名将どころか普通の教頭の顧問兼監督は動かない。
七球目、サインに二回首振る。まだ変化球は出してない。ファール。もし打たれなきゃボールだった。
オレにできること、何かねえのか!? 透明バッグのストラップを握り締める。オレばっかり力もらってる。勝利の少年神らしく祈りを叶えろよ。
先輩は気分転換にか、自分の後ろを守る七人の仲間を振り返った。
オレの目には、快晴の空をバックに、背番号「1」がくっきりと映る。
いちばんイケメンで、いちばんすげえピッチャーで、オレのいちばん好きな人。
「センパイ、勝ったら、キスしたります!!!」
気づいたらそう叫んでた。全力本気ストレートな告白。
マウンドの先輩が頷く。球種のサインに頷いたんだけど、まるでオレに頷いてくれたみてえ。
先輩が投げたボールは、まっすぐ伸びる。さっきまでより速い、渾身のストレート。
――キィン。
相手も三年生の意地で打ち返す。球が速いぶん、よく飛ぶ。歓声と悲鳴が交差する。
大西先輩がフェンス際まで走り、スタンバイする。
外野フライに抑えた。あああ、でも息つく間もなくタッチアップだ!
三塁ランナーが本塁へ一直線に走る。大西先輩がグラウンドを縦断するように返球する。大西先輩のパワーでも本塁には届かなくて、丈士先輩が中継して、キャッチャーの山田部長に託す。スタンドはもうみんな立ち上がってわーわー言ってる。
ランナーのスライディングで土埃が起きた。球場中が注目する審判の判定は――。
[ウイニングボールと交換のボール、持っていきますね!]
[ん]
朝六時のLINEに、一分で返信が来た。丈士先輩も決勝が楽しみで早起きしたのかも。
ビデオ通話までかかってくる。待って寝起き。華華さまのうちわで顔隠して応答する。
『……蒼空の顔見てえんだけど』
「まだ顔洗ってのうて、かわいくないっスけん」
オレの言い訳に、先輩は息で笑った。
『そんな自信ないのに、俺を応援してくれてたん?』
声が甘い。励まされてるみたいだ。今日はオレが先輩を応援する日なのに。
「センパイを応援できるんは、センパイが本気で野球しよるって信じられるからですけん!」
目が合う。先輩は目を見開いてる。
しまった、顔ガードが……!
かわいい、と囁く声で通話は切れた。オレの顔見れば元気出るんだっけ? オレは照れて死にそうですけど。
ふう。顔と手をきちんと洗ってから、先輩の初勝利ボールを抽斗から取り出す。
見るのも辛くてしまい込んでたの、ウソみてえ。
推しぬいを連れ歩く用の透明ショルダーバッグを、美羽に借りてある。マチがあって、ボールの護送にぴったりなんだ。御守りみたいにセットする。
居間に行くと、父ちゃんが朝の日課のみかんジュースを飲んでいた。
「蒼空、データは送れたの?」
「うん、父ちゃんのおかげで。助かった」
父ちゃんが準決勝二試合とも録画してて、それを記録・分析して山田部長に送信済みだ。
オレはさっと冷やうどん五人分つくって、アイロン掛けに取りかかる。
封印してた青いミニプリーツスカートを、パリッと仕上げていく。
「……あとは蒼空兄ィが頑張るだけやな。だいじょぶ、うまくいく」
起きてきた翼にぼそっと言われる。あやうく火傷しかけた。経過一切話してないのにお見通しか!? 我が弟ながら恋愛巧者過ぎて怖え。
今日は春の三位決定戦ぶりに、スタンドに立つつもりだ。ちなみに丈士先輩には内緒。
『決勝の記録はわたしに任せて』
一昨日、杏奈ちゃんがそう言ってくれた。下心で師匠になったわけじゃないにしたって責任感が強い。
告白断った身としては、もし「友だちには戻れん」って言われたら引き下がるしかなかったけど、普通に話せてよかった。
で、ダンス部の先輩に復帰したいって頼み込んだ。いいとこ取りすなって却下されるかと思いきや、「あんたのデカ声当てにしとらい」って返ってきた。
今日は土曜だから、地元の大人も讃岐高OBもたくさん県営球場に詰めかける。
大応援団をまとめて、届けてみせる。みんな先輩と一緒にいますよって。
「さあ車乗れ。凍らせ麦茶と冷やしタオルとミニ扇風機と帽子持ったな」
母ちゃんが、田んぼ作業用の日焼け防止グッズフル装備で号令を出す。
「持った」「持ちました」「蒼空兄ィが持った」
日高家も、田んぼ放っとけない父ちゃん以外、総動員だ。いざ、県営球場へ!
九時五十分。内野スタンドは、オレたち三塁側も相手の一塁側もざわめいてる。
「うちだけで三千人来とるって」
「さんぜんにん!?」
ダンス部の部長が口にした数字、予想超えてた。地元はすっからかんなんじゃなかろうか。球場の席数だって一万とかだよな? 芝生の外野席も開放されてる。
丈士先輩を一目見ようって人も多いのかな。
「決勝進出は三十年ぶりやが、過去二回の決勝はどっちも勝っとる。験はええ」
今日も非公式解説してる謎おじさんは、讃岐高応援席横のベスポジ確保してる。さすがです。首に掛けてる褪せた青のタオル、三十年前の応援グッズかも。
内腿を汗が伝う。屋根はバックネット席上方に陰をつくるくらいで、ほぼ炎天下だ。気温も体温もぐんぐん上がる。
オレの緊張もMAXに近づくけど――ダグアウトでゆったりキャッチボールする丈士先輩見たら、ぜんぶ昂揚に変換された。
丈士先輩、八重歯が覗いてる。観客が多いほどテンション上がるとみた。
エースが悠然としてるから、部員のみんなもリラックスできてる。いい感じ。
「ここでこのメンツで踊るんは最後やし、あっけにだけ注意して、出しきろう!」
スタンドでも、部長が増員したチアガール(うちボーイ一名)の「おー!」って声を引き出す。
山と海に囲まれた球場に、試合開始を告げるサイレンが響いた。
相手は春に負けた、高松の強豪だ。うちが春の三決で勝ったから、夏は決勝まで当たらない逆の山に入った。
第一シードの相手は有利な後攻。つまり一回表、オレたち讃岐高の攻撃でスタートする。
チアはそれぞれ持ち場に散った。春の応援は在校生と保護者くらいだったからスタンド下に固まってたけど、今日は通路の間に陣取る。
オレは丈士先輩の視界に入りやすいバックネット寄りに配置された。透明バッグを斜め掛けしてたら、女優帽にサングラスの美女を発見する。先輩のお母さまだ。隣の先輩のお父さんが、一眼カメラをオレに向けた。
捻挫ばっちり治ったんで、いくらでも撮ってくださいよ。
青いミニスカをひるがえす。めいっぱい息を吸う。
「せーの! かっ飛ばせー、粟野!」
粟野先輩が、コール始めるやいなやヒットを打った。相手ベンチと大応援団真ん前の一塁ベース上で、飄々としてる。ほんと小柄だけど大物だ。
三塁側スタンドのみんなは、身を乗り出してメガホンを打つ。いける! って手応えを感じる。
ただ、相手も昨夏の甲子園出場校なだけあって、浮足立ちはしない。先制点はもぎ取れなかった。
攻守交替。マウンドに、丈士先輩がゆっくり歩いていく。
ゆっくりなのはあくまで所作のみ。一球目、キレッキレの速球がミットに突き刺さる。
球場がどよめいた。高松だし相手のホームって雰囲気だったのが、一変する。
二・三球目もストレートを投げ込む。見逃し三振。
「センパイ、真顔やけど絶好調じゃ!」
そのまま前半は投手戦になった。スコアボードに「0」が五個ずつ並ぶ。うおお、痺れる。
グラウンド整備兼水分補給休憩に入る。オレはつい爆踊りして持参の麦茶飲み干しちまったけど、例のお好み焼き屋の大将が「飲みな」って冷たい薄め出汁を持ってきてくれた。あざっす。
そろそろ大西先輩が大会三本目のホームラン打ってくんないかな、もちろん丈士先輩が自分で打ってもいいけど――ってグラウンド眺めてたら、丈士先輩と目が合った。
先輩が目を見開く。
「ふふん、眼福じゃろ」
かと思うと、ユニフォームの腹をさする。腹いっぱい? 逆だ、腹減ったのジェスチャー。
そう言えば先輩、「栄養ありそうなヤツ」が好きって言ってたっけ。
少しでも栄養補給してもらうべく、オレは青いスカートを揺らして飛び跳ね、力と元気をありったけ送る。
――先輩はめっちゃ頑張ってます、先輩は超うどん級ピッチャー、甲子園は目の前っス、一緒に行きましょ!
試合再開に向けて讃岐高で円陣組む直前、先輩の八重歯が垣間見えた。よし。
「打者二巡したし、配球読まれてきよるなあ」
出汁入りウォータージャグを抱える大将と謎おじさんがひそひそ話すのが聞こえたけど、たとえストレートってわかっても先輩の速球は打てっこない。
って、オレは自信満々だったのに。
六回も七回も、先輩はランナーを背負う。山田部長のサインに首振ることも増えた。
「準決勝までのデータ、相手は後半の得点が多かったっけ……」
試合中に対戦ピッチャーの特徴把握して、対応する力があるんだ。
粟野先輩が賢く送球して送りバント阻止したり、センターの大西先輩がダイビングキャッチしたりして無得点に抑えたものの、やきもきする。
うちが一点取れれば余裕ができるけど、なかなかチャンスつくれない。
相手ピッチャー、丈士先輩より球は遅い。でも変化球を効果的に使ってる。
八回表、打席に立った丈士先輩もタイミングずらされて、手からバットがすっぽ抜けた。そのまま内野ゴロになってアウト。うう。
「とにかくあと二回、守りつか」
八回裏。相手は打順九番からだ。
ファールで粘られる。投球数が増えてきた先輩は、何度も帽子取って汗を拭う。
結局、四球で出塁された。一塁側スタンドが声援と演奏で盛り立てる。こっちは守備中ででけえ声出せないのがもどかしい。
二人目のバッターはバントの構え。一番打者は足の速い選手が務めることが多い。あわよくば自分もセーフになろうとしてる。
その企みは何とか阻んで、一アウト二塁。
ただ、ランナーが盗塁の素振りして、丈士先輩の気を散らせる。そのせいか、三盗された上に、二番打者にまた四球を与えちまう。
「今のはストライクじゃろ審判……!」
唇を噛む。一アウト一・三塁で、相手の三・四番を抑えないといけない。
山田部長がタイム取って、マウンドに向かう。他の七人も集まる。みんなこんな大舞台ははじめてで、プレッシャーと疲労で足取りが重い。
でも、丈士先輩がひとつ頷けば、安心が広がった。それぞれ先輩の背中の「1」をぽんと叩いて、自分のポジションに戻っていく。
チームメートも、スタンドの応援団も、丈士先輩を信じてる。
三番打者に対しては、山田部長を立たせてあえて四球にした。
「満塁策じゃ」
一見ピンチだけど、塁が埋まってるぶんランナーはぜったい走らないといけなくて、ダブルプレーを取りやすい。
オレはそうくるかって震えた。野球がおもしろくて、丈士先輩の強気にわくわくして。
相手の四番が打席に入る。怒りのオーラを発してる。そりゃそうだ、三番じゃなく四番と勝負して抑えようってんだから。
でもこっちからすれば、左打ちの三番より右打ちの四番のが、丈士先輩と相性がいい。
一球目、ボール。二球目、ストライク。三球目、ファール。四球目もファール。
うちのエースも、相手の四番も、譲らない。
五球目、あわや死球のボール。山田部長が外角低めに構えたミットの真逆に行った。汗で滑ったのかな。
六球目、チェンジアップがまた高く外れてボール。フルカウントになった。
……もしかして、握力だいぶなくなってる? さっきバットすっぽ抜けたし、準決勝の後オレのほっぺた触る力も弱かった。この県予選、ずっと一人で投げてきた。
「先輩、真顔やけどえらそうや……」
オレにはわかる。
ベンチには三年生のピッチャーが一人いるものの、丈士先輩に抑えられないものを抑えきれまい。名将どころか普通の教頭の顧問兼監督は動かない。
七球目、サインに二回首振る。まだ変化球は出してない。ファール。もし打たれなきゃボールだった。
オレにできること、何かねえのか!? 透明バッグのストラップを握り締める。オレばっかり力もらってる。勝利の少年神らしく祈りを叶えろよ。
先輩は気分転換にか、自分の後ろを守る七人の仲間を振り返った。
オレの目には、快晴の空をバックに、背番号「1」がくっきりと映る。
いちばんイケメンで、いちばんすげえピッチャーで、オレのいちばん好きな人。
「センパイ、勝ったら、キスしたります!!!」
気づいたらそう叫んでた。全力本気ストレートな告白。
マウンドの先輩が頷く。球種のサインに頷いたんだけど、まるでオレに頷いてくれたみてえ。
先輩が投げたボールは、まっすぐ伸びる。さっきまでより速い、渾身のストレート。
――キィン。
相手も三年生の意地で打ち返す。球が速いぶん、よく飛ぶ。歓声と悲鳴が交差する。
大西先輩がフェンス際まで走り、スタンバイする。
外野フライに抑えた。あああ、でも息つく間もなくタッチアップだ!
三塁ランナーが本塁へ一直線に走る。大西先輩がグラウンドを縦断するように返球する。大西先輩のパワーでも本塁には届かなくて、丈士先輩が中継して、キャッチャーの山田部長に託す。スタンドはもうみんな立ち上がってわーわー言ってる。
ランナーのスライディングで土埃が起きた。球場中が注目する審判の判定は――。