「さんちゃん、終わったら休憩入ってね」
 鉄郎さんに声をかけられ、私ははーいと返事をする。
 店を出て行こうとした彼は忘れ物をしたかのように振り返った。私と目があうと会釈して、さっと店から出ていった。
 その日のお昼休憩は、スタッフルームで持参したコロッケサンドを食べた。
 真琴からメッセージがきていて、(クリスマスに予定がなかったら、忘年会もかねて食事でもどう?)と誘われた。
 真琴とは月に一度は外で会って軽く食事をする。ランチやお茶のこともあれば、夕飯のときもある。
 二十五日は母と会う約束があるので、イブはどうかと私は返信した。
 休憩を終えて仕事に戻ると、房子さんと真衣さんが沢井さんの噂話をしていた。鉄郎さんは休憩に入ったようで姿が見えない。
「もはや他のお客さんのご迷惑になってるレベルだよね」
 真衣さんはさっきの沢井さんの様子を房子さんから聞いたようで、呆れたように私に同意を求める。
「私がうまくできればいいんだけど……」
 人のいい房子さんは自分を責めて、ため息を漏らした。
「あのひと、喋りたくてここ来てるんですから、なに言ったって無理ですよ」
 房子さんは首を横に振りながら、お昼休憩を取りにいった。
 お昼どきの慌ただしさが落ち着くと、真衣さんは年末年始の予定について話しはじめた。お店は三十日から五日まで一週間休みだ。
「初めて家族で大阪行くの。出費が痛いけど、また頑張って働けばいいよね」
 有名な遊園地と大阪グルメを満喫してくるという。
「さんちゃんはどう過ごす予定?」
「例年通り、だらけて過ごします」
「まぁ、それも贅沢よね」
 それから話は彼女の息子さんのことにうつった。
「このまえ、上の子にスマホを買ってあげたのよ。春から高校生だから、少し慣れといたほうがいいと思って」
 真衣さんの息子は満(みつる)君という。
「もう高校生ですか。早いですね」
「ほんとにねぇ。私もすっかりオバサンよ」
「そんなぁ」
 仕事を終えて店を出ると、その日はまっすぐに家に帰った。
 郵便受けを開くと、チラシが何枚か入っていた。抜き取ってエレベーターに向かう。
 新しくオープンしたカレー屋と産地直送野菜のチラシだった。産地直送野菜のチラシは秋頃から毎週のように入っている。
 下りてきたエレベーターに乗り込み、またチラシに視線をおとした。
(北海道の雄大な大地で育った、新鮮で無農薬の安心安全な野菜です!生産者が自信を持ってお届けします!只今、送料無料キャンペーン中!)
 チラシには広い畑をバックにした、生産者さんと思われる人々の写真がのっている。若者から年配の人まで男女が六人。笑顔で肩を組み、両脇の人は握ったじゃがいもをこちらに突き出している。
 安いと謳ってはいるけれど、スーパーの六個九十八円のじゃがいもを普段買っている私からすると、手が出ない値段だった。
 大家さん、チラシ禁止のステッカーを貼ってくれないかな、と思いながらエレベーターを下りて自分の部屋に入る。
 昨日の売れ残りのドーナツをトースターで温めながら、コーヒーを淹れる。
 ドーナツを齧りながら真琴から届いた返信を読んだ。
(じゃあイブに会おう。七時に巣鴨駅で。いいお店みつけといたから楽しみにしてて。)
 グルメライターである真琴はおいしいお店をたくさん知っている。
 楽しみにしてるね、と返信をしてから、スケジュールアプリを開いて、二十四日に(七時 巣鴨駅 真琴と食事)と入力した。
 二十五日の欄には(六時半 駅前コーヒーショップ 母)とある。母が指定してきた駅前のコーヒーショップはひとつしかない。チェーン店の小さなお店だ。
 どうやら母はクリスマスのディナーを共にする気分ではないらしい。それならこちらも気が楽だった。
 普通に話して、仲直りだけしてこよう。
 ただし、母の予知をしたことは気取られてはいけない。
 それだけは肝に銘じておかなければ。



 翌日の火曜は仕事が休みだったので、母に渡すクリスマスプレゼントを買いに行くことにした。
 母はなにをもらったら喜ぶだろうか。
 幼い頃にあげたプレゼントは安いアクセサリーやお花だった。
 インターネットで冬のプレゼントを検索してみると、マフラーが出てきた。カシミアのマフラーなんていいかもしれない。
 銀座によさそうな店があった。イタリアの小物を扱っていて、カシミアのマフラーもそろっている。
 有楽町駅で電車を降りると、銀座通りの方へ足を向けた。途中で左に折れて細道をいくつか曲がったところに、その店はあった。
 小さいがクラシックな店構えで、ドアの脇にウサギのブロンズの像が置かれている。奥のカウンタ―に白髪の上品な女性が立っていた。淡いピンク色のニットにベージュのロングタイトスカート、黒いヒールの靴を履いている。
 中に入って目があうと、彼女は赤い唇を引き上げてにっこりと微笑んだ。
「いらっしゃいませ」
 こんにちはと小さく会釈して、店内を見まわす。木製の陳列棚に余裕を持って商品が並べてあった。まるで美術館の作品みたいに。
 バッグにポーチ、財布、ストールに手袋。そのほかにアクセサリーにキーホルダー、腕時計などもある。
 そのときドアが開く音がした。
 振り返ると、精悍な顔つきの白髪男性が顔だけ覗かせていた。
「姉さん、今夜の約束キャンセルしていいかな? うちのが風邪ひいちゃったみたいでさ」
 姉さんと呼ばれた店の女性は呆れたように笑った。
「電話でよかったのに」
「前通ったから。じゃ」
 彼らの会話なんて聞いていないかのように、私は目の前のストールの感触を確かめる。
「なにかお探しですか?」
 カツカツと小気味いい音をたてて、彼女が私の方に近づいてきて訊ねた。
「カシミアのマフラーはありますか?」
 私の質問に彼女はちらりと棚に視線を向ける。
「マフラーは売り切れてしまったんです。クリスマス用のギフトにお買いになる方が多くて」
 ちょっと遅かったか。
「そうですか……」
「こちらのストールも人気ですよ。上質なカシミアで作られてるんです。もう最後の一点になってしまって」
 彼女が棚から手に取って広げてみせたのは、見るからに上品な青いストールだった。
「リバーシブルになっていて、反対側はキャメル色なの。フリンジの一部にピンク色が入っていてとっても可愛いの」
 ほんとですね、と私はつい笑顔になって頷いた。彼女も微笑んで、私を鏡の前に促す。
「こうしてあててみると、よくわかるわよ。軽くてとても暖かいの。肩にかけるだけでおしゃれでしょ。室内では膝にかけてもいいし、大きすぎないら首にも巻きやすいの」
 私はシンプルなデザインの黒いコートを着ていた。ストールを肩にかけただけで、随分おしゃれな人に見えてしまうから不思議だ。
 彼女は私の髪を耳にかけた。魔法みたいに取り出した四角い小さなイヤリングを私の耳につける。
「革でできてるのよ、これ」
 落ち着いた青い革にクリスタルのような小さいビジューが埋め込まれている。動くとそれがきらっと光った。
「お嬢さん、おいくつ?」
 鏡越しに彼女が訊ねる。
「二十三歳です」