瞳が物語る

翌日。愛は『charmée』の前にいた。
「琢磨さんにお礼言わなきゃだよね……。涼くんにも……。」
ドアに手をかけ、昨日の涼との出来事を思い出し、手を離す。
「いや、涼くんがいるとは限らないし……。」
もう一度、ドアに触れる。
「よし、開けよう。仮に涼くんがいても、私は記憶がなかったことにして、『送ってくれたんだよね?ありがと〜!』ってだけ言おう……!」
愛は決心し、ドアノブを握った。
「愛さん、何してんの?」
「へぇあ⁉︎」
緊張した愛の真後ろから声をかけた人物。涼だ。不審げに愛を見ている。
「アッ…や、いや……。」
「入るんでしょ。はい。」
涼がドアを開ける。
「あ、ありがと……。」
「ん。」
愛の動揺に反応することもなく、いつも通りの涼。愛は、そんな涼の様子を見て、ホッと胸を撫で下ろしたのだった。
「あ、二人とも!いらっしゃい。」
店内に入ると、琢磨さんが出迎えてくれる。
「琢磨さん、昨日はありがとうございました!あと、涼くんも家まで送ってくれたよね?ありがとう。」
「いえいえ、僕も楽しかったし。」
「ん。」
愛のお礼に、琢磨はにこにことし、涼はこくりと頷いた。
「あぁ、ちょうどいいや。二人、留守番頼めない?昨日、食材使っちゃって買い足したかったんだよね。」
「え⁉︎」
「昨日、お酒飲んじゃったし、夜だったから買い足せなくて。」
昨日のディナーで使い切った食材。そう言われたら、愛は断るわけにもいかなかった。
「分かりました……。」
「りょうかーい。」
愛が目をキョロキョロさせながら頷く。涼はボフン!といつものソファーに座った。
「私、お皿洗っとくとかしましょうか?」
「いや、留守番だけで大丈夫だよ。」
愛は、じっとしておくのは間がもたないと思い、何かしておこうと考えたけど、断られてしまった。
「愛さんも座れば?」
涼が愛に声をかけた。向かいのソファーを指さしている。いつも愛が座る席だ。
「そう、だね……。」
「じゃ、よろしくね。」
愛が座ると、琢磨は出て行った。

「……。」
「……。」
気まずい。非常に気まずい。『charmée』ってこんなに静かだったっけ⁉︎私はチラリと涼くんを見た。涼くんは黙って楽譜を読んでいる。
「あの、さ……。」
「はい⁉︎」
涼くんが楽譜から私に目を移し、声をかけた。
「昨日、酒飲んだ後のこと覚えてる?」
「……や、ちょっと、記憶が。」
私は、とりあえずとぼけてみることにした。
「……ふぅん?」
涼くんが楽譜をしまった。カサカサとした紙の音が私を落ち着かなくせる。え、覚えてないって言ったのに、話続けるの?
「……。」
じっと涼くんが私を見た。まだ肌寒い季節のはずなのに私の背中にはダラダラと汗が流れていた。
「覚えてないんだ?」
「気づいたら、家にいたかな〜……。」
もうこのまま、とぼけ通すしかない。私は机に置かれたメニューに視線を沿わせながら、そう答えた。
「そ。……愛さんさ、酔ったらキス魔だから、気をつけた方がいいよ。会社の飲み会とか。色んな人に、ちゅーして〜って言っちゃってんじゃないの?」
涼くんがからかうように、でも少し寂しげに言った。私は涼くんを見る。誰にでもじゃない。あれは涼くんがだから変な酔い方をしちゃったんだ。
「いやいやいや、あんな感じの酔い方、私、初めてで……。」
私は、そう否定しながら、ハッと口を押さえた。やっちゃった……。私は焦って涼くんから目を逸らす。
「やっぱ、覚えてんじゃん。」
「……。」
「ね、こっち見てよ。」
涼くんが、私を呼んだ。私は自分でも分かるくらい、ゆらゆらと瞳が揺れていた。心臓がバクバクして、まるで世界もぐらぐら揺れてるみたい。
「愛さん、お願い。」
そう言われて、おそるおそる涼くんの方を見る。涼くんを見ているのに、まだ私の瞳は揺れていて、なんだかクラクラする。
「やっと、こっち見た。」
涼くんがそう言った。笑った涼くんと視線が交わった瞬間、私は耳が熱くなり、呼吸が浅くなる。恥ずかしさから、目にじわじわと涙が溜まるのを感じた。涼くんはソファーから立ち上がり、私の横に来て、座り込んだ。その間も私は涼くんから目が離せなかった。
「顔赤すぎ。耳まで真っ赤。」
涼くんが手を伸ばして、私の肩を持ち、私の体が涼くんの方に向くようにソファーに斜めに座らせた。そのまま、するりと耳を撫でられ、体が勝手にぴくりと反応する。その瞬間に目に溜まった涙が頬を伝った。
「ほっぺだから……昨日と同じ。」
涼くんは、そう言って、私の頬に口付ける。その唇は、ちゅ…と音を立てて、私の頬を伝う涙を拭った。
「涙、熱。」
ペロリと舌を出した涼くんにそう言われ、さらに顔が熱くなる。
「もぅ、許して……。」
懇願するように言う。すると、涼くんはそんな私を見て、昨日のようにごくりと喉を鳴らした。そのまま、まるで逃がさないとでも言うかのように、両腕を私の肩に乗せて、私の目を見つめた。近い距離、私の心臓の音は涼くんにも聞こえているのだろうか。
「愛さん、オレ、愛さんから聞きたい言葉あるんだけど。」
そう言った涼くん。私はそのキャラメル色の瞳から、もう逃げられないと思った。