「あら。一真くんじゃない」
かけられた声に振り返ると、そこには未来のおばさんが立っていた。
真っ黒なスーツのようなものを着ている。いや、これは喪服だろうか。夜の中に溶け込むようで、未来のおばさんの周りだけが、どこか寂しさを増していた。
「あ、志々見さん、こんばんは」
「こんばんは。そういえば今日はお祭りだったわね。すっかり忘れていたわ」
未来のおばさんの姿をみて、すぐに思い出していた。そうだ。今日は未来の命日でもある。たぶんおばさんは墓参りの帰りなのだろう。
「賑やかでいいわね。あの子もお祭りが好きだったから、きっと喜んでいると思うわ」
少しだけ寂しげに微笑むおばさんに、僕は胸の中が締め付けられるような気がして、少しの間だけど息が出来なかった。
「そう、ですね」
僕は曖昧に答えながら、横目でみらいへと視線を向ける。
みらいはどこか困ったような、そして悲しそうな瞳をしてうつむいている。
「そちらの子は彼女さんかしら。一真くんもすみにおけないのね」
「いえ。その……」
何と答えていいのかわからずに口ごもる。
「あら、あなたこの間の。まぁ、偶然もあるものね」
おばさんはすぐにみらいのことに気がついたようで、みらいへと笑いかける。
みらいはやっと顔をあげて、それからおばさんへと向き合っていた。
「あ、えっと。この間の方ですね。あの、あの時はありがとうございました。助かりました」
「いいえ。どういたしまして。それにしても一真くんと知り合いだったのね」
「あ、はい。その。そうなんです」
「あらあら。本当に偶然もあるものね」
おばさんは頬に手をあてながら、でも変わらないまま話し続ける。
でもみらいはどこかあからさまに緊張しているというか、むしろ何かにおびえているようにすら見えた。
この世界には未来はいない。だからおばさんはみらいのことはわからないはずだ。
なのに未来はどこか困ったような顔のまま、うまくしゃべれずにいるようだった。
「でも、ほんとう。こうしてみていたら、そっくりね。私ね、生きていたらちょうどあなたと同じくらいの歳の娘がいたの。今日はその子の命日でね。なんだかあの子が生まれ変わってここにきたんじゃないかって思って」
おばさんは少しだけ寂しそうに、でもどこか嬉しそうな。複雑な顔をして、みらいをみつめていた。
みらいは未来そのものなのだから、似ているのは当然だ。やっぱり母親だからなのか、みらいのことはすぐに気が付いたようだった。
みらいはどこか困ったような顔を浮かべて、それでもおばさんから目を離さずにいる。
「そう、なんですね」
「ええ。変なこといってごめんなさいね。こんなこと言っても困らせちゃうわよね。おばさん、ちょっと感傷的になっていたみたい。本当にごめんなさいね。困ったおばさんだわ」
自虐的に笑うおばさんに、でもみらいは思わずといったように声を荒げていた。
「そんなことないよ、お母さ……」
言いかけてみらいはすぐに口をふさぐ。
目が大きく見開いていた。あからさまに動揺しているのがわかる。
「え、あ。ええ、言い間違えたのね。そういうこともあるわよね」
おばさんも驚いた様子で、みらいをじっと見つめていた。
「でも。その。こんなことを言ったらおかしいと思われてしまうかもしれないけど、本当に。もしかして。あなたは、未来なの、かしら」
おばさんはみらいをじっと見つめていた。
何か大切なことに気がついたように、おばさんはみらいから目を離さなかった。
「ち、ちが……っ。ご、ごめんなさいっ」
みらいは思わずと言った様子で叫ぶように答えると、突然走り出してしまう。
「え、ちょっとまって!?」
僕が呼ぶ声も聞こえていないのか、そのまま人混みの方へと向かって言ってしまう。
「おばさん、すみませんっ。またこんど話はさせてください!」
おばさんに声をかけて、返事もまたずに駆けだしていく。
こんな人混みの中だ。連絡先も知らないから姿を見失ったら、もういちど会うのは難しい。かといって、迷子放送をしてもらう訳にもいかない。
「まって、まって!」
みらいへと声をかける。幸いみらいはそれほど早いというわけではなかったので見失わずには済んだけれど、人が多くて思うように追いつけない。
「まって、みらいちゃん! まって!」
呼び止めても、みらいは走り続ける。
僕がみらいへ追いついたのは、もう祭り会場を過ぎて、海辺の公園の近くまできていたときだった。
みらいの手をとって、それからみらいが走るのを止める。みらいも息が上がってきていたのか、抵抗することもなく、でもその場にぺたんと座り込んでしまっていた。
さすがに海の方にまではいっていなかったけれど、これ以上向こうにいったなら明かりもほとんどない。なんとかここで止められて良かったと思う。
「なにがあったの。どうしたの、みらいちゃん」
「……きが……つかれちゃった……」
みらいの声はか細く、もしも祭り会場の中であれば聞こえなかったかもしれない。
でもここは聞こえるのは微かに響く波の音だけ。静かなこの場所はみらいの言葉をはっきりと僕に伝えていた。
「きがつかれた? なんのこと?」
問い返す僕に、でもみらいはまるで震えるこどものように座り込んだまま僕を見上げていた。
その目にはすでに涙が浮かんでいた。
もうほとんど泣き出していた。
僕には何が起きたのかわからない。ただ未来のおばさんと少しばかり話しただけだ。
「お母さんに……私のこと……気付かれちゃった」
みらいの言葉に、やっと意味を把握していた。
おばさんに自分のことを気が付かれたといっているのだろう。
おばさんは未来が死んだと思っている。だから突然成長した未来が姿を現せば驚いてしまうのはわかる。
「あ、うん。なんか、なんとなく未来のおばさんも気付いたようではあったけど。でもほら僕には違う世界からきたことを教えてくれたんだし、おばさんにもちゃんと説明すればきっとわかってくれるよ」
簡単には信じてもらえないかもしれないけど、でも僕がみらいの言葉を信じたように、たぶんおばさんも信じてくれるんじゃないかとは思う。
おばさんだって未来に会いたいはずだ。違う世界のことでも、未来が元気でいてくれるなら、きっと喜んでくれるはず。
僕はそんな風に考えていた。
でもみらいはゆっくりと首を振るう。
「ちがう……ちがうの……だめなの。気が付かれちゃだめだったの。だから、遠巻きで姿をみているだけで良かった。それだけなら許されたのに。私があの時、声をかけてしまったから。我慢できなかったから、だから」
みらいは半分錯乱したかのように言葉を紡ぎ続ける。
「どうしたの、みらいちゃん。わからないよ。みらいちゃんが何を言いたいか、わからないよ」
「ごめん。ごめんね……。私が望みすぎたせいで。欲張ってしまったせいで。こんな形になってしまった。ルールを破っちゃった」
「ルール!? なんのこと? あ、もしかして、本の……!?」
いいかけて僕は気付いてしまう。
以前にみらいは別の世界にいく望みを叶えてくれる本だけれど、ルールがいくつかあるといっていた。
「そうなの。気が付かれちゃだめだったの。私が未来だってこと。一真くん以外に知られちゃだめだったの。だから、だからね。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
何度も言葉に出して謝るみらいに、でも僕は何も言えなかった。
何が起きているのかもよくわからなかったけれど、みらいが何らかのルールを破ってしまって、そのことを悔やんでいることだけはわかる。
でもみらいに何と声をかけたらいいのか、それはわからなかった。
かけられた声に振り返ると、そこには未来のおばさんが立っていた。
真っ黒なスーツのようなものを着ている。いや、これは喪服だろうか。夜の中に溶け込むようで、未来のおばさんの周りだけが、どこか寂しさを増していた。
「あ、志々見さん、こんばんは」
「こんばんは。そういえば今日はお祭りだったわね。すっかり忘れていたわ」
未来のおばさんの姿をみて、すぐに思い出していた。そうだ。今日は未来の命日でもある。たぶんおばさんは墓参りの帰りなのだろう。
「賑やかでいいわね。あの子もお祭りが好きだったから、きっと喜んでいると思うわ」
少しだけ寂しげに微笑むおばさんに、僕は胸の中が締め付けられるような気がして、少しの間だけど息が出来なかった。
「そう、ですね」
僕は曖昧に答えながら、横目でみらいへと視線を向ける。
みらいはどこか困ったような、そして悲しそうな瞳をしてうつむいている。
「そちらの子は彼女さんかしら。一真くんもすみにおけないのね」
「いえ。その……」
何と答えていいのかわからずに口ごもる。
「あら、あなたこの間の。まぁ、偶然もあるものね」
おばさんはすぐにみらいのことに気がついたようで、みらいへと笑いかける。
みらいはやっと顔をあげて、それからおばさんへと向き合っていた。
「あ、えっと。この間の方ですね。あの、あの時はありがとうございました。助かりました」
「いいえ。どういたしまして。それにしても一真くんと知り合いだったのね」
「あ、はい。その。そうなんです」
「あらあら。本当に偶然もあるものね」
おばさんは頬に手をあてながら、でも変わらないまま話し続ける。
でもみらいはどこかあからさまに緊張しているというか、むしろ何かにおびえているようにすら見えた。
この世界には未来はいない。だからおばさんはみらいのことはわからないはずだ。
なのに未来はどこか困ったような顔のまま、うまくしゃべれずにいるようだった。
「でも、ほんとう。こうしてみていたら、そっくりね。私ね、生きていたらちょうどあなたと同じくらいの歳の娘がいたの。今日はその子の命日でね。なんだかあの子が生まれ変わってここにきたんじゃないかって思って」
おばさんは少しだけ寂しそうに、でもどこか嬉しそうな。複雑な顔をして、みらいをみつめていた。
みらいは未来そのものなのだから、似ているのは当然だ。やっぱり母親だからなのか、みらいのことはすぐに気が付いたようだった。
みらいはどこか困ったような顔を浮かべて、それでもおばさんから目を離さずにいる。
「そう、なんですね」
「ええ。変なこといってごめんなさいね。こんなこと言っても困らせちゃうわよね。おばさん、ちょっと感傷的になっていたみたい。本当にごめんなさいね。困ったおばさんだわ」
自虐的に笑うおばさんに、でもみらいは思わずといったように声を荒げていた。
「そんなことないよ、お母さ……」
言いかけてみらいはすぐに口をふさぐ。
目が大きく見開いていた。あからさまに動揺しているのがわかる。
「え、あ。ええ、言い間違えたのね。そういうこともあるわよね」
おばさんも驚いた様子で、みらいをじっと見つめていた。
「でも。その。こんなことを言ったらおかしいと思われてしまうかもしれないけど、本当に。もしかして。あなたは、未来なの、かしら」
おばさんはみらいをじっと見つめていた。
何か大切なことに気がついたように、おばさんはみらいから目を離さなかった。
「ち、ちが……っ。ご、ごめんなさいっ」
みらいは思わずと言った様子で叫ぶように答えると、突然走り出してしまう。
「え、ちょっとまって!?」
僕が呼ぶ声も聞こえていないのか、そのまま人混みの方へと向かって言ってしまう。
「おばさん、すみませんっ。またこんど話はさせてください!」
おばさんに声をかけて、返事もまたずに駆けだしていく。
こんな人混みの中だ。連絡先も知らないから姿を見失ったら、もういちど会うのは難しい。かといって、迷子放送をしてもらう訳にもいかない。
「まって、まって!」
みらいへと声をかける。幸いみらいはそれほど早いというわけではなかったので見失わずには済んだけれど、人が多くて思うように追いつけない。
「まって、みらいちゃん! まって!」
呼び止めても、みらいは走り続ける。
僕がみらいへ追いついたのは、もう祭り会場を過ぎて、海辺の公園の近くまできていたときだった。
みらいの手をとって、それからみらいが走るのを止める。みらいも息が上がってきていたのか、抵抗することもなく、でもその場にぺたんと座り込んでしまっていた。
さすがに海の方にまではいっていなかったけれど、これ以上向こうにいったなら明かりもほとんどない。なんとかここで止められて良かったと思う。
「なにがあったの。どうしたの、みらいちゃん」
「……きが……つかれちゃった……」
みらいの声はか細く、もしも祭り会場の中であれば聞こえなかったかもしれない。
でもここは聞こえるのは微かに響く波の音だけ。静かなこの場所はみらいの言葉をはっきりと僕に伝えていた。
「きがつかれた? なんのこと?」
問い返す僕に、でもみらいはまるで震えるこどものように座り込んだまま僕を見上げていた。
その目にはすでに涙が浮かんでいた。
もうほとんど泣き出していた。
僕には何が起きたのかわからない。ただ未来のおばさんと少しばかり話しただけだ。
「お母さんに……私のこと……気付かれちゃった」
みらいの言葉に、やっと意味を把握していた。
おばさんに自分のことを気が付かれたといっているのだろう。
おばさんは未来が死んだと思っている。だから突然成長した未来が姿を現せば驚いてしまうのはわかる。
「あ、うん。なんか、なんとなく未来のおばさんも気付いたようではあったけど。でもほら僕には違う世界からきたことを教えてくれたんだし、おばさんにもちゃんと説明すればきっとわかってくれるよ」
簡単には信じてもらえないかもしれないけど、でも僕がみらいの言葉を信じたように、たぶんおばさんも信じてくれるんじゃないかとは思う。
おばさんだって未来に会いたいはずだ。違う世界のことでも、未来が元気でいてくれるなら、きっと喜んでくれるはず。
僕はそんな風に考えていた。
でもみらいはゆっくりと首を振るう。
「ちがう……ちがうの……だめなの。気が付かれちゃだめだったの。だから、遠巻きで姿をみているだけで良かった。それだけなら許されたのに。私があの時、声をかけてしまったから。我慢できなかったから、だから」
みらいは半分錯乱したかのように言葉を紡ぎ続ける。
「どうしたの、みらいちゃん。わからないよ。みらいちゃんが何を言いたいか、わからないよ」
「ごめん。ごめんね……。私が望みすぎたせいで。欲張ってしまったせいで。こんな形になってしまった。ルールを破っちゃった」
「ルール!? なんのこと? あ、もしかして、本の……!?」
いいかけて僕は気付いてしまう。
以前にみらいは別の世界にいく望みを叶えてくれる本だけれど、ルールがいくつかあるといっていた。
「そうなの。気が付かれちゃだめだったの。私が未来だってこと。一真くん以外に知られちゃだめだったの。だから、だからね。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
何度も言葉に出して謝るみらいに、でも僕は何も言えなかった。
何が起きているのかもよくわからなかったけれど、みらいが何らかのルールを破ってしまって、そのことを悔やんでいることだけはわかる。
でもみらいに何と声をかけたらいいのか、それはわからなかった。