武者と鬼が繰り広げる剣戟の壁に守られて、奈古女(なこめ)は一つずつ鬼穴(きけつ)を塞ぎながら、最も大きな穴に向かっていた。

 戦いが始まってから、あちらこちらに墨汁を煮詰めたかのような黒が湧いた。全てを塞がなければ鬼は途絶えない。しかし、神刀に纏わせた清めの光は元から少なかった上に、いくつかの鬼穴を清めた後では、かなり薄れてしまっている。もう一度、どこかで舞わなければならないだろう。先ほど隠居屋敷で試みた時と同様に、上手くいかない可能性もある。だが、やるしかない。

「あの、どこかで一回止まっ」

 奈古女の声は、突然発せられた上ずった騒めきに掻き消される。周囲を守ってくれていた男らの間から、悲鳴じみた息が鳴った。どこかで、誰かが呆然と呟いた。

「若殿……清高(きよたか)を、た、食べ……。やはり鬼だったのか」

 奈古女は息を呑み、皆の視線の先へ目を遣った。清高が誰かを肩に担いでいる。いいや、違う。清高の姿をした者が清高を……。

「ああ、俺は鬼だ。しかし鬼頭(きとう)の名を継ぐ者として、東国武者を束ね、東国を人の手に取り戻す責務がある」

 清高、いいや、清高の姿をした真均(まさひと)が、近くの武者に大股で近づき、担いでいた身体を押しつけた。

「安全な場所へ。いいか、絶対に鬼に食わせるな」

 凄む声は清高のものだが、そこに込められた覇気は、若殿のそれだった。真均は左手で刀を掴み声を張った。

「おまえたちの主君に化けたのは鬼、そしてこの俺も鬼。ならばどちらにつくべきか。棟梁を食った大鬼か、それとも鬼頭の嫡男であるこの俺か」

 真均は、袴に纏わりついた俗鬼を足で追い払う。それから、郎党らの返答を待たずに地を蹴り鬼導丸(きどうまる)の方へと走った。

 真均が清高を食った。間違いなく、何か事情があったのだ。幼少の頃より孤独を共有し、支え合い生きてきた従者に歯を突き立てるなど、本意ではなかったはず。全てはきっと、東国のためなのだ。

 奈古女は胸の奥を握り潰されたかのような息苦しさに喘ぎ、声を上げた。

「早く。早く、若殿の補佐をしてください!」

 周囲の武者らは硬直したまま動けない。焦れた奈古女は、己を守る男らの間をすり抜け、巨大な鬼穴へと駆けた。

「鬼穴は私に任せて!」

 一拍遅れ、数人が奈古女を追い、残りは皆、真均の方へと向かう。瞬時の判断で二手に分かれた武者らの動きはさすがというべきだったが、振り向かずに走る奈古女は気づかない。

 泡立つ沼から黒い粘性の液体が跳ねる。這い出した枯れ枝のような腕に足を取られかけ、つんのめりながらも前へと進む。

 人の世のため、東国のため、奈古女を見出し生きる意味をくれた真均のため。奈古女のなすべきこと、奈古女にしかできないことだけを真っ直ぐ見つめ、ひたすらに駆け抜ける。

 斬られても斬られても鬼は現れる。統制のない敵の軍団は、いたるところで仲間割れをしたり食い合ったりしている。あまりの悍ましさに止まってしまいそうな足を𠮟咤する。

 やがて、(うまや)の側に一際大きな鬼穴が見えた。出入口が大きいため、体格のいい大鬼も這い出して来る。奈古女は、今にも消えてしまいそうな心許ない淡光を纏う刀身を掲げ、祈った。

「どうか、あの穴を清められますように」

 全身の力を振り絞り、青白い刃を垂直に地面に突き立てる。その時だ。

 今まさに封じようとした鬼穴から、赤黒い肌の大鬼が現れた。勢い余り、()えた臭いがする鬼の胸部に激突しそうになる。自ら飛び込んで来た餌に、大鬼が腕を伸ばす。奈古女は強く目を閉じ、刀を支えに精一杯後ろに上体を曲げた。その頬を、ばさり、という羽音と共に風が打った。

「もう、無謀なんだから!」

 閉じていた目を開くと、すぐ前方に黒い渦が表れ、青い大鬼の背中が現れる。線が細い、女の姿の大鬼だ。彼女は巨大な赤鬼に飛びかかる。不意の一撃に対処できなかった赤鬼が背中から倒れると、女の青鬼は馬乗りになり、相手を鬼穴に押しつけた。

「な、何、何者……」

 赤鬼はずぶずぶと鬼穴に沈み、溺れかけたような喘鳴を残し、闇に溶けて消える。それを高慢な仕草で踏みつけてから、青い大鬼が振り返った。皮膚に血管の浮いた、おどろおどろしい姿。だが、奈古女は本能のような部分で彼女の正体を知っていた。

影雀(かげすずめ)
「あら、よくわかったわね」

 影雀は軽く眉を上げてから言い、すぐに表情を引き締めて神刀を見た。

「話してる時間はないわ。穴を封じ切るまでには時間がかかりそうね。好都合だわ。いい? あたしと若殿で鬼導丸を始末する。最後はこの鬼穴に蹴り落すわ。だからあんたはしばらくそこで突っ立ってなさい!」

 一方的に告げ、影雀は大鬼の姿で、鬼導丸と真均が対峙する茂みの側に走った。