小学校の入学と共に俺には同い年の兄が出来た。

 明るくて良く笑う。うるさいくらいに元気なあいつの周りには、あっという間に友達が溢れていて。だけどいつでも何かあれば必ず飛んで来てくれて、いつだって俺を護ってくれた。


 俺にとっていつでも、央はヒーロー。


 だから、多分ずっと演じてた。優しいあいつが、俺の手を離せなくなる様に────・・





◆◇◆◇◆◇

 夜明け前の海沿いを走る白のSUV。高級車なんだろう。乗り心地はすこぶる良かった。

「お兄さんもサーファーなんだね」

 草加部さんは助手席に座る俺の横でハンドルを握る傍ら、機嫌良さそうにそう言った。一般人にしてみれば夜中である時間帯でも、この男に眠気は感じられない。

「・・まーね。それがどうかした?」

「君ほどじゃないけど、お兄さんも割と良い顔してたなって。俺としては二人セットでも構わないんだけどね。『〇〇兄弟』ってキラーワードじゃない」

 またそれか。この人にとって俺は商品みたいなものだから、仕方ないんだろうけど。

「・・どうかな。あいつは俺と違って、必ずしもサーフィンじゃなくても、普通に幸せになれるだろうし」

「でもトライアルの資料は渡したんだ」

「・・賭けみたいなもんだから」

「賭け?」

「・・・・それでも選んでもらえるのかどうか」


 



 茨城県の大洗海岸は海水浴場にもなる広いビーチ。ウチの前の志田とビーチである事に変わりは無いが、砂のつき方が均一なのか明確なポイントというものが無い。一見してどこで波が割れ始めるかわからない・・広いビーチブレイク。俺たちは志田の海しか知らないから、色んな場所で入った方がいいと草加部さんは言った。契約前の俺にこんなに構うとかイマイチ底の見えない人ではあるが、父さんは店があるし、高校生の俺が他県まで遠征できる経験は貴重だ。

 車の中から板を取り出そうとすると、草加部さんはこう言った。

「君が今日乗る板はこっちね」

「え・・でもこれ・・」

 俺が戸惑ったのは無理もない。普段使っているショートボードに比べると、明らかにデカい板・・

「ミッドレングス。ロングボードとショートボードの中間みたいな板だよ」

 ・・・・?

「せっかく大洗まで来たのに、ショートボードで練習しないの?」

 俺の疑問に、草加部さんは笑顔で回答を返した。

「ショートボードってのはダイナミックな動きを可能にする為に、操作性を高めて作ってある。最近のボードは特に性能が良くて、乗り手の技量が足りなくてもある程度動かせてしまうんだよ。楽しむにはいいんだけどね。結果としてよくあるのが、正しいライディングの基礎が身につかないって事。特に皆が躓きがちなのは、ボトムターンの精度だよね。君もまた然り」

「・・・・」

「ミッドレングスはショートボードと違ってね、テイクオフは早い分操作性に劣る。逆に言えば、正しい位置でしっかり板を傾けないと曲がらないよ。オフザリップなんか波のパワーゾーンをきっちり利用しないと絶対無理だから、波の特性をより見ようとすると思うよ。どう? 面白そうでしょ?」

 試す様な目の輝きで俺に笑顔を向けるこの男を、俺は多少呆気に取られて見つめ返した。そんなのは多分、かなり深くサーフィンを知っている人間しか出来ないアドバイス。


「草加部さんて・・サーファーなんだ?」

「まぁね。年だからもうショートは乗らないけどね」

 そして彼は坂の下に広がる海を見つめながら、俺にこう語ってみせた。

「俺らの若い頃はねぇ、今じゃ考えられんくらいのサーフィンブームだったんだよ。海に渋谷かってほど人溢れてて。まぁそのほとんどは、車にサーフボード積んでりゃ女にモテるからっていう、ファッションサーファーだったけどさ。
会社は上手く行ってるし子供も大きくなった。じゃあこれから何しようかなって思ったら・・もう一回俺の手でサーフィンブーム起こしたいなぁーなんて・・まぁ道楽みたいな望みではあるんだけどね」

「・・ふーん・・」

 メディアメディアって言ってる割には、根っこのところは金じゃない、って事なのかな。休日返上で俺に付き合ってくれてるくらいだし。ちょっと意外に思って草加部さんの顔を見つめると、あの人は俺の方を振り返って、満面の笑みを向けた。

「それに君みたいなサーフィン上手くてかわいい子連れて海入るの、サーファー冥利に尽きるじゃない?」


 かわいい・・?


「草加部さんて・・ゲイとかじゃないよね?」

「違うよ、俺奥さんも子供も居るし。でも男女問わず綺麗な子は好きだよ。皆そうじゃない? 女の人でも女性アイドルの追っかけやってる人とか、結構いるでしょ?」

「・・あ、そ。まぁいいけど。俺の家族の前でそういうこと言わないでね。すごい心配症だから」

「あはは。愛されてるんだね」


 草加部さんは優し気な表情でそう言ったけど、俺はそれから目を逸らした。


「・・さぁ。どうなんだろ・・」


 前は信じて疑わなかったことが、最近はよく分からない。母さんが居なくなってから、央の中で何かが変わってしまった。

 あいつはずっと考えてるのかもしれない。俺達とこれからも家族としてやっていくのか、それとも────他人になるのかを。




 だからこれは賭け。



 俺が手を離さないから仕方なくとかじゃなくて・・あいつには自分の意思で選んでもらいたいんだ。サーフィンも、そしてこの家の事も・・


 だから世話の焼ける弟を演じるのはもう止める。

 例えその結果、あいつに選ばれなかったとしてもだ。央にはちゃんとあいつの事を大事にしてくれそうな彼女も居るし。

 央が幸せなら、それで────・・