当て馬ガールとしての初日、私はいつもよりも少し早めにマンションのロビーへと降りた。
エントランスのガラス扉越しに、梅雨の合間のやけにピカピカした空を見上げる。
飛行機がのんびりとゆったりと横切っているのをなんとなく目で追っていると「おはよ」と後ろから声がかかった。
「おはよ」
振り向いて理来に返事をする。
「何見てたの」
「飛行機」
空を指さすと理来も眩しそうに眼をすがめながら、ガラス越しに見上げた。
「なんかさ、飛行機ってすごい速く飛んでるはずなのに、のんびり飛んでるように見えるよね。乗ってるときもそんなにスピードが出てるなんて思えないし、見てる人も乗ってる人も速いって感じないって不思議」
「慣性の法則って知ってるか……?」
「知ってますー」
呆れたような理来に私は口を尖らせてみせる。
「知ってても感覚で納得できないって話。それに、見てるときにゆっくり見えるのは慣性の法則関係ないじゃん」
「そっちは三角関数を使えば理解できるはず」
「……不思議だなぁって思う純粋な気持ちを大事にしたいなと思います」
「なんでだよ。そういう興味から数学が楽しくなるかもしんねーのに」
「楽しんでる余裕がないんだって。もう指定校推薦が決まった人は受験も終わったようなもんだろうけど、こっちはこれからが本番よ?」
「受験勉強するにも楽しんだほうがいいじゃん」
「楽しめないっつーの。これだから頭のいいやつは……」
「ほめてくれてどーも」
「ほめてないし!」
「おはよ。どうしたの」
また後ろから声がかかり、理来と一緒に振り返って「おはよ」「はよー」と漣に挨拶をする。
そのまま私を真ん中にして三人でエントランスを出ながら、理来がマウント取ってきてクソむかつくんだけどと漣に言いつけようとして、いかんいかんと言葉を飲み込む。
私は当て馬ガールなのである。クソむかつくとか言ってる場合ではない。
「飛行機がゆっくり見えるのが不思議だなって思ってたら、理来が三角関数で説明できるって言うの。すごくない? やっぱり頭いいんだなって」
代わりに、にこっとして漣にそう言うと「さっきまで文句言ってただろーが」と横から理来のツッコミが入る。
それを華麗にスルーし、私は漣に続けて話しかけた。
「ね、今度漣も一緒に教えてもらわない? 数学が楽しくなるかもって」
「まあ俺は今、三角関数って言われて、頭に何も浮かんでこないレベルなわけだけど」
「ヤバいな」
「ヤバいね」
「夏休み、頑張ります……」
情けない顔をした漣の背中をドンマイ、と叩き、私たちは駅へと足を向けた。
*
電車のドアに寄りかかるようにして立った私の視界の隅に、うちの高校の女子たちが映る。
ひそひそと話しながら、こちらに向けられる視線はあまり好意的なものではない。別にそんなんで傷つくことはないけど、正直なところダルい。
小さくため息をついてその子たちがいるのとは別の方向に顔を向けると、やはりこっちを見ていたらしい同じ高校の別グループの女子たちと目が合ってしまった。軽く睨まれたのは気のせいではないだろう。
こっちもかよ、と思いながら仕方なく誰も視界に入らないように目線を下げ、電車のドアに寄りかかった私をガードするかのように目の前に並んで立っている二人の大きな手を見る。
理来と二人のときも視線を感じることはあるけど、今日はテスト期間に入って朝練がない漣も一緒だから、なおさら見られている気がする。
生徒会長をしている、頭が良くてクールな理来。
野球部のレギュラーで、優しく笑顔が可愛い漣。
どちらもそこそこモテるのに彼女を作らないため、実は理来と漣は幼馴染の私のことを好きでこの高校へ追いかけてきたらしいという少女漫画のような噂が、三年になった今でも根強くある。
そしてその噂にコバンザメのようにくっついて回っているのが、私が二人のどちらかを選ぶことなくずっと両方をキープしている嫌な女であるというレッテルだ。そのせいで女子からは敵意を向けられることが多いし、男子からは若干距離を置かれていたりする。
――本当にただの幼馴染でしかないんだけどね、私は。
心の中で呟いた私は、触れそうで触れない二人の手をじっと見続けた。
理来と漣と私は、同じ分譲マンションに住む幼馴染だ。
生まれたときから住んでいる理来と私、そして二歳のときに引っ越してきた漣は、幼稚園、小学校、中学校はもちろんのこと、高校までもなぜか三人で同じところに通っている。
と言っても、私がこの高校にいるのは不思議でもなんでもない。偏差値的にぴったりで、家からも通いやすく、先生も親も私も満場一致でここを選んだくらいだ。今も、成績は真ん中より少し上くらい、際立って目立つ何かを持っているわけでもなく、見た目もギャル寄りではあるけどそんなに派手ではない。理来と漣と幼馴染でなければ注目されることもなかったであろう、いたって平凡な生徒である。
じゃあ私よりも数段賢い理来がなぜこの高校に来たかといえば、やはり家から電車で一本で通えるから便利だということ、そして指定校推薦を狙いたいからというのが理由だった。結果、希望通り指定校推薦を勝ち取ったのだから、その選択は正解だったということだ。
一方の漣は、偏差値的に無理かもと言われていたが、強豪校と呼ばれるうちの野球部でプレーしたいという夢のために頑張って合格し、二年生の時から5番の背番号を背負ってサードを守っている。期末テストのあとには高校生活最後の地方大会が控えていて、テスト期間中の今も朝練こそないものの放課後は野球漬けだ。
つまり、三人が同じ高校にいるのにはちゃんと理由があるわけだけど、いくら説明したところで、人間と言うのは物事を見たいようにしか見ない生き物だということを理解した今では、わざわざ私たちに関する噂を否定することもなくなった。勝手な憶測だけで面白おかしく噂するようなやつらに、懇切丁寧に私たちのことを教えてやる必要なんてない。
まあそれでも、さっきのように私を睨んでくるような女子には、あんたが睨むべきは私じゃないよって、言いたくなるときもある。
ただの幼馴染じゃないのは、理来と漣のほうだからねって。二人は結婚式までしたんだからって。
もちろん、私たちの大事な大事な思い出を他人に興味本位で踏み荒らされたくはないから、そんなことは言わないけど。
公園の滑り台の下にある色褪せたピンクのドームの中、こっそりと執り行われた秘密の結婚式。三人で協力して作ったちょっと不格好なシロツメクサの冠と花束。細く切った銀色の折り紙を丸めてセロハンテープで留めた指輪。神父役の私の前でお互いの頬にされた誓いのキス。
なんだかくすぐったいような気持ちで、三人で顔を見合わせてくすくすと笑ったあの日のことは十年経った今でも鮮明に覚えているし、これからも忘れることはないだろう。
間もなく学校の最寄り駅に着くというアナウンスが聞こえて、私は顔をあげた。
電車の中では、身長が違いすぎて会話がしにくいこともあり、私が話すことはほとんどない。そうすると、理来も漣もあんまり話さず、今も、少し素っ気ないくらいの空気感が二人の間には流れている。
電車が揺れてもぶつからない程度の距離をとり、たまにちらっと視線を交わして一言二言話す二人は、まあ一般的な友達としてはそれほど違和感なく見えるし、私もすっかりこんな二人の雰囲気に慣れてしまっている。
でも、漣は本来、体育会系にありがちな距離感がバグっているタイプだ。小中学生の頃から今に至るまで、学校では友達に寄りかかったり肩を組んだりしている姿をよく見かけるのに、いつの間にか理来にだけこうして距離を取るようになった。
理来の方も、一見、何事に対しても冷めている真面目一辺倒の人間に見えるけど、冗談が好きだし、友達と話してゲラゲラ笑っている姿もよく見かける。しかし、やっぱり中学くらいから漣に対してだけいまいち歯切れが悪い。
前に二人から否定はされたけど、このお互い意識しまくっている態度が、好きだからじゃないとしたらなんだと言うんだ、と改めて二人の顔を順に見ると、漣はどうした?とでも言いたげに眉をあげて少し微笑み、理来はちらっと私を見て「そろそろドア開くぞ」と言ってきた。
慌てて寄りかかっていた背中を離し、直後に開いたドアからホームに降りる。
改札を出て、学校に向かって歩き出したところで、私はそろそろいくか、と横を歩く理来に少しだけ身体を寄せ、顔をのぞきこんだ。たぶん今日このあと三人が揃うことはないから、当て馬ガールとして動くとしたら、ここしかないだろう。
記念すべき最初のミッション。理来と二人きりで出かける約束をするところを漣に見せつけて嫉妬させる。
「そういえばさ、理来。今日の放課後、数学の参考書買うの付き合ってほしいんだけど。理来チョイスなら安心だし」
ちょっと甘えたように言った私を見下ろし、理来は怪訝そうな顔をする。
「もうすぐ期末なのに、今? 目の前のテストから逃避しようとしてんのか?」
確かに、ただでさえ勉強しなければいけないこの時期に、今すぐ必要のない参考書を買うのは謎すぎる。理来イコール勉強イコール参考書、という短絡的な考えで誘ってしまった私は、へへへ、ととりあえず笑ってみせた。
「逃避とかそういうわけではないんだけどー」
「じゃあ夏休みに入ってからでいいだろ。っていうか、漣も絶対必要だし野球の大会が終わったら三人で本屋行くか。良さそうなの見繕ってやるよ」
「……よろしくお願いしまーす」
生来の考えなしゆえに、最初のミッションを失敗した私はすごすごと引き下がる。
そして、ここ数日BL漫画に夢中だったせいで、一応勉強もしていたけど全然頭に入ってこなかったことを思い出し、大人しく帰ってまずは勉強しないとな、とため息をついたのだ。
*
「受験生は夏が勝負だって言うのも分かるけどさ」
哉子が、ジューッとキャラメルフラペチーノを飲む。カップを持つ指にはひまわりカラーのネイルが載っている。
「17歳の夏は今年しかないんですけどって思うわ」
「私、17歳の夏は去年やった」
「そういうことじゃないのよ」
今日は終業式だった。当然のことながら、先生からはしっかり夏は勉強しろよとプレッシャーをかけられまくってきた。
「勉強もそりゃするけど、やっぱ17歳の夏にしか感じられないエモさとかそういうものを大事にしたいわけ。私は」
「なるほどね」
「ってなわけで、夏も遊ぼうな」
「もちろんっす」
指ハートを作ると哉子からも指ハートが返ってきた。
「で、具体的にどんなことしたいとかあんの?」
アイスチャイラテを飲みながら聞くと「まずは」と哉子がおもむろにスマホを差し出してくる。
覗き込むと、この前貸してもらったシリーズもののBL漫画の絵がまず目に飛び込んできた。他にもさまざまなBLっぽい絵が載っていて、どうやらポスターらしいが、サムネなので小さくて文字がよく読めない。
「……これは?」
「この前貸した漫画を連載してる雑誌の十周年記念展やるんだって。渋谷で」
「へー」
「というわけで、私の夏を最高なものにするために一緒に行ってほしい!」
「エモい夏のために?」
「エモい夏のために!!」
お願い、とポーズをとる哉子に笑ってしまう。
「夏関係なくない?」
「いやいや鈴音さん。夏にやるから夏っぽいグッズとかも販売されるわけですよ」
「そういうもんなんだ」
「しかも夏ってエッチじゃん。BLにぴったり」
「それはよく分かんない」
「まあ冬は冬で寒いからこそくっつきイベントが発生しやすいから捨てがたいけどな……」
夏と冬、どちらがBLにより合うかをストローをくわえたまま真剣に考え始める哉子の前で、私も18歳の夏について考える。
昨年までは、夏休みもずっと漣は部活だったから、三人で出かけたのはマンション近くの商店街でやっていた夏祭りくらいである。でも、今年は漣も部活を引退すれば遠出もできるかもしれない。甲子園までいったとしても、八月後半になれば一日くらい遊べるはずだ。理来だって、もう大学がほぼ決まったわけだから大丈夫だろう。
――来年の夏は理来はいないわけだし、思い出作らないとな
そう考えとたん、急に胸がぎゅっとなった。
去年までは、どっかに出かけることはなかったとしても、夜には三人で理来の家に集まって一緒に宿題をしたりダラダラと喋ったり、誘い合ってコンビニにアイスを買いにいったり、週の半分以上はなんだかんだと会っていた。たぶん今年もそうやって過ごすことになるだろう。
でも、それももう、最後ということだ。
理来がいなくなるという事実が、ふいにリアルな質感を伴って迫ってくるのを振り払うように、私は思い出を作るならどこがいいかということに考えを切り替える。
ちょっと特別感があって、ついでに言えば、当て馬ガールとしても活躍できるところがいい。
今も、当て馬ガールとして頑張ろうと、理来と漣と三人でいるときに理来のことを褒めてみたり、理来のことをつついたり肩をたたいたりとスキンシップを増やしてみたりしているが、二人とも悲しいくらい無反応で、もうちょっとどうにかしないと、と思っているところである。
「やっぱ夏だわ」
結論が出たらしい哉子が頷くのに対し「ちなみにBL漫画で夏に出かけるとしたらどこなの?」と聞いてみる。
「定番は夏祭りとか花火大会とかじゃない? それで友だちと会っちゃったり当て馬が出てきたりして邪魔が入るところまでが様式美。あとどっちかの浴衣姿にドキッとするとか、女友達の浴衣姿に見とれていると勘違いして喧嘩勃発とか、まあいろいろ関係性が進むきっかけになりやすいよね」
「夏祭りかー」
なんなら、そのままエロい展開にも、と続ける哉子の言葉を聞き流して考えてみる。
たぶん夏祭りは今年も行くだろうし、花火も毎年マンションの最上階から三人で眺めているから、あまり特別感はない気がする。浴衣も中学までは毎年着てたし、今さら私の当て馬度をあげてくれるとも思えない。ってか、当て馬度ってなんだ。
「それから海も鉄板かな。お互いの身体を見て意識する、みたいな。それで言えば、プールもあるけど、まあ、プールだとなんかもっとエロイ感じになることが多いよね」
「なぜ……?」
「あとは水族館とか? あー、あとあれ。遊園地に行ってお化け屋敷とか」
「……」
「ほら、ああいうとこって二人組とかで行くことが多いし、怖くてくっついちゃうとかってのもあるあるじゃん。でも、お化け屋敷なら文化祭とかのほうがメジャーかもね」
「持つべきものはBLに詳しい友達だと思いました」
「なんの感想?」
疑問そうに私を見ながらも、あ、あとは出かけるとは違うかもしれないけどサークルの夏合宿とか、とイキイキと続ける哉子に感謝をこめて相槌を打ちつつ、私は頭の中で当て馬ガールとしての計画を練り始めた。
エントランスのガラス扉越しに、梅雨の合間のやけにピカピカした空を見上げる。
飛行機がのんびりとゆったりと横切っているのをなんとなく目で追っていると「おはよ」と後ろから声がかかった。
「おはよ」
振り向いて理来に返事をする。
「何見てたの」
「飛行機」
空を指さすと理来も眩しそうに眼をすがめながら、ガラス越しに見上げた。
「なんかさ、飛行機ってすごい速く飛んでるはずなのに、のんびり飛んでるように見えるよね。乗ってるときもそんなにスピードが出てるなんて思えないし、見てる人も乗ってる人も速いって感じないって不思議」
「慣性の法則って知ってるか……?」
「知ってますー」
呆れたような理来に私は口を尖らせてみせる。
「知ってても感覚で納得できないって話。それに、見てるときにゆっくり見えるのは慣性の法則関係ないじゃん」
「そっちは三角関数を使えば理解できるはず」
「……不思議だなぁって思う純粋な気持ちを大事にしたいなと思います」
「なんでだよ。そういう興味から数学が楽しくなるかもしんねーのに」
「楽しんでる余裕がないんだって。もう指定校推薦が決まった人は受験も終わったようなもんだろうけど、こっちはこれからが本番よ?」
「受験勉強するにも楽しんだほうがいいじゃん」
「楽しめないっつーの。これだから頭のいいやつは……」
「ほめてくれてどーも」
「ほめてないし!」
「おはよ。どうしたの」
また後ろから声がかかり、理来と一緒に振り返って「おはよ」「はよー」と漣に挨拶をする。
そのまま私を真ん中にして三人でエントランスを出ながら、理来がマウント取ってきてクソむかつくんだけどと漣に言いつけようとして、いかんいかんと言葉を飲み込む。
私は当て馬ガールなのである。クソむかつくとか言ってる場合ではない。
「飛行機がゆっくり見えるのが不思議だなって思ってたら、理来が三角関数で説明できるって言うの。すごくない? やっぱり頭いいんだなって」
代わりに、にこっとして漣にそう言うと「さっきまで文句言ってただろーが」と横から理来のツッコミが入る。
それを華麗にスルーし、私は漣に続けて話しかけた。
「ね、今度漣も一緒に教えてもらわない? 数学が楽しくなるかもって」
「まあ俺は今、三角関数って言われて、頭に何も浮かんでこないレベルなわけだけど」
「ヤバいな」
「ヤバいね」
「夏休み、頑張ります……」
情けない顔をした漣の背中をドンマイ、と叩き、私たちは駅へと足を向けた。
*
電車のドアに寄りかかるようにして立った私の視界の隅に、うちの高校の女子たちが映る。
ひそひそと話しながら、こちらに向けられる視線はあまり好意的なものではない。別にそんなんで傷つくことはないけど、正直なところダルい。
小さくため息をついてその子たちがいるのとは別の方向に顔を向けると、やはりこっちを見ていたらしい同じ高校の別グループの女子たちと目が合ってしまった。軽く睨まれたのは気のせいではないだろう。
こっちもかよ、と思いながら仕方なく誰も視界に入らないように目線を下げ、電車のドアに寄りかかった私をガードするかのように目の前に並んで立っている二人の大きな手を見る。
理来と二人のときも視線を感じることはあるけど、今日はテスト期間に入って朝練がない漣も一緒だから、なおさら見られている気がする。
生徒会長をしている、頭が良くてクールな理来。
野球部のレギュラーで、優しく笑顔が可愛い漣。
どちらもそこそこモテるのに彼女を作らないため、実は理来と漣は幼馴染の私のことを好きでこの高校へ追いかけてきたらしいという少女漫画のような噂が、三年になった今でも根強くある。
そしてその噂にコバンザメのようにくっついて回っているのが、私が二人のどちらかを選ぶことなくずっと両方をキープしている嫌な女であるというレッテルだ。そのせいで女子からは敵意を向けられることが多いし、男子からは若干距離を置かれていたりする。
――本当にただの幼馴染でしかないんだけどね、私は。
心の中で呟いた私は、触れそうで触れない二人の手をじっと見続けた。
理来と漣と私は、同じ分譲マンションに住む幼馴染だ。
生まれたときから住んでいる理来と私、そして二歳のときに引っ越してきた漣は、幼稚園、小学校、中学校はもちろんのこと、高校までもなぜか三人で同じところに通っている。
と言っても、私がこの高校にいるのは不思議でもなんでもない。偏差値的にぴったりで、家からも通いやすく、先生も親も私も満場一致でここを選んだくらいだ。今も、成績は真ん中より少し上くらい、際立って目立つ何かを持っているわけでもなく、見た目もギャル寄りではあるけどそんなに派手ではない。理来と漣と幼馴染でなければ注目されることもなかったであろう、いたって平凡な生徒である。
じゃあ私よりも数段賢い理来がなぜこの高校に来たかといえば、やはり家から電車で一本で通えるから便利だということ、そして指定校推薦を狙いたいからというのが理由だった。結果、希望通り指定校推薦を勝ち取ったのだから、その選択は正解だったということだ。
一方の漣は、偏差値的に無理かもと言われていたが、強豪校と呼ばれるうちの野球部でプレーしたいという夢のために頑張って合格し、二年生の時から5番の背番号を背負ってサードを守っている。期末テストのあとには高校生活最後の地方大会が控えていて、テスト期間中の今も朝練こそないものの放課後は野球漬けだ。
つまり、三人が同じ高校にいるのにはちゃんと理由があるわけだけど、いくら説明したところで、人間と言うのは物事を見たいようにしか見ない生き物だということを理解した今では、わざわざ私たちに関する噂を否定することもなくなった。勝手な憶測だけで面白おかしく噂するようなやつらに、懇切丁寧に私たちのことを教えてやる必要なんてない。
まあそれでも、さっきのように私を睨んでくるような女子には、あんたが睨むべきは私じゃないよって、言いたくなるときもある。
ただの幼馴染じゃないのは、理来と漣のほうだからねって。二人は結婚式までしたんだからって。
もちろん、私たちの大事な大事な思い出を他人に興味本位で踏み荒らされたくはないから、そんなことは言わないけど。
公園の滑り台の下にある色褪せたピンクのドームの中、こっそりと執り行われた秘密の結婚式。三人で協力して作ったちょっと不格好なシロツメクサの冠と花束。細く切った銀色の折り紙を丸めてセロハンテープで留めた指輪。神父役の私の前でお互いの頬にされた誓いのキス。
なんだかくすぐったいような気持ちで、三人で顔を見合わせてくすくすと笑ったあの日のことは十年経った今でも鮮明に覚えているし、これからも忘れることはないだろう。
間もなく学校の最寄り駅に着くというアナウンスが聞こえて、私は顔をあげた。
電車の中では、身長が違いすぎて会話がしにくいこともあり、私が話すことはほとんどない。そうすると、理来も漣もあんまり話さず、今も、少し素っ気ないくらいの空気感が二人の間には流れている。
電車が揺れてもぶつからない程度の距離をとり、たまにちらっと視線を交わして一言二言話す二人は、まあ一般的な友達としてはそれほど違和感なく見えるし、私もすっかりこんな二人の雰囲気に慣れてしまっている。
でも、漣は本来、体育会系にありがちな距離感がバグっているタイプだ。小中学生の頃から今に至るまで、学校では友達に寄りかかったり肩を組んだりしている姿をよく見かけるのに、いつの間にか理来にだけこうして距離を取るようになった。
理来の方も、一見、何事に対しても冷めている真面目一辺倒の人間に見えるけど、冗談が好きだし、友達と話してゲラゲラ笑っている姿もよく見かける。しかし、やっぱり中学くらいから漣に対してだけいまいち歯切れが悪い。
前に二人から否定はされたけど、このお互い意識しまくっている態度が、好きだからじゃないとしたらなんだと言うんだ、と改めて二人の顔を順に見ると、漣はどうした?とでも言いたげに眉をあげて少し微笑み、理来はちらっと私を見て「そろそろドア開くぞ」と言ってきた。
慌てて寄りかかっていた背中を離し、直後に開いたドアからホームに降りる。
改札を出て、学校に向かって歩き出したところで、私はそろそろいくか、と横を歩く理来に少しだけ身体を寄せ、顔をのぞきこんだ。たぶん今日このあと三人が揃うことはないから、当て馬ガールとして動くとしたら、ここしかないだろう。
記念すべき最初のミッション。理来と二人きりで出かける約束をするところを漣に見せつけて嫉妬させる。
「そういえばさ、理来。今日の放課後、数学の参考書買うの付き合ってほしいんだけど。理来チョイスなら安心だし」
ちょっと甘えたように言った私を見下ろし、理来は怪訝そうな顔をする。
「もうすぐ期末なのに、今? 目の前のテストから逃避しようとしてんのか?」
確かに、ただでさえ勉強しなければいけないこの時期に、今すぐ必要のない参考書を買うのは謎すぎる。理来イコール勉強イコール参考書、という短絡的な考えで誘ってしまった私は、へへへ、ととりあえず笑ってみせた。
「逃避とかそういうわけではないんだけどー」
「じゃあ夏休みに入ってからでいいだろ。っていうか、漣も絶対必要だし野球の大会が終わったら三人で本屋行くか。良さそうなの見繕ってやるよ」
「……よろしくお願いしまーす」
生来の考えなしゆえに、最初のミッションを失敗した私はすごすごと引き下がる。
そして、ここ数日BL漫画に夢中だったせいで、一応勉強もしていたけど全然頭に入ってこなかったことを思い出し、大人しく帰ってまずは勉強しないとな、とため息をついたのだ。
*
「受験生は夏が勝負だって言うのも分かるけどさ」
哉子が、ジューッとキャラメルフラペチーノを飲む。カップを持つ指にはひまわりカラーのネイルが載っている。
「17歳の夏は今年しかないんですけどって思うわ」
「私、17歳の夏は去年やった」
「そういうことじゃないのよ」
今日は終業式だった。当然のことながら、先生からはしっかり夏は勉強しろよとプレッシャーをかけられまくってきた。
「勉強もそりゃするけど、やっぱ17歳の夏にしか感じられないエモさとかそういうものを大事にしたいわけ。私は」
「なるほどね」
「ってなわけで、夏も遊ぼうな」
「もちろんっす」
指ハートを作ると哉子からも指ハートが返ってきた。
「で、具体的にどんなことしたいとかあんの?」
アイスチャイラテを飲みながら聞くと「まずは」と哉子がおもむろにスマホを差し出してくる。
覗き込むと、この前貸してもらったシリーズもののBL漫画の絵がまず目に飛び込んできた。他にもさまざまなBLっぽい絵が載っていて、どうやらポスターらしいが、サムネなので小さくて文字がよく読めない。
「……これは?」
「この前貸した漫画を連載してる雑誌の十周年記念展やるんだって。渋谷で」
「へー」
「というわけで、私の夏を最高なものにするために一緒に行ってほしい!」
「エモい夏のために?」
「エモい夏のために!!」
お願い、とポーズをとる哉子に笑ってしまう。
「夏関係なくない?」
「いやいや鈴音さん。夏にやるから夏っぽいグッズとかも販売されるわけですよ」
「そういうもんなんだ」
「しかも夏ってエッチじゃん。BLにぴったり」
「それはよく分かんない」
「まあ冬は冬で寒いからこそくっつきイベントが発生しやすいから捨てがたいけどな……」
夏と冬、どちらがBLにより合うかをストローをくわえたまま真剣に考え始める哉子の前で、私も18歳の夏について考える。
昨年までは、夏休みもずっと漣は部活だったから、三人で出かけたのはマンション近くの商店街でやっていた夏祭りくらいである。でも、今年は漣も部活を引退すれば遠出もできるかもしれない。甲子園までいったとしても、八月後半になれば一日くらい遊べるはずだ。理来だって、もう大学がほぼ決まったわけだから大丈夫だろう。
――来年の夏は理来はいないわけだし、思い出作らないとな
そう考えとたん、急に胸がぎゅっとなった。
去年までは、どっかに出かけることはなかったとしても、夜には三人で理来の家に集まって一緒に宿題をしたりダラダラと喋ったり、誘い合ってコンビニにアイスを買いにいったり、週の半分以上はなんだかんだと会っていた。たぶん今年もそうやって過ごすことになるだろう。
でも、それももう、最後ということだ。
理来がいなくなるという事実が、ふいにリアルな質感を伴って迫ってくるのを振り払うように、私は思い出を作るならどこがいいかということに考えを切り替える。
ちょっと特別感があって、ついでに言えば、当て馬ガールとしても活躍できるところがいい。
今も、当て馬ガールとして頑張ろうと、理来と漣と三人でいるときに理来のことを褒めてみたり、理来のことをつついたり肩をたたいたりとスキンシップを増やしてみたりしているが、二人とも悲しいくらい無反応で、もうちょっとどうにかしないと、と思っているところである。
「やっぱ夏だわ」
結論が出たらしい哉子が頷くのに対し「ちなみにBL漫画で夏に出かけるとしたらどこなの?」と聞いてみる。
「定番は夏祭りとか花火大会とかじゃない? それで友だちと会っちゃったり当て馬が出てきたりして邪魔が入るところまでが様式美。あとどっちかの浴衣姿にドキッとするとか、女友達の浴衣姿に見とれていると勘違いして喧嘩勃発とか、まあいろいろ関係性が進むきっかけになりやすいよね」
「夏祭りかー」
なんなら、そのままエロい展開にも、と続ける哉子の言葉を聞き流して考えてみる。
たぶん夏祭りは今年も行くだろうし、花火も毎年マンションの最上階から三人で眺めているから、あまり特別感はない気がする。浴衣も中学までは毎年着てたし、今さら私の当て馬度をあげてくれるとも思えない。ってか、当て馬度ってなんだ。
「それから海も鉄板かな。お互いの身体を見て意識する、みたいな。それで言えば、プールもあるけど、まあ、プールだとなんかもっとエロイ感じになることが多いよね」
「なぜ……?」
「あとは水族館とか? あー、あとあれ。遊園地に行ってお化け屋敷とか」
「……」
「ほら、ああいうとこって二人組とかで行くことが多いし、怖くてくっついちゃうとかってのもあるあるじゃん。でも、お化け屋敷なら文化祭とかのほうがメジャーかもね」
「持つべきものはBLに詳しい友達だと思いました」
「なんの感想?」
疑問そうに私を見ながらも、あ、あとは出かけるとは違うかもしれないけどサークルの夏合宿とか、とイキイキと続ける哉子に感謝をこめて相槌を打ちつつ、私は頭の中で当て馬ガールとしての計画を練り始めた。