・・おかしい。

 朝からずーっと、央君と芽留ちゃんの目が死んでる。まるで魂が抜けているかの様に、机の上に突っ伏している。


「ねぇひまりん。どーしたのアレ」

 堪らなくなったのか紗奈ちゃんが苦い顔で私の所へやって来た。

「朝から何聞いても生返事だし。どーしたのかって聞いても、『何でもない』しか言わないし。いい加減こっちが嫌になるんだけど」

「さ、さぁ・・私にもさっぱり・・」

「ひまりんでも知らないかぁ・・何だろうねぇ・・?」


 紗奈ちゃんはぶつぶつ言いながら席へと戻って行った。本当に何があったと言うのだろう。さすがに心配になった私は昼休みに央君へ声をかける決意を固めたのだけれど、彼は昼前の四限の授業から姿を消してしまった。仕方がないので、昼休憩に入るやいなや、フラァ〜っと教室の外へ出て行った芽留ちゃんを何とか捕まえ、あの渡り廊下へと連行したのだった。


「夏樹さぁ・・。プロになるんだって」


 芽留ちゃんは廊下に仰向けで大の字に寝転がって、脱力したままそう言った。

「昨日あたしんちにも報告に来てさぁ。次のトライアルで合格したら、スポンサーについてくれる人ももう見つけてるんだって。一応お前にも、これ渡しとくって・・」

 芽留ちゃんはポケットの中から一枚の紙を取りだし広げた。日本サーフィン連盟主催の、プロトライアルの資料。それをどこか遠い目でじっと見つめる。

「・・すげぇよなぁ。やっぱ夏樹は・・。自分の力で本当に夢掴もうとしてるんだもん。
それに比べてあたしと央はさ・・全然ダメだぁ」


 そう笑った彼女────明らかに自嘲を含んだ、とても切ない笑顔。


「あいつはウチらが週末しか海入らなくなっても、一人で毎朝ちゃんと海入ってたし。プロサーファーなんて金にならないし将来が・・とかって逃げなかったし。それに比べてあたしと央はフラフラしてさ。比べるまでもないってのは分かってるんだけど・・」


 芽留ちゃん・・


「将来を気にするのは当然のことです。霞を食べて生きてはいけない訳ですし。夢はひた向きに追いかけてれば必ず叶うってものじゃありませんから」


 誰もが自分の好きな事をやって生きていけるわけじゃない。そんなのは本当に一握りの少数で。大半の人は生きる為に理想を曲げて生活している。それは決して悪いことなんかじゃない。だけど彼女の表情が晴れることはなかった。


「・・小学生の頃はさ、あたしが一番上手かったんだぁ」

「そうなんですか?」

「うん。でもね、中学入ってあっという間に、二人に追い越されちゃった。自分でもね、言い聞かせたんだよ。男と女じゃ体格も筋肉量も違うし、それは仕方のない事なんだってさ。でも本当は・・」


 彼女は天井を仰いでいた顔を、両手で覆った。


「・・悔しくて悔しくて仕方なかった・・!」



 ────人は本当に・・誰もが心に悩みを持っていて。


「分かってるんだよ、才能も無いのにそうやって逃げて、ますます夏樹との差は開いてる。今のあたしがトライアル受けたって受かるはず無いし。
だけど・・悔しいんだよ、ひまりん・・!」

「・・うん。そうだね芽留ちゃん・・」


 表面では笑っていても、それはただ笑っている訳じゃない。負の感情に飲み込まれまいと笑顔を見せている。強いから私の様に殻に閉じこもらなかったっていう・・ただそれだけ。


「でも私にとって芽留ちゃんは、サーフィン上手くて明るくて・・やっぱり憧れの女の子だよ・・」


 彼女はそのまま隣りで顔を覆ったまま、しばらく黙ったままだった。私はそんな彼女の隣に、ただ座っていることしか出来なかったけれど。





◆◇◆◇◆◇◆


 
 六限になると央君は再び教室に姿を現したけど、授業が終わるまで、やっぱり物思いに耽ったような顔をしていた。

「央、帰りどっか寄ってく?」

「・・いや、なんか今日はそんな気分じゃねーわ」

「どしたのお前? 今日ずっとそんな感じだけど、マジで大丈夫?」

 クラスメイトの男の子達が心配してそう声をかけたのを、彼は断って教室を出た。私は走って、その後ろ姿を追いかけた。



「央君」



 それが私の声だと気がついたのか・・彼はすぐに後ろを振り返った。



「一緒に帰ろう」



 私の言葉に、彼は少し驚いた顔をした。そしてそれは多分、周りにたむろしていたクラスメイト達も同じだっただろう。


「ああ・・うん」



 周囲から向けられる奇異の視線も・・今の私には平気。

 そんなものは雑音だから。

 今はただ・・貴方の事だけ。