でも真琴にはわかったようだった。
それがよくない予知で、誰の未来が見えたのか。
それでも彼女はそれ以上訊かなかった。
私たちは何事もなかったように駅で別れ、別々の電車に乗りこんだ。
*
家に帰ると私はすぐに、真琴に関する予知を振り返った。
見たものすべてを絵と文章で書き出していく。
黒い覆面の人物はおそらく男性だ。
がっしりした体つき、広い肩幅と太い腕は女性のものではなかった。
花瓶に活けてあった枝は梅か桃だ。桜はふんわり丸く密集して花が開くが、予知で見た花の付き方は違った。
テーブルの上にあったお菓子は、ひし形で桃色と白と緑色の三段になっていた。あれはおそらく菱餅だろう。
となると、紙皿にのっていたカラフルな小さいお菓子はひなあられだ。白い液体が入った瓶のラベルには(しろざけ)と書かれていた。あれは白酒のことだ。
となると、真琴はひな祭り、桃の節句のお祝いをしていたに違いない。花瓶の花は桃の花ということになる。
桃の節句は三月三日だ。
予知が現実になるのはまだ先のことになる。
猶予があるにしても、あの恐ろしい場面が未来で待っていると思うと、いてもたってもいられなかった。
真琴はあの覆面男にゴルフクラブで殴られて死んでしまうのだろうか? 死なないにしても、思い切り殴られれば大怪我をする。
そもそも、あの覆面男は何者なんだろう。たまたま真琴の家に目をつけた強盗? それとも、真琴に恨みを抱いている知り合い?
なんで真琴の家に押し入ることができただろう?
彼女は覆面男を振り返らなかった。気づいてなかったんだろうか。
真琴は防犯意識が強く、マンションはオートロックでチェーンも必ずかけているらしい。もし誰かが無理に押し入ろうとしたら、その物音に気づいただろう。それなのになぜ犯人は、彼女に気づかれずにゴルフクラブを持って侵入できたのだろうか。
それと、なんで真琴は桃の節句のお祝いなんかしていたんだろう?
未婚でまだ子供もいない彼女が、ひな祭りを祝うというのは少し妙だ。クリスマスにケーキやチキンを買って一人で楽しむというのはわかる。でも、大人の女性がひな祭りを一人で祝うというのは、あまり聞いたことがない。私もしたことはない。
それとも真琴は、桃の節句に特別な思い入れがあり、これまでも毎年一人でお祝いしてきたのだろうか?
もしかして、仕事関係?
桃の節句に関する依頼でもきたんだろうか。ライター業のほうか、あるいは脚本関係で。
予知したことを真琴にどう伝えよう。
こればっかりは黙っておくわけにはいかない。
予知した場面を回避することはできないけれど、予知した先の未来を変えることはできるはずだ。
直接話すのが怖かったので、手紙を書くことにした。長文になるので、メールはやめておいた。
夜遅くまで何度も書きなおし、不安を抱いたまま浅い眠りについた。
翌日はひかるちゃんと映画を観にいく約束をしていた。
お昼の一時前に家を出る。手紙を郵便ポストに投函しながら映画館に向かった。
(ガッビアーノ)は相変わらず空いていて、客の姿はまばらだった。すぐにひかるちゃんに気づいた。
彼女はグッズ売り場でスタッフの女性と話をしている。近づいていって声をかけると、真琴ちゃんはその女性のことを従姉妹だと紹介してくれた。
「前に知り合いがここで働いてるって言いましたよね。彼女がそうなんです」
笹村藍(ささむらあい)さんはこのまえ、典十さんと話をしている時にやって来た女性だった。軽くウェーブがかかった茶色い髪をシュシュで束ね、少し釣り目の大きな瞳が印象的だ。
「もしかして先週もいらしてました?」
藍さんに訊かれて私は頷いた。
「大晦日に来ました。ここでお会いしましたね」
「やっぱり。中上さんとお話してた方ですよね? 彼のお知り合いなんですか?」
「いえ、ちょっと顔見知りなだけです」
ひかるちゃんが私の袖を引っ張った。
「先にチケット買っちゃいましょうよ」
「そうだね。ではまた」
藍さんと別れた私たちは、恋愛系ヴァインパイア映画のチケットを購入した。もう入場がはじまっていたので、飲み物とポップコーンを買って座席に急ぐ。
席につくとひかるちゃんはコーラを飲みながら私をちらっと見た。
「中上さんて誰ですか?」
「パン屋のお客さん」
「男性ですか?」
「うん」
ひかるちゃんはストローを指先でいじりながら首を傾げる。
「もしかして背の高いイケメンの人? 前に賛歌さん、お店で男の人からチラシみたいのもらってましたよね」
「あれは、ここのヴァンパイア特集のチラシをもらってたの」
「そうだったんですか」
彼女はポップコーンをつまみながらにやっとした。
「もしかして、そのイケメンさんといい感じなんですか?」
「まさか」
内面の動揺を顔に出さないように意識した。ひかるちゃんは勘がいいようだ。
「賛歌さんて彼氏いるんですか?」
「いないよ」
明かりが落ちて、彼女の笑顔が見えなくなった。
映画がはじまると、私はすぐに困惑した。恋愛系とはいえ、一応吸血鬼ものだからどうしても争いのシーンが多い。人間を襲うシーンになると、真琴の予知を思い出して息が苦しくなった。
ぐったりして映画を観終えると、ひかるちゃんは隣でうーんと満足そうな伸びをした。
「あんまり怖くなかったですね。ここにカフェあるみたいなんで、お茶してきましょうよ」
うんと笑顔を作って腰をあげる。
「そのまえにちょっと藍ちゃんに挨拶してきますね。また割引チケットくれるみたいなんで」
「わかった。じゃあロビーで待ってるね」
トイレに寄ってからロビーに出ようとすると、ばったり典十さんと会った。
「あ、こんにちは」
彼はパンフレットの束を抱えていた。
「よかったらこれどうぞ」
そう言って、一枚私に差し出す。
「来週から特集のラインナップが変わるんです」
「そうなんですか」
「あれ? 手、どうかしましたか」
パンフレットを掴んだ私の手が震えていた。もしかすると、パンフレットの写真を見たせいかもしれない。吸血鬼がまさに若い女性に襲いかかろうとしている。
「あ……ちょっと映画が刺激的過ぎたのかも」
「そんなに怖かったですか?」
彼はパンフレットに視線を落とすと、私から隠すように胸に抱いた。
「顔色が悪いです。ちょっと座って休んだほうがいいですよ」
「いえ、大丈夫です。そんな怖がりなほうじゃないので。寝不足のせいだと思います」
「でも……あ、じゃあこれ」
典十さんさんはジャケットのポケットから小さな個包装のチョコレートを取り出した。
「食べてください。低血糖になってるのかもしれないから」
そうではないことはわかっていたが、ありがたく受け取った。彼が心配そうに見ているので、もらったチョコレートをその場で食べる。
「友達と来てるのでもう行きます。ありがとうございました」
典十さんはなにかを言いかけてやめた。じゃあまたと私は一礼してその場を離れた。
ロビーのソファに座って待っていると、ひかるちゃんが小走りで駆けてきた。
「お待たせしました。行きましょうか」
それがよくない予知で、誰の未来が見えたのか。
それでも彼女はそれ以上訊かなかった。
私たちは何事もなかったように駅で別れ、別々の電車に乗りこんだ。
*
家に帰ると私はすぐに、真琴に関する予知を振り返った。
見たものすべてを絵と文章で書き出していく。
黒い覆面の人物はおそらく男性だ。
がっしりした体つき、広い肩幅と太い腕は女性のものではなかった。
花瓶に活けてあった枝は梅か桃だ。桜はふんわり丸く密集して花が開くが、予知で見た花の付き方は違った。
テーブルの上にあったお菓子は、ひし形で桃色と白と緑色の三段になっていた。あれはおそらく菱餅だろう。
となると、紙皿にのっていたカラフルな小さいお菓子はひなあられだ。白い液体が入った瓶のラベルには(しろざけ)と書かれていた。あれは白酒のことだ。
となると、真琴はひな祭り、桃の節句のお祝いをしていたに違いない。花瓶の花は桃の花ということになる。
桃の節句は三月三日だ。
予知が現実になるのはまだ先のことになる。
猶予があるにしても、あの恐ろしい場面が未来で待っていると思うと、いてもたってもいられなかった。
真琴はあの覆面男にゴルフクラブで殴られて死んでしまうのだろうか? 死なないにしても、思い切り殴られれば大怪我をする。
そもそも、あの覆面男は何者なんだろう。たまたま真琴の家に目をつけた強盗? それとも、真琴に恨みを抱いている知り合い?
なんで真琴の家に押し入ることができただろう?
彼女は覆面男を振り返らなかった。気づいてなかったんだろうか。
真琴は防犯意識が強く、マンションはオートロックでチェーンも必ずかけているらしい。もし誰かが無理に押し入ろうとしたら、その物音に気づいただろう。それなのになぜ犯人は、彼女に気づかれずにゴルフクラブを持って侵入できたのだろうか。
それと、なんで真琴は桃の節句のお祝いなんかしていたんだろう?
未婚でまだ子供もいない彼女が、ひな祭りを祝うというのは少し妙だ。クリスマスにケーキやチキンを買って一人で楽しむというのはわかる。でも、大人の女性がひな祭りを一人で祝うというのは、あまり聞いたことがない。私もしたことはない。
それとも真琴は、桃の節句に特別な思い入れがあり、これまでも毎年一人でお祝いしてきたのだろうか?
もしかして、仕事関係?
桃の節句に関する依頼でもきたんだろうか。ライター業のほうか、あるいは脚本関係で。
予知したことを真琴にどう伝えよう。
こればっかりは黙っておくわけにはいかない。
予知した場面を回避することはできないけれど、予知した先の未来を変えることはできるはずだ。
直接話すのが怖かったので、手紙を書くことにした。長文になるので、メールはやめておいた。
夜遅くまで何度も書きなおし、不安を抱いたまま浅い眠りについた。
翌日はひかるちゃんと映画を観にいく約束をしていた。
お昼の一時前に家を出る。手紙を郵便ポストに投函しながら映画館に向かった。
(ガッビアーノ)は相変わらず空いていて、客の姿はまばらだった。すぐにひかるちゃんに気づいた。
彼女はグッズ売り場でスタッフの女性と話をしている。近づいていって声をかけると、真琴ちゃんはその女性のことを従姉妹だと紹介してくれた。
「前に知り合いがここで働いてるって言いましたよね。彼女がそうなんです」
笹村藍(ささむらあい)さんはこのまえ、典十さんと話をしている時にやって来た女性だった。軽くウェーブがかかった茶色い髪をシュシュで束ね、少し釣り目の大きな瞳が印象的だ。
「もしかして先週もいらしてました?」
藍さんに訊かれて私は頷いた。
「大晦日に来ました。ここでお会いしましたね」
「やっぱり。中上さんとお話してた方ですよね? 彼のお知り合いなんですか?」
「いえ、ちょっと顔見知りなだけです」
ひかるちゃんが私の袖を引っ張った。
「先にチケット買っちゃいましょうよ」
「そうだね。ではまた」
藍さんと別れた私たちは、恋愛系ヴァインパイア映画のチケットを購入した。もう入場がはじまっていたので、飲み物とポップコーンを買って座席に急ぐ。
席につくとひかるちゃんはコーラを飲みながら私をちらっと見た。
「中上さんて誰ですか?」
「パン屋のお客さん」
「男性ですか?」
「うん」
ひかるちゃんはストローを指先でいじりながら首を傾げる。
「もしかして背の高いイケメンの人? 前に賛歌さん、お店で男の人からチラシみたいのもらってましたよね」
「あれは、ここのヴァンパイア特集のチラシをもらってたの」
「そうだったんですか」
彼女はポップコーンをつまみながらにやっとした。
「もしかして、そのイケメンさんといい感じなんですか?」
「まさか」
内面の動揺を顔に出さないように意識した。ひかるちゃんは勘がいいようだ。
「賛歌さんて彼氏いるんですか?」
「いないよ」
明かりが落ちて、彼女の笑顔が見えなくなった。
映画がはじまると、私はすぐに困惑した。恋愛系とはいえ、一応吸血鬼ものだからどうしても争いのシーンが多い。人間を襲うシーンになると、真琴の予知を思い出して息が苦しくなった。
ぐったりして映画を観終えると、ひかるちゃんは隣でうーんと満足そうな伸びをした。
「あんまり怖くなかったですね。ここにカフェあるみたいなんで、お茶してきましょうよ」
うんと笑顔を作って腰をあげる。
「そのまえにちょっと藍ちゃんに挨拶してきますね。また割引チケットくれるみたいなんで」
「わかった。じゃあロビーで待ってるね」
トイレに寄ってからロビーに出ようとすると、ばったり典十さんと会った。
「あ、こんにちは」
彼はパンフレットの束を抱えていた。
「よかったらこれどうぞ」
そう言って、一枚私に差し出す。
「来週から特集のラインナップが変わるんです」
「そうなんですか」
「あれ? 手、どうかしましたか」
パンフレットを掴んだ私の手が震えていた。もしかすると、パンフレットの写真を見たせいかもしれない。吸血鬼がまさに若い女性に襲いかかろうとしている。
「あ……ちょっと映画が刺激的過ぎたのかも」
「そんなに怖かったですか?」
彼はパンフレットに視線を落とすと、私から隠すように胸に抱いた。
「顔色が悪いです。ちょっと座って休んだほうがいいですよ」
「いえ、大丈夫です。そんな怖がりなほうじゃないので。寝不足のせいだと思います」
「でも……あ、じゃあこれ」
典十さんさんはジャケットのポケットから小さな個包装のチョコレートを取り出した。
「食べてください。低血糖になってるのかもしれないから」
そうではないことはわかっていたが、ありがたく受け取った。彼が心配そうに見ているので、もらったチョコレートをその場で食べる。
「友達と来てるのでもう行きます。ありがとうございました」
典十さんはなにかを言いかけてやめた。じゃあまたと私は一礼してその場を離れた。
ロビーのソファに座って待っていると、ひかるちゃんが小走りで駆けてきた。
「お待たせしました。行きましょうか」