ふと現実に引き戻される。
 こんなこともあったっけなと、声には出さずに独りごちる。

 未来(みらい)の言っていた本は、この本のことだ。先生から返ってきたこの本は、僕が代表で持っていた。
 作りあげた時は誇らしげに感じていたこの本も、でもいつの間にか記憶の片隅に追いやられてしまっていた。
 少しだけ涙がこぼれてくる。

 あの時の未来のことを思い出して、いつの間にか胸の中が張り裂けそうなほどに痛む。

「僕のせいだ。僕がちゃんとしていなかったから」

 思わずこぼしてしまった声は、でも誰にも聞こえてはいなかっただろう。
 未来がいなくなったのは、僕が気をつけていなかったから。
 無くしてしまった未来はもう戻っては来ない。

 みらいは。未来じゃない。
 仮にみらいが本当に平行世界から来た未来なのだとしても、少なくともこの世界には未来はもういないんだ。

 未来の面影を残すみらいに、僕はどう接していいのかわからなかった。
 元気だったみらい。笑っていたみらい。
 みらいと一緒にいると、僕の心は澄んだ水のように透き通る気がする。

 でも一方で激しく揺れる波のようですらあるとも思う。
 絵本の中の女の子は訪れてはいけない未来から救うために、この旅をしていた。

 みらいは違う世界からやってきたと言っていた。
 そうだとして、みらいは何のためにこの世界にやってきたのだろう。

 世界を救うため、ではおそらくないだろう。僕達は絵本の中の主人公達みたいに不思議な力を持っている訳ではない。
 僕達に出来るのはちっぽけなことばかりで、何が変えられる訳でもないと思う。僕が何をしようと世界は変わらない。

 みらいにしたって、不思議な力を持っているようには思えなかった。

 たぶんごく普通の女の子だと思う。
 だったらみらいの目的は何なのだろうか。いなくなったはずの未来と会えたことばかり気にしていて、みらいが何のためにここにきたのかなんて気にもしていなかった。

 もしかしたら僕は知らなくてもいいことなのかもしれない。
 だけど僕はたぶんみらいのことを知らなきゃいけないんだと思う。

 みらいに会いたいと思った。
 いまみらいはどこで何をしているのだろうか。

 連絡先も知らない。連絡をとりようがない。確実に会えるのは、次の週末の待ち合わせの時だ。
 それまでにみらいに会えるだろうか。
 みらいと話をすることが出来るだろうか。
 みらいのことを知りたいと思った。
 自分の気持ちもよくわからないままだったから。






「あ、一真(かずま)。おはよ。昨日は楽しかったね」

 かけられた声に顔を向けると、すぐそばに梨央(りお)の姿が見えた。
 その声にクラスメイト達が「なになに」と興味深そうに寄ってきている。

「昨日、一真と偶然会ってさ。ラウンドツーで一緒に遊んだんだ」
「えー。休日に二人で遊ぶなんて。梨央と高崎(たかさき)くんが幼なじみなのは知っていたけど、ほんと仲良いんだね」
「まぁ、たまたま会っただけだけどね」

 梨央は楽しそうに答えていた。
 みらいの話をしたことは、やっぱり覚えていないように思う。
 僕がもういちど自殺するんじゃないかと思っていたくらい気に留めてくれていたのに、みらいのことになると何も覚えていない。

 それはみらいが実際には存在しないからなのだろうか。僕の心の作り出した幻だからなのだろうか。
 それともみらいが別の世界から来たことによる、何らかの副作用なのだろうか。

 僕はみらいのことを忘れていないし、しっかりと覚えている。でもそれは僕の妄想だからなのかもしれない。

「前々から思っていたけどさ。梨央と高崎くんって、つきあったりしないの?」

 突然の質問に僕は思わずむせこんでしまう。

「と、突然何を」

「だって二人仲良いじゃん。幼稚園から高校までずっと一緒で仲良しなんてなかなかいないし、ましてや男女の間だもん。そう思っても不思議じゃなくない?」

「いやいや。ないないっ。ないって。梨央とは姉弟みたいな感じでさ。もう隣にいるのか当たり前っていうか。そういう感じで、つきあうとか考えたこともないよ」

「ふーん。ま、わかったけど。そんな言い方は梨央ちゃんに失礼だよ」
「え?」

 クラスメイトの言葉に思わず僕は梨央の方へと視線を向ける。
 しかし梨央は気にした様子もなくにこやかに笑っていた。

「別に気にしていないよ。ま、あたしみたいな可愛い女の子の幼なじみがいることをもっと喜んでもいいとは思うけどさっ」

 梨央は僕の肩をぱんぱんと二度叩くと、それから自分の席の方へと向かっていた。
 クラスメイト達も連れ立っていく。
 なんだよ、いったい。そんな失礼なこといってない思うんだけど。

 ぶつくさとつぶやく僕に、しかしもう誰も聴いてはいなかった。そうしてため息をもらすのと、予鈴のベルがなるのはほとんど同じタイミングだった。