僕の彼女は、量子的だ。
量子的と言っても量子のような振舞いを見せるという訳ではなくて、彼女は粒子でありまた波でもあるという意味ではないし、ましてや彼女の存在位置は確率でしか表すことができないという意味でもない。
いや、気まぐれな彼女の性格を考えればそういった解釈もあながち間違いではないのだけれど、単に理系女子をこじらせた彼女が、何かにつけ量子論にこじ付けた話題を振ってくる……そういった意味で量子的なのだ。
「シュレーディンガーの猫って知ってる?」
ほら、今朝も開口一番これである。待ち合わせ場所に遅れて現れた彼女は、挨拶をすっ飛ばしていきなり量子論の話を始めた。
「量子論の矛盾を指摘する思考実験……だっけ?」
僕たちは、肩を並べて通学路を歩き始めた。
今日が七月七日だから、付き合い始めてもうすぐ一ヶ月になる。恋人になって日が浅い二人は、手は握れどキスすらまだしていない清い関係なのだ。量子論なんかじゃなくて、もっと高校生らしい話題で距離を縮めたい。
彼女の悪戯っぽい性格を可愛いと感じてしまうし、それに容姿も僕好みだ。それにおっぱいだって大きくて、歩くたびにたゆんと揺れる。波の性質を持つのは、何も量子ばかりではない……って、僕は朝っぱらから、何を言ってるんだ!? でも仕方ないじゃないか。僕だってエッチなことに興味津々のお年頃なのだ。
「で、シュレーディンガーの猫がどうしたって?」
「どういう思考実験なのか、説明できる?」
「確か、箱の中に放射性物質と、放射線を感知したら毒ガスを出す装置と、猫を入れてフタをする……だったかな」
並んで歩く彼女の表情を、ちらりと盗み見る。
「心配しなくても合ってるわよ。放射性物質の原子核が崩壊して放射線を出すと、毒ガスが出て猫が死ぬわ」
箱に入れられたり、毒ガスで殺されたり……思考実験とはいえ、猫もいい迷惑である。
「えーっと、それで何だっけ。一時間以内に原子が崩壊する可能性は五十パーセントで、一時間後に原子が崩壊しているかどうかは、観測することによって収縮する……だったかな」
「そうね。観測するまでは、原子が崩壊していない状態と、崩壊している状態が、重ね合わせの状態で共存していると解釈するの。観測することによって、どちらか一つの状態に収縮するわ」
「原子の崩壊と猫の死が連動してるから、観測するまで猫が生きている状態と死んでいる状態が重ね合わせに共存していることになってしまう……」
「半死半生の猫なんていう馬鹿げた存在を許す量子論の解釈はおかしいっていうのが、シュレーディンガーの指摘したパラドックスよ」
「何回聞いても、状態の重ね合わせとか収縮って理解できないな」
「収縮が起こらずパラドックスが発生しない解釈もあるのだけれど、そっちはそっちでまた理解しがたい解釈ではあるし……」
やめてくれ。これ以上ややこしい話は、勘弁してほしい。
「ところで昨日ね、ウエブで面白いの見つけたの。聞いたことないかしら? シュレーディンガーの……」
「猫だろ?」
「ちがうわ。パンツよ」
「パンツ!?」
「そう、パンツ」
立ち止まって、彼女の顔を覗き込む。
「スカートの中ってね、パンツを穿《は》いている状態と、パンツを穿いていない状態が重ね合わせで共存しているそうよ」
「は、はぁ……」
「スカートの中を観測すれば、どちらかの状態に事象が収縮するって訳ね」
「お、おう……」
「それでね、面白そうだから試してみようと思ったの」
「え? 試すって……」
思わず、彼女の下半身を見遣る。膝上まで詰めた制服のスカートから、長い脚がスラリと伸びている。その下はまさか……。いやいや、ちょっと待って。もしかして穿いてないの? ノーパンで登校しちゃってるの?
「勘違いしないでね。穿いてないんじゃないわ。穿いてる状態と穿いてない状態が、共存してるのよ。観測することによって、いずれかに収縮するの」
そんなの、観測するまでもなく確定してる……なんて、野暮なことは言わない。この場合、観測者って僕じゃないか。スカートの中を覗くチャンスを、つぶす訳がない!
「か、観測するの……僕だよね?」
喉を鳴らして、生唾を飲み込む。
人通りのない路地に入り、彼女は背中を向けたままスカートの端をつまむ。
キスもしたこと無いのに、おしり見せてくれるとかどんな女神様だよ。不幸にも穿いてる方だったとしても、パンツ見えるじゃん。最悪でもパンツ! 最悪でもパンツ!
「準備はいいかしら?」
そう言うと彼女は頬を赤く染めながら、つまんだスカートの端を少しづつ上げ始める。
太ももが露わになり、後少しで生尻が……いや待て、紺色の生地が見える。残念、事象は穿いてる方に確定した! でも、パンツ確定! 理系女子はみんな白を穿くものだと思っていたけど、紺とはまた大人っぽい。少しづつ露わになる下着に、僕の気分も最高潮に……って、あれ? パンツにしては、ゴツくない!?
「あの、それ、何を穿いてるの?」
「何って、体操着?」
「体操着……だと!?」
「だって今日の一時間目の数学、明日の体育と入れ替えになったし……」
絶望は死に至る病である、そう言ったのはキルケゴールだっただろうか。僕の心と体は、ひどい病に蝕まれてしまった。かつて無いほどの絶望……期待が大きかった分、落胆も大きい。元通りに下ろされたスカートの向こう側、虚数世界をただ見つめる。
けれども落ち込んでる場合じゃない。考えろ、考えるんだ! 事象は確定した。しかし再びスカートが下ろされた今、ノーパンとパンツと忌々しい体操着の三者は、再び共存しているんじゃないのか? もう一度観測すれば、別の事象が確定するんじゃないのか?
それとも、一度確定した事象はくつがえらないのか? だったら確定前まで、観測する前まで戻してくれ! やり直しを要求する!!
「せめて、パンツだろぉ!!」
僕の魂の叫びが、晴れ渡る朝の空に響き渡った。
僕の彼女は、量子的だ。
量子的と言っても量子のような振舞いを見せるという訳ではなくて、彼女は粒子でありまた波でもあるという意味ではないし、ましてや彼女の存在位置は確率でしか表すことができないという意味でもない。
いや、気まぐれな彼女の性格を考えればそういった解釈もあながち間違いではないのだけれど、単に理系女子をこじらせた彼女が、何かにつけ量子論にこじ付けた話題を振ってくる……そういった意味で量子的なのだ。
「EPRパラドックスって知ってる?」
ほら、今朝も開口一番これである。待ち合わせ場所に遅れて現れた彼女は、挨拶をすっ飛ばしていきなり量子論の話を始めた。
「量子論の矛盾を指摘する思考実験……だっけ?」
僕たちは、肩を並べて通学路を歩き始めた。
今日が七月七日だから、付き合い始めてもうすぐ一ヶ月になる。恋人になって日が浅い二人は、手は握れどキスすらまだしていない清い関係なのだ。量子論なんかじゃなくて、もっと高校生らしい話題で距離を縮めたい。
彼女の悪戯っぽい性格を可愛いと感じてしまうし、それに容姿も僕好みだ。それにおっぱいだって大きくて、歩くたびにたゆんと揺れる。波の性質を持つのは、何も量子ばかりではない……って、僕は朝っぱらから、何を言ってるんだ!? でも仕方ないじゃないか。僕だってエッチなことに興味津々のお年頃なのだ。
「で、EPRパラドックスがどうしたって?」
「どういう思考実験なのか、説明できる?」
「確か、ある粒子がAとBに崩壊して、十分な時間の後に遠く……例えば何光年も離れる。Aの運動を観測すれば、Bの運動も同時に確定する……だったかな」
並んで歩く彼女の表情を、ちらりと盗み見る。
「心配しなくても合ってるわよ。何光年も離れてるのに、Bの状態がAの観測結果に依存するのはおかしい……という主張よ」
ちなみにEPRというのは、アインシュタイン、ポドルスキー、ローゼン、三人の学者の頭文字らしい。相対性理論で有名なアインシュタインが、量子論にも関わっていたとは、恥ずかしながら知らなかった。
「えーっと、それで何だっけ。スピン0の粒子が分離した場合、Aが右回転ならBは反対向きで同量の回転になるんだったよね。どちらに回転しているかは、観測するまで重ね合わせになるんだっけ」
「そうね。観測するまでは、右回転の状態と左回転の状態が、重ね合わせの状態で共存していると解釈するの。観測することによって、どちらか一つの状態に収縮するわ」
「Aを観測して右回転に収縮すれば、その瞬間Bは左回転に収縮する……」
「Aを観測した瞬間に、その情報が瞬時に何光年離れたBに瞬時に伝わって確定するのはおかしいというパラドックスね」
「何回聞いても、状態の重ね合わせとか収縮って理解できないな」
「ちなみにEPRパラドックスは、現在では実際に起こる相関関係として捉えられているわ。EPR相関とか、量子テレポーションと呼ばれているの」
やめてくれ。これ以上ややこしい話は、勘弁してほしい。
「ところで、私に姉が居ることは知ってるかしら?」
「知ってるさ。同じ高校の一年上の先輩じゃないか」
「私も姉も、体育がある日は、スカートの下に体操着を穿いて登校するわ」
「え? 何の話!?」
「そして、私のクラスと姉のクラスでは、ちょうど入れ替わるように体育の授業があるの」
立ち止まって、彼女の顔を覗き込む。
「つまり、私が体操着を穿いている日は姉はパンツだけだし、私がパンツだけの日は姉が体操着を穿いているわ」
「は、はぁ……」
「つまり私のスカートの中を観測して事象収縮すれば、同時に姉のスカートの中身も収縮するってことよ」
「お、おう……」
思わず、彼女の下半身を見遣る。膝上まで詰めた制服のスカートから、長い脚がスラリと伸びている。彼女のクラスでは、今日は体育の授業はないはずだ。
「観測するまで、体操着の状態とパンツの状態が共存してるのよ。観測することによっていずれかに収縮するし、姉のスカートの中も同時に収縮するわ」
そんなの、観測するまでもなく確定してる……なんて、野暮なことは言わない。この場合、観測者って僕じゃないか。スカートの中を覗くチャンスを、つぶす訳がない!
「か、観測するの……僕だよね?」
喉を鳴らして、生唾を飲み込む。
「観測……したいの?」
人通りのない路地に入り、彼女は背中を向けたままスカートの端をつまむ。
キスもしたこと無いのに、パンツ見せてくれるとかどんな女神様だよ。パンツ見れるじゃん。パンツ! パンツ!
「準備はいいかしら?」
そう言うと彼女は頬を赤く染めながら、つまんだスカートの端を少しづつ上げ始める。
太ももが露わになり、紺色の生地が見える。理系女子はみんな白を穿くものだと思っていたけど、紺とはまた大人っぽい。少しづつ露わになる下着に、僕の気分も最高潮に……って、あれ? パンツにしては、ゴツくない!?
「あの、それ、何を穿いてるの?」
「何って、体操着?」
「体操着……だと!?」
「だって今日の一時間目の数学、明日の体育と入れ替えになったし……」
期待はあらゆる苦悩のもと、そう言ったのはシェイクスピアだっただろうか。まったくもってその通りだと今、身をもって知った。期待が大きかった分、苦悩も大きい。元通りに下ろされたスカートの向こう側、虚数世界をただ見つめる。
けれども落ち込んでる場合じゃない。考えろ、考えるんだ! 事象は確定した。しかし再びスカートが下ろされた今、パンツと忌々しい体操服の両者は、再び共存しているんじゃないのか? もう一度観測すれば、パンツに確定するんじゃないのか?
それとも、一度確定した事象はくつがえらないのか? だったら確定前まで、観測する前まで戻してくれ! やり直しを要求する!!
「パンツ見せてくれよ!!」
僕の魂の叫びが、晴れ渡る朝の空に響き渡った。
僕の彼女は、量子的だ。
量子的と言っても量子のような振舞いを見せるという訳ではなくて、彼女は粒子でありまた波でもあるという意味ではないし、ましてや彼女の存在位置は確率でしか表すことができないという意味でもない。
いや、気まぐれな彼女の性格を考えればそういった解釈もあながち間違いではないのだけれど、単に理系女子をこじらせた彼女が、何かにつけ量子論にこじ付けた話題を振ってくる……そういった意味で量子的なのだ。
「量子デコヒーレンスって知ってる?」
ほら、今朝も開口一番これである。待ち合わせ場所に遅れて現れた彼女は、挨拶をすっ飛ばしていきなり量子論の話を始めた。
「外的要因との干渉によって、量子としての動きが失われること……だっけ?」
僕たちは、肩を並べて通学路を歩き始めた。
今日が七月七日だから、付き合い始めてもうすぐ一ヶ月になる。恋人になって日が浅い二人は、手は握れどキスすらまだしていない清い関係なのだ。量子論なんかじゃなくて、もっと高校生らしい話題で距離を縮めたい。
彼女の悪戯っぽい性格を可愛いと感じてしまうし、それに容姿も僕好みだ。それにおっぱいだって大きくて、歩くたびにたゆんと揺れる。波の性質を持つのは、何も量子ばかりではない……って、僕は朝っぱらから、何を言ってるんだ!? でも仕方ないじゃないか。僕だってエッチなことに興味津々のお年頃なのだ。
「で、量子デコヒーレンスがどうしたって?」
「なにか実例を挙げて、説明できる?」
「そうだなぁ、例えば二重スリット実験。電子ガンとスクリーンの間に二本のスリットがある板をおいて、電子を一個づつ放つ……だっけ?」
並んで歩く彼女の表情を、ちらりと盗み見る。
「心配しなくても合ってるわよ。電子の粒が一個づつ放たれているにも関わらず、スリットを通り抜けた先のスクリーンには干渉縞が描かれるわ。つまり、波としての性質を示すの」
粒子なのに波の性質とか……これだから量子論ってのは理解しがたい。
「えーっと、それで何だっけ。電子がどちらのスリットを通るか観測する装置を置くと、途端に干渉縞が現れなくなるんだっけか」
「そうね。観測することによって波としての振る舞いがなくなり、粒子のように振る舞いだすわ。右のスリットを通った状態と、左のスリットを通った状態が重ね合わされて干渉を起こしていたのに、観測することで粒子の状態に収縮する……量子論の主流を占める、コペンハーゲン解釈よ」
「何回聞いても、状態の重ね合わせとか収縮って理解できないな」
「多世界解釈ってのもあるけどね。右のスリットを通った世界と、左のスリットのを通った世界に分かれて重なり合ってるの。右を通った世界に居る観測者は電子が右のスリットを通ったと観測し、左を通った世界にいる観測者は電子が左のスリットを通ったと観測する……この解釈だと、収縮は起こらないわよ?」
やめてくれ。これ以上ややこしい話は、勘弁してほしい。
「ところでうちの制服、スカートの左右にスリットが入ってるの気づいてた?」
気づいてるも何も、そのスリットからチラリと覗く太ももを観ることが、僕の無常の喜びなのだ……なんてことは、彼女には言わない。
「あ、そうなんだ。スリット入ってたんだね。キヅカナカッタナー」
「この二本のスリットを光が通り抜けると、干渉縞を描いて縞パンになるわ」
「え? 縞……なに!?」
「縞パンよ。知ってるでしょ、シマシマ柄のパンツ」
「パンツ!?」
「そう、パンツ」
立ち止まって、彼女の顔を覗き込む。
「でも、どちらのスリットから光が入るか観測すると干渉縞は描かれずに、単色パンツに収縮するわ」
「は、はぁ……」
「それでね、面白そうだから試してみようと思ったの」
「え? 試すって……」
思わず、彼女の下半身を見遣る。膝上まで詰めた制服のスカートから、長い脚がスラリと伸びている。その下は縞パン? それとも単色パンツ!? いやいや、ちょっと待って。あらゆる可能性が重なり合っているとするなら、穿いてないって可能性もあるんじゃないの?
「観測することによって光は波としての振る舞いがなくなって、単色パンツに収縮するはずよ」
そんなの、観測するまでもなく確定してる……なんて、野暮なことは言わない。この場合、観測者って僕じゃないか。スカートの中を覗くチャンスを、つぶす訳がない!
「か、観測するの……僕だよね?」
喉を鳴らして、生唾を飲み込む。
「観測……したいの?」
人通りのない路地に入り、彼女は背中を向けたままスカートの端をつまむ。
キスもしたこと無いのに、パンツ見せてくれるとかどんな女神様だよ。パンツ見れるじゃん。パンツ! パンツ!
「準備はいいかしら?」
そう言うと彼女は頬を赤く染めながら、つまんだスカートの端を少しづつ上げ始める。
太ももが露《あら》わになり、紺色の生地が見える。理系女子はみんな白を穿くものだと思っていたけど、紺とはまた大人っぽい。少しづつ露わになる下着に、僕の気分も最高潮に……って、あれ? パンツにしては、ゴツくない!?
「あの、それ、何を穿いてるの?」
「何って、体操着?」
「体操着……だと!?」
「だって今日の一時間目の数学、明日の体育と入れ替えになったし……」
希望がなくなると絶望する必要もなくなる、そう言ったのはセネカだっただろうか。逆説的に考えれば、絶望している僕にはまだ、希望が残されているのだろうか。かつて無いほどの絶望……期待が大きかった分、落胆も大きい。元通りに下ろされたスカートの向こう側、虚数世界をただ見つめる。
けれども落ち込んでる場合じゃない。考えろ、考えるんだ! 事象は確定した。しかし再びスカートが下ろされた今、縞パンと単色パンツと忌々しい体操着の三者は、再び共存しているんじゃないのか? もう一度観測すれば、別の事象が確定するんじゃないのか?
それとも、一度確定した事象はくつがえらないのか? だったら確定前まで、観測する前まで戻してくれ! やり直しを要求する!!
「パンツ見せてくれよ!!」
僕の魂の叫びが、晴れ渡る朝の空に響き渡った。
僕の彼女は、量子的だ。
量子的と言っても量子のような振舞いを見せるという訳ではなくて、彼女は粒子でありまた波でもあるという意味ではないし、ましてや彼女の存在位置は確率でしか表すことができないという意味でもない。
いや、気まぐれな彼女の性格を考えればそういった解釈もあながち間違いではないのだけれど、単に理系女子をこじらせた彼女が、何かにつけ量子論にこじ付けた話題を振ってくる……そういった意味で量子的なのだ。
「この世界は、ループしているわ」
ほら、今朝も開口一番これである……って、ループ?
「今日はどうしたのさ。ループとか、まるでSFだね」
「違うわ。現実よ。今回で一五五三二回目になるわ」
「いつもなら待ち合わせに遅れて来て、いきなり量子論の話を始めるところでしょ?」
待て、いま僕は「いつもなら」と言ったか? その言葉はもしかして、《《いつもの七月七日》》ならば……そういう意味で言ったのか!?
「思い当たる節が、在るのかしら……」
彼女に促され、僕たちは肩を並べて通学路を歩き始めた。
「で、ループしてるってどういうこと?」
「七月七日の朝を延々とやり直し続けてる……ってことになるわ」
「ごめん。よく解んない」
並んで歩く彼女の表情を、ちらりと盗み見る。綺麗な横顔だと思う。とても僕好みの容姿なのだ。彼女の悪戯っぽい性格も可愛いと感じてしまう。それにおっぱいだって大きくて、歩くたびにたゆんと揺れる。波の性質を持つのは、何も量子ばかりではない……って、僕は朝っぱらから、何を言ってるんだ!? でも仕方ないじゃないか。僕だってエッチなことに興味津々のお年頃なのだ。
「またエッチなこと、考えてるでしょ?」
図星を指されて、思わず立ち止まる。
「なんで判るの?」
「気づいてないの? 出てるわよ、顔に」
もしかして、ニヤけた表情でもしてたのだろうか……。
「でも、世界をループさせる程の力があるんだから、エッチな思考も馬鹿にできないわね」
「もしかして、僕のせいでループしてるの?」
神妙な面持ちで、彼女が頷く。
「七月七日の朝を何度も別世界に分岐させて、何度もやり直してるわ」
「それがもう、一万何千回目かになるの?」
「一五五三二回目よ。この世界の他に、分岐した一五五三一個の世界が在ることになるわ。それぞれの世界は独立してて、重ね合わせの状態にあるの。各世界の私の記憶も独立しているのだけれど、さすがに一万以上の世界が重なり合うとね……突如として、繰り返されていることを理解してしまったわ」
「どうして僕は、何度も七月七日を繰り返しているのだろう……」
彼女は答えづらそうにしていたけど、やがておもむろに口を開いた。
「きっと私が悪いの。エッチなあなたが喜ぶと思って、量子論の話にかこつけてスカートの中を見せたりするから……」
「え? もしかして、パンツ見せてくれたの!?」
「やだ、そんなの無理! パンツは恥ずかしいから、体操着を穿いて……」
彼女が真っ赤になった頬を、自らの両手で覆う。
「あー、それでガッカリした僕が、何度もやり直してるってこと!?」
「そ、そうみたい……」
「だから……ね。パンツさえ見れば、満足してループは起きないと思うのね」
「み、見せてくれるの!?」
恥ずかしそうに顔を伏せ、そしてコクリと彼女が頷いた。
冷静に考えてみれば、そもそもスカートの中見せるなんて言わなきゃ、僕は体操着に失望することもなく、ループなんて起きないのではないか……なんて、野暮なことは言わない。せっかく彼女が、パンツ見せてくれるって言ってるんだから!
「ほ、本当に見せてくれるんだよね?」
喉を鳴らして、生唾を飲み込む。
「そ、そんなに見たいの?」
人通りのない路地に入り、彼女は背中を向けたままスカートの端をつまむ。
いきなりパンツ見せてくれるとか、どんな女神様だよ。パンツ見れるじゃん。パンツ! パンツ!
「準備はいいかしら?」
そう言うと彼女は頬を赤く染めながら、つまんだスカートの端を少しづつ上げ始める。
徐々に太ももが露《あら》わになる。パンツ、何色なんだろう。期待で胸が、はちきれそうだ。理系女子はみんな白を穿くものだと思っているのだけど……大人っぽい彼女のことだ、意外と黒だったりして。
心臓の鼓動がヤバい。興奮しすぎて、息苦しいほど高鳴っている。あ、おしりが見えそう! あ、もしかしてベージュ? いや待て、これってまさか……。
「どう? 見えた?」
羞恥に耐えながら、固く目を閉じて彼女が問う。
「み、見えたよ……バッチリ見えた……」
呆然と、だがしかしおしりを凝視しながら答える。
「ま、満足?」
「満足というか、その……生尻ごちそうさまです」
「な、なま!?」
慌ててスカートを下ろし、彼女がその場にしゃがみ込む。
恐る恐るスカートの中を確認した次の瞬間、晴れ渡る朝の空に彼女の悲鳴が響き渡った。
出掛けに僕に見せるパンツを決めあぐね、あれやこれやと試着しているうちに家を出る時間を過ぎてしまい、慌てて穿かないまま飛び出してしまったのだそうだ。
「そんなに落ち込むなよ」
慰めの言葉も、彼女には届いていない。
少しでも気持ちを理解しようと、登校途中にパンツを見せようとしてうっかり生尻を見せてしまった女子高生の気持ちを想像してみたけど、僕にはよく解らなかった。
「そろそろ行こうよ。遅刻するよ?」
彼女が頷き、ゆっくりと立ち上がる。そして虚ろな視線で僕を見つめて告げる。
「ねぇ、おしり見せてよ」
「や、やだよ!」
「私の見たんだから、見せてくれたって良いでしょ?」
おしりくらい見られてもどうってことないけど、改めて請われると恥ずかしい。
「じゃ、学校着くまでに僕に追いついたら……」
そう言って僕は、学校へ向かって駆け出す。その後を追って、彼女も駆け出す。
付き合い始めたばかりの二人。キスはまだだけど、彼女のおしりの形は知っている。一五五三二回のやり直しを重ねて、ようやく僕たちの時間は前へと進み始めた。
(了)