窓の外へぼーっと目をやると、校庭に植えられたシャリンバイの白い花が、風に揺れるのが見える。今日は風が強いな。建造物や防風林に遮られ、この2階の窓から海の姿は確認できないが、窓から吹き込む風はなんとなく湿っていて、僅かに潮の匂いを感じる。向こうの方にいた女子グループが、髪型が乱れるのが気に入らないのかこちらへ視線を向けたので、空気を察した私はそっと傍の窓を閉めてみた。前方の窓の横の席の主は不在で、女子グループの一人が窓を閉めに寄って来て、校舎の外に何かを見つけた。

「あ。ナッキーだ」

 その声を聞きつけてグループの女子達がわらわらと集まりだす。

「ほんとだ〜。今日もかっこよ〜」
「サーフィン超上手いらしいよ〜。イケメンは趣味までイケメンかよ」

 まだ夏前だというのに、やけに日に焼けた肌のイケメン。裏でファンの女子達に「ナッキー」と呼ばれている彼は、同じ一年の確か4組、本名は夏樹(なつき)君というらしい。

(・・ナッキーて、どこぞのマスコットキャラじゃあるまいし)

 キャーキャー騒ぐ彼女達の後ろで、私はそっと、夏樹君の歩く外へと視線を落とした。

(確かに・・会えたらラッキーだけどさ)



 ────夏樹君を密かに眺めるのは、私の日課。


 だけど恋をしているとかそういう事じゃない。趣味で書いている小説の『題材』としてだ。

 どこかミステリアスな雰囲気の、中性的な美貌。それでいて、サーフィンという素敵すぎる趣味を持つせいか、身体は細マッチョで見事な腹筋を持っているらしい。体育の授業の後、度々体操服を捲り上げて汗を拭く姿が目撃され、その際にチラ見する腹筋が最高なんだと女子達が騒いでいるのを聞いた。さぞかしモテモテなんだろうと思われる夏樹君だが、女子に対しては超のつく『塩対応』なのだ。

 これは入学して間もない頃────前年のミスコン覇者だという美人で有名な三年の先輩が、輝くばかりの笑顔で「な〜つき君っ♡」と声をかけたときの話だ。



 「は? 誰だよあんた」


 
 校内カースト最上位の女子に対する、あまりに冷たい言葉と視線に・・その場は凍りついた。私もその現場を目撃した人間の一人だ。それからずっと、私は密かに夏樹君を見つめ続けている。


(態度最悪な絶対零度イケメンが自分だけに優しい・・これぞ乙女の夢!!)


 そう────塩を極めた夏樹君は最早、ここから何をやっても「意外と優しい」評価に繋がる、フラグ立ちまくってる状態。自分の足元に転がってきた鉛筆を拾っただけでも、後ろに女子がいる状態で暴投されたボールをただ受け止めるだけでも、猫に餌なんかやろうものならば堕ちる女子が続発する、もう恋愛無双状態なのだ。
 そんな男が現実に存在するなんて・・眺めているだけで私の妄想癖が昂りに昂る逸材なのである。


 私はこうして遠巻きに、今日も彼にキュンとする女子が現れるのを見つめている────そういうモブ。近づこうなどとは微塵も思っていない。



「ねーねー。お昼買いいこー」
「今日こそはやさいパン手に入れる!」


 昼休みの鐘の音が鳴ると共に、椅子が床に擦れる耳障りな音が響き、教室は喧騒に飲み込まれる。その中で私は持参した弁当を手に、静かに席を立った。


 私の様な陰キャでボッチの女には、『青春』とカテゴリーされる全ての事象が、関わりなき事だから。


 


****


 それは弁当を手に、教室を出ようとしたときだった。

「あれ? 春日さん、弁当外で食べんの?」

 その声に、ぎくりとした。それは私が、大の苦手とする人物の声────。振り返るとそこには、うちのクラスで一番目立つ華やかな男女数名のグループがたむろしていた。いわゆる『一軍グループ』という人達だ。

「あ・・・・うん」


 私がそう苦い顔で答えると、クラスメイトの汐見央(しおみおう)はニコッと人懐こそうな笑顔を見せた。

「いっつも居なくなるなぁと思ってたんだよなぁ〜。どこで食べてんの?」


 嫌な予感がした。


「な・・中庭で」

「へぇ〜。天気良いし外ってのもいいかもね。俺達も行っちゃう?」

 汐見君は一緒にいたグループの子達に明るい笑顔でそう問いかけたのだ。


(き・・来た!!)


「ああ、央が行きたいんなら、まぁいいけど」
「中庭ってベンチとかあるん?」
「さぁ? どうなの春日さ・・・・て、もう居ないし・・?」



 私は一人風の様に気配を消して、階段を中庭のある下ではなく、上へ向けて駆け上った。校舎四階にある本校舎と特別棟とを繋ぐ渡り廊下は、昼休みにはほとんど人気の無い穴場のスポットで、私がいつもお弁当を食べている秘密の場所。咄嗟に嘘をついておいて良かった。


 汐見央は私、春日陽葵(かすがひまり)にとって・・天敵とも言える相手だ。

 彼はいつも人に囲まれている、クラスの人気者。割とイケメンでいつも明るく笑っていて、男女問わず誰にでも壁なく気さくに話しかけてくれる、いわゆる陽キャ代表な男の子だ。私の様なクラスの爪弾き者に対しても、先ほどの様に声をかけてくれる・・


 それがどれだけ・・どれだけ・・


「迷惑な事かぁぁ!!」


 誰もいない渡り廊下で、私は一人そう叫んだ。


 先程の様な汐見央の対応を私は────「陽キャハラスメント」と呼んでいる。

 彼は入学して三ヶ月が経過しようかという今でもクラスに馴染めていない私を心配して、度々ああした『きっかけ作り』をしてくる。それを機に私に友達ができて、自然とグループに入れる様に気遣ってくれているのだろう。だけどそれは私にとって余計なお節介でしかない。汐見君他、その周りにいるあんなキラキラした人達の中に入ったところで、話の内容って多分、流行りの服とか音楽とか、映えるお洒落なカフェとか、それこそフォロワー何人だとかの話で。


(そんなの私、ぜんぜん興味ないし)


 そういうのに無理して合わせるのに疲れたから・・私は好きで一人でいる。学校だって家から電車で一時間もかかる、地元の人がいなそうなこの高校を選んだ。話を合わせる為に皆の趣味に寄せてくのも、自分の趣味を否定されて嫌な想いをするのも、全部疲れたから。



"あの子小説書いてるんでしょ? ヤバない?"
" ね。ガチオタってやつ?"



 一人は楽。自由。私は何にも縛られずに、自分の好きな事をしていたい。

 それって可哀想?

 好きで一人でいるのに────私って可哀想?


 『自由』な私を『可哀想』にしてるのは、汐見君・・貴方なんだよ。