放心状態で波打ち際でゴロンと、天を仰いでいた私の青一色の視界に、別のものが写り込んだ。満面の笑みの汐見君だ。
「初ライドおめでとぉ〜!」
軽いテンションの賞賛とともに差し伸べられた手。体力の限界を迎えていた私は、素直にそれに手を伸ばした。彼は寝転んでいた私の身体を引き起こすと、隣に腰を下ろした。
「お疲れ様! 一回目で立てるなんて上出来だよ〜!」
「え・・そうなんですか?」
「うん、そうだよ? 立つと更に気持ち良かったっしょ?」
「はい・・でもそれ以上に、ボロボロなのですが・・」
波に揉みくちゃにされて、髪はボサボサ、顔は砂まみれ、目も充血で真っ赤。『初デート』の惨状は散々なものだ。まぁ多分、一般的にこれは『デート』に含まれないのではないかと思われる。彼はぐったりした私の様子を見て、またあははと笑った。
「でもさ。嫌なこと何も考えないでいられたでしょ?」
その彼の言葉に・・どきりとした自分がいた。
「海ってさ・・怖いじゃん。囲いなんか無いし流されりゃどこまで行ってしまうかも分からない。ゴルフ場やスキー場と違って整備されてないありのままの自然というか・・綺麗で解放感あって楽しい反面、どこかに『死』を感じるんだよ。波に撒かれて息ができなくて苦しくて、その瞬間は他の事考える余裕なんか無くて、ただ夢中で空気のある海面を目指してもがく・・その日どんなに辛い事があっても、さ。
で、終わった後はぜーんぶ頭の中空っぽになってて、身体もクタクタで、食べて寝て。そうやってなんかリセットできるんだよなぁ・・」
彼は青い青い海と空を遠くに仰いで、そう言った。
そして確かに、私はこの一時の間、色んなことを忘れていたことに気がついた。
汐見君に感じていた劣等感も罪悪感も苦手意識も・・差し伸べられた手を素直に受け入れられるくらいには。『楽しいか』と言う問いを心のまま肯定できるほどには。
「だからさ。一回陽葵にも、この景色を見せたかったんだよねー・・」
" その日どんなに辛い事があっても"
空を眺める汐見君の横顔が、なんだか別の人の様に見える。
汐見君みたいな人にも────忘れたいほど辛い事があるんだろうか・・?
「・・はい。ありがとうございます」
今日は彼の言葉がいつもよりよく聞こえるのは、目の前に横たわる海がこんなにも静かなせいなのだろうか。
◇◆◇◆◇◆◇◆
倉庫の脇に設置してあるシャワーを浴びてウェットスーツを脱ごうとしたのだが、腕の所が硬くて、手が抜けない。
え? ウソこれ着るときも結構苦労したけど、硬すぎない? 何度もサーフボード抱え上げたりして、手がバカになってるのだろうか。しばらく格闘するも全く抜ける気がせず、仕方なく私はそっとシャワー小屋の扉を開けた。するとそこには、既に短パン一枚で上半身裸にタオルを首にかけた汐見君が、コーラをゴクゴク飲んでいた訳で・・。
裸。
裸だ。男子の────裸タオル。
ダメだ。今外に出たら死ぬ。
キィ────パタン。という僅かな音を立てて扉を閉ざすと、直後にドンドンドンとドアを叩く音がして、私はびくりと飛び上がった。
「どうした陽葵!? 遅いけどなんかあった?」
「う・・腕のとこが・・抜けません!」
「は? んじゃー脱がせてやるから出ろ! 早く言えよお前」
ぬ・・脱がせるって・・
ウェットスーツの下は水着だ。ビキニタイプの。それって下着とほぼ変わらないのでは・・。
部屋に籠りがちな陰キャにとって、姿すら露出したくないのに、人前で肌を露出する・・それはあり得ない事だ。辱めだ。コスプレとかやる人はいるけど、あれは自分ではない何かになっているから出来る行為であって。
「い・・嫌です」
「はぁ? なんで」
「・・恥ずかしいです・・!」
ドアを叩く手が止まった。
「あー・・うん。なんとなく分かった。ちょっと待ってて」
しばらくの間の後、足音がして、再び汐見君の声がした。
「これ着て。ポンチョ。サーファー御用達アイテム」
ドアの隙間から渡されたのは、スッポリと頭から全身を覆う、タオル地で出来たポンチョだった。なるほど。これなら腕を出してもそれ以外の場所は隠れるし。やっと小屋から出て来た私を見てやっぱり明るく笑った汐見君の上半身には、ちゃんとTシャツが着せられていた。
「いいねー! サーファーってこれ着て駐車場とかでバンバン着替えるからね」
駐車場で!? 陽キャの人は露出狂! そして汐見君は私の腕のところに溜まったウェットスーツの裾口を広げ、引っ張った。
多分顔を上げたら、すぐ目の前に汐見君の顔がある。それだけで緊張してしまって。恋愛経験ゼロの陰キャには許容範囲を超えた距離。
Tシャツ・・来てくれてて良かった・・。
右はすぐに抜けたが、左が水を吸って裸に吸着するのか中々抜けない。汐見君に引っ張られない様にググッと足に力を入れると、突然スポンっと腕が抜けた。その反動で私は、引いていた後方へとよろめいてしまい。
すると伸びてきた彼の腕が・・倒れそうになった私の背中を抱き止めた。
────────致死量の距離。
目の前に迫った、汐見君の喉仏や首筋を、私は多分一生忘れない気がする。
「あっぶな。大丈夫?」
思考は停止してるのに心臓だけはバグったように音を立てていた。陰キャにとって『ラッキースケベ』は海よりも死を感じさせると悟った・・
ここまででも精神崩壊寸前だというのに。
ここで私は更に、『あり得へん展開』に直面する事になる。
「あれ。誰それ」
その男性の声にハッとしてそちらを振り向いた。そこに立っていたウェットスーツにサーフボードを抱えた男性の姿に、私は魂を抜かれた様に呆然としてしまった。
黒い髪に日焼けした肌。切れ長の瞳とすっきり通った鼻筋の整った美貌。
それは紛れもなく学校のアイドル・ナッキー様こと夏樹君・・
「あ、夏樹。お前も海入ってたんか」
「誰それ」
「同じ学校の春日陽葵ちゃんだよ・・てお前は他クラスの事まで知らないよな絶対。てゆうかまずは挨拶しなさいよ」
「ふーん・・ひまりサン・・」
あの夏樹君が・・私の名前を呼んでいる。
信じられない。一体どういうこと? これは・・
私があまりにも呆然としていたからだろう。汐見君はこう説明をしたのだ。
「もしかして知らない? 夏樹って俺の、弟ね」
────────は??
夏樹君の苗字って・・そういえば『汐見』・・?
に、二卵性の・・双子ってこと!?
「初ライドおめでとぉ〜!」
軽いテンションの賞賛とともに差し伸べられた手。体力の限界を迎えていた私は、素直にそれに手を伸ばした。彼は寝転んでいた私の身体を引き起こすと、隣に腰を下ろした。
「お疲れ様! 一回目で立てるなんて上出来だよ〜!」
「え・・そうなんですか?」
「うん、そうだよ? 立つと更に気持ち良かったっしょ?」
「はい・・でもそれ以上に、ボロボロなのですが・・」
波に揉みくちゃにされて、髪はボサボサ、顔は砂まみれ、目も充血で真っ赤。『初デート』の惨状は散々なものだ。まぁ多分、一般的にこれは『デート』に含まれないのではないかと思われる。彼はぐったりした私の様子を見て、またあははと笑った。
「でもさ。嫌なこと何も考えないでいられたでしょ?」
その彼の言葉に・・どきりとした自分がいた。
「海ってさ・・怖いじゃん。囲いなんか無いし流されりゃどこまで行ってしまうかも分からない。ゴルフ場やスキー場と違って整備されてないありのままの自然というか・・綺麗で解放感あって楽しい反面、どこかに『死』を感じるんだよ。波に撒かれて息ができなくて苦しくて、その瞬間は他の事考える余裕なんか無くて、ただ夢中で空気のある海面を目指してもがく・・その日どんなに辛い事があっても、さ。
で、終わった後はぜーんぶ頭の中空っぽになってて、身体もクタクタで、食べて寝て。そうやってなんかリセットできるんだよなぁ・・」
彼は青い青い海と空を遠くに仰いで、そう言った。
そして確かに、私はこの一時の間、色んなことを忘れていたことに気がついた。
汐見君に感じていた劣等感も罪悪感も苦手意識も・・差し伸べられた手を素直に受け入れられるくらいには。『楽しいか』と言う問いを心のまま肯定できるほどには。
「だからさ。一回陽葵にも、この景色を見せたかったんだよねー・・」
" その日どんなに辛い事があっても"
空を眺める汐見君の横顔が、なんだか別の人の様に見える。
汐見君みたいな人にも────忘れたいほど辛い事があるんだろうか・・?
「・・はい。ありがとうございます」
今日は彼の言葉がいつもよりよく聞こえるのは、目の前に横たわる海がこんなにも静かなせいなのだろうか。
◇◆◇◆◇◆◇◆
倉庫の脇に設置してあるシャワーを浴びてウェットスーツを脱ごうとしたのだが、腕の所が硬くて、手が抜けない。
え? ウソこれ着るときも結構苦労したけど、硬すぎない? 何度もサーフボード抱え上げたりして、手がバカになってるのだろうか。しばらく格闘するも全く抜ける気がせず、仕方なく私はそっとシャワー小屋の扉を開けた。するとそこには、既に短パン一枚で上半身裸にタオルを首にかけた汐見君が、コーラをゴクゴク飲んでいた訳で・・。
裸。
裸だ。男子の────裸タオル。
ダメだ。今外に出たら死ぬ。
キィ────パタン。という僅かな音を立てて扉を閉ざすと、直後にドンドンドンとドアを叩く音がして、私はびくりと飛び上がった。
「どうした陽葵!? 遅いけどなんかあった?」
「う・・腕のとこが・・抜けません!」
「は? んじゃー脱がせてやるから出ろ! 早く言えよお前」
ぬ・・脱がせるって・・
ウェットスーツの下は水着だ。ビキニタイプの。それって下着とほぼ変わらないのでは・・。
部屋に籠りがちな陰キャにとって、姿すら露出したくないのに、人前で肌を露出する・・それはあり得ない事だ。辱めだ。コスプレとかやる人はいるけど、あれは自分ではない何かになっているから出来る行為であって。
「い・・嫌です」
「はぁ? なんで」
「・・恥ずかしいです・・!」
ドアを叩く手が止まった。
「あー・・うん。なんとなく分かった。ちょっと待ってて」
しばらくの間の後、足音がして、再び汐見君の声がした。
「これ着て。ポンチョ。サーファー御用達アイテム」
ドアの隙間から渡されたのは、スッポリと頭から全身を覆う、タオル地で出来たポンチョだった。なるほど。これなら腕を出してもそれ以外の場所は隠れるし。やっと小屋から出て来た私を見てやっぱり明るく笑った汐見君の上半身には、ちゃんとTシャツが着せられていた。
「いいねー! サーファーってこれ着て駐車場とかでバンバン着替えるからね」
駐車場で!? 陽キャの人は露出狂! そして汐見君は私の腕のところに溜まったウェットスーツの裾口を広げ、引っ張った。
多分顔を上げたら、すぐ目の前に汐見君の顔がある。それだけで緊張してしまって。恋愛経験ゼロの陰キャには許容範囲を超えた距離。
Tシャツ・・来てくれてて良かった・・。
右はすぐに抜けたが、左が水を吸って裸に吸着するのか中々抜けない。汐見君に引っ張られない様にググッと足に力を入れると、突然スポンっと腕が抜けた。その反動で私は、引いていた後方へとよろめいてしまい。
すると伸びてきた彼の腕が・・倒れそうになった私の背中を抱き止めた。
────────致死量の距離。
目の前に迫った、汐見君の喉仏や首筋を、私は多分一生忘れない気がする。
「あっぶな。大丈夫?」
思考は停止してるのに心臓だけはバグったように音を立てていた。陰キャにとって『ラッキースケベ』は海よりも死を感じさせると悟った・・
ここまででも精神崩壊寸前だというのに。
ここで私は更に、『あり得へん展開』に直面する事になる。
「あれ。誰それ」
その男性の声にハッとしてそちらを振り向いた。そこに立っていたウェットスーツにサーフボードを抱えた男性の姿に、私は魂を抜かれた様に呆然としてしまった。
黒い髪に日焼けした肌。切れ長の瞳とすっきり通った鼻筋の整った美貌。
それは紛れもなく学校のアイドル・ナッキー様こと夏樹君・・
「あ、夏樹。お前も海入ってたんか」
「誰それ」
「同じ学校の春日陽葵ちゃんだよ・・てお前は他クラスの事まで知らないよな絶対。てゆうかまずは挨拶しなさいよ」
「ふーん・・ひまりサン・・」
あの夏樹君が・・私の名前を呼んでいる。
信じられない。一体どういうこと? これは・・
私があまりにも呆然としていたからだろう。汐見君はこう説明をしたのだ。
「もしかして知らない? 夏樹って俺の、弟ね」
────────は??
夏樹君の苗字って・・そういえば『汐見』・・?
に、二卵性の・・双子ってこと!?