「ねぇ、覚えてる。私と、一真(かずま)くんと、梨央(りお)ちゃんの三人で作ったお話のこと」

 みらいは手元に持った本をたたんで、僕の顔をじっと見つめていた。
 まっすぐに向けられた顔にどきどきと心臓が鼓動しているのを感じる。
 この気持ちが何という気持ちなのかはわからない。未来(みらい)のことが好きだった。そしてたぶん今でも好きなのだろう。その感情が恋愛としての好きだったかと言われれば、確かに初恋ではあったとは思う。

 けど幼い頃に抱いた恋心は淡く、消えそうなほど微かな炎に過ぎなくて。もし未来に事故が起きなかったなら、もしかしたら他の何かのきっかけで消えていたのかもしれない。
 未来が消えてしまったから、微かな炎は逆に消えずに、大きく燃え上がったのかもしれない。

 その感情は淡い初恋ではあったものの、誰かを愛しく思う強い恋愛感情だったと言えるのかはわからない。そしていま目の前にいるみらいへと覚えた気持ちもそうなのかはわからなかった。
 突然現れた消えたはずの幼なじみに、まだ僕の気持ちは混乱していた。だからみらいの問いかけは、はっきりと理解できていなかったと思う。

「あ、えっと……?」
「もう。忘れちゃったの。小学校の授業でさ、お話を作ろうみたいなのがあって、それで私達で一緒に考えた話」
「ああ、うん。覚えているよ」

 みらいの言葉をやっと理解していた。
 小学校の授業で物語を作ろうという宿題があった。だから僕達は絵本を作った。もちろん所詮はこどもの作るお話だから、大したお話ではないのだけれど、三人で協力して作ったことは良く覚えている。あのとき、(みなと)は自分は違うのを作りたいといって珍しく僕と未来と梨央の三人だったこともある。

 それに未来と最後に約束したことは、その絵本の続きを書くことでもあった。

「私ね。あのお話が大好きで、本当に大好きでさ。何回も何回も絵本にして作ったりしたんだよ。でも授業ではさ、結局時間が足りなくて、完成させられなかった。覚えてない?」
「うん。覚えているよ。忘れていない」

 それは未来との約束だったから。
 あの話は未来を旅する男の子と女の子のお話だった。二人は今を救うために、未来へと旅する不思議な力を持っていたんだ。僕達三人の連名で冊子を作って提出したことをよく覚えている。

「僕と未来と梨央(りお)の三人で絵本を作って、先生に提出したよね」
「うん。そうだよ。でも、これは覚えているかな。そのあとにさ、一真くんが二人がいちど離ればなれになっちゃったら面白いよねっていって、また続きを考えようって話になったんだよ」
「うん。そうだね。そんなこともあったね」

 確か提出した直後はかなり高揚していて、その時はいろいろ言っていた。
 ただお話の提出は終わっているから、少し後の僕の中ではもう終わったものになっていた。宿題の外でまでお話を考えようという気持ちは、僕にはなかったと思う。

「うん。だから約束したんだよ。続きのお話を作ろうって。でもそれは事故で叶わなかった。提出した作品としては完成していたけど、私の中ではあのお話はまだ未完成だったから」

 僕の方へと少しだけ視線を向けて、でもみらいはすぐに目を背けてしまう。

「完成させたかったの。もういちど二人で」

 顔を見せないまま、みらいは静かな声で告げる。
 でもすぐに振り返って、にこやかに微笑んでいた。

「確かに約束したね。でもあの話は梨央も一緒に作っていたから、三人で作った方がいいんじゃないかな」
「……うん、そうだね」

 みらいは静かな声でうなずく。
 それからまた僕に背を向けて、そしてすぐに歩き出していた。

「うん。まぁ、そんなこともあったよねって、それだけ。いこう。一真くん。これ以上ここにいたら遅くなっちゃうね」

 みらいは僕が応えるのもまたずに、すぐに歩き出していた。
 確かにもう日が暮れ始めている。うかうかしていたら、この辺はすぐに真っ暗闇だ。急いで街の方に戻る必要がある。

「あ、まって。僕も行くよ」

 みらいの背中を追いかけて、それから隣にならんで歩き始める。山道はでこぼことしていて歩きづらかったけれど、慣れ親しんだ場所だ。それほど苦労せずに街中へと戻る。
 気がつくともう外はかなり暗くなっていた。秋になって日が沈むのも早くなったと思う。

「じゃあ、今日はもう遅いしこのへんでね。あ、でも一真くんが良かったら、こんどの土曜日に二人で一緒に遊びにいかない?」
「い、いいけど」

 それってデートのお誘いってことかな、と内心どきどきとしながらも平静を保って応える。
 女の子と二人で出かけるなんてことは、正直梨央とくらいしかしたことがない。でも梨央とは幼なじみだから、まだ小さい頃に何となくでかけることがあったくらいで、高校生になってからは二人ででかけたことはない。だから当然デートなんてしたことはなかった。

「うん、よかった。じゃあ土曜日に駅前に十時に待ち合わせね。あ、私は急ぐから今日はこの辺でね。またね!」

 約束だけ交わしてみらいはきびすを返すようにして、急いで去って行く。

「あ、うん。またね」

 あっけにとられてうなずくも、みらいの姿はもうだいぶん小さくなっていた。本当にかなり急いでいたのだろうか。
 デートの約束。
 今から心臓がばくばくと大きく脈打っていた。

 それからすぐに連絡先をきいておけば良かったと後悔するものの、今回は明確に時間と場所を約束している。それまでにもういちど会えるかはわからないけれど、少なくとも土曜日にはまた会える。

 みらいと一緒にいることが、今の僕にとって前に進むことになるはず。
 僕は無意識のうちに拳を握りしめて、それから静かに帰路を急いだ。