新潟の日本酒に焼き鳥、握りを二人前。サラダに煮物。
「冷酒でいいですか?」
 どうする? というように真琴が私を見たので、いいようにして、というように頷き返す。
「それでお願いします」
 かしこまりました、と彼は私たちに笑いかけてから離れていった。
「すっかり常連さんみたいだね」
「そうでもないよ」
 真琴はすっと私が持ってきた傘を指差した。
「それ、もしかして私に?」
「バレバレだよね。はい、クリスマスプレゼント」
 (ラ・ピッコロ)で買った傘を差し出すと、真琴はおかしそうに笑いながら受け取った。
「ありがとう。ちょうど傘欲しかったんだ」
「ちょっとひどいもんね、真琴の傘」
「そう?」
 真琴は傘をじろじろ見て、感嘆の声を漏らした。
「わぁ、こんないい傘、生まれてはじめて。どこで買ったの?」
「銀座。イタリア製だよ」
「へえ。ボロ傘からイタリア製の傘かぁ。大出世だね」
 真琴は傘を大事に壁際に寝かせると、赤と黒の紙袋を私に差し出した。
「私からもプレゼント」
「ほんとに? 期待してなかったのに」
 袋から紙箱を取り出して開くと、ラベンダー色のニットが現れた。
「賛歌って一年中スウェットじゃん。ニットぐらい一枚持っててもいいかなと思って。これ、私が着てるのと色違い」
 真琴は自分のグリーンのニットを指でつまんでみせた。
「わぁ、ありがと。すごいきれいな色だね。もしかしてカシミア?」
「よくわかったね」
「カシミアのニットなんてはじめて着る」
「喜んでもらえたならよかった」
 今日も私はスウェットにデニムという普段着まるだしの格好だった。急に恥ずかしくなる。
「いますぐ着替えたいけど、しばらく箱入りで飾っておきたい気もするから我慢する」
「好きにして」
 真琴が笑っていると、さっきの店員さんが戻ってきた。
 笑っている真琴を見て嬉しそうに目を細める。
 彼はテーブルに日本酒のグラスとグリーンサラダ、ひじきの煮物を並べた。
「これ、作り過ぎちゃったんで、よかったら」
 そう言って、きれいな青い硝子の皿を置いた。アボカドとエビのマヨあえ、ローストビーフが盛り付けてある。
 ありがとうございます、と丁寧に真琴が頭を下げると、彼は笑顔で頷いた。
「どうぞごゆっくり」
 私たちは少し料理を口にしてから、日本酒を味わった。よく冷えていておいしい。
「珍しいね、イヤリングなんて」
 真琴が私の耳を指差す。
「あぁ、これ、傘のお店で一緒に買ったの。革なんだって」
「可愛い」
 女性の店員が焼き鳥と握りを運んで来た。
 焼き鳥はつくねにネギマ、レバー。握りのネタは肉厚で見るからに新鮮だった。
「仕事はいつまで? 私は三十日から休み」
 つくねを食べながら訊くと、真琴は口を手で隠しながら、「三十日まで仕事」と答えた。
「真琴はお正月はどう過ごすの?」
「元旦は少しだけ実家に顔出して、あとは家にひきこもるかな。いつもと同じだよ。賛歌は?」
「私も特になにも……あ、でも温泉行くんだ」
「え、どこの温泉?」
「千葉の。うちのお客さんの女子高生に誘われたの」
 映画のチケットをもらって仲がよくなったことを説明すると、ふうんとあまり興味なさそうに真琴はお酒を飲んだ。
 グラスが空になると、真琴は手拭いの男性を呼んで同じお酒を注文した。私は温かいお茶にしておいた。
 お酒はすぐに運ばれてきて、注文していない苺のジェラートが二つテーブルに置かれた。
「イブなんで、サービスです」
 店員さんがいなくなると、私はすぐにジェラートに飛びついた。ちょうど甘いデザートが欲しかったところだ。
「おいしいぃ。ここ、サービスいいね。もしかして真琴、いまの店員さんに気に入られてたりして?」
 真琴はお酒を飲みながらクールに笑った。
「だとしたら、また家で飲むしかないね。私、そういうの苦手だから」
「やだな、冗談だよ……」 
 慌てて誤魔化してジェラートを食べる。
 真琴がふと顔を上げて私を見た。
「そういえば、明日、お母さんに会うんだよね?」
「あ、うん……」
「何年ぶり?」
 私は指を八本立ててみせる。
「仲直りしてくるよ」
 驚いたように真琴は目を見開いた。
「そうなの?」
「できるかどうか、わからないけど」
 予知のことはまだ伏せておくことにした。人の死に関することだから、気軽に口にはできない。
「賛歌のほうから歩み寄るんなら、きっと仲直りできるよ」
「そうだといいけど」
 明日もお互い仕事があるので、十時前には店を出た。
「また来てくださいね。メリークリスマス!」
 手拭いの店員さんに元気よく送り出された。
 真琴は千駄木に住んでいるので、ちょっと遠いけど歩いて帰るという。
 駅前まで送ってもらうと、私はさっき多めに買った塩大福を彼女にあげた。
「この店のはおいしいんだよね」
 真琴は私があげた傘をぶらぶらさせながら、寒い冬の夜の奥へ消えていった。


3 未来の恋人

 翌二十五日。
 約束の六時半の少し前に駅前のコーヒーショップに着いたが、まだ母は来ていないようだった。
 狭い店内にはスーツ姿の男性と年配の女性、金髪の女性客の姿しかない。
 コーヒーを買って近くのテーブルに向かうと、奥のテーブル席の金髪女性が手を振ってきた。
「賛歌、ここ」
 目を疑った。それは母だった。
 肩につくぐらいの金髪に若めのメイク。チョコレート色のベロアのワンピースにベージュのロングブーツを合わせている。手には白いダウンジャケット。
 私はコーヒーを持って母の席に移動した。
「わからなかった? 無理もないけど」
 屈託なく笑う母を信じられない思いで見つめる。
「八年ぶりよね。最後に会った時はまだ子供だったのに、もうすっかり大人ね」
「本当にお母さん?」
 我慢できずに訊ねると、彼女は大きな口を開けて笑った。
「身分証見せようか?」
 母はハンドバッグから財布を取り出すと、保険証を取り出して私に差し出した。
 (白鳥(しらとり)まどか)とある。生年月日は間違いなく母と同じだ。
「白鳥?」
「二年前に再婚したの」
 言葉を失っていると、母は腕時計を見た。
「七時にレストランを予約してるのよ。コーヒー、早く飲んじゃって」
 お店をちゃんと予約してくれてたんだ。
 戸惑いながらもコーヒーを飲んだ。母のコーヒーカップは空になっている。
「きれいな色のニットね。よく似合ってる」
 昨日、真琴にもらったニットを着てきた。
 でも、正直そんなことはどうでもいい。
 母の金髪や、再婚相手のことが気になってしかたがなかった。
「レストランて、どこの?」
 私が訊ねると、母は目をきらきらさせた。
「覚えてる? 昔よく家族で食べに行った駅前のレストラン」
 暗い照明の大人っぽい店内がふっと思い出された。毎回、父と母はステーキで、私はハンバーグ。中年の寡黙なウェイターが料理を運んできてくれる、静かで親密な感じがするレストラン。
「まさか予約してくれてるとは思わなかった」
「また賛歌と食べに行きたかったの」
 店を出るとレストランに向かった。
 母からは甘い香水の匂いがした。ココナッツだろうか。昔は香水なんかつけなかったのに。