――終わった。
そう思った。
 中央線の窮屈な車内、おっさんとおっさんに挟まれたあたしは茫然とスマホの画面を見下ろしていた。両手がつめたくて、それはもうすぐ冬になるからなのか、もともとあたしの手が冷えきっていたからなのか、それとも、……わかんなかった。
 この瞬間、あたしの中から何かがズルリと抜けた。ズルッとバッグが肩から滑り落ちて、ズルい、と思った自分に死にたくなった。
 新宿についた電車がパカッと口開けて、ドカドカおっさんがあたしをどつきながら出ていく。邪魔だよおまえなんて目線に押されるようにふらっとホームにおりた。外の空気はつめたくて、スマホをしっかと両手で持ったままのあたしの指先はうすら赤い。
 メジャーデビュー決定。
 スマホにでかでかうつった文字があたしの目をまだ焼いている、そんであたしは妬いている。
インスタの通知が飛んでくる。あたしの、ギター抱えた、いつかのきったねえライブハウスでのライブの写真。そんなしょぼいアイコンが表示されて、このアカウントでストーリー見ますか大丈夫ですかみたいな文言が出る。クチバシみたいにトトトト、画面を指先でタップする。
 ――やっとやっとデビュー決まったよ。みんなのおかげ。ありがとうね!
 慎くんがピースしてる写真と、でかでか表示された白文字。
 はあ、と白い息が伸びた。新宿駅のホームは人がひしめきあっていてくさくて、立っているだけでどつかれる。あたしの肩に肩ぶっけてきたおっさんの白い息は若干くさかった。ストーリーがぱっと消えて、あたしのむなしいタイムラインがそこで茫然広がっている。
 気づいたら、新宿アルタの前であたしは立ち尽くしていた。両耳に差しこんだイヤフォンからは、ブルーレインの曲がひっきりなしに流れていて、鼻の奥がジンジン痛かった。
ばかでかいモニターの中でケーポップアイドルが完璧な笑顔とダンス、撮影に必死な外国人とその手に持ち上げられているスマホ、待ち合わせで退屈そうに髪いじる女、柵にもたれてじろじろ往来を見つめている男、眩しいネオン。まだ十七時を過ぎたばかりなのに冬のせいで夜みたい。香水のにおいと下水のにおいと新宿はごちゃごちゃ、雑踏だけが音楽に消されている。
 メジャーデビュー、と呟いてみる。
 え、マジで、そんなとこまで、いってたの。
 慎くんのフォロワーは二万人。ブルーレインは、五万人。
 え、いつの間に、そんな、増えてたの。
 あたし、下北沢のフェス行ったよな。去年の夏ごろだよな。そんとき、そんな、てか、デビューって、こんなすぐなの。もっとなんか遠いもんじゃないの。メジャーデビューって、マジ?
 てか、てかさ、こうも重なるもんなの?厄年?あたし前世で人でも殺した?
 は、いや、もうだめじゃん。なにもかも。
 イヤフォンをぶち抜いてポケットに突っこんだ。さっき、あたしから瞬間ズルリと抜けたのはなんだったんだろう。
立ち尽くしていたらナンパ目的の男がすり寄ってきて、キモかったから無視し続けたら悪態つかれた。ブスって言われたけど、言い捨てて去っていった男はすげーガニ股で、いやおめーのがブスやんけって思った。
両足が痛くなってきた。指先が痛くなってきた。心臓かどっかが痛くなってきた。そんで、あ、麻酔が切れたんだって思った。
 ――好きって、今をどうにか生きるための麻酔みたいなもんじゃない、きっと。
 そんないつかの言葉思いだしながら、あたしは痛む指先でスマホを握りなおして、履歴いちばん上の番号を呼び出した。
麻酔が切れたせいだ。麻酔切れちゃったせいで、全身、いや、あたしまるごとキリキリズキズキ痛んでいる。つーか、とっくに傷んでたんだと、思う。
「急にごめんね」
 ――一生のお願いがあってさ。
 そう、冷たくて真っ白な息と一緒に吐き出した。
イッショウノ、オネガイ。イッショウノオネガイってめちゃくちゃ嘘だよな、と思いながら。