(ひなた)の元カノゆうちゃんが泉くんに抱き着いた後。ゆうちゃんが陽の元カノだと知っているクラスメイトたち(陽はゆうちゃんと付き合ってた時に周りに言いふらしていた)は、これから修羅場が起きるぞ、と固唾を飲んで陽、泉くん、ゆうちゃんの3人を見つめていた。
「ゆう、ジブンひなと付き合ぉてたんやろ。それやのにこんなことして、何してんねん」
 泉くんは冷たい目でゆうちゃんを見下ろして、言った。泉くんの瞳が怖過ぎて、見ているだけで寒気がしてくる。とてもじゃないけど、女の子に向ける目ではない。2人は幼馴染なはずなのに、なんでこんなにも険悪な雰囲気なんだ。
 関係のない俺でさえ震えるほど泉くんは怖い顔をしているのに、ゆうちゃんはそれでも怯まなかった。
「ひなちゃんとは、遊びだったんだもん。私の好きな人は、昔も今も、としくんだけだよ」
 ゆうちゃんはそう言うと、ぎゅっと泉くんに抱き着いた手に更に力を込めた。
「ひ、陽、大丈夫か?」
 思わず、陽の肩に手を置いた。「ゆうちゃんは優しい子だ」と言っていたし、陽にしては長く付き合いが続いていたので、ゆうちゃんのあんな言葉を聞いたら傷ついたはずだ。だけど陽はショックを受けた風でもなく、「あーいやあ……あはは、俺も本気じゃなかったし」なんてへらへらと笑っている。この3人、どういう関係性だよ。わけわからん。
 俺が混乱していると、泉くんが動いた。抱き着いてきたゆうちゃんを、無理矢理自分からはがし、突き飛ばす。ゆうちゃんは転びはしなかったものの、ふらりとよろめいた。
「俺、前にはっきり断ったよな。『ゆうを好きになることはあれへん。他に好きな人がおるから』って。ジブンがこないしていつまでもひなを巻き込むから、ひなは俺のことを……ッ!」
 泉くんはそこまで喋って、何かを思い出したようにハッとした顔になる。そして陽を見つめ、口をつぐんでしまう。え、何。話の続きが気になるんだけど。前々から陽と泉くんの、幼馴染にしては微妙な距離感が気になってはいた。まさか、ゆうちゃんの存在が原因だったんだろうか。
 それにしても、この3人の関係性が複雑なので頭がこんがらがってきた。俺は声を潜めて、隣にいた豊騎に「この状況ってどういうことなんだろうね」と聞いてみた。豊騎は神妙な顔をして泉くんを一瞬眺めてから、俺を見つめる。そして、やれやれと呆れたように頭を横に振った。
「一目瞭然だろ。ゆうって女は、泉を振り向かせるためにわざと陽と付き合った。陽は全部わかった上で、泉に見せつけるため芝居してたんだ」
「え、泉くんに見せつけるため? なんで?」
「そりゃ泉が陽のことを諦めて、ゆうとやらと付き合うように、だろうが」
 豊騎の言葉を聞いて、脳内に衝撃が走る。
「泉くんって陽のことが好きなの!?」
 なけなしの理性が働いたおかげで、俺は小声のまま叫んだ。豊騎は「だから見りゃわかんだろ、アホ」と俺を小馬鹿にした。
 豊騎は前から気づいていたらしいけど、泉くんがまさか陽のことを好きだったなんて。青天の霹靂だ。男同士だからびっくりとかではなく、泉くんは頭がよくて自分にも他人にも厳しいタイプだし、目つきも悪いし(これは関係ないか)、陽みたいなチャラついている人間は好きにならないと思っていたから。人の恋路って、よくわかんないもんだなあ。
「……あー、みんな、文化祭の途中なのに騒いじゃってごめんね。とっしー、俺からもいっこ話していいかな?」
 気がつけば、陽が泉くんとゆうちゃんの前に立ち、2人を見据えていた。泉くんと比べると、陽はキャラに似合わず落ち着き計らっている。なんだか知らない人があそこにいるみたいだ。
 陽は静かな声で、泉くんに語りかけた。
「とっしーもゆうちゃんも、俺にとって大事な幼馴染だよ。でもゆうちゃんに優しくないとっしーは、嫌いだ」
 そう言った陽は、顔から微笑みを取り去る。初めて見る、陽の険しい表情。いつも笑っているやつの真顔って恐ろしいものなんだ、と気づく。泉くんは陽の逆鱗に触れてしまったのか。こんなに怒っている陽は、見たことがなかった。
「そないして、今回もゆうを庇うんやな。ひなは……」
 泉くんは涙を滲ませながら言って、教室を走り去っていった。教室内は、騒然となる。チャラ男代表の陽がキレたかと思ったら、今度はいっつも怖い顔をしている泉くんが泣きだしたんだから、当然だ。
 ゆうちゃんはすぐに走っていった泉くんを追いかけようとしていたが、陽にそれを止められていた。泉くんはどこへ行ったんだろう。
「俺、泉くんを探してくる!」
 豊騎に声をかけると、豊騎は「俺も行く」と歩き出そうとした。けれど、衣装係兼、接客係の伊藤さんが豊騎の手を引いて止めに入る。
「伊佐敷くんは行かないで。うちのクラスの稼ぎ頭なんだから」
 そうだった。豊騎の写真代だけでクラスの売り上げはとっくに経費分を超え、前代未聞の金額を達成しそうなのだ。もう女子とツーショット写真を撮りたくない豊騎は恨みがましい目で俺を見ていたが、仕方ない。俺は伊藤さんの指示通り、豊騎をその場に置いてひとりで教室を後にした。

 ***

 泉くんを探して学校の周りを歩き、10分ほど経った頃。商店街の中に入ると、とあるゲームセンターで泉くんを見つけた。
「クソクソクソクソクソ!」
 一生分の「クソ」を連呼しながら、泉くんは筐体のボタンを連打している。怖過ぎる。心配で探しに来たんだけど、やっぱり引き返そうかな。そう思っていたら、泉くんが視線に気づいたのか、こちらを振り返った。
「あれ、天辰(あまたつ)。こないなとこでなにしてんねん」
「……一応、泉くんを探しにきたんだけど」
 むしろそれ以外にどんな用事があったら、文化祭を途中で抜け出してこんなところに来るというんだ。そう言ってやりたかったけど、俺は泉くんの目つきが未だに怖いので、黙っておいた。すると泉くんは手を止めて、「ほな、茶でもしばくか」と言った。
「はあ、やっぱこれやわ」
 コンビニの軒先にしゃがみ込んだ泉くんは、さっきコンビニで買ってきたキャラメルラテを啜って、満足そうに笑っている。好きな飲み物を飲んだら、少し機嫌が直ったらしい。泉くんは顔に似合わず(と言ったら失礼だけど)甘いものが好きなのだ。俺はカフェラテを啜り、今頃文化祭は無事に終わったのかなあ、なんて考えた。
「今日は天辰にも迷惑かけてしもたな。すまん」
「泉くんが謝ることないよ。陽にあんな態度取られたら傷つくの、わかるし。泉くんは陽のことが好きなのに……あっ」
 そこまで言いかけて、泉くんが陽を好きなことは本人に言うべきじゃなかったと思い、俺は口を手で押さえた。完全にやってしまった、と冷や汗をかいていたけど、泉くんは照れくさそうに「なんや、天辰にもばれてたんか」と笑うだけだった。
「あんなキレ方してたら、そらばれるやんな。陽にもばれてるやろうな」
 どうだろう。陽は泉くんが自分を好きなこと、気づいているんだろうか。豊騎が言うには「陽は泉が自分を諦めるように仕向けてた」らしいけど。
「俺、小学5年生の時にこっちに越してきてな。初めは関西弁を馬鹿にされたし、友達の作り方もわからのうて。そんな頃、ひなとゆうに出会うたんや」
 泉くんはそこまで言って、またキャラメルラテをひとくち啜る。懐かしい思い出を語る彼の顔は、どこか悲しそうに見える。
「ひなはな、今はあんなチャラついとるけど、あの頃はしっかりした子やった。いつも内気やった俺とゆうのことを引っ張ってくれて。惚れてまうのに、時間はそうかからんかった」
「そういや……俺が陽を好きなこと、天辰はキモがらへんのか?」
 思い出したように聞いてくる泉くんへ、「人妻を好きな男子高校生だっているんだから、それくらい普通だよ」と言う。「ああ、そういやそうやったな」と泉くんは笑った。泉くんも未だに俺の性癖は人妻だと誤解してるみたいだ。
「3人の関係が崩れ出したのは、ゆうが俺に告白してからやった。ひなが、あからさまに俺を避け出したんや」
「そうなんだ?」と俺が聞くと、泉くんは頷く。陽が泉くんを避けていたから、同じ高校なのに1年の時、陽から泉くんの話を聞かなかったわけか。今になって、数か月前に覚えた違和感の謎が解けた。同じクラスになったら避け続けるのも難しくて、また陽は泉くんと普通に話すようになった、らしい。陽は優しいんだか、冷たいんだか、よくわからないやつだ。
「あいつ、ゆうのことが好きなんやろか。俺、告白する前にふられてもうたんかな」
 泉くんが俯くと、アスファルトの地面に雨が降る。泣くほど好きな相手に自分の気持ちを拒絶されるなんて、泉くんのつらさは俺なんかには1ミリも理解することなんて出来ないだろう。ずるずるとその場にうずくまってしまった泉くんの背中を、ゆっくりとさすった。
 市内に流れる無線から、夕方のチャイムの音楽が流れ始める。もうすぐ日没の時間だ。
 そろそろ帰らないと。でも泣いている泉くんを放って帰るわけにもいかない。どうしようと悩んでいると、商店街の向こう側から見知った人影がふたつ現れた。
「あっれー、2人ともこんなとこにいたんだ」
 陽は、教室で泉くんと喧嘩したことなんてなかったかのように、普段通りの口調で言った。隣にいる豊騎は、俺に向かって「連絡くらいしろよ! 迷子のお知らせで呼び出すとこだったぞ」と文句を言う。
「とっしーはまだ泣いてんの? もう俺っち怒ってないから。泣き止んでよ~」
 泣いている泉くんを目ざとく見つけた陽が、そう言って泉くんの涙で濡れていた頬を袖で拭った。泉くんは気まずそうに下を向いている。こんな2人を見ていると、さっき泉くんが話していた「ひなは昔しっかりした子だった」というのは本当だったんだな、とわかる。
「え、ゲーセンにいたんだ。いいなー。俺もなんかやろっと」
 泉くんからさっきまでゲーセンにいた話を聞きつけたらしい陽は、ゲーセンの店頭に置いてあるUFOキャッチャーコーナーに走っていった。さっきは泉くんのことがあってよく見てなかったから、と俺も見に行く。そしたら、あるものを見つけた。
「ピザまるくん!」
 UFOキャッチャーの景品を指差して、俺は思わず叫んだ。そこには俺が今ドはまりしているキャラクター、ピザまるくんのぬいぐるみがあったからだ。ピザまるくんはピザと秋田犬から生まれた新種の犬なのだ(という設定)。まだあまりキャラクターグッズがなくて、シールくらいしか商業化されていなかったから、このぬいぐるみは貴重だ。
 筐体のガラス部分に両手をつき、覗き込む。ぬいぐるみをよくよく観察すると、チーズがとろっと溶けだしていて、サラミやピーマンが乗っているところまで、忠実に再現されていた。これは絶対にほしい!
「何これ、気持ちわるッ」
 豊騎がピザまるくんを目にして悪態をつく。即座に「失礼な!」と怒り、俺はいそいそと小銭を筐体に入れ、ボタンを操作し始めた。
「うーん……あっ、惜しい。あともうちょっとなんだけどなあ……」
 それから持ち金の2千円が全部なくなるまで粘ってはみたものの、ガラスケースの中にいるピザまるくん人形はピクリとも倒れなかった。項垂れていると、背後から「どけ」と豊騎の声が聞こえた。素直にどくと、豊騎はお金を筐体に入れてピザまるくんを睨みつけた。そして、「……よし」と自分を鼓舞するように頷いてから、ボタンを押し始める。俺たちが緊張した面持ちで見守る中、なんと豊騎はピザまるくん人形をゲットすることに成功した。
「やったあ! 豊騎すげえ」
 大喜びでぴょんぴょんその場で跳ねていると、人形を取り出し口から取った豊騎は、「ん」と言って、俺に差し出してくる。
「え、え、くれんの!?」
「うん、やるよ。こんなんほしがるのお前くらいだし」
「ありがとー豊騎!」
 なんだかんだ言って、豊騎はいつも俺を助けてくれるいいやつだ。テンションがぶち上がって、俺はどさくさに紛れて豊騎に抱き着いてしまった。やってからマズった! と反省したけど、豊騎もまんざらでもなさそうだ。笑っている。
 そんな俺たちを見て何かを考えているようにあたりを見回していた泉くんは、何かお目当てのものを見つけたらしい。そそくさと姿を消したと思ったら、数分後にすぐ戻ってきた。その手には、目つきの悪いペンギンキャラの小さいぬいぐるみを持っている。
「ひな、このキャラ好きやったよな?」
「うわ、よく覚えてたねー」
「……やる」
「おー。ありがと」
 泉くんは今日あんなことがあって落ち込んではいたけど、まだ陽のことを諦める気はないようだ。頑張れ、泉くん。俺と豊騎は、泉くんに向けてガッツポーズを作った。陽と泉くんが今後どういう関係になっても、こうやってみんなで遊べますように。そんな祈り込めて、俺はピザまるくんのぬいぐるみを抱き締めた。
「あ、そうだ。久美子さんの分もなんか取ってくか」
 帰り際、豊騎が呟く。
 豊騎はいつも俺を助けてくれるいいやつ――つい一瞬前、俺はそう思った。けど、前言撤回。やっぱあいつ、俺の母さんに取り入りたいだけなのかも。