『明日も渡り廊下行ってもい?』
『はい。またお弁当作りましょうか?』
『いいの? 大変じゃない?』
『ついでなので大丈夫です』
『オネガイシマス。やったー』


 ニヤニヤしながらメッセを眺めていると、ふと後ろで声がした。

「またひまりサン?」

 振り返るとそこには、まだ頭をタオルでふきふきする夏樹の姿。

「あ・・なっちゃん。もうお風呂終わったの?」

「うん。暑いし。シャワーだけ」

「そっか。そだね・・」

 音もなく忍び寄るのやめて欲しいんだけど。もう思春期だし見られたくないものとかもあったりするじゃん? 
 それよりも今日のこと、やっぱり夏樹にはちゃんと言っとかないとダメだよなぁ・・。

「あ、あのさ、なっちゃん」

「ん?」

「俺さ、その・・陽葵と付き合うことになったんだよね・・」

 若干気まずい思いでそう打ち明けると・・夏樹は俺の予想外の反応を見せた。


「良かったじゃん!」


 ・・ん??


「いいと思う。うん、おめでとう」


 あれ────? 

 いいの? こいつ、俺達のこと邪魔してた訳じゃないのか・・?


「夏樹」


 なんでか心がもやっとして。リビングを出て行こうとする夏樹を、俺は思わず呼び止めてしまった。

「そういえば明日の朝も波良さそうだよな。・・久々に、一緒に入る?」


 するとあいつは、笑顔でこう言った。


「ん。じゃあ明日、5時ね」



 ────何やってんだ、俺。

 こんな風に夏樹の機嫌を取るみたいなこと言って。


"お前はしばらくの間、俺達のクラスに来るの禁止な。友達作りは最初が肝心なんだし、ちゃんとお前はお前でお前のコミュニティっていうか、俺と芽留以外にも仲良い奴とか作らないと"

"・・うん。分かった・・"


 
 そう言って突き放したのは俺の方なのに。そんな風に受け入れられると今度は寂しさを感じてしまう。いい加減に離れる準備をしなきゃいけないって、分かってるのに・・。

 俺ってほんとに・・駄目な奴だな────。






◆◇◆◇◆◇◆◇


 下駄箱で聞き覚えのある声を見つけて、私は小さく振り返った。汐見君は私の横をすり抜けると、前にいた同じクラスの男子に声をかけ、彼等は騒がしく階段を登っていく。

 私がお願いしたとおり、学校で汐見君は特別話かけて来ない。私達が話すのは、あの渡り廊下で一緒にお昼を食べる約束をしたときだけ。あとはたまに目が合うとこっそり手を振ってくれる、それだけの秘密の関係。
 なのにいつも心がふわふわとして落ち着かなくて・・つい目が汐見君を追ってしまう。次はいつメッセが届くのだろう。いつ話せるのだろうと、心の片隅でいつも汐見君を気にかけてしまっている。


「これが恋・・なんでしょうか・・」


 ・・とか一人呟く私────恥ず!


 陰キャがリアル男子にガチ恋・・分不相応にも程がある。私は足を踏み入れてはいけない危険な領域に入ろうとしているのでは・・


 そして次の土曜日、私の不安のとおりピンチはすぐにやってくる。再びサーフィンをしに汐見君の家を訪れていた私は、ウェットスーツに着替えを済ませて海へ向かおうかというところだった。


「こんにちはー! ちょっと着替えさせて下さーい!」


 日に焼けた健康的な肌と茶髪ピアス。自前のものと思しきサーフボードを抱えた元気いっぱいの美少女ギャル・飯岡芽留さんの姿を見つけて、私は反射的に更衣室の建物の影に身を隠した。


「あ、央〜! 央もこれから海入るの〜? 一緒に入ろ〜!」

 い、飯岡さん・・。そうか、汐見君と飯岡さんは幼馴染だとよく話しているし、飯岡さんが日焼けしてるのは彼女もサーファーだからだったのか。飯岡さんが汐見君を見つけてブンブンと手を振ると、汐見君は私の様子に気が付いたのか、しどろもどろこう返事を返した。

「え? あ、うん。俺はちょっと用事を思いだしたから、お前先に入っててくれ・・」

「は? 用って? もうウェットに着替えてんじゃん」

「ん? うん、そうなんだけどね・・。急に腹痛くなってきて? すげーウンコ行きたいんだな、あはは・・」



 ご、ごめん汐見君・・(汗)

 だけど相手は最も苦手意識の強い一軍女子。「なんでぼっちキャラのコイツがここにいんの?」って冷たい視線を送られるに決まってる。それくらいならまだいいよ。「陰キャのくせに央と仲良くしてんじゃねーよ」とか罵られたらどうしよう。それが原因で明後日からイジメが始まるかも。いやそこまでいかなくても、私なんかと無理矢理知り合いにさせられても迷惑だろうし、そもそも名前すら覚えられてない可能性もあるし、クラスメイトに自己紹介から始めるとか客観的に見て痛すぎる。それで明後日学校で、それをネタに笑いにされたりとか?


 過去の経験が悪い想像しか作り上げてくれない。自分に対する嘲笑を遠くで聞いているときのあの嫌な感覚を思い出して、考えるだけで胸が押し潰されそうになる。

 だけどそれがまた全部────被害者面して人を傷つける『被害者ハラスメント』なのだとしたら?

 汐見君のときと同じで、飯岡さんは私を見下してなどいないかもしれない。後で私が居たのに故意に避けていたと知ったら、普通に傷つくかもしれない。嫌われているのかと悩むのかもしれない。

(それは・・良くない)

 頭の中ではわかってる。挨拶して嫌がられるなんてのはきっとレアケースで、大半の人は挨拶したら普通に返してくれる。だって自分もそうなんだし。中学のときと今じゃ環境が違うし、何より側には汐見君もついててくれてる。


 動け足。一歩────前へ・・



「い・・飯岡さん」


 恐る恐る、建物の影から顔を出した。すると飯岡さんは驚いた様に目を見開かせて・・

「お、同じクラスの春日・・」

「ひまりん!!」


 ・・ん? ひまりん??


「えー!? ひまりんじゃん、なんで!?」

「あ、その・・今日は汐見君に、サーフィンを教えて貰いに来ていて・・」

 
 彼女の反応に多少面くらいながらそう答えると、彼女は私と汐見君の顔をキョロキョロと交互に見比べ・・何故かバンッと汐見君の肩を叩いた。


「なんか頑張れ!!」

「うるせぇっ! 行くならさっさと着替えて来い!」


 飯岡さんはなんだか上機嫌で「先行っちゃダメだよひまりん〜!」と言い残し、騒がしく更衣室兼シャワー小屋のドアをバタンと閉めた。