修学旅行。学生のほとんどが、耳にしたらはしゃぎだすであろう学生時代の一大イベント。
 そんな修学旅行で、今日から俺たちの学年は2泊3日で京都へ行く予定だ。でも、冬の早朝からどうやってテンションを上げろっていうんだよ。
 朝の6時半。集合場所である東京駅まで久美子に送ってもらい、車を降りる。一緒に乗ってきた豊騎(あつき)は飲み物を買ってくると言って自販機に走っていく。
 12月ということもあり、外の空気は痛みすら感じるほど冷たい。ダウンコートとマフラー、手袋と完全防備して来たつもりだったけど、何にも包まれていない耳と鼻がかじかんで取れてしまいそうだ。くしゃみをひとつして鼻をすん、と啜る。すると、急にファサッと頭の上に布地が落ちてきて、俺の視界を覆う。厚手のマフラーだ。誰かの体温であったまっていたのか、ほこほことしてとても暖かい。
「馬鹿は風邪ひかねーんじゃなかったのか?」
 半笑いで背後から現れたのは豊騎だった。手にはホットのお茶が入ったペットボトルを2つ持っている。今しがたマフラーを投げて来たのもこいつだったようだ。
「マフラーなんかよこして、なんだよ。俺の知る豊騎はこんなに優しくしてくるキャラじゃねえぞ」
 豊騎のマフラーを顔にうずめて温かいお茶をひとくち飲みながら、恥ずかしさを隠すみたいにして悪態をついた。豊騎はダッフルコートに手袋、耳当てをした格好で笑っている。
 くそ、こんな朝っぱらからキラキラしやがって。イケメンめ。
 俺がじとーっと睨み上げても、豊騎は何も言わなかった。無言でつけていた耳当てを俺の頭にかけてくる。過保護かっての。
 その後、新幹線乗り場のホームに向かった。入口に着くと、担任の花形(はながた)先生が立っている。バインダーを抱えた花形先生も、俺と同じくらいとても眠たそうだ。
「……っはよーゴザイマス……」
 俺の挨拶を聞いて、花形先生は「はい……天辰(あまたつ)くん、伊佐敷(いさしき)くん、出席」と、普段よりもゆったりとした口調で言い、名簿にまるを書いた。
 自分のクラスの列に並び、眠気と戦いながら出発の時間を待つ。時が過ぎるごとに、生徒たちや一般のサラリーマンらしき人がホームに雪崩れ込んできて、場が活気づいていく。
「はーい、1組のみんな! 順番に席に座ってね」
 花形先生が大声で叫ぶ。新幹線に乗り込む時間になったようだ。教師陣の指示に従って、俺たちはぞろぞろと新幹線に乗り込み始めた。座る席は前もって決められている。俺は豊騎の隣の席だ。事前に配られていた指定席の切符を取り出して、自分たちの座席はどこかと探した。
「1号車、2のE番……あ、あそこか」
 自分の座席番号を見つけたので、いそいそと座ろうとしたその時。横から「ちょーっと待った、想ちゃん!」と(ひなた)が飛び込んできた。
「なんだよ、あっぶねーな」
「メンゴメンゴ。でさ、申し訳ないついでにお願いしていい? 隣に座らせてくーださいっ」
 陽はそう言って、両手を合わせお願いのポーズを見せてくる。陽は泉くんの隣の席に座るはずだった。当日になっていきなりなんだよ。譲ってやる義理もないだろと言ってやりたかったが、陽が邪魔をしてきたせいで、俺たちの後ろでは大渋滞が起きていた。新幹線の発車時刻も迫ってきているので、周りからの「早く座れよ」という視線が痛い。俺たちのせいで迷惑をかけるのは忍びないし、何よりいたたまれなくなったので、陽の要望を受け入れることにした。
 豊騎が泉くんの隣に、陽が俺の隣の席に座る。席を移動させられた豊騎は、不機嫌な顔を隠そうともしていない。でも、豊騎よりもショックを受けていた人がいた――泉くんだ。
 通路を挟んだ向かいの2人席で、泉くんはこの世の全ての不幸を身に宿しました、みたいな悲壮なオーラを漂わせている。
「……なあ、泉くんとなんかあった?」
 泉くんがあんなに落ち込んでいるのは、文化祭でゆうちゃんが来た後、陽に叱られた時くらいしか見たことがない。十中八九、陽のせいに違いない。そう踏んで、隣でポテチの袋を開けている陽に聞く。
「うん、俊喜(としき)がウザイから」
「俊喜? ああ、泉くんのことか」
 聞き慣れない名前に一瞬わからなくなったけど、そういえば泉くんの下の名前は俊喜だった、と思い出す。泉くんって目つきが鋭いから、仲良くなった今でもなんか呼び捨てにしにくい空気なんだよな。陽もいつもは「とっしー」としか泉くんを呼ばないから、もう俺の中では泉くんの名前は「とっしー」になっていた。
 陽はポテチをむっしゃむっしゃと食べながら、だるそうに取り出したスマホを俺に見せて来た。
「見てよ、これ」
 陽のスマホ画面を見ると、トークアプリが開かれている。送信主は「とっしー」で、数分おきに【今なにしてる?】【まさかゆうと一緒とちゃうやんな】【なんで返事してくれへんねや】【既読無視?】【ゆうとより戻したとか……ないやんな】【俺のこと捨てるつもりなん?】と、鬼のような勢いでメッセージが送られてきていた。
「こ、怖ぁ……」
 つい本音が出てしまう。いや、怖過ぎでしょ。泉くん、怖いのは目つきだけでいいんだよ。内面まで怖くなられたら、もう存在がホラーだよ。このメッセージだけ見たら、陽のやつどんなメンヘラ女子と付き合ってるんだ、と思うところだ。
 陽はあっという間にポテチを1袋食べ終えて、今度はクッキーを貪り始めている。後で豪勢な昼飯が出るのに、食えるんだろうか。
 俺が陽の腹のキャパシティーを心配していると、陽がため息を吐いた。
「1回寝たくらいで彼氏面されてもなあ。困るんだよね」
「寝ッ、は、ハア!? 寝たってだ、だだ、誰と」
「とっしーとだよ」
「陽、こッんのドクズがああああああ!!」
 心からの叫びと共に、陽の頭へ拳を振り下ろした。風紀が乱れている。けしからん。てかいつのまにそんな進展(?)してたんだよ。泉くんの恋路を応援していたのに全く知らなかった。しかも、なんでそんなにあっけらかんとしてるんだ。もうちょっと悪びれてくれよ。
 俺に拳をお見舞いされた陽は、「いったいなあ」と顔を顰める。俺がもう一度殴ろうと拳を振り上げると、車内に音楽が流れ、「――この電車は新大阪行きです。全車指定席で、自由席はございません。次は品川に停まります」とアナウンスも流れた。
 あまりのことに、ここが新幹線の中ということを忘れていた。声を潜めて、陽に「その気もないのに泉くんとその、え、エッチしたのかよ? 最低だぞ」と怒る。陽はうんざりしたように目をぐるんと回した。
「だってあいつしつけーんだもん。ゆうちゃんには素っ気ないくせにさあ。それに1回ヤッたら諦めるって言ったの、向こうなんだけど」
「え、ええ……なんでそんなこと」
 チラリと通路を挟んだ向かいの窓側席にいる泉くんを見る。これから楽しい修学旅行に向かうというのに、ずっと下を向いている。隣に座る豊騎もさすがに気まずいようで、無言のままだ。
 子供の時からずっと陽のことが好きだったらしい泉くん。俺から見ても、脈がありそうには思えなかった彼の絶望的な恋は、1度きりの思い出に縋らせてしまうくらい、泉くんを狂わせたんだろうか。
 ふと、アイドルとして歌い踊る陽と、その姿を見守る後方腕組み彼氏面の泉くんが脳内に思い浮かんだ。いやいや、陽はアイドルでもなんでもない。頭を振って、己の脳内の幻想を振り切る。でも、関係性としてはほぼ一緒な気がするんだよな。
 要するに、泉くんはどんなに嫌がられても陽を諦められなくて、陽は身体を差し出してでも諦めさせたかった、というわけだ。
 俺は泉くんが陽を思って泣いていたことを知っているので、不憫になってしまう。確かにさっき見た鬼メッセはキモかったけど。それでも、真剣な恋心をここまで無下にされているのを見るのは、つらい。
 俺の胡乱な目つきを見た陽は、不満げに「何その目。え、俺が間違ってんの?」と言う。
「間違っては……ないかもだけど。酷いよお前」
「だってさあ、俺っち、友達より恋人を優先する人って嫌いなんだよねー。なんか、それってほんとに愛なんかな? って思っちゃう。性欲に踊らされてんじゃねって」
 陽はキツイ口調でとうとうと語る。一見すると、陽のほうこそ性欲を爆発させ暴れまわってそうなチャラ男なので、言葉とのギャップに脳がバグりそうだ。
「だから1度ヤれば落ち着くと思ったんだけど……はあ、うざ~い」
 陽はそこまで言うと、旅行鞄からアイマスクを取り出してまぶたを覆い、窓に持たれるようにして眠り始めた。まごうことなきふて寝だ。ひとり残された俺は、友人たちの爛れた恋愛事情に頭を悩まされる羽目になってしまった。
 陽は友情より恋に突っ走る人が嫌いだという。確かに陽自身、彼女をいくらとっかえひっかえしていたとしても、俺たちといる時間を削ったりしたことはなかった。それに、彼らの幼馴染の女の子、ゆうちゃんが泉くんのことを好きだから、余計にそう思うのかもしれない。泉くん、ゆうちゃんにはそっけない態度だったしなあ。そういう泉くんの言動が陽の気に障ったのか。
「……でも、何も修学旅行の時に揉めなくたっていいだろうがよお」
 悲鳴じみた呻き声を漏らす。俺たちは班行動も自由行動も4人一緒にするつもりだったので、必然的に陽と泉くんは顔を合わせ続けなければならない。
 当事者よりもそれをはたから見てる俺と豊騎のほうが気まずい。俺たちは両想いだし。
 むしろ、この機会に2人で抜け出しちゃおうかな。豊騎と旅行ってしたことないし、してみたい。そんな企みが思い浮かんで、ふと向かい側の豊騎を見た。偶然にも、豊騎もこちらに視線を向けている。
「(な、ん、だ、よ)」
 隣の陽を起こさないように口パクで豊騎に言う。豊騎も同じように口パクを返してきた。
「(つ、ぎ、は、ふ、た、り、で、い、こ)」
 豊騎も俺と似たようなことを考えていたらしい。豊騎の隣で地獄の雰囲気を作っている泉くんには申し訳ないけど、俺は今、最高に甘ったるい幸せを感じていた。