「全ての鬼の源になるのは俗鬼。ですが、さらにその正体は人や鬼が垂れ流す負の感情です」
突然自明のことを語り始めた奈古女に視線を戻し、真均は怪訝そうにしながらも目顔で続きを促した。
「それならば私も鬼と変わりません。私の心にはいつも、劣等と嫉妬が満ちています。巫の宮で過ごした十二年間、巫頭様に称賛される仲間を羨ましく、いいえ、時には疎ましくさえ思っていました。若殿、巫女装束を覚えておいですか」
奈古女は己の額辺りを指差した。
「巫女の花簪。枝が二本刺さっているでしょう。あれは鬼の角の象徴なんです。大地を清める巫女だって、心の中に鬼の種を飼っています。だから自分が清い存在だと慢心してはならない。あの二本の枝は、巫女に対する戒めなんです。巫女だって西国の都に暮らす高貴な方々だって、誰もが皆、清いとは限りません。大事なのは、その人がどんな立場にあるか、鬼か人間か、ということではなく、何をなすかではないでしょうか。若殿は、この国の人間のために、いつも大鬼と戦っています。お怪我をされて痛み抱えながらも、不満な顔一つせずに。それは高潔なことだと思います」
真均は奇妙な生き物を見るかのような眼差しで奈古女の顔を凝視した。
そのまま、沈黙が二人を包み込む。真均の額に触れていた距離のまま膝を突き合わせているものだから、腕を伸ばせばすぐに互いに手が届く。あまりに近くで視線を重ね合っているが、どうしたことか不快さはない。
庭から舞い込む微風が耳朶を撫で、この空間に音というものが存在していることを辛うじて思い出させてくれる。
不意に、部屋中に満ちる甘い香煙が濃密になり鼻の奥を撫でた心地がした。身体の芯がぶるりと震え、初めての感覚に誘発された微かな慄きが呼吸を乱した。
鋭く吸い込んだ息が空気を揺らす。真均が、はっと我に返り瞬きをして腰を上げた。畳の近くに置かれた高炉に大股で歩み寄り、いささか乱雑な仕草で灰をかけて香を消す。真均も、香煙の甘い香りを過剰に感じたのだろうか。
彼は手を叩き灰を払ってから、何事もなかったかのように訊ねた。
「おまえは、なぜ巫女になった。生まれはどこだ」
取ってつけたかのような問いかけで話題を変えられて鼻白む。
「特に珍しい話はありませんが」
「それでもいい」
奈古女は、そうですか、と呟いてから素直に答える。
「私は、東国の生まれです。七つの年まで、ここよりもさらに東の小さな村で育ちました。私と家族は村の皆から、少し疎まれていたんですが」
「疎まれる?」
奈古女は頷いた。
「私、双子だったらしいんです。もう一人は生まれて間もなく捨てられてしまいました。ほら、人の多胎は不吉だっていうでしょう。私の家族はそのせいで肩身の狭い思いをしていました。父母は子どもたちを平等に愛してくれましたが、双子の片割れ、つまり私のせいで他の子までもが疎まれることを負い目に感じていたようです。そんな時、勧進の歩き巫女が村にやって来たんです」
奈古女は幼少の頃より、踊ることが好きだった。巫女の一団がやってきた時も、影雀と一緒に飛び跳ねるようにして舞っていた。
「その日、森の辺りでふざけて踊っていたんです。それを見て、教えさえすれば神楽が舞える娘だと思ったのかもしれませんし、他の理由があったのかもしれません。とにかく巫女は、私を見るなり言ったんです『私たちの仲間にならない?』と。父母は周囲の目もあり、私の扱いに困っていましたから、いくらかの物品と引き換えに、私を西国の巫の宮に送り出しました。それからの暮らしは、他の巫女と何も変わりません」
奈古女が語り終えると、じっと灰を眺めていた真均は香炉箱の蓋を閉め、視線を上げた。
「そうか。それで、あの妙な鬼とはどこで出会った」
「鬼?」
「あの、空飛ぶ影だ」
「え!」
影雀のことだろうか。明るい日中は不用意に姿を現さないようにしているし、影が闇に溶ける夜であっても人の目が多い場所ではひっそりと過ごしてもらっていた。これまで、影雀の存在に気づいた者は数えるほどしかいなかった。あれは何者かと詰問されても、見間違いや気のせいだと言い逃れてきた。そのため、今回も同様にしようと半ば口を開いたのだが。
「隠す必要はない。俺自身が鬼なのだから」
「そ、空飛ぶ影だなんてそんな……ひっ」
思わず喉が潰れたような声が出た。頑なに誤魔化そうとする奈古女を、真均が鋭い目で諫めたからだ。
真均は恐ろしい鬼ではない。少なくとも、理不尽な仕打ちをするような男ではないと理解はしているものの、長年、厳格の鎧を纏ってきた彼の眼光には、人をすくみ上らせるだけの力があるらしい。
奈古女は指先で自信の膝を揉みながら、おずおずと答えた。
「あの子は、影雀といいます。私が名前をつけました。いつ出会ったのかは覚えていないんです。物心ついた時から、ずっと側にいたので」
「おまえの名づけはいつも安直だな」
「え」
真均は答えず煩わしそうに首を振り、半蔀の向こう側へと目を向けた。
「そういえばあの雀はどこへ行った」
「人前には出ないようにしているんです。見た目からして普通の鬼とは違うようですし、いらない騒ぎを起こしたくないので。多分その辺りに隠れていると思います。……影雀、どこ?」
しかし、反応はない。聞こえているのに出てくる気がないのか、それとも声が届かないほど離れた場所にいるのか。
「あれ、本当にいないのかな。寝ているのかもしれません」
「ならば別に無理して呼ばなくていい。だが、どうも奇妙な奴だな。おまえが舞っている時、周囲を跳ね回り、まるで一緒に踊っているかのようだった。あいつも神楽が好きなのか。それとも」
つい先ほど、鬼穴の側で舞っている時に姿が見えたのだろうか。それにしてもあの戦場で、踊る影雀に注目をしていたとは。意外と可愛らしい面があるのかもしれない。
奈古女は、思案げに眉間に皺を寄せた真均の顔を見つめ、強張っていた身体が解けて頬が綻ぶのを感じた。その気配を察した真均に何だと目で問われ、首を横に振って何事もなかったかのように庭を眺める。
再び月が顔を覗かせて、冴え冴えとした光が室内に降り注いでいた。
突然自明のことを語り始めた奈古女に視線を戻し、真均は怪訝そうにしながらも目顔で続きを促した。
「それならば私も鬼と変わりません。私の心にはいつも、劣等と嫉妬が満ちています。巫の宮で過ごした十二年間、巫頭様に称賛される仲間を羨ましく、いいえ、時には疎ましくさえ思っていました。若殿、巫女装束を覚えておいですか」
奈古女は己の額辺りを指差した。
「巫女の花簪。枝が二本刺さっているでしょう。あれは鬼の角の象徴なんです。大地を清める巫女だって、心の中に鬼の種を飼っています。だから自分が清い存在だと慢心してはならない。あの二本の枝は、巫女に対する戒めなんです。巫女だって西国の都に暮らす高貴な方々だって、誰もが皆、清いとは限りません。大事なのは、その人がどんな立場にあるか、鬼か人間か、ということではなく、何をなすかではないでしょうか。若殿は、この国の人間のために、いつも大鬼と戦っています。お怪我をされて痛み抱えながらも、不満な顔一つせずに。それは高潔なことだと思います」
真均は奇妙な生き物を見るかのような眼差しで奈古女の顔を凝視した。
そのまま、沈黙が二人を包み込む。真均の額に触れていた距離のまま膝を突き合わせているものだから、腕を伸ばせばすぐに互いに手が届く。あまりに近くで視線を重ね合っているが、どうしたことか不快さはない。
庭から舞い込む微風が耳朶を撫で、この空間に音というものが存在していることを辛うじて思い出させてくれる。
不意に、部屋中に満ちる甘い香煙が濃密になり鼻の奥を撫でた心地がした。身体の芯がぶるりと震え、初めての感覚に誘発された微かな慄きが呼吸を乱した。
鋭く吸い込んだ息が空気を揺らす。真均が、はっと我に返り瞬きをして腰を上げた。畳の近くに置かれた高炉に大股で歩み寄り、いささか乱雑な仕草で灰をかけて香を消す。真均も、香煙の甘い香りを過剰に感じたのだろうか。
彼は手を叩き灰を払ってから、何事もなかったかのように訊ねた。
「おまえは、なぜ巫女になった。生まれはどこだ」
取ってつけたかのような問いかけで話題を変えられて鼻白む。
「特に珍しい話はありませんが」
「それでもいい」
奈古女は、そうですか、と呟いてから素直に答える。
「私は、東国の生まれです。七つの年まで、ここよりもさらに東の小さな村で育ちました。私と家族は村の皆から、少し疎まれていたんですが」
「疎まれる?」
奈古女は頷いた。
「私、双子だったらしいんです。もう一人は生まれて間もなく捨てられてしまいました。ほら、人の多胎は不吉だっていうでしょう。私の家族はそのせいで肩身の狭い思いをしていました。父母は子どもたちを平等に愛してくれましたが、双子の片割れ、つまり私のせいで他の子までもが疎まれることを負い目に感じていたようです。そんな時、勧進の歩き巫女が村にやって来たんです」
奈古女は幼少の頃より、踊ることが好きだった。巫女の一団がやってきた時も、影雀と一緒に飛び跳ねるようにして舞っていた。
「その日、森の辺りでふざけて踊っていたんです。それを見て、教えさえすれば神楽が舞える娘だと思ったのかもしれませんし、他の理由があったのかもしれません。とにかく巫女は、私を見るなり言ったんです『私たちの仲間にならない?』と。父母は周囲の目もあり、私の扱いに困っていましたから、いくらかの物品と引き換えに、私を西国の巫の宮に送り出しました。それからの暮らしは、他の巫女と何も変わりません」
奈古女が語り終えると、じっと灰を眺めていた真均は香炉箱の蓋を閉め、視線を上げた。
「そうか。それで、あの妙な鬼とはどこで出会った」
「鬼?」
「あの、空飛ぶ影だ」
「え!」
影雀のことだろうか。明るい日中は不用意に姿を現さないようにしているし、影が闇に溶ける夜であっても人の目が多い場所ではひっそりと過ごしてもらっていた。これまで、影雀の存在に気づいた者は数えるほどしかいなかった。あれは何者かと詰問されても、見間違いや気のせいだと言い逃れてきた。そのため、今回も同様にしようと半ば口を開いたのだが。
「隠す必要はない。俺自身が鬼なのだから」
「そ、空飛ぶ影だなんてそんな……ひっ」
思わず喉が潰れたような声が出た。頑なに誤魔化そうとする奈古女を、真均が鋭い目で諫めたからだ。
真均は恐ろしい鬼ではない。少なくとも、理不尽な仕打ちをするような男ではないと理解はしているものの、長年、厳格の鎧を纏ってきた彼の眼光には、人をすくみ上らせるだけの力があるらしい。
奈古女は指先で自信の膝を揉みながら、おずおずと答えた。
「あの子は、影雀といいます。私が名前をつけました。いつ出会ったのかは覚えていないんです。物心ついた時から、ずっと側にいたので」
「おまえの名づけはいつも安直だな」
「え」
真均は答えず煩わしそうに首を振り、半蔀の向こう側へと目を向けた。
「そういえばあの雀はどこへ行った」
「人前には出ないようにしているんです。見た目からして普通の鬼とは違うようですし、いらない騒ぎを起こしたくないので。多分その辺りに隠れていると思います。……影雀、どこ?」
しかし、反応はない。聞こえているのに出てくる気がないのか、それとも声が届かないほど離れた場所にいるのか。
「あれ、本当にいないのかな。寝ているのかもしれません」
「ならば別に無理して呼ばなくていい。だが、どうも奇妙な奴だな。おまえが舞っている時、周囲を跳ね回り、まるで一緒に踊っているかのようだった。あいつも神楽が好きなのか。それとも」
つい先ほど、鬼穴の側で舞っている時に姿が見えたのだろうか。それにしてもあの戦場で、踊る影雀に注目をしていたとは。意外と可愛らしい面があるのかもしれない。
奈古女は、思案げに眉間に皺を寄せた真均の顔を見つめ、強張っていた身体が解けて頬が綻ぶのを感じた。その気配を察した真均に何だと目で問われ、首を横に振って何事もなかったかのように庭を眺める。
再び月が顔を覗かせて、冴え冴えとした光が室内に降り注いでいた。