「雪が降りそうな寒さですね」
「先週、夜にちらっと降ったじゃない。でも積もらなかったから実子ががっかりしちゃってさ」
「積もるぐらい降るのはまだ先かもしれませんね」
「だよね。あ、そうそう。食パンの予約、今日多めだからよろしくね」
はいと返事しながら、壁のボードに貼られた注文票をチェックする。
去年から食パンをまかされるようになった。食パンを買っていくお客さんは多く、うちの店の看板商品のひとつだ。
私も昔からここの食パンが大好きだった。生クリームが入っているから贅沢な味わいがある。トーストしてバターを塗るだけでとってもおいしい。私も毎朝食べてくる。
「沢井(さわい)さん、今日はちゃんと取りに来てくれるといいんだけど」
苦笑交じりの鉄郎さんの言葉に、私は振り返りながら頷いた。
「ほんとですね」
沢井さんというのは常連の六十歳ぐらいの男性で、週に二回は食パンの予約をしてくれる。でも、けっこうな割合で取りに来ない。来店した時に指摘すると、「忘れてた」と笑ってごまかす。ちょっと困ったおじさんだ。
「火曜日の注文分、また取りに来なかったんですよね」
私は火曜がお休みなので直接対応はしていない。でも房子さんから聞いていた。彼女も最近はちょっと気にしているようだ。
「まあ、最近じゃ沢井さんのキャンセル分を、うちで食べる分として当てにしてるからいいんだけどね」
「え、そうなんですか」
「沢井さんもあれで一応悪いとは思ってるんだよ。次に来た時は、いつもよりパンを多めに買っていってくれるからね」
九時を過ぎると、実子ちゃんを保育園に送り届けた房子さんが出勤して来た。彼女は出来上がったパンを丁寧に売り場に並べていく。
開店を待ちかねていたように、十時になるとお客さんがたて続けに入って来た。そのなかには食パンを予約していた人たちもいる。
「あら、旦那さん風邪ひいちゃったの? この寒さだもんねえ。でもパン食べたいって言うぐらいなら、すぐに治るわよ」
顔見知りの常連さんたちと房子さんは楽しそうにお喋りをする。
慌ただしく午前中の仕事が終わると、私は先にお昼休憩をもらった。いつもは厨房の奥のスタッフルームで持参したサンドイッチなどを食べるのだが、今日は外に出ることにした。
近くの喫茶店に向かいながらスマホを確認する。まだ母からの返信はなかった。
もしかして気づいていないのだろうか?
あるいは、無視しているとか。
喫茶店に着くと、窓際に並んだ一番奥のテーブルについた。ナポリタンのランチを注文する。他の席にはサラリーマンが何組か座っていた。
水を飲みながら窓の外に視線をやった時、ふと嫌な考えが頭をよぎった。
まさか、もう亡くなったということはないよね?
予知したのは昨日だ。そのあと数時間以内にメールを送った。
そんな短時間で予知が現実になるというのは、過去にはなかった。でも、ありえないとも言い切れない。
私は灰色の空を睨みつけた。
予知はいつも青空に映し出される。
不思議と曇りの日に見たことはない。
それは前触れなく現れて、消える。
わかりやすく説明するとしたら、映画館でスクリーンを眺めている感じだ。クリアで短い映像が流れる。
自分が知りたいと望んだ未来を見られるわけではない。でも、まったく自分と無関係の未来は見ない。
たとえば地球の反対側で起こる事件とか、国家の危機とか、そういうものを見たことはない。
予知されるのは、私となんらかの関係がある未来だ。私が知る人、私の生活圏内で起こる出来事に限られる。
予知を見るのは多くて月に数回。何ヶ月も見ない時もある。
予知が現実になるのは、見てからだいたい一ヶ月後ぐらいから一年以内だ。
母も同じような条件で予知をする。
母によれば、祖母の高木津(たかぎりつ)も同じ能力があったらしい。
でも、七年前に亡くなった祖母はそういう話を、私に一度もしなかった。もちろん他人にも言わなかった。祖母は予知できることを隠すべきだと考えていたからだ。
だから、母と祖母は仲が悪かった。
祖母は千葉に住んでいて、私たちが暮らす東京からそう離れているわけではなかった。それでも、祖母の家に両親と訪れたのは数えるぐらいしかない。
祖母は早くに夫を亡くし、小学校の教師を定年まで勤めあげた。退職後は実家があった千葉に移り住んで、近所の子供たちに自宅で勉強を教えていた。だから、祖母の家にはたくさんの子供の絵が飾られていた。
私は穏やかで美人な祖母のことが好きだった。でも母は祖母とは口をきこうとしなかった。祖母のほうもそんな母のことをほうっておいた。
高齢の二匹の猫たちが相次いで亡くなったあと、祖母も眠るように逝った。まるで死期を悟っていたかのように、家の中はきれいに片付けられ、持ち物も整理されていたという。自分の葬儀や墓の手配まで完璧だった。
祖母は予知の力に振り回されることなく一生を終えたけれど、母はそんな祖母の生き方には否定的だった。
母は一貫して、予知は天から与えられた大事な力であると考えていた。
天からのお告げなので、清らかな青空に未来が映し出されるのだ、と。
母は知人の怪我や事故、死を予知すると、それを当人たちにすぐに話してしまった。
最初、周囲の人々は母の言葉を信じずに馬鹿にしていた。ところが次々に予知が現実になると、今度は母を敬遠しはじめた。まるで母が災いをふりまいているかのように。
私が小学校にあがった頃には、母は周囲から完全に孤立していた。
そんな母を支えていたのは父だった。高校の同級生だった父は、美しい母に一目惚れして以来、ずっと大事にして守り続けてきた。
父は母の予知が本物であることを知っていた。でも、そのことを特別視はしなかった。足が速いとか、暗記が得意とか、他の人よりちょっと秀でたところがある、ぐらいにとらえていた。だから娘の私も予知ができるとわかった時も冷静だった。
私が初めて青空に未来を見たことを自覚したのは、小学生にあがった頃だった。それまでにも見ていたかもしれないが、幼過ぎて理解できなかったのだろう。
いまのような寒い冬の日、青空を見上げると、そこに父親がいた。父は傘を差しており、彼のまわりだけ雪が降っていた。父はバランスを崩して転倒し、苦しそうに顔を歪めたところで映像は途切れた。
家に帰ると私はそのことを母に話した。すると、両親は私を見ながらひそひそ話をするようになった。半月後、父は雪道で転倒して骨折をした。
幼い私には予知というものがよく理解できなかった。空に映し出されたことが実際に起こるのは、自分だけでなくみんなも同じだと思っていた。
だから私と母にだけにそういう能力が備わっている、と知った時はとても不思議だった。
母は私に予知能力があることを、とても喜んでくれた。
私は予知を見ると、得意気にすぐに母に報告した。母は手放しで褒めてくれ、私が見た予知を周囲に話すようになった。すると、それまで私に向けられていた同情のまなざしが、冷ややかなものに変わった。
はじめは面白がって話を聞いてくれていた学校の友達も、私を変な目で見るようになった。
それでようやく気づいた。
「先週、夜にちらっと降ったじゃない。でも積もらなかったから実子ががっかりしちゃってさ」
「積もるぐらい降るのはまだ先かもしれませんね」
「だよね。あ、そうそう。食パンの予約、今日多めだからよろしくね」
はいと返事しながら、壁のボードに貼られた注文票をチェックする。
去年から食パンをまかされるようになった。食パンを買っていくお客さんは多く、うちの店の看板商品のひとつだ。
私も昔からここの食パンが大好きだった。生クリームが入っているから贅沢な味わいがある。トーストしてバターを塗るだけでとってもおいしい。私も毎朝食べてくる。
「沢井(さわい)さん、今日はちゃんと取りに来てくれるといいんだけど」
苦笑交じりの鉄郎さんの言葉に、私は振り返りながら頷いた。
「ほんとですね」
沢井さんというのは常連の六十歳ぐらいの男性で、週に二回は食パンの予約をしてくれる。でも、けっこうな割合で取りに来ない。来店した時に指摘すると、「忘れてた」と笑ってごまかす。ちょっと困ったおじさんだ。
「火曜日の注文分、また取りに来なかったんですよね」
私は火曜がお休みなので直接対応はしていない。でも房子さんから聞いていた。彼女も最近はちょっと気にしているようだ。
「まあ、最近じゃ沢井さんのキャンセル分を、うちで食べる分として当てにしてるからいいんだけどね」
「え、そうなんですか」
「沢井さんもあれで一応悪いとは思ってるんだよ。次に来た時は、いつもよりパンを多めに買っていってくれるからね」
九時を過ぎると、実子ちゃんを保育園に送り届けた房子さんが出勤して来た。彼女は出来上がったパンを丁寧に売り場に並べていく。
開店を待ちかねていたように、十時になるとお客さんがたて続けに入って来た。そのなかには食パンを予約していた人たちもいる。
「あら、旦那さん風邪ひいちゃったの? この寒さだもんねえ。でもパン食べたいって言うぐらいなら、すぐに治るわよ」
顔見知りの常連さんたちと房子さんは楽しそうにお喋りをする。
慌ただしく午前中の仕事が終わると、私は先にお昼休憩をもらった。いつもは厨房の奥のスタッフルームで持参したサンドイッチなどを食べるのだが、今日は外に出ることにした。
近くの喫茶店に向かいながらスマホを確認する。まだ母からの返信はなかった。
もしかして気づいていないのだろうか?
あるいは、無視しているとか。
喫茶店に着くと、窓際に並んだ一番奥のテーブルについた。ナポリタンのランチを注文する。他の席にはサラリーマンが何組か座っていた。
水を飲みながら窓の外に視線をやった時、ふと嫌な考えが頭をよぎった。
まさか、もう亡くなったということはないよね?
予知したのは昨日だ。そのあと数時間以内にメールを送った。
そんな短時間で予知が現実になるというのは、過去にはなかった。でも、ありえないとも言い切れない。
私は灰色の空を睨みつけた。
予知はいつも青空に映し出される。
不思議と曇りの日に見たことはない。
それは前触れなく現れて、消える。
わかりやすく説明するとしたら、映画館でスクリーンを眺めている感じだ。クリアで短い映像が流れる。
自分が知りたいと望んだ未来を見られるわけではない。でも、まったく自分と無関係の未来は見ない。
たとえば地球の反対側で起こる事件とか、国家の危機とか、そういうものを見たことはない。
予知されるのは、私となんらかの関係がある未来だ。私が知る人、私の生活圏内で起こる出来事に限られる。
予知を見るのは多くて月に数回。何ヶ月も見ない時もある。
予知が現実になるのは、見てからだいたい一ヶ月後ぐらいから一年以内だ。
母も同じような条件で予知をする。
母によれば、祖母の高木津(たかぎりつ)も同じ能力があったらしい。
でも、七年前に亡くなった祖母はそういう話を、私に一度もしなかった。もちろん他人にも言わなかった。祖母は予知できることを隠すべきだと考えていたからだ。
だから、母と祖母は仲が悪かった。
祖母は千葉に住んでいて、私たちが暮らす東京からそう離れているわけではなかった。それでも、祖母の家に両親と訪れたのは数えるぐらいしかない。
祖母は早くに夫を亡くし、小学校の教師を定年まで勤めあげた。退職後は実家があった千葉に移り住んで、近所の子供たちに自宅で勉強を教えていた。だから、祖母の家にはたくさんの子供の絵が飾られていた。
私は穏やかで美人な祖母のことが好きだった。でも母は祖母とは口をきこうとしなかった。祖母のほうもそんな母のことをほうっておいた。
高齢の二匹の猫たちが相次いで亡くなったあと、祖母も眠るように逝った。まるで死期を悟っていたかのように、家の中はきれいに片付けられ、持ち物も整理されていたという。自分の葬儀や墓の手配まで完璧だった。
祖母は予知の力に振り回されることなく一生を終えたけれど、母はそんな祖母の生き方には否定的だった。
母は一貫して、予知は天から与えられた大事な力であると考えていた。
天からのお告げなので、清らかな青空に未来が映し出されるのだ、と。
母は知人の怪我や事故、死を予知すると、それを当人たちにすぐに話してしまった。
最初、周囲の人々は母の言葉を信じずに馬鹿にしていた。ところが次々に予知が現実になると、今度は母を敬遠しはじめた。まるで母が災いをふりまいているかのように。
私が小学校にあがった頃には、母は周囲から完全に孤立していた。
そんな母を支えていたのは父だった。高校の同級生だった父は、美しい母に一目惚れして以来、ずっと大事にして守り続けてきた。
父は母の予知が本物であることを知っていた。でも、そのことを特別視はしなかった。足が速いとか、暗記が得意とか、他の人よりちょっと秀でたところがある、ぐらいにとらえていた。だから娘の私も予知ができるとわかった時も冷静だった。
私が初めて青空に未来を見たことを自覚したのは、小学生にあがった頃だった。それまでにも見ていたかもしれないが、幼過ぎて理解できなかったのだろう。
いまのような寒い冬の日、青空を見上げると、そこに父親がいた。父は傘を差しており、彼のまわりだけ雪が降っていた。父はバランスを崩して転倒し、苦しそうに顔を歪めたところで映像は途切れた。
家に帰ると私はそのことを母に話した。すると、両親は私を見ながらひそひそ話をするようになった。半月後、父は雪道で転倒して骨折をした。
幼い私には予知というものがよく理解できなかった。空に映し出されたことが実際に起こるのは、自分だけでなくみんなも同じだと思っていた。
だから私と母にだけにそういう能力が備わっている、と知った時はとても不思議だった。
母は私に予知能力があることを、とても喜んでくれた。
私は予知を見ると、得意気にすぐに母に報告した。母は手放しで褒めてくれ、私が見た予知を周囲に話すようになった。すると、それまで私に向けられていた同情のまなざしが、冷ややかなものに変わった。
はじめは面白がって話を聞いてくれていた学校の友達も、私を変な目で見るようになった。
それでようやく気づいた。