バッグの陳列棚の前に立つと、女性店員が声をかけてくれた。頷きながらお目当てのグリーンのハンドバッグを手に取る。真琴は黒のレザーのトートバッグに手を伸ばした。
 昨夜、なんとなく真琴を(ラ・ピッコロ)でのお買い物に誘ってみたら、意外なことに「一緒に行きたい」という返事が返ってきた。
 私があげた傘が気に入ったので、この店に興味がわいたらしい。
 先客が買い物をすませていなくなると、女性店員は私たちのところにやって来た。
「今日はお友達も一緒なのね」
 私のことを覚えてくれていたようだ。
「このまえ買った傘は彼女にあげたんです」
 そう言って私が真琴を手で示すと、女性店員は嬉しそうに笑った。
「そうだったの。気に入っていただけた?」
 真琴は恥ずかしそうに頷く。
「とても気に入ったので、今日お店にも連れてきてもらったんです」
「まあ、嬉しい。うちはセールを冬しかしないから、欲しいものがあったら即決がおすすめよ。今日はなにを見に来たの?」
 私は手に持っているバッグを持ち上げた。
「バッグが欲しいんです」
「可愛いバッグを持ってどこへお出かけするの? デート?」
 いえ、と私が焦りながら否定すると、女性店員はふふふと笑った。真琴は驚いたような顔で私を見ている。
「それ、ショルダー紐もつけられるから使いやすいのよ。小ぶりに見えるけどペットボトルも入るから充分な大きさね。柔らかくて丈夫な革だし、ゴールドの金具が可愛いでしょ」
 他のものに目移りすることもなく、私はそのグリーンのバッグを買うことにした。真琴も最初に目をつけた黒のレザーのトートバッグを購入した。
「お二人はどういうお友達なの? 同僚?」
 商品を包みながら女性店員が訊ねる。
「いえ、私はパン職人で彼女はライターです」
 あら、と彼女は手を止めて私たちを交互に見た。
「二人とも素敵なお仕事ね。私、パンが大好きなの。お店はどこにあるの?」
 私は財布からショップカードを出して彼女に渡した。
「近くに行ったら寄らせてもらうわね。そちらのお嬢さんはどういうものを書かれてるの?」
「私はB級グルメのライターをしてるんです。あと、脚本の仕事がしたくて頑張ってます」
「脚本家を目指してるの……あら、まだお名前窺ってなかったわね。私は村井兎南子(むらいうなこ)といいます」
 彼女は私たちに名刺をくれた。
「兎……だからお店の前に兎のブロンズが?」
 表に置かれたブロンズ像を思い出して訊ねると、そうそうと彼女は笑った。
「単純でしょ」
 お店をあとにすると、私たちはお茶にすることにした。
 中央通りから左に折れたところにある、小さなビルの二階の和菓子屋に入った。表通りに面していないのでお客も比較的少なく、騒がしいこともない。人が多いと疲れてしまう真琴も気に入るだろうと選んだ。
「いい感じのお店だね」
 窓際のテーブルにつくと、真琴はほっとしたように店内を見まわした。客層は中年以上の男女で、落ち着いた雰囲気が漂っている。
 私たちはクリームあんみつを注文した。
「それで、お母さんは元気だった?」
 熱い緑茶をすすったあと真琴が訊ねた。
「元気だったよ。金髪になって」
「金髪?」
「そう。おまけに二年前に再婚してた。いまは苗字が白鳥なんだって」
 真琴はしばらく絶句してから、まじか、と小さく呟いた。
「相手は(予知会)のメンバーだったらしいけど、いまは二人とも辞めて、鎌倉でお豆腐屋さんやってるんだって」
「(予知会)を辞めたの?」
 真琴の言葉には強い疑いの色が混じっていた。無理もない。
「お母さん、心臓の病気で長くないんだって」
 また真琴の顔色が変わった。
「……そうなの?」
「うん。それでいろいろ考えて、(予知会)と決別にすることにしたみたい」
「もしかして、それで賛歌はお母さんに会いに行ったの?」
 私は首を横に振った。
「先月、私また予知を見たの。私がお母さんの葬儀に出てる予知。それで連絡したの」
「そうだったの」
 納得したように真琴は小さく頷き、息を吐いた。
「知らなかった。辛いね」
「しかたないよ。こればっかりは」
 昔、家族で行ったレストランを予約していてくれたことや、ストールのプレゼントを喜んでくれたこと、お小遣いをくれたことなどを話すと、ようやく真琴の表情はやわらいだ。
「仲直りできたのならよかったね」
 クリームあんみつが運ばれてきた。器が大きくて食べ応えがありそうだ。
「それはそうと、なんで急にバッグが欲しくなったの? 先月会った時は、ぼろいリュックで平気な顔してたのに」
 言葉につまった私を、真琴はじろじろ見てくる。
「どんな心境の変化?」
 実は、と私は典十さんの予知の話をした。
「まじかぁ」
 真琴はそれほど驚きはしなかった。
「じゃあ、さっき買ったバッグはデートに備えて買ったんだ?」
「それは違うけど」
「いや、そうでしょ」
 自分がどんどんばかみたいに思えてきたので、話を変えた。
「シナリオコンクールの結果はどうだったの? 最終に残ってたやつ」
 先月末頃に結果が出ているはずだ。ネット上でも調べられたが、あえて見なかった。いい結果を真琴の口から聞きたかったから。
「奨励賞もらえたよ」
「えっ、ほんとに?」
 他の客の視線を集めるぐらいの声を出してしまった。真琴は涼しい顔でクリームあんみつを食べすすめる。
「なんで言わないの? すぐ報告してよ」
「知ってると思った。ネットにのってるもん」
「真琴から聞きたいからわざと見なかったんだよ」
「そうだったんだ。でも奨励賞っていっても映像化はされなさそうだから」
「そうなの?」
「大賞は映像化確定だけど、それ以下の賞は検討って感じ」
「……でもすごいじゃん。受賞しないよりいいよ」
「まあ、そうだよね」
「ここ、おごるね。もう……言っておいてくれれば、ちゃんとお祝いしたのに」
「いいよ、そんな」
 照れたように顔をそらす真琴の腕を、私は我慢できずにばんばん叩いた。
「ほんとにおめでとう!」
 真琴はきっとすごく嬉しかったはずだ。受賞がわかった時、一人で声をあげたに違いない。ずっと頑張ってきたんだから。
 夕飯もご馳走したかったけれど、真琴は明日が仕事はじめなので、準備のためにもう帰ると言った。
 お店を出て駅に向かって歩きはじめた時だった。
 なにげなく空を見ると、そこに真琴の顔があった。
 真琴はは白い花瓶に挿した桃色の花の枝を見つめている。そこは彼女の部屋だった。いつもビデオ通話で見ているのでわかる。テーブルにはお菓子のようなものがあった。白い液体が入った瓶も。ふっと彼女の背後に人影が現れると、彼女の背後に迫ってきた。覆面をかぶった黒い服の誰か。手にはゴルフクラブを握っている。覆面がゴルフクラブを大きく振り上げた瞬間、映像は消えて青空が戻ってきた。
「あっ」
 私は両手で口を押さえた。
 予知だ。
 真琴が襲われる予知。
「どうしたの?」
 当の本人が私の肩に手を置いて顔を覗き込んでくる。
 真琴はじっと私の目を見つめてから、確認するように空を見上げた。
「見たの?」
 彼女は予知を見たのか、と私に訊いている。
 ううん、と私は首を横に振った。
「見てない」