私がそれを耳にしてしまったのは、図書委員の委員会を終えて、教室へと戻るところだった。


「もうやだ・・絶対嫌われた。汐見君に・・」
「そんな事ないってユカ〜! あれユカ全然悪くないし」
「人に仕事押し付けて自分は遊びに行く、最悪な女と思われたよ・・好きだったのに。初恋だったのに・・」
「そんな事思ってないって汐見はっ! 向こうも謝ってたし。もう泣かないでよぉ」
「今回のは事故にあったみたいなもんじゃん。てかさ、春日さん、マジ余計なことしてくれたなって感じだよねー」


 私は踵を返して、あの渡り廊下へと逃げ込んだ。あの中を入っていく勇気なんか私には無い。彼女達が帰るまでの間、ここで時間を潰すしか・・。

 へなへなと、足の力が抜けてその場に座り込んだ。


 ────最悪の気分だ。
 
 
 私は一人静かな生活を送りたかっただけなのに。せっかく地元から離れたこんな海沿いの街まで通って来ているというのに。
 もしかしてまた私は中学の頃と同じ、理不尽な悪意の的になってしまうのだろうか。


 待っている間やる事がなくて。でもこんな最悪な気分のときに文章を書く気にもなれなくて。それは本当に、ふとした出来心だった。


 委員会の連絡事項を記入する為に手にしていた、筆箱とノート。筆箱の中から取り出したのは、予備で入れていた真新しい白い消しゴム。そして私はその消しゴムに、大嫌いなあいつの名前を書いた。


『汐見央』

 

 そして私はその消しゴムに────ブスッと鉛筆を突き立てた。


 今考えると何でそんな事したのかって思うけど、多分このザラザラした嫌な感覚を少しでも晴らしたい、それだけの気持ちだったんだ。他人に対する後ろ暗い感情を、誰かにぶつけること無く自分の中だけで消化する為の、儀式みたいなもの。呪いには藁人形というのがセオリーだけど、古代の呪術師は必ずしも藁というわけではなく、紙でもなんでも、相手に見立てた依代を使用したというのをどこかで読んだ記憶があって、私は筆箱の中にあった真新しい消しゴムを使ったんだ。
 


 陰キャの私のせめてもの反撃。誰にも理解して貰えないフラストレーションの捌け口。それで全部、消化しようと思ってた。

 だけどこの行動がとんでもない方向へと向かっていくだなんて、この時の私には全く、想像もつかなかったんだ。




「・・春日さん?」


 後ろめたい事をしているという自覚があったのだろう。不意にした物音と声に驚いて、私の身体は笑えるくらいに飛び上がった。大慌てでその場に立ち上がり、反動で鉛筆に突き刺さされていた消しゴムが飛んでいった先にはなんと、最もそれを見られてはいけない相手・・汐見央が立っていた。



「し、し、汐見くんっ!・・な、なんで・・」


 私はあり得ないくらい動揺していた。呪詛の対象である相手が突然目の前に現れたのだ。しかも彼の名前を書いた消しゴム(依代)が、彼の足元に転がってしまったのだから。


「・・さっき春日さんが走って行ったのが見えて・・その、追いかけてきたっつーかなんつーか・・いやちょっと迷ったんだけどね? えーとなんだ、昨日のこと、その・・」


 汐見君は歯切れ悪くそこまで話したけど、そこで何かに気がついたようだった。そしてそれを拾おうと下に手を伸ばす。



 や、やめて────お願い、見ないで。


 これは自分の中で嫌な気持ちを消化するためだけのもので。本気で貴方を傷つけようとかそういう事じゃない。だから・・


「あれ? この消しゴム、春日さんの・・?・・」



 私の願いは天に届かなかった。汐見君はその消しゴムに書かれた自分の名前に気がついて、ピタッと動きを止めた。



「え・・なんで、俺の名前・・?」




 ────まずい。まずいまずいまずいぞコレは!



「これってもしかして────」



 なんて言えばいい? 呪いかけたなんて言ったらめちゃくちゃ傷つくでしょ。てゆうか怖すぎるよ。でも他に名前を書く理由なんて・・



「────こ、恋のおまじないとか・・そういうやつ・・?」




 ────────は?



 驚いて。

 私は気まずさに彷徨わせていた視線を床から外し、思わず汐見君の方を見た。


 呪い(のろい)・・とは、呪い(まじない)とも・・読むんだね。いやもちろん、恋の、ではありませんけど。ノロイと言うよりマジナイと言った方がすごくマイルドに聞こえるのは確かだ。


「ま、まぁ・・まじないの類いでは、ありますね・・」



 すると汐見君は、何故だか顔を赤くして────有りえないセリフを言うんだ。



「じゃあ、その・・俺達、付き合ってみる?」




 ────────な。



 そんな馬鹿な。これはまさか・・


 陰キャが何故か『ラブコメルート』に入った────────!?