次の日になって梨央(りお)に話したいことがあるから会えないかとライムを送る。すぐに梨央からいいよと返事が戻ってきていた。
 どこで会うか迷っていたのだけど、話の内容的にあまり他の人がこなくて少し広い場所がいいとは思ってはいた。そんな話をすると、梨央からは「じゃ一真(かずま)の家でいいんじゃない」という話になって、梨央が僕の家に来ることになった。

「おじゃましまーす」

 梨央が僕の部屋へと声を上げて入ってくる。昨日のことなんてまるで何もなかったかのように、いつも通りの梨央だった。そのことに僕はほっとする。なんとなく気まずく感じていたのだけれど、それは僕だけの感情だったのかもしれない。

「何もないけど、適当に座って」

 軽く告げながらも年頃の女の子を部屋にあげるのは初めてのことだ。梨央が相手とはいえ、少しだけ緊張する。
 もちろん小さい頃は梨央や未来(みらい)もきたことがあるから、梨央がここにくるのが初めてという訳でもないのだし、気にしすぎかもしれない。

「それで、話って何?」

 梨央は早速話を切り出してくる。
 僕はうなずいて、それからみんなで作った絵本を取り出して部屋のテーブルの上に置く。

「あー、これ。懐かしい。一真と未来とで一緒に作ったやつでしょ。覚えてる覚えてる」

 梨央は表紙を一目見ただけで気が付いたらしい。

「話というのは、この絵本のことについてなんだ」
「ほえ? 絵本について? これって、でも小学生の時だよね。もう何年前? いまさらこれについての話なの?」

 梨央が想像していた話とは違っていたのかもしれない。絵本と僕とを交互に視線を向けて、不思議そうな顔をしていた。

「うん。そうなんだ。でも、絵本についての話をする前に、ひとつだけ確かめさせてほしい」

 僕は言いながらスマホを取り出して、梨央へと以前に見せたみらいの写真を見せる。
 梨央はこのことを覚えているだろうか。

「この写真、覚えている?」
「うん。ああ、うん。なんだっけ。えーっと、でもなんか前に見たような」

 梨央は始めはきょとんとした顔を向けていたけれど、すぐに何かが引っかかったのか、少し頭を悩ませているようだった。

「でも覚えていないな。誰だっけ、この子。どっかで見た事あるような気がするけど」

 梨央はみらいのことは覚えてはいないようだった。
 ただ完全に頭の中から消えてしまったという訳でもないのか、まだ何とか思いだそうと頭を回転させているようだ。
 それだけでも以前と何かが変わっていると思った。

「この子と少し話をしたんだけど、彼女は自分のことを未来だと名乗ったんだ」
「まさか。未来は事故で亡くなったんだ。だから、もう未来がここにいるはずないよ。確かに、どことなく未来の面影はある、けど」

 梨央はマジマジと写真を見つめていた。
 自分の言葉が、でもどこか信じ切れない様子で告げる。

「……まって。私、前にもおんなじこといった気がする」
「うん。言ったんだ。前にも梨央にこの写真を見せたことがある」

 梨央は僕の言葉に、慌てた様子で僕のスマホを手にとる。
 そして写真をスライドして、前の写真を表示する。

「うん。見た。そうだ。確かに私はこの写真を見た。それで五分前の写真に、映っていないのはおかしいって。そう言ったんだ。でもなんでこんなこと忘れて」

 梨央は僕と写真をまた交互に顔を送っていた。
 それから何か自分の中で信じられないことが起きているとばかりに、僕を不安げに見つけていた。
 だから僕はみらいのことを話した。

 何もかも、隠さずに。美術館でデートしたこと。みらいが違う世界から来たと語ったこと。みらいはお母さんに会いたくてこの世界にきたこと。それからこの絵本を完成させようとしていたこと。僕以外の人に自分がみらいであることを知られてしまったら、この世界から消えてしまうこと。そして実際にみらいが消えてしまったこと。

「そうなんだ。それじゃあ昨日振られたっていっていたのは」
「うん。……みらいが消えてしまったってことなんだ」
「そうか。そうなんだ」

 梨央はまだうまく事態を飲み込めないのか、何か口の中でつぶやいているようだったけど、その言葉は僕にははっきりとは聞こえなかった。
 だけどこんな突拍子もない話だというのに、すぐに信じてくれたようだった。梨央は僕の言葉を否定することはなくて、どこか納得の表情を浮かべていた。

「それでこの絵本がでてくるわけか」

 梨央は少し得心がいったとばかりに、絵本をじっと見つめていた。

「つまりみらいが一人にしか名乗れないのも、絵本のルールと同じって訳だね」

 梨央の言葉に初めて僕は気がつく。そうだ。絵本の中の主人公達が、未来を旅した時の破っちゃいけないルール。

 みらいは何でも願いを叶えてくれる魔法の本に、僕達が作った絵本の物語を描いた。絵本を作った時は、僕達はまだ子供だった。だからある意味でいまみらいがこの世界に来たのは子どもの未来が大きくなったみらいとして未来へ旅立ったとも考えることが出来るだろう。それなら絵本をトレースしているとも言える。

 みらいはこの絵本の通りの旅をしていたんだ。
 絵本の中では実際に戻されたことはなかったけれど、ルールを破った時は元の世界に強制的に戻されてしまう決まりだった。だからみらいは元の世界に戻されてしまったのだろう。

 そのルールにもっと早く気が付いていれば、違う未来もあったかもしれない。
 僕が悔やんでいるのがわかったのだろう。梨央は僕の肩に軽く手を置いていた。

「ま。過ぎちゃったことはもうどうしようもない。未来にはあたしも会いたかったけどさ。本題はそこじゃないんでしょ」

 梨央が話を引き戻す。
 そうだ。僕は後悔をするために梨央と会うことを決めた訳じゃない。

「うん。みらいと二人で結末を作ったけれど、この絵本はさ、もともと未来と梨央と僕の三人で作ったものだから。梨央の意見も聞きたかった。それで本当に完成としたかったんだ」
「なるほどね。うん、わかった」

 梨央はまだいろいろと考え込んでいるようではあったけれど、少しして絵本をぱらぱにとめくり始める。
 僕が絵本を作りたい理由は、ただみらいとの指切りの約束を守りたいという気持ちだけ。

 この絵本は三人で作ったものだから、だから未来だけでなくて梨央の意見をききたいという以上には何も理由がなかった。
 みらいはもう消えてしまった。だから約束を守ることに意味なんてないのかもしれない。だけどそれでもみらいがここにいたんだっていう形を残したかった。
 梨央はそんな僕の気持ちをくみ取ってくれたようだった。

「一真と未来が二人で話した結末は、二人は離ればなれになりつつも心の中ではつながっていて、でもそれぞれの道を歩き始める、んだっけ」
「うん。男の子の方は違う子と恋愛をして結婚して幸せになって。女の子は画家になって、それぞれが成長をして。未来はそんな感じにまとめていたよ」
「なるほど。それが未来の気持ちなんだね」

 梨央は何か深く考え始めていた。
 自分なりの結末を考えているのだろうか。それとも消えてしまったみらいに、何か思いを馳せていたのだろうか。
 梨央とみらいは直接出会っていない。みらいは僕にしか名乗れないルールだったけど、会えるなら梨央だってみらいと会いたかっただろう。会わせてあげたかったと、いまさらながら思う。

「私はさ。やっぱりこの男の子と女の子が結ばれるべきじゃないかなって思う。ずっと一緒にいた二人が結ばれるのは、王道だと思うし、そうあるべきなんじゃないかって」
「そうか。そうだね。そうかもしれない」

 物語としては、そちらの方が自然だとは思う。
 ずっと一緒にいた二人がいつまでも一緒に幸せになるっていうのは、梨央も言う通りに物語の王道じゃないだろうか。

 みらいがここにいれば、もっとちゃんと話が出来たかも知れない。でもみらいはもうここにはいない。
 そしてみらいはもうすでにあの絵本に一つの結末として、二人が離ればなれになる最後を描いてしまった。
 でもその最後は僕が守りたい絵本を作る約束の形と少し違っていた。僕と未来と梨央。三人がそろう必要があると思った。
 もう三人がそろうことは難しいのかもしれない。
 それなら僕と梨央の二人で作るこの絵本の続きには、男の子と女の子の二人が一緒になる物語として終わらせてもいいような気がしていた。もう一つの終わりを作ってもいいと思った。

「わかった。僕もその方がいいような気がする。だから、その方向で続きを描こうと思う」
「うん。それでいこ」

 二人の間で物語の方向性は決まった。
 それから僕達は物語を絵本に追加しはじめていた。
 未来がいないから、ちゃんとした絵を描ける人がいない。それでも僕と梨央で絵を描いて、物語を綴っていく。
 未来の描いた絵柄とは変わってしまったし、拙い絵ではあったけれど、何とか絵本として形取っていく。

「最後さ、雪が降る中で二人が手を取り合うなんてどう」
「うん。いいかも」

 梨央の言葉に僕はうなずくと、その後も二人で話を決めていく。
 物語の二人は世界を救ったあと、もういちどだけ時間を旅する。
 それは世界を救うためではなくて、失ってしまった友人を救うため。

 未来ではなくて、過去へと向かう。
 失われてしまった過去をなかったことにするため。

 世界のためではなく自分達のために力を使ってしまった二人は、不思議な力をなくしてしまう。
 それでもたった一人の友人を救うために、過去へと向かう。

 誰にも知られないまま、事故をなかったことにする。
 力を失ってしまったから、もうもとの世界には戻れない。
 友達を救うことは出来たけど、もう大きくなってしまっている二人のことは、友達から見てもわからない。
 だからこの世界は、誰も二人のことを知っている人がいない世界。だけどそこで二人で手をとりあって生きていく。
 雪降る中、つながれた二人の手が温かい。だから大丈夫。幸せになるよ。

 そんな物語が紡ぎ出された。

「完成……かな」
「うん。そうだね」

 梨央も作った絵本をじっとみつめていた。
 梨央も何か思うところがあったのかもしれない。

「いまだから言うけど」
「うん?」

 急に梨央は真剣な目をして、僕の方をじっと見つめていた。

「この絵本の二人さ、あたしは一真と未来がモデルだと思っていたんだ」
「え、僕と未来が?」
「うん。だって、どことなく似てるでしょ。だからその魔法の本だかに、この絵本を描いたときに、世界を変えるための旅が出来たんじゃないかって思った」

 梨央に言われてみて、確かにそうかもしれないと思う。
 どことなく僕も、このお話の女の子に未来を重ねてみていたような気もする。

 あれ。でもそうだとしたら、この結末って。
 そこまで考えて、でもすぐに首を振るう。いやこの物語はあくまで絵本の物語だ。僕と未来の二人の結末ではない。

 未来はもういない。絶対にこの結末を迎えることはないんだ。
 僕はため息をひとつもらす。

 それでもこうして形作れたことは、前へと一歩進めたような気がする。
 僕は結局こうして、未来の軌跡をたどっていくことしか出来ないのだろう。

 それでも梨央と一緒に絵本を作れたことで、一つ区切りにはなった気がする。

「そうかもしれない。でもどちらにしてもみらいはもういない。ただ僕は最後にみらいと交わした約束を守りたかったんだ。そしてその約束を守るには、梨央も一緒じゃなきゃダメだと思った」
「うん。ありがと。私も誘ってくれて」

 梨央は軽く笑みを浮かべる。
 梨央が何を考えているかはわからなかったけれど、僕はその優しさと寂しさの混じった瞳に胸が締め付けられるような気がしていた。

 こうして絵本を作ったのは、ただの自己満足かもしれない。

 それでも僕はそのことが心残りだった。
 そうしないと前に進めないような気がした。

 僕とみらいが作った結末と、僕と梨央とで作った結末は、それぞれが違う形をとることになった。
 二つの絵本が出来てしまったけれど、みらいは別の世界からきたのだから、お話も平行世界になっていてもいいんじゃないだろうか。

 これで約束は守れたよね。心の中でつぶやく。
 未来と交わした約束。

 初恋は実らないなんて言うけれど、たぶん僕にとっての初恋はこの瞬間にやっと終わりを告げたのだろう。
 みらいともう少し一緒にいたかった。

 でも泡沫(うたかた)の夢だとしても、みらいにあえて良かった。
 ずっと引きずっていた未来への気持ちが、少しだけ溶けた気がする。
 未来と交わした約束を、果たすことが出来たから。