バイクに乗るイケメンは、好きですか。
「好きでええええす!!」
豊騎が運転するバイクの後部座席で、俺は叫んだ。風切り音のせいで俺の声がよく聞こえなかったらしい豊騎は「え、なんてー?」と叫んでいる。「なんでもなーい」とまた叫んで、豊騎の腰にぎゅっとしがみついた。
――豊騎がある日突然バイクの運転免許を取ってきた。「事故起こさないでね、安全運転でね」とハラハラした表情で俺たちを見送る久美子にハイハイと頷きながら、豊騎のバイクで通学するようになってから、はや数日が過ぎようとしている。
豊騎が「免許取ったぜ」と言いバイクを見せてきた日は、馬鹿で多忙なくせによく免許なんて取れたな、と俺や陽は豊騎を揶揄ったけど、豊騎いわく「学科試験がちっとやばかったけど。なんとかなった」らしい。なんでも、うちの高校が許可証さえもらえればバイク通学が出来るのを知って、前々からバイク通学してやる! と意気込んでたとか。勉強にもそのくらいの意欲を見せろよ。まあ俺も人のことは言えないけど。
豊騎がバイクのエンジン音を轟かせながら校舎に滑り込むと、周りから「かっけえー!」と男子生徒がはしゃぐ声が聞こえて来た。わかる。かっこいいよな。正直、初めてバイクを運転している豊騎を目にした時、もう1度恋に落ちたもんな。そんな男と自分が両想いだ、ということまで思い出してその場で悶えてしまって、陽と泉くんには呆れられたっけな。
「やばいやばい、伊佐敷くんかっこよすぎん!?」
「でも既に彼氏持ちなんだよなあ」
「悔し過ぎる……」
豊騎がバイクを駐車している間も、俺たちを遠巻きに見ている女子軍団が話している声が聞こえて来た。
彼氏。その言葉を聞いて、俺は首を傾げた。俺って豊騎の彼氏……なのか? 付き合おうとか一切言われてないけど。というか、今更だけど俺たちの関係って何?
***
「付き合う時ってさ、どうやって始まるわけ」
放課後の教室で、俺は陽に尋ねていた。陽にこんなことを聞くのは屈辱だったけど、俺の友達に陽ほど恋愛経験豊富なやつはいない。幸いにも、今日は2学期の終業式を終えたあと、豊騎はバイトに行き、泉くんは予備校に行ってしまった。つまり、陽だけに相談出来る完璧な状況が揃っていた。
「そんなん、時と場合と相手によるっしょー。何も言わずに始まることだって多いし」
「え、そうなの?」
「そーそー」
陽はスマホで誰かにメッセージを送りながら頷く。
それにしても、恋愛、難し過ぎる。そんなケースバイケースみたいなこと言われても。じゃあ豊騎のケースの解答例を教えてくれよ、と胸倉を掴みたくなってしまう。
「てか想ちゃん、あっくんのとこ行かなくていいの?」
「後で迎えに行くつもり。どうせあいつ、うちで飯食ってくし」
俺がそう言うと、陽は「ほーん」となんだか気の抜けた相槌を打ってから、スマホを置いてじっと俺の顔を見つめだした。
「なんだよ」
「……いやあ、あっくんは想ちゃんの何がよかったんかな〜? と思って。やっぱ顔かなあ」
「喧嘩売ってんのか?」
俺は陽に向かって拳を構えてファイティングポーズを取った。そりゃあ、俺は豊騎ほど超イケメンってわけでもないし、陽みたいに誰とでも話せるコミュ力もないし、泉くんみたく成績優秀ってわけじゃないけどさ。俺だってそれなりの顔だ。可愛いってよく褒められるし。褒めてくるのは、主に母親の久美子と豊騎だけど。
「めっそーもない! 人の好みはそれぞれ、ってね」
「失礼な奴だな……それじゃあ、そういう陽はどういうのが好みなんだよ」
「んー、そうだなあ。俺っちはねえ、想ちゃんみたいなお馬鹿ちゃんより頭がいい人がいいな」
「泉くんみたいに?」
俺がそう言うと、陽は見たことのない変な顔を見せて固まった。何、そのピカソが描いた絵みたいな顔。
陽は数秒経つとキュビズム的な作画になる魔法から解けて、へらりと「とっしーは頭よくないじゃーん。焦ったあ」と笑った。
「あれは勉強が出来るだけの馬鹿だよ。じゃなきゃ、俺みたいな男をいつまでも追いかけ回してないでしょ〜」
「あ、確かに」
「でしょでしょ!」
陽は自分の価値を下げてまで、泉くんが自分の好きなタイプだとは言いたくないらしい。泉くん、ドンマイ。
「でもさ、そんなに泉くんのこと嫌がってたら可哀想だよ」
身体の関係まで持っておいて、と付け足して睨む。陽は心と身体は別物って考えかたなんだろうけど、俺にはよくわからない。
「別に嫌ってるわけじゃないんだってば。俺だって……」と、言うと、陽のスマホから「ピコン、ピコン」と立て続けに通知音が鳴る。陽は画面を確認すると、口をへの字に曲げた。何かよくない連絡でも来たらしい。
「ただ、俊喜はゆうちゃんとくっついたほうが幸せになれるのになって、そう思ってるだけ。ゆうちゃんは昔っから俊喜が大好きだし。ほら、見てよこれ」
陽はそう言って、スマホ画面を突きつけてくる。そこには、「ゆうちゃん」からのメッセージが数分おきに送られてきていた。
【としくん、今日は予備校に来たんだけど】【ゆうが話しかけても『講義中やから』って】【無視される、、、】【でも迷惑そうな顔もかっこいい~】【ひな~助けてよ】【返事は?】【協力してくれないなら、おばさんにひなの酷いテスト結果バラすから】【おい。返事!】
「怖ッ……」
次々と送られてくる脅しにも思える文面に、恐怖で鳥肌が立った。ゆうちゃん、やっぱりヤバイ人じゃん。時間が経つにつれて口調が荒くなるのも怖過ぎる。見た目はおしとやかな女の子、って感じだったのに。それに、なんかデジャヴだな。何か再放送を見せられた気分になって、ふと思い出す。あ、泉くんの鬼メッセだ。修学旅行の時に陽から見せられた泉くんからの怒涛の追いメッセージを脳裏に蘇らせながら、納得して手をポン、と打つ。泉くんとゆうちゃん、案外似た者同士なのかもしれない。というか、この2人に板挟みになっている陽、少し可哀想。
「はあ~……ゆうちゃんもとっしーも、いつになったら落ち着いてくれんのかね」
陽は疲れたように机の上へだらんと倒れた。倒れながらもスマホでゆうちゃんに【協力すっから大丈夫よん~! そっち行く、講義終わったら3人で飯でも行こ】とメッセージを打っている。なんだか、チャラ男代表なイメージだった陽が、あたかも中間管理職で胃を痛めているサラリーマンにも見えてきた。
幼馴染のゆうちゃんも大事にしている陽は、泉くんとゆうちゃんの2人の間に挟まれているからこそ、どうにかして自分ではなくゆうちゃんと泉くんをくっつけたいんだろうか。でも、そうしたら泉くんの気持ちはどうなるんだよ。そう思ったけど、陽にはそれ以上何も言えなかった。陽には陽の事情があるんだろうし、人の恋路に口挟むやつは馬に蹴られるって言うから。
***
「想、ちょっとバイクの練習に付き合って」
天辰家で夜ご飯を食べ終わった直後、豊騎がそう声をかけてきた。今更バイクの練習? と思わないでもなかったけど、夜道での走行に慣れたいのかもしれない。特に文句も言わずに付き合うことにした。
日没後に外へ出ると、身を切るような寒さに襲われる。はあ、と白い息を吐きながら、豊騎に渡されたヘルメットをかぶった。ここのところ毎日かぶっているのに、未だに俺はヘルメットを手早く着けられない。ひとりで格闘していると、とっくに自分のヘルメットをかぶり終わっていた豊騎が無言で俺のヘルメットのあごひもを締めた。
「行くぞ」
バイクに乗った豊騎は後ろにいる俺を振り返り見てから、前に向き直りエンジンをかけた。街灯の少ない夜道を、豊騎の運転するバイクで通り過ぎていく。
あと数日で2学期も終わる。そうしたらすぐに高校3年生の春がやって来る。来年、俺たちはどう過ごしてるんだろう。そんなことを考えながら、豊騎の背中に抱き着いた。
そのまましばらく夜道を走り続け、丘の上まで進んだところで、豊騎はバイクのエンジンを止めた。目の前には、夜景スポットとして知られている公園がある。いかにもカップルご用達と言わんばかりの場所で、それを証明するように公園内には数組のカップルがいちゃつきながら夜景を眺めていた。
「えっと、豊騎さん。ここに来たかったのか……?」
俺が恐る恐る尋ねると、ヘルメットを脱いだ豊騎は乱れた髪の毛をかき上げながら「ああ」と言う。いちいちかっこつけやがって。実際に顔もかっこいいから2倍でムカつく。俺は豊騎のイケメンぶりに怒りながら、公園の中へ足を踏み入れた。
「……あの、さ」
「何」
公園を歩きながら豊騎が謎に言い淀みだした。「うう……ハズいんじゃ、ボケぇ!」と、しまいにはキレ出している。悪態をつかないと話すことも出来ないのかよ。勝手に恥ずかしがられて、勝手にキレられてるんだけど。え、これ俺が悪いの? 今、なんの時間よこれ。
豊騎が髪をガシガシとかきむしりながら奇声を上げたので、すれ違ったカップルが不審者を見る目つきでこちらを振り返った。よっぽど豊騎を置いて知らない人のフリでもしようかと思ったくらいだ。
そのまま公園を歩き、夜景を一望出来る場所まで来ると、豊騎は歩みを止めて何かの箱を俺に差し出した。
「……ん。これ、やる」
「え、なになに。怖いんですけど」
脈絡のないプレゼントに怯えながら箱を開けると、リングケースが入っている。なんだろ、と不思議に思いケースを開く。
「うええっ、これ、ピザまるくんの超高い24金の指輪じゃん!?」
それは、ピザまるくんの公式グッズの指輪だった。指輪の中央にある金色のピザまるくんが、街灯のライトにあてられてキラリと輝いている。ピザまるくんのぼけっとした顔も、なんだかいつもより得意げに見えた。このピザまるくんの指輪は、2か月ほど前に突如発売を告知された、マニア向けの商品だった。ネットで「誰がこんなのに金出すんだよw」とか散々言われてたやつ。いや、ピザまるくん大好きな俺は欲しかったけどね?
「すっげえ! ありがとうなあ、豊騎」
驚いたけど、ちょっと早めの誕生日プレゼントに渡してくれたのかな。俺の誕生日、冬休みの真っ最中だし。そう思って素直に礼を言うと、豊騎は「こういうの、必要かどうかもよくわかんねえけど。いつか――出来るようになったら、すぐに出来るように渡しておくな」とぼそぼそ小さい声で呟いた。なんて? 途中、ごにょごにょと喋られたからか聞き取れない。
「てかお前、バイク買ったばっかなのに無理すんなよ。これ高かっただろ」
よく聞こえない豊騎の言葉を右から左に聞き流して、俺は豊騎の背中をバシバシと叩いた。ピザまるくんのシュールなキャラデザと値段の高さがミスマッチだと、ネットニュースで叩かれていたのを思い出したのだ。確か、値段は10万円近くはしたはず。学生が買うアクセサリーにしては、高価過ぎる。豊騎はバイト三昧で金は持ってるんだろうけど、それは進学のための貯金だと前に話していたから、俺のために散財させてしまったのなら、気まずい。
「バイクはこの間の和解金で買ったから。心配すんなって」
「あー、カフェバイトの盗撮のやつ?」と聞くと、「そう」と豊騎は頷く。いつのまに肖像権侵害の件、片付いてたんだ。豊騎のやつ、こういう大事なことは誰にも言わずに知らぬ間に終わらせるところがあるんだよな。志信さんもこんな甥っ子を持ってさぞ心配だろう。
「今年はいろいろ面倒かけたな。家のこと、とか」
「なんだよ急に。別にお前が悪いわけじゃなかったじゃん」
というか被害者だったわけだし。俺がそう言い返すと、豊騎は照れくさそうに「ま、それもそうだな」と笑う。
「俺の家も、俺自身も、クソ面倒だけど……一緒になってくれるか?」
「えっ」
指輪を見せられた時よりも驚いて、豊騎の顔を見つめた。豊騎はそわそわと所在なさげに足元の石を蹴っている。
つまりこれって、告白? 豊騎のやつ、俺と付き合おうって言ってる? 今がそのタイミングなのか!? 恋愛経験皆無なので、心の中にいる恋愛の師匠・イマジナリー陽に尋ねてみる。「師匠! これってお付き合いの申し込みでしょうか」「そうじゃね? よかったじゃーん」……そう、なのか。それにしても豊騎、言うのが遅くないか。いいんだけどさ。人それぞれのタイミングで付き合い始めるとは本当だったんだなあ、となんだか感動してしまう。
「もちろん!」
親指を立てて了承すると、それまで柄にもなくもじもじと下を向いていた豊騎が、パアッと嬉しそうな笑顔を浮かべた。え、そんな子供っぽい笑顔初めて見たんだけど。ちょっと可愛い。
俺が豊騎の笑顔にドギマギしていると、テンションが上がったらしい豊騎は、「陽と泉にも報告しようぜ!」なんて言い、ビデオ通話で陽に電話をかけ始めた。電話に出た陽は、まだ制服姿で、後ろには駅前のファーストフード店のロゴが見えている。
「……どしたの、あっくん。こんな時間に」
ややお疲れ気味の陽の声。それにも気づかないほど浮かれているらしい豊騎は、「俺と想、晴れて恋人同士になったから。イェーイ」と言い、人を煽るようなピースサインをした。すると、画面の向こうでスマホがガタガタと揺れる。
「ほんまによかったなあ伊佐敷。おめでとさん!」
画面に泉くんの顔が写った。まだ陽と一緒にいたようだ。その隣には、ゆうちゃんもいる。ゆうちゃんは俺たち2人のことをよく知らないはずだが、笑顔で「おめでとー」と手を振っている。
これ、もしかしてもしかしなくても、3人の修羅場タイムに「恋人になりました報告」をした空気の読めない友人になってるんじゃねえの。俺はひとりで冷や汗をかいた。豊騎の袖を引っ張り「豊騎ッ、陽たちの邪魔したら悪いから。また今度にしよ? なっ」と、必死に通話を止めさせるよう、試みた。が、浮かれた豊騎には怖いものなどないようで、ニコニコの笑顔で「なんでだよ。こんな時くらい幸せ自慢したっていいだろ。だって俺たち将来を誓い合ったわけなんだし……クソッ、言わせんなこんなこと」と、わけのわからないことを言い出した。
「どゆことどゆこと」
「え? いつ将来なんて誓い合ったの俺たち!?」
「さっき俺がプロポーズしただろうがあああああ!!」
電話の向こう側で頭を抱え始める陽。当の本人なのに驚く俺。俺の言葉にショックを受けたように叫ぶ豊騎。
「ええええええー!」
一斉に叫び出す俺たち。何か知らないうちに、俺、豊騎にプロポーズされてたらしい。戸惑っていると、陽と泉くん、それにゆうちゃんが「おめでとう」「おめでとう」「おめでとう」と、みんな口を揃えてお祝いの言葉を送ってきた。エヴァの最終回か、っての。といっても、そもそもこの場に俺以外でエヴァを知る人間はいないので、本当に素直な気持ちで祝福してくれているだけなんだろう。
陽たちに拍手されるという謎の居心地の悪さを感じつつ、「気づかなくてごめん」と豊騎に謝る。すると、豊騎はニヤッと片方の口角だけ上げて笑った。
「いいよ、そんな馬鹿なとこが好きだから……って、ハズイこと言わせんなアホッ!」
「言い出しておいてキレんなよ!?」
「……嘘。別にキレてねーよ」
なんなのコイツ。やけにテンションの高い豊騎に若干引いていると、豊騎はスマホを放り出して俺に抱き着いてきた。哀れにも地面に叩きつけられたスマホからは、「えっ、おーい、見えないんですけどお。やらしいことでもしてんの?」と、呆れた調子で言う陽の声が聞こえてくる。
スマホ壊れてるかもよ、と言おうとしたけどやめた。豊騎があまりにもぎゅうぎゅうと抱き締めてくるから。言葉にならない幸せの形をなんとか伝えてこようとしているような、そんなハグに、俺もお返しがしたくなった。
きっとこれが、平凡だけど替えの効かない幸福ってやつなんだよな。そう思って、俺は豊騎を抱き締め返した。
「好きでええええす!!」
豊騎が運転するバイクの後部座席で、俺は叫んだ。風切り音のせいで俺の声がよく聞こえなかったらしい豊騎は「え、なんてー?」と叫んでいる。「なんでもなーい」とまた叫んで、豊騎の腰にぎゅっとしがみついた。
――豊騎がある日突然バイクの運転免許を取ってきた。「事故起こさないでね、安全運転でね」とハラハラした表情で俺たちを見送る久美子にハイハイと頷きながら、豊騎のバイクで通学するようになってから、はや数日が過ぎようとしている。
豊騎が「免許取ったぜ」と言いバイクを見せてきた日は、馬鹿で多忙なくせによく免許なんて取れたな、と俺や陽は豊騎を揶揄ったけど、豊騎いわく「学科試験がちっとやばかったけど。なんとかなった」らしい。なんでも、うちの高校が許可証さえもらえればバイク通学が出来るのを知って、前々からバイク通学してやる! と意気込んでたとか。勉強にもそのくらいの意欲を見せろよ。まあ俺も人のことは言えないけど。
豊騎がバイクのエンジン音を轟かせながら校舎に滑り込むと、周りから「かっけえー!」と男子生徒がはしゃぐ声が聞こえて来た。わかる。かっこいいよな。正直、初めてバイクを運転している豊騎を目にした時、もう1度恋に落ちたもんな。そんな男と自分が両想いだ、ということまで思い出してその場で悶えてしまって、陽と泉くんには呆れられたっけな。
「やばいやばい、伊佐敷くんかっこよすぎん!?」
「でも既に彼氏持ちなんだよなあ」
「悔し過ぎる……」
豊騎がバイクを駐車している間も、俺たちを遠巻きに見ている女子軍団が話している声が聞こえて来た。
彼氏。その言葉を聞いて、俺は首を傾げた。俺って豊騎の彼氏……なのか? 付き合おうとか一切言われてないけど。というか、今更だけど俺たちの関係って何?
***
「付き合う時ってさ、どうやって始まるわけ」
放課後の教室で、俺は陽に尋ねていた。陽にこんなことを聞くのは屈辱だったけど、俺の友達に陽ほど恋愛経験豊富なやつはいない。幸いにも、今日は2学期の終業式を終えたあと、豊騎はバイトに行き、泉くんは予備校に行ってしまった。つまり、陽だけに相談出来る完璧な状況が揃っていた。
「そんなん、時と場合と相手によるっしょー。何も言わずに始まることだって多いし」
「え、そうなの?」
「そーそー」
陽はスマホで誰かにメッセージを送りながら頷く。
それにしても、恋愛、難し過ぎる。そんなケースバイケースみたいなこと言われても。じゃあ豊騎のケースの解答例を教えてくれよ、と胸倉を掴みたくなってしまう。
「てか想ちゃん、あっくんのとこ行かなくていいの?」
「後で迎えに行くつもり。どうせあいつ、うちで飯食ってくし」
俺がそう言うと、陽は「ほーん」となんだか気の抜けた相槌を打ってから、スマホを置いてじっと俺の顔を見つめだした。
「なんだよ」
「……いやあ、あっくんは想ちゃんの何がよかったんかな〜? と思って。やっぱ顔かなあ」
「喧嘩売ってんのか?」
俺は陽に向かって拳を構えてファイティングポーズを取った。そりゃあ、俺は豊騎ほど超イケメンってわけでもないし、陽みたいに誰とでも話せるコミュ力もないし、泉くんみたく成績優秀ってわけじゃないけどさ。俺だってそれなりの顔だ。可愛いってよく褒められるし。褒めてくるのは、主に母親の久美子と豊騎だけど。
「めっそーもない! 人の好みはそれぞれ、ってね」
「失礼な奴だな……それじゃあ、そういう陽はどういうのが好みなんだよ」
「んー、そうだなあ。俺っちはねえ、想ちゃんみたいなお馬鹿ちゃんより頭がいい人がいいな」
「泉くんみたいに?」
俺がそう言うと、陽は見たことのない変な顔を見せて固まった。何、そのピカソが描いた絵みたいな顔。
陽は数秒経つとキュビズム的な作画になる魔法から解けて、へらりと「とっしーは頭よくないじゃーん。焦ったあ」と笑った。
「あれは勉強が出来るだけの馬鹿だよ。じゃなきゃ、俺みたいな男をいつまでも追いかけ回してないでしょ〜」
「あ、確かに」
「でしょでしょ!」
陽は自分の価値を下げてまで、泉くんが自分の好きなタイプだとは言いたくないらしい。泉くん、ドンマイ。
「でもさ、そんなに泉くんのこと嫌がってたら可哀想だよ」
身体の関係まで持っておいて、と付け足して睨む。陽は心と身体は別物って考えかたなんだろうけど、俺にはよくわからない。
「別に嫌ってるわけじゃないんだってば。俺だって……」と、言うと、陽のスマホから「ピコン、ピコン」と立て続けに通知音が鳴る。陽は画面を確認すると、口をへの字に曲げた。何かよくない連絡でも来たらしい。
「ただ、俊喜はゆうちゃんとくっついたほうが幸せになれるのになって、そう思ってるだけ。ゆうちゃんは昔っから俊喜が大好きだし。ほら、見てよこれ」
陽はそう言って、スマホ画面を突きつけてくる。そこには、「ゆうちゃん」からのメッセージが数分おきに送られてきていた。
【としくん、今日は予備校に来たんだけど】【ゆうが話しかけても『講義中やから』って】【無視される、、、】【でも迷惑そうな顔もかっこいい~】【ひな~助けてよ】【返事は?】【協力してくれないなら、おばさんにひなの酷いテスト結果バラすから】【おい。返事!】
「怖ッ……」
次々と送られてくる脅しにも思える文面に、恐怖で鳥肌が立った。ゆうちゃん、やっぱりヤバイ人じゃん。時間が経つにつれて口調が荒くなるのも怖過ぎる。見た目はおしとやかな女の子、って感じだったのに。それに、なんかデジャヴだな。何か再放送を見せられた気分になって、ふと思い出す。あ、泉くんの鬼メッセだ。修学旅行の時に陽から見せられた泉くんからの怒涛の追いメッセージを脳裏に蘇らせながら、納得して手をポン、と打つ。泉くんとゆうちゃん、案外似た者同士なのかもしれない。というか、この2人に板挟みになっている陽、少し可哀想。
「はあ~……ゆうちゃんもとっしーも、いつになったら落ち着いてくれんのかね」
陽は疲れたように机の上へだらんと倒れた。倒れながらもスマホでゆうちゃんに【協力すっから大丈夫よん~! そっち行く、講義終わったら3人で飯でも行こ】とメッセージを打っている。なんだか、チャラ男代表なイメージだった陽が、あたかも中間管理職で胃を痛めているサラリーマンにも見えてきた。
幼馴染のゆうちゃんも大事にしている陽は、泉くんとゆうちゃんの2人の間に挟まれているからこそ、どうにかして自分ではなくゆうちゃんと泉くんをくっつけたいんだろうか。でも、そうしたら泉くんの気持ちはどうなるんだよ。そう思ったけど、陽にはそれ以上何も言えなかった。陽には陽の事情があるんだろうし、人の恋路に口挟むやつは馬に蹴られるって言うから。
***
「想、ちょっとバイクの練習に付き合って」
天辰家で夜ご飯を食べ終わった直後、豊騎がそう声をかけてきた。今更バイクの練習? と思わないでもなかったけど、夜道での走行に慣れたいのかもしれない。特に文句も言わずに付き合うことにした。
日没後に外へ出ると、身を切るような寒さに襲われる。はあ、と白い息を吐きながら、豊騎に渡されたヘルメットをかぶった。ここのところ毎日かぶっているのに、未だに俺はヘルメットを手早く着けられない。ひとりで格闘していると、とっくに自分のヘルメットをかぶり終わっていた豊騎が無言で俺のヘルメットのあごひもを締めた。
「行くぞ」
バイクに乗った豊騎は後ろにいる俺を振り返り見てから、前に向き直りエンジンをかけた。街灯の少ない夜道を、豊騎の運転するバイクで通り過ぎていく。
あと数日で2学期も終わる。そうしたらすぐに高校3年生の春がやって来る。来年、俺たちはどう過ごしてるんだろう。そんなことを考えながら、豊騎の背中に抱き着いた。
そのまましばらく夜道を走り続け、丘の上まで進んだところで、豊騎はバイクのエンジンを止めた。目の前には、夜景スポットとして知られている公園がある。いかにもカップルご用達と言わんばかりの場所で、それを証明するように公園内には数組のカップルがいちゃつきながら夜景を眺めていた。
「えっと、豊騎さん。ここに来たかったのか……?」
俺が恐る恐る尋ねると、ヘルメットを脱いだ豊騎は乱れた髪の毛をかき上げながら「ああ」と言う。いちいちかっこつけやがって。実際に顔もかっこいいから2倍でムカつく。俺は豊騎のイケメンぶりに怒りながら、公園の中へ足を踏み入れた。
「……あの、さ」
「何」
公園を歩きながら豊騎が謎に言い淀みだした。「うう……ハズいんじゃ、ボケぇ!」と、しまいにはキレ出している。悪態をつかないと話すことも出来ないのかよ。勝手に恥ずかしがられて、勝手にキレられてるんだけど。え、これ俺が悪いの? 今、なんの時間よこれ。
豊騎が髪をガシガシとかきむしりながら奇声を上げたので、すれ違ったカップルが不審者を見る目つきでこちらを振り返った。よっぽど豊騎を置いて知らない人のフリでもしようかと思ったくらいだ。
そのまま公園を歩き、夜景を一望出来る場所まで来ると、豊騎は歩みを止めて何かの箱を俺に差し出した。
「……ん。これ、やる」
「え、なになに。怖いんですけど」
脈絡のないプレゼントに怯えながら箱を開けると、リングケースが入っている。なんだろ、と不思議に思いケースを開く。
「うええっ、これ、ピザまるくんの超高い24金の指輪じゃん!?」
それは、ピザまるくんの公式グッズの指輪だった。指輪の中央にある金色のピザまるくんが、街灯のライトにあてられてキラリと輝いている。ピザまるくんのぼけっとした顔も、なんだかいつもより得意げに見えた。このピザまるくんの指輪は、2か月ほど前に突如発売を告知された、マニア向けの商品だった。ネットで「誰がこんなのに金出すんだよw」とか散々言われてたやつ。いや、ピザまるくん大好きな俺は欲しかったけどね?
「すっげえ! ありがとうなあ、豊騎」
驚いたけど、ちょっと早めの誕生日プレゼントに渡してくれたのかな。俺の誕生日、冬休みの真っ最中だし。そう思って素直に礼を言うと、豊騎は「こういうの、必要かどうかもよくわかんねえけど。いつか――出来るようになったら、すぐに出来るように渡しておくな」とぼそぼそ小さい声で呟いた。なんて? 途中、ごにょごにょと喋られたからか聞き取れない。
「てかお前、バイク買ったばっかなのに無理すんなよ。これ高かっただろ」
よく聞こえない豊騎の言葉を右から左に聞き流して、俺は豊騎の背中をバシバシと叩いた。ピザまるくんのシュールなキャラデザと値段の高さがミスマッチだと、ネットニュースで叩かれていたのを思い出したのだ。確か、値段は10万円近くはしたはず。学生が買うアクセサリーにしては、高価過ぎる。豊騎はバイト三昧で金は持ってるんだろうけど、それは進学のための貯金だと前に話していたから、俺のために散財させてしまったのなら、気まずい。
「バイクはこの間の和解金で買ったから。心配すんなって」
「あー、カフェバイトの盗撮のやつ?」と聞くと、「そう」と豊騎は頷く。いつのまに肖像権侵害の件、片付いてたんだ。豊騎のやつ、こういう大事なことは誰にも言わずに知らぬ間に終わらせるところがあるんだよな。志信さんもこんな甥っ子を持ってさぞ心配だろう。
「今年はいろいろ面倒かけたな。家のこと、とか」
「なんだよ急に。別にお前が悪いわけじゃなかったじゃん」
というか被害者だったわけだし。俺がそう言い返すと、豊騎は照れくさそうに「ま、それもそうだな」と笑う。
「俺の家も、俺自身も、クソ面倒だけど……一緒になってくれるか?」
「えっ」
指輪を見せられた時よりも驚いて、豊騎の顔を見つめた。豊騎はそわそわと所在なさげに足元の石を蹴っている。
つまりこれって、告白? 豊騎のやつ、俺と付き合おうって言ってる? 今がそのタイミングなのか!? 恋愛経験皆無なので、心の中にいる恋愛の師匠・イマジナリー陽に尋ねてみる。「師匠! これってお付き合いの申し込みでしょうか」「そうじゃね? よかったじゃーん」……そう、なのか。それにしても豊騎、言うのが遅くないか。いいんだけどさ。人それぞれのタイミングで付き合い始めるとは本当だったんだなあ、となんだか感動してしまう。
「もちろん!」
親指を立てて了承すると、それまで柄にもなくもじもじと下を向いていた豊騎が、パアッと嬉しそうな笑顔を浮かべた。え、そんな子供っぽい笑顔初めて見たんだけど。ちょっと可愛い。
俺が豊騎の笑顔にドギマギしていると、テンションが上がったらしい豊騎は、「陽と泉にも報告しようぜ!」なんて言い、ビデオ通話で陽に電話をかけ始めた。電話に出た陽は、まだ制服姿で、後ろには駅前のファーストフード店のロゴが見えている。
「……どしたの、あっくん。こんな時間に」
ややお疲れ気味の陽の声。それにも気づかないほど浮かれているらしい豊騎は、「俺と想、晴れて恋人同士になったから。イェーイ」と言い、人を煽るようなピースサインをした。すると、画面の向こうでスマホがガタガタと揺れる。
「ほんまによかったなあ伊佐敷。おめでとさん!」
画面に泉くんの顔が写った。まだ陽と一緒にいたようだ。その隣には、ゆうちゃんもいる。ゆうちゃんは俺たち2人のことをよく知らないはずだが、笑顔で「おめでとー」と手を振っている。
これ、もしかしてもしかしなくても、3人の修羅場タイムに「恋人になりました報告」をした空気の読めない友人になってるんじゃねえの。俺はひとりで冷や汗をかいた。豊騎の袖を引っ張り「豊騎ッ、陽たちの邪魔したら悪いから。また今度にしよ? なっ」と、必死に通話を止めさせるよう、試みた。が、浮かれた豊騎には怖いものなどないようで、ニコニコの笑顔で「なんでだよ。こんな時くらい幸せ自慢したっていいだろ。だって俺たち将来を誓い合ったわけなんだし……クソッ、言わせんなこんなこと」と、わけのわからないことを言い出した。
「どゆことどゆこと」
「え? いつ将来なんて誓い合ったの俺たち!?」
「さっき俺がプロポーズしただろうがあああああ!!」
電話の向こう側で頭を抱え始める陽。当の本人なのに驚く俺。俺の言葉にショックを受けたように叫ぶ豊騎。
「ええええええー!」
一斉に叫び出す俺たち。何か知らないうちに、俺、豊騎にプロポーズされてたらしい。戸惑っていると、陽と泉くん、それにゆうちゃんが「おめでとう」「おめでとう」「おめでとう」と、みんな口を揃えてお祝いの言葉を送ってきた。エヴァの最終回か、っての。といっても、そもそもこの場に俺以外でエヴァを知る人間はいないので、本当に素直な気持ちで祝福してくれているだけなんだろう。
陽たちに拍手されるという謎の居心地の悪さを感じつつ、「気づかなくてごめん」と豊騎に謝る。すると、豊騎はニヤッと片方の口角だけ上げて笑った。
「いいよ、そんな馬鹿なとこが好きだから……って、ハズイこと言わせんなアホッ!」
「言い出しておいてキレんなよ!?」
「……嘘。別にキレてねーよ」
なんなのコイツ。やけにテンションの高い豊騎に若干引いていると、豊騎はスマホを放り出して俺に抱き着いてきた。哀れにも地面に叩きつけられたスマホからは、「えっ、おーい、見えないんですけどお。やらしいことでもしてんの?」と、呆れた調子で言う陽の声が聞こえてくる。
スマホ壊れてるかもよ、と言おうとしたけどやめた。豊騎があまりにもぎゅうぎゅうと抱き締めてくるから。言葉にならない幸せの形をなんとか伝えてこようとしているような、そんなハグに、俺もお返しがしたくなった。
きっとこれが、平凡だけど替えの効かない幸福ってやつなんだよな。そう思って、俺は豊騎を抱き締め返した。