「ただいま」

 家の扉を開けると同時に僕は声を漏らす。
 そうするとしばらくしてから、大きな足音を立てて和歌(わか)が僕を出迎えていた。

「お兄ちゃん、おかえり。どうだった?」
「あ、うん。ぼちぼちかな」

 どうやらデートの事を気にしているようだった。

「どこいってきたの?」
「えっと美術館」
「美術館!? お兄ちゃんが!? 美術とか好きだったっけ!?」

 僕の答えがよっぽど意外だったのか、和歌は大きな声を出して驚きを隠さずにいた。
 確かに僕は美術になんて興味なかったし、今まで美術館なんてまともにいったこともない。僕がデートコースを選んでいたとしたら、たぶん選択肢に入ることすらなかっただろう。

「いや向こうが行きたいっていうから」
「へー。なるほどね。そういう感じの子なんだね」

 和歌は納得したように何度もうなずくと、それから僕の顔をじっと見つめてくる。

「それでその子とつきあうの?」
「い、いや。そういう話は特にしていないよ」
「ふうん。そっか。まぁ、最初はそれくらいでもいいのかもね。それで次の約束はしたの?」

 興味津々といった感じで、根掘り葉掘り聞いてきていた。
 僕の交際関係なんて、そんなに気になるのかと思うけれど、考えてみると昔から和歌は恋愛ごとが大好きだった。だから兄のというよりも、身近な誰かの恋愛事情が気になって仕方ないのだろう。

「いちおう来週の秋祭りに一緒にいく予定だよ」
「へー、お兄ちゃんにしてはちゃんとしてるじゃない。そうよね。お祭りはやっぱりデートにはいいよね。夏じゃないから浴衣はないだろうけど、ちょっとおしゃれしてきちゃったりするかも」

 目を輝かせて楽しげに話していた。よっぽど楽しいのだろうか。

「あ、お兄ちゃん。そういえばその子の写真とかないの?」
「写真? あ、そういえば今日は撮ってない」

 言われて初めて気がついていた。今日は趣味の写真もぜんぜんとっていなかった。
 まぁそもそも美術館だから写真をとることは出来なかっただろうけど、そもそもカメラすら持って行っていなかった。
 僕にとってはカメラは、未来との想い出を映すためのものだった。カメラを持って行くことすら忘れていたのは、いまこうしてみらいといられるのだから、記録を残す意味を失っていたのかもしれない。

「えー、どんな人か気になる。今日のじゃなくても写真とかないの?」
「前に撮ったのなら、あるっちゃある、けど」

 少しだけためらいがちに告げる。確かに写真はある。ただあの日、偶然に撮れた写真だ。
 いま考えてみても不思議な写真だった。あれはまるでどこからか急に現れたかのようにしか思えなかった。

 やっぱりみらいが言うように、彼女は他の平行世界から来たのだろうか。そうだとすれば突然あの場所に現れたのはつじつまがあう。

 でもそんなこと本当にあり得るのだろうか。もうほとんどその事実を受け入れつつはあったけれど、今でもまだ完全には信じられなかった。

「みたいみたい。みせて!」

 ただどこかいぶかしがる僕の内心などよそに、和歌はぴょんぴょんと飛び跳ねるかのようにして僕の周りをうろついていた。こうなると写真を見せないことには収まりがつかないだろう。

「ちょっとまって。スマホの中に入ってるはず」

 デジカメから移して梨央(りお)に見せた写真を探してみる。

「えーっと、たぶんこのへんのはずだけど」

 あの時撮った風景写真は、すぐにいくつか見つかっていた。
 だけど未来が映っているはずの写真がどうしても見つからない。

「あれ。おかしいな。間違えて消してしまったのかな」

 消した記憶はなかったけれど、操作ミスで消してしまったのかもしれない。

「えー、お兄ちゃん。私に見せたくないからって、適当なこといってない?」
「いや。そんなことはないって。まってて。たぶん大本のカメラの方には残っていると思うから」

 たぶんスマホからは間違えて消してしまったのだろう。スマホは操作が簡単な分、誤操作してしまうこともある。
 けどカメラの方のデータはいくつかの手順を踏まないと消せないから、絶対に消していない。そちらならデータは残っているはずだった。

 部屋に戻ってカメラの電源を入れる。
 時系列順にちゃんとデータは表示されていて、ずいぶん古いデータすらまだ残っている。これならみらいの写真も必ず残っているはずだ。

 そう思い必死に探すのだけど、だけどデータを何度探しても、あるはずのみらいの写真は残ってはいなかった。

「ない。ない。ない。どうして」

 何度データを行き来しても、あの日に撮ったはずの写真がどうしても見つからなかった。
 正確には風景をとった写真ははっきりと残っている。だけどみらいを写していたはずの写真は、どうしても見つからなかった。

「おかしい。なんで? 消してしまったっけ。いや、消す時は何度か確認メッセージが出るから、簡単に消すはずないんだ」

 僕はもういちどデータを見直していたが、どうしてもみらいの写真だけが残っていなかった。

「お兄ちゃん。見つからないの? 間違えて消しちゃった?」
「いや、そんなはずはないんだけど」
「んー。ま、残念だけど。ないものはしょうがないか。じゃあ秋祭りの時は写真とってきてよね」

 和歌はしばらく僕の操作を後ろから見ていたけれど、何度もカメラの中で写真を行き来するのをみて諦めたようだった。
 もしかして実際に消してしまっていたのだろうか。

 確かにあの時はみらいのことで頭がいっぱいになっていたから、転送の操作をあやまって消してしまったということはないとは言えない。実際そうでもなければ、写真がなくなっているのは説明がつかなかった。

 和歌はいつの間にか自分の部屋に戻っていったようだけれど、だけど僕はしばらくの間、みらいの写真を探してカメラの操作をし続けていた。

 結局最後まで写真は見つからなかった。