鬼頭(きとう)の館では、鬼を家僕として使っているのです」

 鬼穴(きけつ)の湧く東国にはもしかすると、人間よりも鬼の方が多いかもしれませんね、などと冗談とも真実ともつかぬことを述べ、清高(きよたか)奈古女(なこめ)対屋(たいのや)へと案内した。

 鬼頭の館はいくつかの建物で構成されているが、どこにも華美なところはない。権力者の住まいといえば目に痛いほど煌びやかで色彩に溢れているものと思い込んでいたのだが、どうやら東国の棟梁は西国の貴族よりも素朴な暮らしを好むようだ。

 西国を守る盾として鬼と戦い血を流す武者。それでいて貴顕らとは比べものにならないほど質素な暮らしをする彼らに、奈古女はどこか敬意にも似た感情を抱いた。

 そうしてぼんやりと物思いに耽りながらいくつかの角を曲がった時、先導する清高が足を止めた。

「こちらが奈古女様の部屋です。急ぎ整えましたので、あいにく円座くらいしか置いていませんが……おや」

 部屋を覗き込んだ清高が驚きに眉を上げた。彼の視線の先を追い、奈古女は顔を引きつらせることになる。

「ひっ、鬼……」

 円座しか置かれていないはずの部屋の真ん中に、右脇腹を下にして肘を突き、手のひらで頭部を支えて怠惰に寝転がる者がいた。

 簡素な衣の袖から覗く肌は緑がかっている。身体の大きさは人間の子どもほどしかなく、額の真ん中には一本小さな角がある。間違いない。俗鬼(ぞっき)だ。なぜこのような場所で昼寝を。

 見間違いだろうか、と思わず目を擦る奈古女に眠たげな目を向けて、鬼は腕を下ろして床板を転がった。

「うん、鬼だよー。ごろーん」
「これ。さぼらずに働きなさい」
「ごろごろーん。めんどくさいなあ」

 俗鬼は清高の叱責にあくび混じりの返事を寄越す。清高が大股で部屋へと踏み込み、手を上げるふりをした瞬間、小さな怠け者の鬼は一転して飛び起きた。

「えーん、暴力反対!」
「何が暴力ですか。野を徘徊する俗鬼であったそなたを雇い救ってくださった大殿に申し訳ないと思わないのか」
「うーん、大殿ありがとー」
「あ、こら!」

 緑の俗鬼は悪びれずに言って、飛び跳ねながら奈古女たちの横を駆け抜け去った。まるで春の嵐のように慌ただしいが、意外にも愛嬌がある。

 思考が追いつかず硬直したままの奈古女に顔を向け、清高は頭を掻きながら嘆息した。

「あれは怠惰から生まれた俗鬼ですね。ああ、鬼を雇っているとはいえ、館には温厚な者しか置いておりませんから、どうかご安心ください。まあそれゆえ、ああして隙あらばさぼろうとする子がいるのですが」
「俗鬼。人が流した負の感情が地に沈殿し、俗鬼となり鬼穴(きけつ)から現れるのでしたよね」
「ええ、そうです。俗鬼は、西では見ませんか?」
「鬼らしい鬼はしばらく見ていなくて」
「鬼らしい?」
「あ、いいえ」

 影雀(かげすずめ)の姿を思い浮かべながら口を動かしてしまい、奈古女は慌てて取り繕う。

「俗鬼も大鬼(たいき)純鬼(じゅんき)も西国には少ないですし、私が巫女になってから、(かんなぎ)の宮には一度も現れていません」
「そうですか、それはよいことです」

 目を細めて頷く純鬼の若者。その優しげな表情と鬼という悪しき存在がどうも結びつかない。むしろ、冷淡な鬼頭の大殿や短気な真均(まさひと)の方が、鬼だと言われてしっくりくるだろう。

「あの、不躾なことを言ってすみませんが」
「構いませんよ」
「清高様は鬼、なんですよね。ですが、他の鬼とは少し違うような」
「ああ、私は純鬼ですから」

 軽く首を傾ける奈古女に、清高は穏やかな口調で説明する。

「純鬼は、負の感情が凝結して生じる俗鬼とは異なり、鬼の胎から生まれ落ちます。人間に当てはめてみてください。例えば親が怠惰だったとしても、子が怠惰になるとは限らない。だからこそ、純鬼は他の鬼と比べて異質な存在なのです」
「あ、そうですよね。私、失礼なことを……ごめんなさい」

 身体を縮こめる奈古女に、清高はふわりと微笑んだ。

「お気になさらず。それに、私は幼少の頃より人の輪の中で育ちましたので、よりいっそう他の純鬼よりも人間に近いのでしょう」
「幼少の頃から」
「ええ。私は幼い頃、東一(とういち)様に救われたのです」
「救われた……。先ほどの俗鬼と同じで、鬼頭家の方々に館へ迎え入れてもらった、という意味ですか?」
「そうですね」

 清高は遠くを眺めるような目をして、緑の俗鬼が去った庭の松を眺める。束の間、静寂に包まれ、さわさわと吹いた微風が清高の長い睫毛を撫でた。やがて彼は、軽く姿勢を正して言った。

「それはそうと、一休みしたら神楽を舞うようにと東一様が仰せです。実は近くの田に、鬼穴が湧いたらしいのです」
「鬼穴が? 近くに住む方々は大丈夫なんですか?」
「ほんの小さな鬼穴ですから、鬼はあまり這い出て来ないのです。出るにしても俗鬼が時折、しかも一体ずつ、といったところでしょうか。武者が交代制で目を光らせておりますので大事には至りません」
「その程度の鬼穴なら、巫の宮から夜ごと届く清めの波動でいつかは塞がるのでは」
「そうかもしれませんね。つまり此度のことは、今後のための演習。巨大な鬼穴と対峙する前の肩ならしということでしょう」

 旅疲れも癒えぬうちから肩慣らしとは、容赦のない若殿だ。慣れない馬による移動で体中の筋肉が痛むし、今すぐ眠ってしまいたいほど疲弊している。しかしこの館に世話になるからには、頷くしかないのだろう。奈古女は小さく嘆息した。

「では、神楽を舞うために、まず身を清めさせてください」
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 しばらくしてから、奈古女の求めに応じ、例の緑色をした俗鬼が神楽装束や清めの香が入った葛籠《つづら》を重たげに運んできた。

「ありがとう」
「うん。ねえねえ、後でお昼寝していいー?」
「清高様に訊いてみて」
「えーめんどくさいなあー」

 どこまでも怠惰な俗鬼の姿に思わず苦笑を漏らしながら、奈古女は葛籠の蓋を開けた。