「あ、来たよっ!」
伊佐敷(いさしき)くん、天辰(あまたつ)くんと付き合ってるってほんとなの?」
 朝、俺と豊騎(あつき)が教室に入るなり数人の女子が駆け寄ってきた。目を爛々とさせ俺たちの顔を交互に見つめている。みんなゴシップに夢中なようだ。暇なのかな。既に同様のやり取りを何回か繰り返していた俺は、げんなりとしてため息を吐いた。
 豊騎が新しいバイト先のカフェで、俺を指し「こいつが俺の恋人です」なんてとんでもない発言をしてからというもの、すぐにその様子を撮影していた不届きものが動画をアップし、その動画がバズりにバズった。「イケメンカフェ店員には、なんと彼女ではなく彼氏がいた!」というセンセーショナルな話題は、娯楽を求めていた人たちには面白かったようだ。おかげで、あれから毎日のように「本当に付き合ってるのか」と突撃取材を受けている。
「……ちょっと。俺の彼氏に近づき過ぎ。離れて」
 豊騎がそう言って、俺の目の前にいた女子を遠ざけた。すると、「『俺の彼氏』だってえ!」「キャーッ」と女の子たちは楽しそうに叫びながら走り去っていく。
 カフェの前で俺と付き合っているフリをしてから、豊騎は俺と一緒にいる時は変に芝居がかった振る舞いをするようになった。未だに動画を見て押し掛けてくる女子への牽制のつもりなんだろうけど、俺に対してでろでろに優しい豊騎なんて慣れなくて、気持ち悪い。あと、「彼氏」と言われるたびになんだか胸のあたりがそわそわしてしまうので、やめてほしい。
「豊騎、お前今までこんな風に俺に優しくしたことなんてなかっただろうが。あと彼氏ってなんだよ」
 文句を言って豊騎を見上げる。でも豊騎は素知らぬ顔で、今度は俺の手を握ってきた。ひやりと冷たい指先が触れて、ビクッと肩が震える。
「おま、お前、ななな何して」
「例の動画、開示請求して肖像権侵害で訴えるにはまだ時間がかかるから。それまでは恋人のフリしてくれよ」
「ええええ……?」
 俺の困惑をよそに、豊騎は握った手を恋人繋ぎにして、指まで絡ませる。少しカサついた豊騎の肌が俺の肌の上を滑り、背筋にぞくぞくとした感覚が走った。まずい。またしても、俺の分身の危機だ。繋いだ手から逃れたくて自分の手を引っ張ってみたものの、力を込められてしまって手を離すことができなかった。握力、強過ぎ。
 豊騎は物凄い握力で俺の手をがっちりと捕らえたまま、2人の手の上でスマホをカメラを構え、シャッターを押した。SNSに載せて俺たちの仲をアピールする、とのことだ。俺に拒否権はないらしい。
「あ、あの。豊騎さん、そろそろ手を離してはもらえないでしょうかね」
「は、無理だけど」
「はあ!? こっちのほうが無理ですけど!」
 席に座ってからも、豊騎は手を離そうとしない。そんな俺たちの様子を見ていた(ひなた)が、「仲良ち~」なんて言ってハートマークを手で形どり、こちらへ見せてきた。ふざけんな。泉くんも、惚れた弱みがあるからって陽に釣られてハートマークを作らないでくれ。陽のやつを止めてくれ。ついでに豊騎も。

 ***
  
 放課後、1階の昇降口まで下りて学校の外を見ると、校門の前にいつか見た高級車と同じ車が止まっていることに気がついた。円の中に星が輝くエンブレムが日差しを受けてキラリと光っている。あの車種ってお高いはずなんだけど、この街で流行ってんのかな。車の持ち主は誰なんだろうと思いつつ、校門を通り抜ける。俺の隣を歩いていた豊騎は、何故だか高級車を睨みつけていた。
「豊騎、あの車に知り合いでもいるのか?」
「……いや、別に」
 豊騎はそう言うと、いきなり俺の腰に腕を回してきた。脈絡も何もなかったので、避けきれず俺はされるがままになってしまう。
「おいっ、豊騎!」
 何してんだお前は、という意味を込めて豊騎を睨みつけたが、豊騎は俺のほうなんてちっとも気にせずにまだ高級車を睨みつけている。なんなんだ。今は周りに豊騎を追いかけている女子たちもいない。ここで恋人の演技をする必要なんてないだろ。
 腰に腕を回されているから、否応なしに近づいてしまう距離。歩くたびにお互いの腰がごつんと当たるので、そのたびに変な気持ちがむくむくともたげてくる。やめろ。落ち着け。豊騎と触れ合うと暴走しそうになる息子を、心の中で叱る。こんな往来でやらかしたら、一生もんの黒歴史になっちまう。
 俺が息子の反応を必死に抑える努力をしているなんて、露ほどにも知らないだろう豊騎は、学校からたいして離れてもいない場所で突然「ちょっと、話つけてくっから。先行ってて」と言うなり、学校のほうへ走っていってしまった。
 やっぱり何かがおかしい。何かが起きている。だけどその何かの実態がわからないので、ひたすらもやもやする。急に豊騎の体温が消えたので、妙に寒く感じた。
「んー怪しいっすねえー」
「だろ? やっぱ最近のあいつ変だよな」
 通学路を逆走していった豊騎の後ろ姿を見て、陽が頭を傾げた。俺も怪しいと思っていたので同調したが、「んーん。あっくんじゃなくってえ、想ちゃんのが変」と矛先を向けられてしまう。
「はあ!? 俺はいつも通りだろ」
「仲良しの友達が困ってんだから、恋人のフリくらいしてあげたらいいじゃーん。なんでそんなキョドってんの?」
「キョ、キョドってなんかねーし!」
 ギクリ。思い当たる節しかない。主に豊騎との接触で起きる分身の誤作動とか、心臓の誤作動とか。やましさのあまり、ついどもってしまった。
 俺の不審過ぎる態度に、陽は揶揄うチャンスだと言わんばかりにニヤケ顔を作る。
「それともお、彼氏のフリしたらなーんか不都合があるのかにゃ?」
「……」
「あー図星だにゃーん! その顔は図星だった顔だにゃーん」
「にゃんにゃんうるせえにゃん! ……あっ」
 陽の気色悪い語尾につられた。悔しい。陽と泉くんは笑いもせず、生暖かい目で俺を見ている。せめて笑い飛ばしてくれよ。
「この間のあっくんの告白動画、かーなり再生数回ってんねえ」
 羞恥に震える俺を華麗にスルーした陽は、スマホで動画投稿アプリを眺めて呟いた。カフェで盗撮されていた動画のことだ。横から陽のスマホ画面を覗き込むと、コメント欄では【せめて彼女であれよ】【は? 変な女よか男同士のほうがマシだわ】と意見がまっぷたつに分かれ、抗争が始まっていた。中には【男子と男子がいちゃついてんのてえてえ】なんてコメントもあったが、まあこれは稀有な意見だった。
「でもさあ、この調子じゃそろそろカフェでの出待ち隊もいなくなってんじゃねえ? 偵察に行こーよ」
「ひな、伊佐敷がモテまくってたのがそないに悔しかったんか」
 泉くんが言うと、陽は小さい子供のように唇をとんがらせた。
「だって今彼女いないんだもん! 寂しいんだもん! そんな時にあんなの見せられたらムカつくっしょ」
「ただの八つ当たりじゃん……」
 陽の言い分にドン引きしていると、「か、彼女はいなくても、俺がっ……そばにおるやろ」と泉くんが控えめに陽のフォローに入る。
 おお、泉くんにしては頑張った。俺は密かに泉くんの勇気を称えて拍手をしたが、陽は「いや、とっしーは早くゆうちゃんにちゃんと返事かえせよ。また無視してんだろ」と辛辣に言い返した。がっくりと項垂れる泉くん。この2人の仲はまだまだ進展しないようだ。

 ***

 駅前にある豊騎のバイト先のカフェの店内は、先日とは打って変わって、ほどよい客の入り具合だった。全面ガラス張りのため、広々とした店の中がよく見える。テラス席ではペット同伴でティータイムを楽しむ人がいたり、店内の奥側ではパソコンを開きながら優雅にコーヒーを飲んでいる人も多い。この前は店内がとても狭く感じたけど、あれは単に豊騎目当ての客が多過ぎたからだったようだ。本来の店は広く、開放感のある素敵なカフェだった。
「……あっくんがいない時はこんなに静かなんだねえ」
 俺と同じようなことを感じたのか、店内のソファー席に腰を下ろした陽は、きょろきょろと周りを見回して驚いたように言った。その隣に座った泉くんは店内には全く興味がないようで、手に持っている季節限定のストロベリーラテに夢中な様子。
 俺はアイスコーヒーを啜りながら「平日のカフェなんてフツーこんなもんだろ」と言い、カウンターの中で忙しなく動いているスタッフたちを眺めた。ここで働いている人たち、豊騎ほどではないにしてもみんな顔が整っている。顔採用でもあるのか?
「あ、あっくん」
 静寂の時は早くも終わりを告げそうだ。陽が呟いた後、カフェの入り口から豊騎が「おはようございます」とスタッフに挨拶しながら入ってきた。もちろん、後ろに追っかけの女子軍団を引き連れて、だ。この間より頭数は減っていたけど、まだまだ女子の人数は多い。イケメン店員・豊騎にはたくさんファンがついているみたいだ。
 学校前まで謎に戻っていた豊騎は何をしていたんだろう。バイトのシフト時間に少し遅れたようで、豊騎は裏にあるスタッフルームに入ってエプロン姿に着替えてきた後、カウンター内にいる先輩店員らしき人に頭を下げている。先輩店員は豊騎に「いいよいいよ」と笑い返した。バイトに入って以来、物凄い集客力を見せている豊騎に対して、強くは出られないようだ。
「確かに……かっこいい、かも」
 ふと呟きが漏れてしまう。カフェの制服である黒シャツにエプロンをつけた豊騎は、女子に騒がれるのも納得なくらい、様になっていた。俺が豊騎の友達じゃなくて、このカフェで出会った客だったら、その場で恋に落ちてしまっていたかも。そんな幻想さえ浮かんだ。 
 その後は、この間のような大騒ぎになることもなく、平穏な一日が過ぎていった。豊騎の追っかけファンたちもだいぶ大人しくなった。今日は時々レジに女子が駆けていき豊騎の連絡先をねだる、くらいのものだった。
 だけど、事件は俺たちが油断しきっていたその時、起きた。
「伊佐敷くん。伊佐敷、豊騎くん」
 凛とした、鈴を鳴らしたような声が店内に響く。声の主は、どこか気の強そうなところはあるけど美人な女の子だ。よく見ると、陽の元カノで幼馴染のゆうちゃんが通うお嬢様女子高の制服を着ている。でも、誰?
 見たことのない女の子を前にして、豊騎はにわかに表情を強張らせた。
「あんた……もしかして綾小路家(あやのこうじけ)の手先か?」
「まさか。私は伊佐敷くん、あなたの婚約者の西園寺姫花(さいおんじひめか)よ。会うのはずいぶんと久しぶりだから、覚えていないのも無理はないけれど」
 謎の女の子――西園寺姫花は豊騎に言う。なんか話しかたがひと昔前のラノベのヒロインっぽい子だな、というのが俺の受けた第一印象だ。てか、待って。婚約者って何。初耳なんですけど。
 豊騎は一瞬悩むように額に手を当ててから、先輩店員へ「すみません。休憩入ります」とひとこと告げて、エプロンを脱ぎ捨てた。俺たちがハラハラと見守っている間にカウンター内から出てきた豊騎は、西園寺姫花に「来い」とでも言うように、顎をしゃくった。
 カフェの外へと出ていく豊騎たちを慌てて追う、俺、陽、泉くん。
「綾小路の使いの者に伝えたはずだ。俺にはもう将来を考えている恋人がいるから、婚約なんて出来ないと」
 今は休憩時間だからなのか、豊騎は途端に偉そうな口調になる。だけど、西園寺姫花はまったく怯まない。両腕を胸の前で組むという、いかにもプライドの高いお嬢様っぽいポーズを取っている。
「あら、私はあなたに恋人がいても構わないわよ。愛人のひとりやふたり、許す度量がなければ西園寺の名が廃るもの」
「……話が通じないな」
 2人のやり取りを見て、「伊佐敷のやつ、ほんまに金持ちの家の子やったんか」と泉くんが言う。よっぽど驚いたのか、眼鏡がずり落ちているが気づかないままだ。
「あの姫花って子、すごいオーラだねえ。あっくんの追っかけちゃんたち、手も足も出ないみたい」
 陽がそう言った通り、カフェまでついてきていた数人の豊騎のファンたちは、西園寺が喋り出してからというもの、豊騎を遠巻きに見てひそひそと仲間うちで話しているだけだった。西園寺さん、なんかいかにも強そうだもんな。ラノベヒロインっぽいし。
「想ちゃん、ライバル出現でだいピ~ンチだね?」
 にゅっ、と横から俺の顔を覗き込んでくる陽。おい、ちょっとこの状況を面白がってるだろ。陽のやつめ。
 陽にうんざりして顔を顰めていると、陽の言葉を聞きつけたのか、豊騎がこちらを振り返った。
「俺が好きなのは想だけだから」
 真顔で突然、そんなことを言う豊騎。少女漫画かよ。そう馬鹿にしたかったのに、愚かな俺の心臓はドキドキと、ときめき始めてしまう。「ちょ、おま、役に入り込み過ぎだぞ」と、誤魔化すように言って笑ってみたけど、豊騎は笑わない。
「……恋人のフリじゃなくて、本気だって言ったらどうする?」
「え……?」
 本気、ってどういう意味だ。元々たいしてよくもない俺のIQが急激に低下する。あ、豊騎の真剣な顔ってマジでイケメン。
 みんなが見つめる中、俺はきっと宇宙いち間抜けな顔を晒していた。