『きみの暦ってすごく素敵な名前だと思うんだ。だから子どもは四人作って、春夏秋冬、それぞれの文字を入れるなんてどうかな。ああ、楽しみだな』
それは、暦が愛した元夫の願いだった。
だからこそ、誕生前から我が子を目いっぱいかわいがりたくて、長女には〝春〟、次女には〝夏〟という胎児ネームをつけたのだ。
元夫は頭がよくて、暦が作る料理が誰よりも好きで、人懐っこい笑顔が素敵で――彼以外と結婚する人生など今でも考えられない。
しかし、彼と一緒にいたままでは、お互いふたりの娘を失った悲しみからも逃れられない。
彼が望んでいた『秋』と『冬』も、自分の体ではきっと産んであげられない。そう思うとたまらなく申し訳なかった。
別れたいと言い出したのは暦で、彼もその気持ちを尊重してくれた。離婚してから会ってはいないが、今でも毎日、彼が幸せであればいいと願っている。
優しい彼もきっと暦のことを案じているはずだが、今の自分を見たらどう感じるだろう。
ふたりの娘が生きていたらちょうど同い年で、名前に『春』と『夏』が入っている女性ふたりと同居しているなんて……行き場をなくした母性の暴走だと思われるかもしれない。暦にもそれは否定できないが、春子と夏美との出会いは、あくまで偶然だった。
五十を過ぎ、娘たちを亡くした悲しみは死ぬまで消えることはないが、涙はようやく枯れた。
赤ちゃんを目にするだけで胸がちぎれそうになることも、公園で遊ぶ姉妹を見るだけではらはらと涙がこぼれることも、街中で友達のように仲のいい母娘が買い物をする姿に嫉妬することも、もうない。
そうなってみて初めて、余生をどう過ごそうかと、暦はふと自分の人生について考えた。
このままひとりでも暮らせるが、人との会話やふれあいにも飢えている。
料理が好きなのに、自分ひとりだけでは食べたいものも作るものも限られる。一度にたくさん作った方が美味しくなる料理もたくさんあるのに、もう何十年も作れていなかった。
そこで思いついたのが、離婚の際に与えられた家で誰かとルームシェアをすることだ。
風呂やトイレは共用になるから、女性限定で。
年齢については成人であれば上限はとくに考えていなかったが、暦が募集していた定員二名に対して最初に手を挙げたのが、春子と夏美だった。