横断歩道を渡ると、すぐそこが目的のレストランだ。
店の中は相変わらず薄暗かった。なにもかもが昔のままなのがかえって不思議な感じがする。最後に来てから十年はたっているのに。ワインレッドのカーペットに古めかしい小ぶりのシャンデリア。
二階に上がっていくと、大きな水槽があった。これも昔のままだ。子供の頃はこの水槽が気になってしかたがなかった。小さい魚にタニシと水草。橋に水車もそのままだ。
白髪のウェイターがすっと近づいてきて、窓際のテーブルに案内してくれた。
注文は予約の時にすませているようで、すぐに前菜とワインが運ばれてきた。
「先に渡しておくね」
食べる前に母へクリスマスプレゼントを渡した。ストールと私が今日焼いてきた食パン。
「まさか、クリスマスプレゼントをもらえるとは思わなかった。開けてもいい?」
「どうぞ」
母は嬉しそうにストールを広げると、すぐに肩にかけた。
「ありがとう。ほんとに素敵なストールね。この食パンは賛歌が焼いたの?」
「そうだよ」
「賛歌が焼いたパン、食べるのはじめて」
母は食パンをちぎると一口食べた。
「甘くてふわふわ。なんでこんなに甘いの?」
「生クリームが入ってるから」
キャロットラペを食べながら、私は別人のように変わった母をじっと見つめた。
「お母さん、再婚してたんだね」
「賛歌に知らせようとしたんだけど、通じなくて」
それは私が着信拒否してたからだ。
「相手はどんなひとなの?」
「名前は白鳥進(しらとりすすむ)さん。私より五つ年下のお豆腐屋さん」
「お豆腐屋さん? どこで知り合ったの?」
母はワインを一口飲んでから答えた。
「(予知会)で知り合ったの」
すっと体温が下がった気がした。
やっぱりそうだったのか。
「そうなんだ」
「違うの」
母はなにかをとどめようとするかのように、右手を上げた。
「(予知会)とは縁を切ったの」
「……本当に?」
あんなに執着していた(予知会)を辞めたなんて、ちょっと信じられない。
「確かに数年前までは、まだ玉乃さんたちと行動を共にしてたわ。でも、進さんと話し合って、一緒に辞めることにしたの」
母の説明によれば、進さんは予知という神秘的な現象に純粋に興味を惹かれて、(予知会)の一員になった。だがやがて、玉乃夫婦の行動に疑問を持つようになった。彼は母の予知能力を尊ぶべきだと考えていたが、玉乃夫婦は金儲けの道具にしかみていないと感じたのだ。
それで母を説得し、一緒に(予知会)を辞めた。
二人は進さんの地元に帰り、二年前に結婚したという。
肉厚な和牛のフィレステーキが運ばれてきた。色鮮やかなグリル野菜が添えられている。
母の話を聞きながら、お肉を黙々と食べた。
正直、複雑な気持ちがした。
私と父が泣いて頼んでも辞めてくれなかった(予知会)を、私が知らない男性の言葉であっさり辞めるなんて。なんだかとてもばからしい。
「今度、うちに遊びに来ない? できたてのお豆腐を食べさせてあげる」
母はいま、鎌倉で暮らしているそうだ。進さんが祖父から受け継いだ小さな豆腐屋を手伝っている。
「豆乳ドーナツが観光客にけっこう人気なのよ」
「そうなんだ」
「持ってくればよかったな」
「その髪はどうしたの? 旦那さんの好み?」
ぷっと母は吹き出すと、手を大きく横に振った。
「まさか。ただしてみたかったの、金髪に。それより、賛歌はどうなの? 楽しくやれてる? 困ってることはない?」
「普通にちゃんとやれてるよ」
ウェイターが皿を下げに来て、デザートにつけるドリンクについて訊ねた。私たちはホットコーヒーを頼んだ。
すぐに運ばれてきたデザートはクリスマスらしい豪華なものだった。ツリーを模したケーキに苺のアイスクリーム、フルーツの上にはパステルカラーの綿あめがのっている。
デザートを食べ終えた時、母は不思議そうに訊ねた。
「賛歌、言わないの?」
え、と私は問うように母を見つめた。
「見たんでしょ、私の予知を」
私は完全に言葉を失って、ただじっと母と見つめ合った。
「私、死ぬんでしょ」
「なんで?」
「でなきゃ、あなたから会おうなんて言ってこないでしょ」
私は首を横に振った。
「いいのよ、本当のこと言って。私、知ってるのよ。自分が死ぬこと」
どういう意味?
自分の死を予知したということ?
「知ってるって……どういうこと?」
「私、心臓の病気なの。医者からも余命宣告を受けてるのよ」
予想外の事実に私はただ呆然とした。
「……お母さん、心臓の病気なの?」
「数年前に胸痛があって、病院に行ったの。治らないみたい」
病気で亡くなるんだ。
それはないと思っていたから、ショックだった。
「だっておかしいと思ったでしょ? (予知会)をあっさり辞めたなんて。病気がわかったからなの。もう私には時間がない。正直、未来のことなんて、どうでもよくなったの」
私にはなにも言えなかった。
母はそんな私を見て、にっこりと微笑んだ。
「またこうして会ってくれるでしょ?」
私は頷いた。
断れるわけがなかった。
*
翌日は日曜で仕事は休み。
ろくに眠れなかった私はお昼までベッドで過ごしたあと、気分転換にランチを食べに行くことにした。
ひかるちゃんと行ったカフェに向かう。
今日はちょっといいランチにするつもりだった。
昨日、帰り際に母から「おもちでも買って」と封筒を渡されたのだ。家に帰って中身を確かめると、三万円も入っていた。
大きなハンバーガーとフライドポテトのセットを注文し、窓際のカウンター席で外を眺めながら食べた。
ぼんやりしていると、どうしてもまた母のことを考えてしまう。
来月、鎌倉に行くことになった。
進さんに会って、手作りの豆腐をいただく。
やっぱり少し憂鬱だった。
窓の外を行き交う人々を眺めながら、ハンバーガーを無心で食べていく。
最後のポテトを咀嚼し終えた時だった。
空で鋭く鳥が鳴く声がして、条件反射で視線を空を向けた。
すると、それがまたはじまった
空に展開される予知の映像。
室内に二人の人間がいる。
それは私自身と若い男性だった。
あれは私の部屋だ。
黄色いソファに私と彼は座っている。手をつなぎながら、笑顔で。
部屋の隅にはクリスマスツリーが飾られ、テーブルの上にはケーキとご馳走にワイン。リボンがかかったプレゼントまである。
自然に私たちは抱き合うと、キスをした。
ハッと私が息をのんだ瞬間、その映像は消えた。
相手の男性には見覚えがあった。
あのお客さんだ。
真衣さんがかっこいいと言っていた、いつもカレーパンと総菜バゲットとドーナツを買っていく人。
いまはまだ名前も知らない彼を、未来の私は家に招き入れていた。そして恋人同士のようにふるまっていた。
クリスマスツリーがあったので、たぶん来年のクリスマス頃の出来事なのだろう。
約一年後、私と彼は付き合っているのだろうか?
動揺してトレーをひっくり返しそうになりながら、私は席をたった。
*
「さんちゃん、レジお願い!」
切羽詰まった声に振り返ると、受話器を耳にあてた房子さんがレジを指差していた。
店の中は相変わらず薄暗かった。なにもかもが昔のままなのがかえって不思議な感じがする。最後に来てから十年はたっているのに。ワインレッドのカーペットに古めかしい小ぶりのシャンデリア。
二階に上がっていくと、大きな水槽があった。これも昔のままだ。子供の頃はこの水槽が気になってしかたがなかった。小さい魚にタニシと水草。橋に水車もそのままだ。
白髪のウェイターがすっと近づいてきて、窓際のテーブルに案内してくれた。
注文は予約の時にすませているようで、すぐに前菜とワインが運ばれてきた。
「先に渡しておくね」
食べる前に母へクリスマスプレゼントを渡した。ストールと私が今日焼いてきた食パン。
「まさか、クリスマスプレゼントをもらえるとは思わなかった。開けてもいい?」
「どうぞ」
母は嬉しそうにストールを広げると、すぐに肩にかけた。
「ありがとう。ほんとに素敵なストールね。この食パンは賛歌が焼いたの?」
「そうだよ」
「賛歌が焼いたパン、食べるのはじめて」
母は食パンをちぎると一口食べた。
「甘くてふわふわ。なんでこんなに甘いの?」
「生クリームが入ってるから」
キャロットラペを食べながら、私は別人のように変わった母をじっと見つめた。
「お母さん、再婚してたんだね」
「賛歌に知らせようとしたんだけど、通じなくて」
それは私が着信拒否してたからだ。
「相手はどんなひとなの?」
「名前は白鳥進(しらとりすすむ)さん。私より五つ年下のお豆腐屋さん」
「お豆腐屋さん? どこで知り合ったの?」
母はワインを一口飲んでから答えた。
「(予知会)で知り合ったの」
すっと体温が下がった気がした。
やっぱりそうだったのか。
「そうなんだ」
「違うの」
母はなにかをとどめようとするかのように、右手を上げた。
「(予知会)とは縁を切ったの」
「……本当に?」
あんなに執着していた(予知会)を辞めたなんて、ちょっと信じられない。
「確かに数年前までは、まだ玉乃さんたちと行動を共にしてたわ。でも、進さんと話し合って、一緒に辞めることにしたの」
母の説明によれば、進さんは予知という神秘的な現象に純粋に興味を惹かれて、(予知会)の一員になった。だがやがて、玉乃夫婦の行動に疑問を持つようになった。彼は母の予知能力を尊ぶべきだと考えていたが、玉乃夫婦は金儲けの道具にしかみていないと感じたのだ。
それで母を説得し、一緒に(予知会)を辞めた。
二人は進さんの地元に帰り、二年前に結婚したという。
肉厚な和牛のフィレステーキが運ばれてきた。色鮮やかなグリル野菜が添えられている。
母の話を聞きながら、お肉を黙々と食べた。
正直、複雑な気持ちがした。
私と父が泣いて頼んでも辞めてくれなかった(予知会)を、私が知らない男性の言葉であっさり辞めるなんて。なんだかとてもばからしい。
「今度、うちに遊びに来ない? できたてのお豆腐を食べさせてあげる」
母はいま、鎌倉で暮らしているそうだ。進さんが祖父から受け継いだ小さな豆腐屋を手伝っている。
「豆乳ドーナツが観光客にけっこう人気なのよ」
「そうなんだ」
「持ってくればよかったな」
「その髪はどうしたの? 旦那さんの好み?」
ぷっと母は吹き出すと、手を大きく横に振った。
「まさか。ただしてみたかったの、金髪に。それより、賛歌はどうなの? 楽しくやれてる? 困ってることはない?」
「普通にちゃんとやれてるよ」
ウェイターが皿を下げに来て、デザートにつけるドリンクについて訊ねた。私たちはホットコーヒーを頼んだ。
すぐに運ばれてきたデザートはクリスマスらしい豪華なものだった。ツリーを模したケーキに苺のアイスクリーム、フルーツの上にはパステルカラーの綿あめがのっている。
デザートを食べ終えた時、母は不思議そうに訊ねた。
「賛歌、言わないの?」
え、と私は問うように母を見つめた。
「見たんでしょ、私の予知を」
私は完全に言葉を失って、ただじっと母と見つめ合った。
「私、死ぬんでしょ」
「なんで?」
「でなきゃ、あなたから会おうなんて言ってこないでしょ」
私は首を横に振った。
「いいのよ、本当のこと言って。私、知ってるのよ。自分が死ぬこと」
どういう意味?
自分の死を予知したということ?
「知ってるって……どういうこと?」
「私、心臓の病気なの。医者からも余命宣告を受けてるのよ」
予想外の事実に私はただ呆然とした。
「……お母さん、心臓の病気なの?」
「数年前に胸痛があって、病院に行ったの。治らないみたい」
病気で亡くなるんだ。
それはないと思っていたから、ショックだった。
「だっておかしいと思ったでしょ? (予知会)をあっさり辞めたなんて。病気がわかったからなの。もう私には時間がない。正直、未来のことなんて、どうでもよくなったの」
私にはなにも言えなかった。
母はそんな私を見て、にっこりと微笑んだ。
「またこうして会ってくれるでしょ?」
私は頷いた。
断れるわけがなかった。
*
翌日は日曜で仕事は休み。
ろくに眠れなかった私はお昼までベッドで過ごしたあと、気分転換にランチを食べに行くことにした。
ひかるちゃんと行ったカフェに向かう。
今日はちょっといいランチにするつもりだった。
昨日、帰り際に母から「おもちでも買って」と封筒を渡されたのだ。家に帰って中身を確かめると、三万円も入っていた。
大きなハンバーガーとフライドポテトのセットを注文し、窓際のカウンター席で外を眺めながら食べた。
ぼんやりしていると、どうしてもまた母のことを考えてしまう。
来月、鎌倉に行くことになった。
進さんに会って、手作りの豆腐をいただく。
やっぱり少し憂鬱だった。
窓の外を行き交う人々を眺めながら、ハンバーガーを無心で食べていく。
最後のポテトを咀嚼し終えた時だった。
空で鋭く鳥が鳴く声がして、条件反射で視線を空を向けた。
すると、それがまたはじまった
空に展開される予知の映像。
室内に二人の人間がいる。
それは私自身と若い男性だった。
あれは私の部屋だ。
黄色いソファに私と彼は座っている。手をつなぎながら、笑顔で。
部屋の隅にはクリスマスツリーが飾られ、テーブルの上にはケーキとご馳走にワイン。リボンがかかったプレゼントまである。
自然に私たちは抱き合うと、キスをした。
ハッと私が息をのんだ瞬間、その映像は消えた。
相手の男性には見覚えがあった。
あのお客さんだ。
真衣さんがかっこいいと言っていた、いつもカレーパンと総菜バゲットとドーナツを買っていく人。
いまはまだ名前も知らない彼を、未来の私は家に招き入れていた。そして恋人同士のようにふるまっていた。
クリスマスツリーがあったので、たぶん来年のクリスマス頃の出来事なのだろう。
約一年後、私と彼は付き合っているのだろうか?
動揺してトレーをひっくり返しそうになりながら、私は席をたった。
*
「さんちゃん、レジお願い!」
切羽詰まった声に振り返ると、受話器を耳にあてた房子さんがレジを指差していた。