「みんなにお知らせ~! 俺っち、新しい彼女が出来ましたあ。てへッ」
 高校2年生になってまだ1か月しか経っていない、そんなある日の昼休み。ふらりと教室からいなくなっていた真子陽(まごひなた)は、教室に戻って来るなりそんな重大発表を俺たちにかましてきた。
「てへ、じゃねえよ。帰れ帰れ」
「……チッ、クソがよお……」
 え、そんな怒る? 俺は普通に「おめでとう」なんてお祝いの言葉を贈ったのに、俺以外の2人の反応が怖い。豊騎(あつき)(いずみ)くんが悪態をつくのを聞いて、俺は少し震えた。豊騎の毒舌はいつものことだからまだ耐えられるけど、泉くんは怖過ぎるでしょ。ただでさえ目つきがその筋の人もびっくりの鋭さなんだから。
「ふえええん、怖いよ(そう)ちゃーん!」
「いや俺に助け求めんなって。あの2人に勝てるわけないじゃん」
 2人が怖かったのは陽も同じだったようで、情けない顔をして抱き着いてくる。その途端、泉くんがギロリと俺のほうを睨みつけてきたので、急いで陽の腕を払い落とした。「痛いよ想ちゃん……」と陽からは泣き(ごと)を言われたけど、そんなのどうでもいい。   
 泉くんは悪い人じゃない。豊騎なんかと比べたらむしろ良い人だ。知り合ってまだ日は浅いけど、よくわからなかった授業のノートを貸してくれたり、頭が良いから勉強を教えてくれたりする。たぶんこれからテスト期間にはお世話になるんだろうな、と思っているくらいだ。ただ、陽が絡むとたまに人が変わるんだよな。なんでだろう。
 泉くんの奇行に俺が頭を捻っていると、さっさと復活した陽が豊騎を相手に彼女の写真を自慢していた。
「どう、俺っちのニュー彼女。可愛いっしょ」
「アーカワイイ、カワイイネー」
「気持ちこもってなーい!」
「当たり前だろ。馬鹿の彼女が誰だろうと興味ねえわ」
「ひど! いいもん、想ちゃんに見せるから。想ちゃんはあっくんみたいに酷いこと言わないもんねー」
 陽がそう言って、スマホの画面を見せつけてくる。誉め言葉を求めているんだろう。
 陽は机にもたれかかると、期待に満ちたキラキラした瞳で俺を見上げてくる。
「……あー、うん。優しそうな子、だね? 今度は長続きするといいな」
 写真の中の女の子は、なんとも言いにくい風貌の子だった。陽の歴代の彼女と比べると、かなり異質ではあった。大人しそうで、華はないものの品と育ちの良さそうな顔をしている。着ている制服は、同じ市内の女子高のものだ。なんでこんなきちんとした女子が陽と付き合うことになったのか。謎だ。
「えへへ、あんがと。そーなの、ゆうちゃんはすんごい優しい子なんだあ」
 俺の反応に満足したらしい陽は、へにゃへにゃと嬉しそうに笑っている。彼女の名前はゆうちゃんというのか。ゆうちゃん、奇特な人だ。陽は去年の1年間、短期間で彼女をとっかえひっかえしていたので、ゆうちゃんが傷つかなければいいけど。
 俺が会ったこともない陽の彼女の未来を憂いている間に、陽はクラスの女子たちの中へ割って入っていって、「これ俺の彼女~」と写真を見せて回っている。
「チイッ……!」
 盛大に舌打ちをする泉くん。幼馴染の陽に先を越されたのがそんなに悔しいのか。それとも、自分は女子から一歩引かれてるのに(目つきが悪過ぎるせいだ)、陽は女子と仲良いのが許せないのか。どっちにしろ怖過ぎるので、早く機嫌を直してもらいたい。
 豊騎はどうか、と後ろを振り返ってやつの様子を伺ってみた。俺の母親に毎朝持たされている弁当を、しっかり味わいながら食している。ちょうどほうれん草を箸で持ち上げ、うっとりと見とれているところだった。
 陽の彼女の惚気を聞いて、てっきり落ち込みでもするかと思っていたけど、そうでもないらしい。豊騎の恋のお相手は俺の母親の久美子で、彼の恋が成就する可能性は限りなく低い。俺の両親、未だにラブラブだし。だからすんなりと恋人を作る陽にイラついてもおかしくはないんだけど………。
 豊騎をもう一度チラ見する。まだほうれん草に夢中のようだ。ほうれん草にそんな甘い視線向けてどうすんだ。それはそれで怖い。
「どうすっかなあ……」
 なんだかんだ言っても豊騎は大事なダチだし、あいつの恋路は応援してやりたい。でも久美子と豊騎が実際にどうこうなられて困るのは、俺。両親には離婚してほしくないし。
 頭を悩ませながら、豊騎好みの質素な弁当に箸をつけた。
 
 ***
 
 帰宅後、スマホアプリで不倫ものの漫画を何作か読んでリサーチをしていた俺は、途方に暮れていた。
「不倫した側が幸せになる話がひとつもねえじゃんっ……!」
 考えてみれば至極当たり前のことだった。罪を犯した者は、幸せになるべからず。不倫を題材にしている漫画の全てが、そんな教訓の元に描かれているようだった。
 ため息を吐いて、2階にある自室から1階に下りて、リビングへ向かう。するとそこには、職場から帰って来た父親と母親が、年甲斐もなくいちゃついていた。
「ママのためにシャインマスカット買ってきたんだよ。はい、あーん」
「あーん。やだあ、甘ーい!」
 我が両親ながら、なんちゅう会話をしてるんだと呆れてしまう。冷めた目で眺めていると、俺の視線に気がついた久美子が「キャッ、想ちゃんが見てる。もうパパったら~」なんて言って、笑う。
「想ちゃんも食べる? シャインマスカット」
「いや……お腹いっぱいだからいい……」 
 正しくは、両親の会話を聞いて胸やけをしたから、だったけど。俺が引いてることには気にも留めず、両親はまだいちゃついている。 
 この調子じゃ、豊騎にチャンスはまったくないな。哀れ、豊騎。せっかくイケメンに生まれ落ちたのに、女の趣味が人妻だなんて、神様も酷なことをするよな。
 リビングからキッチンに歩いていき、水をコップ一杯飲む。そして、絶望的な恋をしている親友のために俺がしてやれることを考えてみた。
 両親の仲を引き裂く――は、出来そうにないので却下。母親と同世代の女性を紹介する――中々いい案だけど、俺自身に40代女性の知り合いなんて、親戚以外にいない。そうなるとどうしても久美子に頼まなければいけないし、何故紹介しなきゃならないのか、その理由を説明する必要が出てくる。豊騎が告白を望まないならこれもダメだ。
「うーん……要はあいつの恋心を何かの形で昇華させてやればいいから……」
 そこまで考えを巡らせてみて、ひらめいた。そうだ。豊騎をモデルにした漫画を描けばいいんだ! 
 やっと豊騎を救うための答えが出て嬉しくなって、俺は階段を駆けのぼった。自室に入り、タブレットを取り出してお絵描きアプリを起動させる。
 高校に入ってからは周りに公言していないが、俺はかなりオタク趣味のある男だ。陽たちに「漫画はワンピくらいしか読まんな~」なんてうそぶいていたけど、本当はめちゃくちゃたくさんの漫画を読んでいた。美少女イラストを描くのも好きだし、今でも授業中、ノートの端っこに絵を描いて遊んだりしている。豊騎には自作のイラストを見せたこともあって、いつも毒舌のあいつにしては珍しく「まあ、上手いんじゃん?」なんて褒められたこともあるくらいだ。
「待ってろよ豊騎。今、俺が幸せにしてやるからな……!」
 俺、今日から豊騎のためだけの絵師になるからよ。気合いを込めて、額にハチマキを巻く。徹夜してでも、この原稿で豊騎のハッピーエンドを描いてやるぜ。うおおお、と燃えるようにやる気がみなぎる。
 その日の夜は飛ぶように過ぎていった。

 ***

「……おはよ、泉くん。今朝は早いね」
「お、おう。そらこっちの台詞やけど」
 いつもは遅刻ギリギリで豊騎と共に教室へ滑り込む俺だったけど、今朝は違った。豊騎を主人公とした自作の同人誌を描き終えるために、結局徹夜をしたのだ。
 興奮冷めやらぬ状態のまま、既に教室にいた泉くんに声をかけると、泉くんは驚いたように細い目を極限まで見開いた。なんだか怯えているみたいに見える。いつもは泉くんの見た目に俺が怯えているので、立場が逆転したようで少し気分がいい。
「今日は伊佐敷と一緒に来んかったんやな」
「まあね。豊騎に見せる前に、泉くんに見せて客観的な意見をもらおうと思ってたから」
「見せる? 何を」
 眉を寄せて訝しがる泉くんに、昨晩描き上げた同人誌を手渡す。表紙にでっかい太字で書かれている「男子高校生じゃ、ダメですか?」というタイトルと、エプロンを身に纏いお玉を手にした主婦(言うまでもなく母親がモデルだ)、それに豊騎そっくりのイケメンキャラを見た泉くんは、ものの見事にピシッと固まった。
「俺に……これを……読め、と……?」
「だ、ダメでしたかね……陽は何見せても『わあスゲエ!』しか言わないし、泉くんなら公平なジャッジを下してくれるかなと思ったんだけど」
 もしかしたら、彼はいかにもオタクが好みそうな漫画は嫌いなのかもしれない。泉くん、成績優秀で潔癖っぽいし。嫌な思いをさせたかな、と思って同人誌を仕舞おうと手を伸ばす。
 だけど、泉くんは意外にも「待って。読むから」と同人誌を手放さなかった。
 ドキドキしながら、静かにページをめくる泉くんの様子を見守る。どうだろう。ひと晩かけて描いただけあって、自分としてはかなり満足のいく出来栄えなんだけど。 
 同人誌のストーリーはこうだ――男子高校生である主人公、睦騎(むつき)は友達の家に行った際、友達の母親である恵美子(えみこ)に恋してしまう。家に遊びに行くたび、シングルマザーの恵美子と密かに仲を深めていく睦騎。2人の関係を知った友達の総一(そういち)に最初は反発されるが、睦騎の思いの丈を知ったのち総一は2人が付き合うことを認める――これが、俺の考えた豊騎のハッピーエンドだった。
 読み終えた同人誌をパタンと閉じてから、泉くんは眼鏡の縁を直して、「いっこだけ、ツッこんでもええか?」と呟く。どうぞ、と頷いた。
「じゃあ、遠慮なく……スー、ハア……なんでそうなんねんッ!」
 念入りに深呼吸してから、泉くんはこれまで聞いたことのない声量で叫んだ。「なんねん……なんねん……」と、最後の言葉尻がひとけのない教室に響き渡る。
「え、そんなにダメだった?」
 自信作だったんだけどな。がっかりして泉くんに聞いてみると、泉くんは「コイツ正気か?」とでも言いたげな目でこちらを睨んだ。怖い。
「絵は綺麗だったし、漫画としては面白い作品だったと思う」
「わあ、ほんと。うれし……」
「でも、伊佐敷に読ませるのはやめておけ。あいつ、これを読んだら憤死しかねない」
「そこまで!?」
 泉くんの忠告に、驚嘆する。ちゃんと同じ名前にならないよう配慮もしたのに怒るのかな。と、思いつつ、賢い泉くんが言うのなら、きっとそうなんだろう。俺は無理矢理に己を納得させた。持ってきた同人誌を鞄の底のほうへ仕舞いこむ。可哀想だけど、これは家の倉庫にでも隠しておこう。
「チーっす泉。おい、想、今朝は何が野暮用だったんだよ」
 同人誌を仕舞ったすぐ後に、教室の扉を開けて豊騎が入って来た。俺が朝、持っていくのを忘れた弁当を2人分、手にしている。俺の分の弁当箱を受け取って、「野暮用は野暮用だよ」と答えを煙に巻く。隣で泉くんが「同人誌の話題はコイツにぜってーすんなよ」と睨みをきかせていたからだ。
「……目の下の隈、すげえことになってっけど。昨日何してた」
 豊騎はそう言うと、不意に俺の顎を手で持ち上げた。顎クイだ。俺にしてどうするよ、とうんざりして目をぐるりと回す。
「1日限定の絵師」
「はあ? なんだそれ」
 絵師、天辰想(あまたつそう)はもうおしまいです。昨日の努力が泉くんいわく豊騎のためにならなかったらしいので、俺はむしゃくしゃして机に寝そべった。
 これも全部、豊騎のせいだ。