二十分後にはじまるヴァンパイア映画のチケットを買う。
トイレに行ってからドリンクを買い、入場した。
以前観たことがあるアクション系のヴァンパイア映画だったせいもあり、上映中はほとんど典十さんのことを考えていた。
彼はまだ私のことなんて、なんとも思ってない。
いつ、どんなきっかけで、彼は私のことを好きになるんだろう?
*
翌日の元旦は昼頃起き出して、お雑煮を作った。
テレビでお正月番組をぼんやり見ながら食べ、ミカンも二つ胃に放り込むと、ごろんとまた横になった。
スマホを手に知り合いからの(あけおめメッセージ)に返信していく。
真琴にひかるちゃん、同僚たちからも来ていた。母からのメッセージはない。
お正月の挨拶メッセージは大体型どおりのものが多いけれど、真衣さんのは新年そうそう愚痴めいていた。
買ってあげたばかりのスマホを息子さんが失くしてしまったらしい。泣き顔と怒り顔の絵文字がたくさん並んでいた。
しばらくしてようやく初詣に行く気になった。
財布とスマホだけ持ってマンションを出る。
前の道路に白いセダンが停車していて、そこから慌てたように誰かが降りてきた。
何気なく視線をやって、さっと血の気がひいた。
江崎玉乃だった。
母を担ぎ上げて(予知会)を作った張本人だ。
髪型とメイクで若返った母に比べて、玉乃は実年齢より十歳は更けて見えた。髪には白髪が目立ち、顔はほうれい線と皺が目立っている。明るい紫色のコートが余計に彼女を貧相に見せていた。
気づかないふりをして歩き続けたが、後ろから呼びかけられた。足音が近づいてくる。
「待って、賛歌ちゃん」
腕を掴まれて振り返った。頭が痛くなるような香水の匂いがする。
「私のことわかる? 江崎玉乃です」
私は無言で見返した。彼女はかまわずにたあと笑う。
「奇遇ね。ここに住んでるの?」
しらじらしい。
どこから私の住所が漏れたんだろう? 母には教えてない。
「ちょうどよかった。実はあなたに話があるの。ちょっと近くでお茶でもしない? おごるから」
「いいえ、けっこうです。用事があるので」
「そんなつれないこと言わないで」
振り払おうとしても、彼女は負けずに腕を掴んだ手に力を込めてくる。
「五分でいいのよ。最近、お母さんに会った?」
いいえ、と私は答える。
「本当に?」
「手を離してください」
「お母さんの病気のことは聞いた?」
「やめてください」
「あなた最近、知らない人の予知をしなかった?」
私はあたりを見まわした。十メートルぐらい先から若い女性がこちらに歩いてくる。
「離してくださいっ!」
大声を出すと、ぱっと玉乃は手を離した。
「大きな声出さないでよ」
押し殺した声を出し、玉乃は私を睨んだ。
「なんでそんな失礼な態度をとるの? 話を聞くぐらいいいじゃない」
玉乃は不安そうな表情でこちらを窺っている女性に気づいた。無言で自分の車に戻っていくと、大きな音をたててドアを閉めて走り去る。
私はマンションにUターンした。
不安な気持ちのままエレベーターに乗り込む。
困ったことになったと思いながら、部屋に戻るとすぐに父に電話をかけた。
『賛歌、あけましておめでとう』
新年の挨拶のために連絡したと誤解している父に、江崎玉乃が待ち伏せしていたことを説明する。
長い沈黙のあと、困惑したような声が聞こえてきた。
『お父さんは誰にも賛歌の住所は教えてないよ。もちろんお母さんにも。あ……』
なにか思い出したように、父は言葉を途切れさせ、ちょっと待つように私に言った。
数分してから戻ってきた父は、言いにくそうに話しはじめた。
『すまん、賛歌。京子(きょうこ)が教えてしまったかもしれない』
なんでも去年の秋頃、自宅にある一本の電話がかかってきたという。京子さんが出ると、相手は私が通っていた中学校の関係者だと名乗った。同窓会の知らせを送りたいので賛歌さんのいまの住所を教えて欲しい、そう相手は頼んだ。京子さんは疑うことなくあっさりと教えてしまったらしい。
「その電話の相手は女性だったの?」
『そうらしいよ。江崎玉乃だったのかもな……申し訳ない』
「わからなかったんだから仕方ないよ。京子さんには気にしないようにって言っておいて」
『すまんな。それにしても……』
何度も聞いてきた父親の深いため息が受話器越しに聞こえてきた。
『アレにまだ悩まされることになるとはな』
父は母が(予知会)を辞めたことも、病気で長くないことも、再婚したことも知らない。
電話を切ると、私はコーヒーを淹れてソファに横になった。
玉乃は妙なことを言っていた。
(あなた最近、知らない人の予知をしなかった?)
知らない人の予知?
どういう意味だろう。
私が先月した予知は、母の死と私の恋に関する予知だ。
典十さんのことは以前から知っていたので、知らない人ではない。
それ以前の予知に関しても、知らない人の予知はしていない。大体、自分と関係のない人の予知はできなのだ。
それにしても、なぜ玉乃は私に会いにきたのだろう?
玉乃は母の病気のことを知っていた。余命宣告されたことも母から聞いているのかもしれない。それで玉乃は母を手放した。もう用済みだと判断して。
となると、代わりがいる。
それで私に会いにきたのか。
あの様子だと、玉乃はまたすぐに私に会いに来るだろう。
母に相談する?
でもそれでどうなるんだろう。
母が間に入ったら、余計面倒なことになるかもしれない。
引越ししても、新しい住所を知られないという保証はない。
厄介なことになった。
夕方になってからやっと外出した。
周囲を気にしながら近くのコンビニで素早く買い物をすませ、マンションに戻ってくる。
郵便受けを確認すると、チラシに交じって(ラ・ピッコロ)からのダイレクトメールが入っていた。三日から店内商品が三割引きになるウィンターセールがはじまるらしい。
セールか。
今年はおそらく典十さんと会う機会が増える。
そうなると、服装もきちんとしたものを揃えておいたほうがいい。いままでみたいな、一年中スウェットとデニムというわけにはいかない。
(ラ・ピッコロ)の棚に置かれた宝石みたいにきらきらしたバッグが頭に浮かんだ。
母からもらったお金はまだ残っている。
その夜はお汁粉を食べながらネットショッピングをした。
ワンピースにスカート、ブーツ。
母からもらったお金はみるみる少なくなっていった。
4 友人襲撃の予知
「あら、いらっしゃい」
(ラ・ピッコロ)のドアを開けると、この前の女性店員が小さく手を振ってくれた。
今日は先客がいる。上品な年配の夫婦風で、女性のほうが財布を手にして、重さを確認するかのように上下させている。
女性の店員さんは今日も素敵な装いだった。ベージュ色のニットワンピースには、裾と手首にゴールドの太めのラインが入っている。耳には星と三日月の形をしたゴールドのピアスが輝いていた。
「ゆっくり御覧になってね」
トイレに行ってからドリンクを買い、入場した。
以前観たことがあるアクション系のヴァンパイア映画だったせいもあり、上映中はほとんど典十さんのことを考えていた。
彼はまだ私のことなんて、なんとも思ってない。
いつ、どんなきっかけで、彼は私のことを好きになるんだろう?
*
翌日の元旦は昼頃起き出して、お雑煮を作った。
テレビでお正月番組をぼんやり見ながら食べ、ミカンも二つ胃に放り込むと、ごろんとまた横になった。
スマホを手に知り合いからの(あけおめメッセージ)に返信していく。
真琴にひかるちゃん、同僚たちからも来ていた。母からのメッセージはない。
お正月の挨拶メッセージは大体型どおりのものが多いけれど、真衣さんのは新年そうそう愚痴めいていた。
買ってあげたばかりのスマホを息子さんが失くしてしまったらしい。泣き顔と怒り顔の絵文字がたくさん並んでいた。
しばらくしてようやく初詣に行く気になった。
財布とスマホだけ持ってマンションを出る。
前の道路に白いセダンが停車していて、そこから慌てたように誰かが降りてきた。
何気なく視線をやって、さっと血の気がひいた。
江崎玉乃だった。
母を担ぎ上げて(予知会)を作った張本人だ。
髪型とメイクで若返った母に比べて、玉乃は実年齢より十歳は更けて見えた。髪には白髪が目立ち、顔はほうれい線と皺が目立っている。明るい紫色のコートが余計に彼女を貧相に見せていた。
気づかないふりをして歩き続けたが、後ろから呼びかけられた。足音が近づいてくる。
「待って、賛歌ちゃん」
腕を掴まれて振り返った。頭が痛くなるような香水の匂いがする。
「私のことわかる? 江崎玉乃です」
私は無言で見返した。彼女はかまわずにたあと笑う。
「奇遇ね。ここに住んでるの?」
しらじらしい。
どこから私の住所が漏れたんだろう? 母には教えてない。
「ちょうどよかった。実はあなたに話があるの。ちょっと近くでお茶でもしない? おごるから」
「いいえ、けっこうです。用事があるので」
「そんなつれないこと言わないで」
振り払おうとしても、彼女は負けずに腕を掴んだ手に力を込めてくる。
「五分でいいのよ。最近、お母さんに会った?」
いいえ、と私は答える。
「本当に?」
「手を離してください」
「お母さんの病気のことは聞いた?」
「やめてください」
「あなた最近、知らない人の予知をしなかった?」
私はあたりを見まわした。十メートルぐらい先から若い女性がこちらに歩いてくる。
「離してくださいっ!」
大声を出すと、ぱっと玉乃は手を離した。
「大きな声出さないでよ」
押し殺した声を出し、玉乃は私を睨んだ。
「なんでそんな失礼な態度をとるの? 話を聞くぐらいいいじゃない」
玉乃は不安そうな表情でこちらを窺っている女性に気づいた。無言で自分の車に戻っていくと、大きな音をたててドアを閉めて走り去る。
私はマンションにUターンした。
不安な気持ちのままエレベーターに乗り込む。
困ったことになったと思いながら、部屋に戻るとすぐに父に電話をかけた。
『賛歌、あけましておめでとう』
新年の挨拶のために連絡したと誤解している父に、江崎玉乃が待ち伏せしていたことを説明する。
長い沈黙のあと、困惑したような声が聞こえてきた。
『お父さんは誰にも賛歌の住所は教えてないよ。もちろんお母さんにも。あ……』
なにか思い出したように、父は言葉を途切れさせ、ちょっと待つように私に言った。
数分してから戻ってきた父は、言いにくそうに話しはじめた。
『すまん、賛歌。京子(きょうこ)が教えてしまったかもしれない』
なんでも去年の秋頃、自宅にある一本の電話がかかってきたという。京子さんが出ると、相手は私が通っていた中学校の関係者だと名乗った。同窓会の知らせを送りたいので賛歌さんのいまの住所を教えて欲しい、そう相手は頼んだ。京子さんは疑うことなくあっさりと教えてしまったらしい。
「その電話の相手は女性だったの?」
『そうらしいよ。江崎玉乃だったのかもな……申し訳ない』
「わからなかったんだから仕方ないよ。京子さんには気にしないようにって言っておいて」
『すまんな。それにしても……』
何度も聞いてきた父親の深いため息が受話器越しに聞こえてきた。
『アレにまだ悩まされることになるとはな』
父は母が(予知会)を辞めたことも、病気で長くないことも、再婚したことも知らない。
電話を切ると、私はコーヒーを淹れてソファに横になった。
玉乃は妙なことを言っていた。
(あなた最近、知らない人の予知をしなかった?)
知らない人の予知?
どういう意味だろう。
私が先月した予知は、母の死と私の恋に関する予知だ。
典十さんのことは以前から知っていたので、知らない人ではない。
それ以前の予知に関しても、知らない人の予知はしていない。大体、自分と関係のない人の予知はできなのだ。
それにしても、なぜ玉乃は私に会いにきたのだろう?
玉乃は母の病気のことを知っていた。余命宣告されたことも母から聞いているのかもしれない。それで玉乃は母を手放した。もう用済みだと判断して。
となると、代わりがいる。
それで私に会いにきたのか。
あの様子だと、玉乃はまたすぐに私に会いに来るだろう。
母に相談する?
でもそれでどうなるんだろう。
母が間に入ったら、余計面倒なことになるかもしれない。
引越ししても、新しい住所を知られないという保証はない。
厄介なことになった。
夕方になってからやっと外出した。
周囲を気にしながら近くのコンビニで素早く買い物をすませ、マンションに戻ってくる。
郵便受けを確認すると、チラシに交じって(ラ・ピッコロ)からのダイレクトメールが入っていた。三日から店内商品が三割引きになるウィンターセールがはじまるらしい。
セールか。
今年はおそらく典十さんと会う機会が増える。
そうなると、服装もきちんとしたものを揃えておいたほうがいい。いままでみたいな、一年中スウェットとデニムというわけにはいかない。
(ラ・ピッコロ)の棚に置かれた宝石みたいにきらきらしたバッグが頭に浮かんだ。
母からもらったお金はまだ残っている。
その夜はお汁粉を食べながらネットショッピングをした。
ワンピースにスカート、ブーツ。
母からもらったお金はみるみる少なくなっていった。
4 友人襲撃の予知
「あら、いらっしゃい」
(ラ・ピッコロ)のドアを開けると、この前の女性店員が小さく手を振ってくれた。
今日は先客がいる。上品な年配の夫婦風で、女性のほうが財布を手にして、重さを確認するかのように上下させている。
女性の店員さんは今日も素敵な装いだった。ベージュ色のニットワンピースには、裾と手首にゴールドの太めのラインが入っている。耳には星と三日月の形をしたゴールドのピアスが輝いていた。
「ゆっくり御覧になってね」