「悪趣味だな。その女が死んだのはおまえのせいだってのに」

 ひび割れた岩の鳴動を思わせる低い声が、和香(わか)の墓前に膝を突く三紅(みくれ)の耳朶を震わせた。三紅は回想から引き戻されて、おもむろに振り返る。

 立っていたのは、見慣れた赤髪の直垂(ひたたれ)姿。鬼頭(きとう)の大殿の姿をした大鬼(たいき)鬼導丸(きどうまる)だ。

 その身を食われることにより、思考の傾向や姿形を完全に写し取られた夫は、死んではいるものの鬼導丸の中に存在し続けているともいえる。三紅は眼前の男を頭頂から足元まで舐めるようにして観察し、ふわりと微笑んだ。

「まあ、あの人にそっくりなこと。角も上手く隠せているし、あなたが大殿であること、誰も疑っていないようねえ」
「あの晩、俺が棟梁を食ったのを見た奴らは、家僕も含めて全員処分したからな。何も知らない阿呆共には、俺の正体は見破れんよ」
「皆の前ではもう少し殿らしい言葉遣いをした方がいいわ」

 三紅はころころと鈴を転がすような声で笑い、膝を伸ばして土を払う。

「でも。いたいけな俗鬼まで皆殺しだなんて、隙がないわね」
「逃げおおせた奴もいたようだが、どちらにしても、今頃どこかの鬼穴から出た上級鬼の餌食にでもなっているだろうな。ああでも、あの純鬼(じゅんき)は納屋に捕らえて生かしているぞ」
真均(まさひと)の従者の清高(きよたか)ね」
「そうそう、そんな名だ。まったく、歯形だらけになった棟梁の亡骸を丁重に弔えと言って聞かなかった時にはいっそ食い殺してやろうかと思ったが、純鬼は貴重だからな。俗鬼上がりの大鬼は理性がなくていかんがその点、純鬼ならば話も通じやすい。使いようによっては真均に対する切り札にもなる」

 意味を図りかね、軽く首を傾ける三紅。鬼導丸は軽く腕を組んで、横穴の入り口越しに、鬼頭の館がある方角を眺めた。

「俺たちは、やっと鬼の地を取り戻したのだ。しかし、西国の助力を得た真均が、再びこの地を奪おうと攻めてくるかもしれぬ。その時に、清高を何らかの交渉材料にできるだろう」

 三紅は、ああ、と小さく唸るように頷いた。鬼導丸は三紅の気のない様子には気づかないのか、徐々に熱量を上げて息巻いた。

「百年前、父三つ角が巫女を皆殺しにしてから大人しくなった西国だが、奴らとて当時の恨みを忘れてはいまい。真均にそそのかされて巫女が皆東国にやって来てくれればまた食い殺すところだが、(かんなぎ)の宮も阿呆ではないから、そうはならないだろう。奴らがどう出るか、俺には見当もつかない。だから、手駒は多いに越したことはない」
「清高は哀れな人質ということね」
「鬼の身で、人間になど肩入れする方が悪いのだ。そもそも遥か昔より、人間は西、鬼は東と暗黙の了解のように別れて暮らしていた。にもかかわらず、東国武者らがじわじわと東を侵略して土地を好き勝手耕し、我が物顔で」
「それはどうでもいいわ」

 三紅はうんざりして首を横に振る。

「私はただ、殿と鬼頭の郎党らが憎かっただけ。彼らが滅びた以上、他のことには興味ないの」
「だが、息子をこちら側に引き込みたいだろう?」
「そうねえ」

 三紅は口元をぼんやりと指で撫で、一人息子の、研ぎ澄まされた刃のように冷えた面立ちを思い浮かべた。

「あの子はこちらにいた方が幸せになれるはずだもの」

 真均自身、いつかそのことを理解する日がくるだろう。三紅は赤い唇に仄かな笑みを湛え、鬼導丸の視線を追ってやぐらの外へと視線を向けた。

 色づき始めた木々の上に広がっていた秋空はいつしか、海から押し寄せる灰色の雲に覆われ始めていた。連日続く不安定な長雨の気配に、三紅は鬼導丸を促して、帰路についたのだった。