「もう人間やめたい……」
「やめないで」
「なぜ私は人間なのか……」
「あんたのお母さんから生まれたからだね」
「なぜ私は生まれてしまったのか……」
「私に会う為じゃん? いつも頑張って生きててくれてありがとう。今日もちゃんと帰ってきてえらい」
「今日もえらい……私は生きてるだけでえらい……」
「そりゃそう。美琴のお母さんも言ってたよ。なのに仕事まで頑張れてえらい。毎日えらい!」
「薫……」
「ほら、お風呂入ってきな。力尽きる前に」
終電を逃してなるものかと、全力で駅へ飛びこんだ私は汗びっしょりで、もう体力も気力も尽きかけていた。その状態のまま玄関へ転がり込むと室内は電気がついていて、温かな食事の香りが漂ってくる。出迎えてくれたのは木曜日の死にたくなる私を待っていてくれる人生の友達兼同居人の薫。
「わ、私、薫と暮らしてて幸せ者……」
「こちらこそ。お風呂で寝ないようにね」
「帰ってすぐお風呂入れるの最高……」
「それすごいわかる。私明日仕事だから、朝起こしてあげられないからね」
「大丈夫です、お気をつけて」
「うん。おやすみ」
「おやすみ」
ひらりと手を振った薫が寝室に入っていくのを見送って、私は薫が用意しておいてくれた温かいお風呂に浸かる。
お湯に疲れが溶けていくのを感じる……いつもいつも、薫には助けてもらってばかりだ。学生時代はもちろんの事、話し合いの末、ついに旦那と別れる事となり、人生が終わりを迎えた気持ちでこの家に転がり込んだあの日からずっと。
「次は私が薫に何かしてあげたいなぁ……」
対等に支え合う二人でいたいから。薫の笑顔が私の元気の元だから。それが三十二歳バツイチの女二人暮らしである私達の在り方として、学生時代からの一番の親友として、あるべき姿だと思うから。
+
「これは……っ!」
昨日に比べて早めに仕事を終えられた会社帰り。会社の最寄駅にあるコンビニに立ち寄ると、お菓子コーナーにあるそれに目が釘付けになった。
嘘でしょ……? これ薫が言ってたやつじゃん!
先月末に開催された薫おすすめのアニメ視聴大会でずぶずぶにハマってしまったアニメの食玩が並んでいる。卵形のチョコレートの中にミニフィギュアが入っているそれが、今回はそのアニメとコラボして発売されたのである。
手に取り何が出るのかラインナップを確認すると、私と薫、お互いの推しの名前がそこに並んでいた。しかし、全二十種類中の二種類……なかなかにハードである。
『コンビニ見に行ったんだけど無かったんだよね……今度別の駅にも行こうかな』
ついにアニメの五期が始まり、一緒に観ている最中に薫が『そういえば』と、この食玩が発売している事、コンビニで売っているはずなのに人気でなかなか見つから無い事を話していた。
そうとなれば私のやるべき事は一つ……!
「たっだいま〜!」
「おかえり。なんか随分機嫌良くない……?」
昨日とは打って変わった私の様子に薫は不審がりながらも、私の手に持つコンビニ袋に視線をやった。
「何か買って来たの?」
「ふふっ、夕飯の後これ開けよ」
「?」
まぁまぁと、薫の背中を押しながら二人で暖かなリビングへと向かう。
ダイニングテーブルにはすでに二人分の夕飯が用意されていて、「今日もありがとう」と、その良い香りを嗅ぎながら薫にお礼を言い、席に着いた。
料理は薫と私で八対二くらいの割合で担当している。つまり、大体は薫。休日に私、くらいの感覚である。
一緒に暮らす事になる時に薫から提案してくれたのだ。仕事で手一杯の私にとってそれは一番有難い申し出で、『薫も仕事あるのに本当に良いの?』と訊ねる私に、もちろん良いのだと薫は頷いた。
『仕事といっても私はパートだし。料理は得意で楽しいから全然問題無し』
『…………』
『家事は元旦那のおかげでもうスペシャリストだよ。だから負担じゃないし、少し手伝ってくれるだけで十分助かるから。その分美琴は仕事頑張りな』
『……薫』
『一緒に出来る事しながら暮らしてこうよ。無理ない程度でさ』
私を元気づけるように背中を叩いた薫のあの時の笑顔はずっと忘れない。結局仕事しか残らなかったドン底の私を引っ張り上げてくれたのは他の誰でもない、薫だ。
「このスープ美味しい……! 身に染み渡る!」
「最近お疲れだったから良いかなって。大量生産したから明日はここに味足してスープパスタにしようかなと思ってます」
「最高……! 最高過ぎるじゃんそれ……! あっ!」
今こそその時!と、私は鞄から取り出した財布と共にシェルフに飾られた大きめ瓶の前に立つと、千円札を一枚、その中に入れた。瓶の中身は全部千円札である。もうすぐで半分くらいになりそうだ。
「ちょっと美琴、今入れなくても良いじゃん」
「いやー、感謝の気持ちが込み上げちゃって」
これは私が勝手に始めた“ありがとう貯金”。いつもありがとうの気持ちが溢れてやまない時に気持ちと共に千円札を入れるのだ。いうならスパチャのようなもの。薫への投げ銭である。
口で言っても伝わらないこの思いを別の形で残したくて始めたもので、貯まったら薫に何かプレゼントしようと思っている。
よしよしと一つ頷き、何事もない顔をして席に戻ると夕飯の続きを再開した。毎日ありがとうと思える事、これってすごく幸せな事だなと思うと自然と顔が笑顔になる。私に幸せを与えてくれる薫には、いつも感謝の気持ちでいっぱいだった。
「さて! 薫さんお時間です」
私担当のお皿洗いを終えて、先程持ち帰った戦利品を手に、またダイニングテーブルに集合する。
そして、特に何の説明もせず、袋からそれを取り出してテーブルにそっと置いた。理解した薫の目が大きく見開く。
「こ、これ……!」
ハッとした薫が私とテーブルの上のそれを交互に見やるので、うんと頷き、もう一つ、同じ物をテーブルの上に置く。
「! もしかして私の分も……っ? ありがとう!」
感激した様子の薫を前にして、待て待てと、横に首を振った。え?と戸惑う薫の前に、同じ物をまた一つ、一つ、一つ……と置いていき、全部で十個になったその食玩。
「美琴……! あんた、あんたってやつは……!」
「買い占めてはおりません、他の購入者の事も考えた結果の個数でございます……やりすぎましたか?」
「最高に決まってる! 今すぐ開封式しよ!」
大喜びの薫の反応を見て、もちろん私も大喜び。一つ一つ開封しては出て来るキャラのエピソードを語り、推しが出ては二人で黄色い声をあげ、結果、被りはあったもののお互いの推しを引き当てるという幸運に恵まれた、大盛り上がりの開封式となった。
ウキウキしながらリビングのシェルフに十体のフィギュアを飾る薫。喜んでくれて良かったなぁと眺めていると、「あのさぁ、」と薫がフィギュアを眺めたまま話し出す。
「こういうもの、置くなって言われててずっと飾ったり出来なかったんだよね」
「……元旦那さん?」
「そう。新しいのが出る度に買えなくて、すっごいストレスだった」
「……好きな物我慢するの、辛いよね」
「うん。でも住まわせてもらってる身だし、他人と暮らすってそういう事なんだって諦めてたんだけど……やっぱり自由に好きな事が出来るって最高」
すると、薫は何か思い立った様子で自室に戻ると財布を持ってリビングに戻って来た。
“あ、お金なんていらないよ”と言おうとした私になんて目もくれず、薫はシェルフの前に戻ると慣れた様子で私の瓶に千円札を一枚入れる。
「え? 薫、もしかして……たまに入れてる?」
「うん。ありがとうの気持ちが込み上げた時に」
「だからなんか多かったのか! 最近増えてる気がしてたんだよ!」
貯まったら何か薫にプレゼント買う予定だったのにー!と言うと、薫はきっぱり私の言葉を跳ね除ける。
「貯まったら二人で旅行だね」
そう言って、悪戯っ子のようにニカっと笑う薫に、私も「それ最高じゃん!」と、また笑顔になった。
薫は私を幸せにする天才だと思う。薫が支えてくれるから、私はまた明日に向かって歩き出す事が出来るのだ。
薫がいれば、明日が来るのが怖くない。例え心が折れてしまう事があったとしても、薫がまた支えて立ち上がらせてくれるって、私は知ってるから。
「明日も頑張るかー!」
「うん。頑張ろう!」
いつもありがとう、これからもよろしくね。
「やめないで」
「なぜ私は人間なのか……」
「あんたのお母さんから生まれたからだね」
「なぜ私は生まれてしまったのか……」
「私に会う為じゃん? いつも頑張って生きててくれてありがとう。今日もちゃんと帰ってきてえらい」
「今日もえらい……私は生きてるだけでえらい……」
「そりゃそう。美琴のお母さんも言ってたよ。なのに仕事まで頑張れてえらい。毎日えらい!」
「薫……」
「ほら、お風呂入ってきな。力尽きる前に」
終電を逃してなるものかと、全力で駅へ飛びこんだ私は汗びっしょりで、もう体力も気力も尽きかけていた。その状態のまま玄関へ転がり込むと室内は電気がついていて、温かな食事の香りが漂ってくる。出迎えてくれたのは木曜日の死にたくなる私を待っていてくれる人生の友達兼同居人の薫。
「わ、私、薫と暮らしてて幸せ者……」
「こちらこそ。お風呂で寝ないようにね」
「帰ってすぐお風呂入れるの最高……」
「それすごいわかる。私明日仕事だから、朝起こしてあげられないからね」
「大丈夫です、お気をつけて」
「うん。おやすみ」
「おやすみ」
ひらりと手を振った薫が寝室に入っていくのを見送って、私は薫が用意しておいてくれた温かいお風呂に浸かる。
お湯に疲れが溶けていくのを感じる……いつもいつも、薫には助けてもらってばかりだ。学生時代はもちろんの事、話し合いの末、ついに旦那と別れる事となり、人生が終わりを迎えた気持ちでこの家に転がり込んだあの日からずっと。
「次は私が薫に何かしてあげたいなぁ……」
対等に支え合う二人でいたいから。薫の笑顔が私の元気の元だから。それが三十二歳バツイチの女二人暮らしである私達の在り方として、学生時代からの一番の親友として、あるべき姿だと思うから。
+
「これは……っ!」
昨日に比べて早めに仕事を終えられた会社帰り。会社の最寄駅にあるコンビニに立ち寄ると、お菓子コーナーにあるそれに目が釘付けになった。
嘘でしょ……? これ薫が言ってたやつじゃん!
先月末に開催された薫おすすめのアニメ視聴大会でずぶずぶにハマってしまったアニメの食玩が並んでいる。卵形のチョコレートの中にミニフィギュアが入っているそれが、今回はそのアニメとコラボして発売されたのである。
手に取り何が出るのかラインナップを確認すると、私と薫、お互いの推しの名前がそこに並んでいた。しかし、全二十種類中の二種類……なかなかにハードである。
『コンビニ見に行ったんだけど無かったんだよね……今度別の駅にも行こうかな』
ついにアニメの五期が始まり、一緒に観ている最中に薫が『そういえば』と、この食玩が発売している事、コンビニで売っているはずなのに人気でなかなか見つから無い事を話していた。
そうとなれば私のやるべき事は一つ……!
「たっだいま〜!」
「おかえり。なんか随分機嫌良くない……?」
昨日とは打って変わった私の様子に薫は不審がりながらも、私の手に持つコンビニ袋に視線をやった。
「何か買って来たの?」
「ふふっ、夕飯の後これ開けよ」
「?」
まぁまぁと、薫の背中を押しながら二人で暖かなリビングへと向かう。
ダイニングテーブルにはすでに二人分の夕飯が用意されていて、「今日もありがとう」と、その良い香りを嗅ぎながら薫にお礼を言い、席に着いた。
料理は薫と私で八対二くらいの割合で担当している。つまり、大体は薫。休日に私、くらいの感覚である。
一緒に暮らす事になる時に薫から提案してくれたのだ。仕事で手一杯の私にとってそれは一番有難い申し出で、『薫も仕事あるのに本当に良いの?』と訊ねる私に、もちろん良いのだと薫は頷いた。
『仕事といっても私はパートだし。料理は得意で楽しいから全然問題無し』
『…………』
『家事は元旦那のおかげでもうスペシャリストだよ。だから負担じゃないし、少し手伝ってくれるだけで十分助かるから。その分美琴は仕事頑張りな』
『……薫』
『一緒に出来る事しながら暮らしてこうよ。無理ない程度でさ』
私を元気づけるように背中を叩いた薫のあの時の笑顔はずっと忘れない。結局仕事しか残らなかったドン底の私を引っ張り上げてくれたのは他の誰でもない、薫だ。
「このスープ美味しい……! 身に染み渡る!」
「最近お疲れだったから良いかなって。大量生産したから明日はここに味足してスープパスタにしようかなと思ってます」
「最高……! 最高過ぎるじゃんそれ……! あっ!」
今こそその時!と、私は鞄から取り出した財布と共にシェルフに飾られた大きめ瓶の前に立つと、千円札を一枚、その中に入れた。瓶の中身は全部千円札である。もうすぐで半分くらいになりそうだ。
「ちょっと美琴、今入れなくても良いじゃん」
「いやー、感謝の気持ちが込み上げちゃって」
これは私が勝手に始めた“ありがとう貯金”。いつもありがとうの気持ちが溢れてやまない時に気持ちと共に千円札を入れるのだ。いうならスパチャのようなもの。薫への投げ銭である。
口で言っても伝わらないこの思いを別の形で残したくて始めたもので、貯まったら薫に何かプレゼントしようと思っている。
よしよしと一つ頷き、何事もない顔をして席に戻ると夕飯の続きを再開した。毎日ありがとうと思える事、これってすごく幸せな事だなと思うと自然と顔が笑顔になる。私に幸せを与えてくれる薫には、いつも感謝の気持ちでいっぱいだった。
「さて! 薫さんお時間です」
私担当のお皿洗いを終えて、先程持ち帰った戦利品を手に、またダイニングテーブルに集合する。
そして、特に何の説明もせず、袋からそれを取り出してテーブルにそっと置いた。理解した薫の目が大きく見開く。
「こ、これ……!」
ハッとした薫が私とテーブルの上のそれを交互に見やるので、うんと頷き、もう一つ、同じ物をテーブルの上に置く。
「! もしかして私の分も……っ? ありがとう!」
感激した様子の薫を前にして、待て待てと、横に首を振った。え?と戸惑う薫の前に、同じ物をまた一つ、一つ、一つ……と置いていき、全部で十個になったその食玩。
「美琴……! あんた、あんたってやつは……!」
「買い占めてはおりません、他の購入者の事も考えた結果の個数でございます……やりすぎましたか?」
「最高に決まってる! 今すぐ開封式しよ!」
大喜びの薫の反応を見て、もちろん私も大喜び。一つ一つ開封しては出て来るキャラのエピソードを語り、推しが出ては二人で黄色い声をあげ、結果、被りはあったもののお互いの推しを引き当てるという幸運に恵まれた、大盛り上がりの開封式となった。
ウキウキしながらリビングのシェルフに十体のフィギュアを飾る薫。喜んでくれて良かったなぁと眺めていると、「あのさぁ、」と薫がフィギュアを眺めたまま話し出す。
「こういうもの、置くなって言われててずっと飾ったり出来なかったんだよね」
「……元旦那さん?」
「そう。新しいのが出る度に買えなくて、すっごいストレスだった」
「……好きな物我慢するの、辛いよね」
「うん。でも住まわせてもらってる身だし、他人と暮らすってそういう事なんだって諦めてたんだけど……やっぱり自由に好きな事が出来るって最高」
すると、薫は何か思い立った様子で自室に戻ると財布を持ってリビングに戻って来た。
“あ、お金なんていらないよ”と言おうとした私になんて目もくれず、薫はシェルフの前に戻ると慣れた様子で私の瓶に千円札を一枚入れる。
「え? 薫、もしかして……たまに入れてる?」
「うん。ありがとうの気持ちが込み上げた時に」
「だからなんか多かったのか! 最近増えてる気がしてたんだよ!」
貯まったら何か薫にプレゼント買う予定だったのにー!と言うと、薫はきっぱり私の言葉を跳ね除ける。
「貯まったら二人で旅行だね」
そう言って、悪戯っ子のようにニカっと笑う薫に、私も「それ最高じゃん!」と、また笑顔になった。
薫は私を幸せにする天才だと思う。薫が支えてくれるから、私はまた明日に向かって歩き出す事が出来るのだ。
薫がいれば、明日が来るのが怖くない。例え心が折れてしまう事があったとしても、薫がまた支えて立ち上がらせてくれるって、私は知ってるから。
「明日も頑張るかー!」
「うん。頑張ろう!」
いつもありがとう、これからもよろしくね。