ウォーターサンシャイン水族館。
開館三十周年で最近リニューアルした、年間来場者数は数十万人を超える人気の水族館だ。
触れ合いコーナーや、ペンギンのお散歩、イルカショーが売りらしい。
そして日向の好きなオオサンショウウオもいる。
僕と日向はチケット買うために並んでいた。
家族連れが多いものの、前と後ろはなぜかカップルで仲良く手を繋いでいる。
僕たちの距離感がちょっとだけ気まずい。
数十分並んでチケットを購入。手渡されたのは、青いリストバンドだった。
外に出店も多く、再入場のために必要だという。
「三城さん。手、貸して」
素直に差し出される腕。
白くて細い、華奢なその腕に優しく触れ、リストバンドを付けてあげた。
「ありがとう。小野寺くんのも付けてあげるね?」
「ん、いや自分でできるよ」
「いいから」
日向は、少しだけ強引に僕からリストバンドを取る。
ふいに顔が近づき、思わず逸らす。
その後されるがままに腕を差し出し、バンドを付けてもらった。
「ありがとう」
「よし、行こっか!」
颯太と園田はまだかかるらしい。一応、イルカショーの時間には間に合うみたいだけれど。
パンフレットをもらって中に入る。
すぐ目に飛び込んできたのは、視界を覆いつくすほど大きなガラス張りの水槽だった。中にはいっぱいの魚が泳いでいる。
思わず「凄い」と声を漏らした。そういえば、一周目も同じことを言った気がする。
「凄いね。ねえ、もっと近くで見よ!」
でもそれより綺麗だったのは、日向の笑顔だった。
「いいなあ。生まれ変わったら魚になりたい」
突然、日向がそんなことを言った。「どうして?」 と尋ねる。
「ほとんど寝ないから。マグロは寝ながら泳いでるっていうし。うらやましい」
「三城さんは寝るのが嫌いなの?」
「もったいないからね。人はいずれずっと眠ることになるんだし、できるだけたくさんの時間を有意義に過ごしたい。なんて、そんなこと考えてるからよく寝坊しちゃうんだけど」
笑いながら言う日向。
寝ることが嫌い、その意味を考えて、少しだけ言葉に詰まった。
それに気づいたのか、日向が「変な事言ってごめんね。次のコーナー行かない?」と続けたが、やっぱり少しだけ落ち込んでいるように見えた。
日向はあと、どれくらいの時間を過ごせるのだろうか。それが頭から離れなかった。
通路には人だかりができていて、子供がたくさん動き回っている。
その時、子供が日向とぶつかりそうになって、僕は咄嗟に手を掴んだ。
「あ、ありがとう。みんな元気だね。ん、小野寺くん? もう、大丈夫だよ?」
「まだ人もいっぱいいるし、危ないから」
離そうとする日向の手を僕はぎゅっと握った。
日向は一瞬驚いた顔をしたが、恥ずかしそうにしながらも握り返してくれた。
残念ながら次が触れ合いのコーナーだったので、その手はすぐに離れたけれど。
「ペンギンさんだ。可愛い」
「本当だ。ちょっと三城さんに似てる気がする」
「え? どのあたりが?」
「なんかこう、ちょこちょこしている感じ」
日向は背が低い。
黒板の高い所の文字を一生懸命消しているところとか、電車のつり革を握れないところとか、本人は不便だと言っているけれど、見ている方は可愛くて癒される。
「それって褒めてる?」
「ペンギンと似てるって褒め言葉だと思うけど」
なんて、笑いながら軽口を言い合う。
日向は、一周目の記憶よりもたくさんの笑顔を見せてくれている。それが、たまらなく嬉しかった。
「小野寺くんと話してると楽しい。もっと、もっと早くに出会いたかったな」
ただ最後の日向の言葉が少しだけ悲しかった。
ほどなくして颯太と園田が到着したと連絡があった。
入口付近に戻ると、二人して全面ガラス張の水槽に興奮している。
ちょっとだけ眺めてから声をかけると、申し訳ないと謝ってきたが、むしろ楽しかったので心の中でお礼を言った。
「すげえ、ペンギンだ。ほら、瀬里! ペンギンだ!」
「見ればわかるよ。ちょっと日向に似てるよね」
「ええ!? それ、小野寺くんにも言われた」
「そうなの? 私の可愛い日向にそんなこと言うなんて」
「どの口が言ってるんだ……」
四人になってからは、また違う意味で水族館が楽しくなった。
颯太は相変わらず颯太で、園田とは少し打ち解けた気がする。
もちろん、日向ともたくさん話をした。
やがてイルカショーの時間が近づいてきた。
会場へ移動すると既に人でいっぱいだった。
半円を描くように並んだ席が十五列ほどあり、一つの席に十人は座ることができる。
後ろの方で立っている人たちもいたが、一番前の席は空いていた。
「お、あそこ行こうぜ!」
颯太が先導して、僕たちは後についていく。
席に座る直前、颯太はなんだか暑いなと呟いていた。
何か忘れている気がする。でも、思い出せない。
直後、アナウンスが流れた。
軽快な音楽とともに飼育員が現れる。同時にイルカも水槽の底から舞い上がっていき、空高く飛び上がった。
水しぶきが少しかかるも、思わず笑顔になる。
それからイルカは、とても楽しい芸を見せてくれた。フラフープの中をくぐるために飛び上がったり、飼育員を乗せて動きまわったり。
でも僕は日向の笑顔ばかり見ていた。
ショーも終盤が近くなり、イルカが水中で速度を速めた。
そして僕は思い出す。
「日向、園田、もっとこっちに!」
「え? 何が?」
「え、ええ!?」
隣に座っていた日向を引っ張り、園田は訳も分からずついてくる。
そしてイルカはギリギリまでやってくると、思い切り水をかけてきた。
よくみると椅子にはずぶ濡れ注意と書かれている。
一周目、確かみんなでびちょびちょになったのだ。
「…………」
「そ、颯太。大丈夫?」
ふと横を見ると、颯太だけがもの凄く濡れていた。
申し訳ないなと思っていたら、思い切り笑い出す。
「ははっ、気持ちいいー! 最高だなイルカショー! もっとかけてくれー!」
やっぱり颯太は、いつも元気でいいやつだ。
ショーが終わり、僕たちはイルカショーの余韻に浸りながら、引き続き水族館を回った。
触れることのできる水槽では、日向はとびきりの笑顔を見せていた。
一通り見て回り、最後にお土産物屋さんに入った。
魚のアクセサリーや水族館をモチーフとしたクッキーが並んでいる。
ぬいぐるみコーナーで、日向が足を止めた。日記にも書いていた『オオサンショウウオ』を見つけたらしく、じぃっと見つめている。
思えば、日記の通り、欲しがっているのだろうか。
買ってあげたいけれど、それって押し付けにならないかな。と、思っていたら日向が呟いた。
「……オオサンショウウオ、可愛い」
思わず微笑む。どうやら気持ちは変わっていないみたいだ。
そこで、颯太が静かに声を掛けてきた。
「で、都希。どうなんだよ?」
「……何が?」
顔を向けると明らかにニヤニヤしている。もしかして僕が日向を見ていたことに気づいているのだろうか。誤魔化そうとして首をかしげると、肩をぽんぽんっと叩かれる。
「素直じゃねえなあ。何でも言ってくれよ。親友だろ」
「だから、何が……」
「三城さんのこと気になってるんだろ?」
「えっ?!」
突然のことでつい声を上げてしまい、少し離れた場所にいる園田と日向が顔を向けてきた。
誤魔化すように苦笑いで手を振る。
颯太は意外と敏感なのだ。豪快そうにみえて、しっかりと人を見ている。
一周目、僕は確かに日向に恋をしていたと胸を張って言える。
明るくて前だけを見ている彼女ともっと仲良くなりたかった。
でも今はちょっと違う。彼女の笑顔をできるだけ守りたいのだ。
そのために日記が残っている気がしている。
自分の気持ちを伝えるためじゃない。
「別に、何とも思ってないよ」
「ふーん、まだヒミツってか。じゃあまた気持ちの整理がついたら教えてくれよな」
「ほんとにそんなんじゃないよ」
はいはい、といった様子で離れていく颯太。
僕は気持ちを伝えるつもりはない。
それが彼女にとって重荷になる可能性もあるからだ。
颯太は気を利かせてくれたのか、園田に話しかけにいく。
「瀬里、これなんかどうだ? ほら、ウツボの被り物だってよ」
「前から思ってたけど、颯太ってサッカー以外のセンスないよね」
「え、嘘だろ……」
少ししか聞こえないが、何か良くないことが起きたらしい。
日向は、まだオオサンショウオのところにいた。
僕は近寄り、ぬいぐるみを手に取って日向に見せる。
「可愛いね。このオオサンショウウオ」
実はお年玉を下ろしてきた。日向にぬいぐるみをプレゼントしたいからだ。
喜んでもらえたらいいな。
そんな気持ちとは裏腹に、彼女は予想とはまったく違う反応をした。
「確かに可愛い。でも、ちょっと子供っぽいね」
日記には確かに大きなオオサンショウウオのぬいぐるみが欲しいと書いていた。
でもどこか興味なさげに答える。なのにぬいぐるみから目を離さないのが可愛い。
欲しいけど、我慢しているんだ。
買ってあげるよ、と言いかけて止まる。よく考えたら、日向がそれを了承するとは思えない。
何か……方法を考えないと。あ、そうだ。
「僕、これ買おうかな。可愛いし」
「え……うん。いいと思う」
日向は意外そうに僕をみていたが、そのままオオサンショウウオのぬいぐるみをレジへ持っていった。
颯太と園田とは水族館近くの駅で別れて、僕たちはまた二人で電車に乗った。
行きほど混んでいなかったので席に座っていると、日向は僕が抱えるオオサンショウウオの入った大きな袋に何度も視線を向けていた。
駅に到着するまで水族館の話をした。
水槽大きかったね、ペンギン可愛かったね。
ほとんどはイルカショーの事だったが、それも楽しかった。
電車を降りて歩いていると日向がふと足を止める。
「小野寺くん」
「どうした? 日向」
「また、日向になってるよ」
「え? あ、ご、ごめん!?」
「いいよ。私も、都希くんって呼んでいい?」
『私も、都希くんって呼んでいい?』
一周目の記憶と日向の姿が重なる。
あのとき、少し照れくさくなりながらも頷いた。
でも、日向から都希くんと呼ばれることはなかった。
その数日後、彼女は突然いなくなったからだ。
けれども、今回は違う。
まだ、時間がある。まだ、出来ることがある。
「もちろんだよ」
「ありがとう、都希くん」
そして僕は、何でもないふりをしながらオオサンショウウオの入った袋を手渡した。
「え、どうしたの?」
「プレゼント。この前、誕生日だったでしょ?」
ふと思い出したのだ。日向は先月、誕生日だった。
「そ、そうだけど……なんで、知ってるの?」
「え?!」
迂闊だった。僕が彼女の誕生日を知ったのはずっと後だ。ついこないだ仲良くなったばかりなのに、変に思われてしまう。
「ええと――たまたまクラスメイトの名簿を見て!?」
「そうなの? ……でも、こんな高いものもらえないよ」
「気にしないで。その代わりたまに会わせてね。ご飯食べさせてもらっているかどうか、確認するから」
僕の冗談がおもしろかったらしく、日向がくすくすと笑う。それから両手でしっかり袋を手に取り、深々とお辞儀をした。
「本当にありがとう。実は、すごく欲しかったの」
「そうだったの?」
日記には詳しいことは書かれていなかった。
「昔ね、お母さんと一緒に水族館に行ったことがあってね。そのとき買ってもらったぬいぐるみと同じなんだ。ボロボロになって間違って捨てられちゃったから、ほんと嬉しい」
それは知らなかった。
日向はオオサンショウウオを両腕で抱え、満面の笑みを浮かべる。
一周目では見られなかった。
この笑顔のために、僕は過去に戻ったんだと確信できる瞬間だった。
「ねえ、都希くんの誕生日は?」
「え? いや、気にしないでいいよ」
「誕生日は?」
目線を逸らさず、真剣な表情を浮かべている。
「……来月だけど、お返しとか気にしなくていいから」
「何か考えておく」
何度も断ったけれど、日向は頑なに頷くことはなかった。
金銭的な負担をかけることはしたくなかったので、買ったものとかは受け取らないと伝えると、静かにわかったと答えた。
「でも、絶対にお返しはするからね」
どうやら僕の知らなかった、頑固な彼女もいるみたいだ。
その後、いつもの交差点で日向と分かれた。
手を振る日向は、とても満足気だった。
今日の日記はなんて書くのだろう。見てみたいな。
開館三十周年で最近リニューアルした、年間来場者数は数十万人を超える人気の水族館だ。
触れ合いコーナーや、ペンギンのお散歩、イルカショーが売りらしい。
そして日向の好きなオオサンショウウオもいる。
僕と日向はチケット買うために並んでいた。
家族連れが多いものの、前と後ろはなぜかカップルで仲良く手を繋いでいる。
僕たちの距離感がちょっとだけ気まずい。
数十分並んでチケットを購入。手渡されたのは、青いリストバンドだった。
外に出店も多く、再入場のために必要だという。
「三城さん。手、貸して」
素直に差し出される腕。
白くて細い、華奢なその腕に優しく触れ、リストバンドを付けてあげた。
「ありがとう。小野寺くんのも付けてあげるね?」
「ん、いや自分でできるよ」
「いいから」
日向は、少しだけ強引に僕からリストバンドを取る。
ふいに顔が近づき、思わず逸らす。
その後されるがままに腕を差し出し、バンドを付けてもらった。
「ありがとう」
「よし、行こっか!」
颯太と園田はまだかかるらしい。一応、イルカショーの時間には間に合うみたいだけれど。
パンフレットをもらって中に入る。
すぐ目に飛び込んできたのは、視界を覆いつくすほど大きなガラス張りの水槽だった。中にはいっぱいの魚が泳いでいる。
思わず「凄い」と声を漏らした。そういえば、一周目も同じことを言った気がする。
「凄いね。ねえ、もっと近くで見よ!」
でもそれより綺麗だったのは、日向の笑顔だった。
「いいなあ。生まれ変わったら魚になりたい」
突然、日向がそんなことを言った。「どうして?」 と尋ねる。
「ほとんど寝ないから。マグロは寝ながら泳いでるっていうし。うらやましい」
「三城さんは寝るのが嫌いなの?」
「もったいないからね。人はいずれずっと眠ることになるんだし、できるだけたくさんの時間を有意義に過ごしたい。なんて、そんなこと考えてるからよく寝坊しちゃうんだけど」
笑いながら言う日向。
寝ることが嫌い、その意味を考えて、少しだけ言葉に詰まった。
それに気づいたのか、日向が「変な事言ってごめんね。次のコーナー行かない?」と続けたが、やっぱり少しだけ落ち込んでいるように見えた。
日向はあと、どれくらいの時間を過ごせるのだろうか。それが頭から離れなかった。
通路には人だかりができていて、子供がたくさん動き回っている。
その時、子供が日向とぶつかりそうになって、僕は咄嗟に手を掴んだ。
「あ、ありがとう。みんな元気だね。ん、小野寺くん? もう、大丈夫だよ?」
「まだ人もいっぱいいるし、危ないから」
離そうとする日向の手を僕はぎゅっと握った。
日向は一瞬驚いた顔をしたが、恥ずかしそうにしながらも握り返してくれた。
残念ながら次が触れ合いのコーナーだったので、その手はすぐに離れたけれど。
「ペンギンさんだ。可愛い」
「本当だ。ちょっと三城さんに似てる気がする」
「え? どのあたりが?」
「なんかこう、ちょこちょこしている感じ」
日向は背が低い。
黒板の高い所の文字を一生懸命消しているところとか、電車のつり革を握れないところとか、本人は不便だと言っているけれど、見ている方は可愛くて癒される。
「それって褒めてる?」
「ペンギンと似てるって褒め言葉だと思うけど」
なんて、笑いながら軽口を言い合う。
日向は、一周目の記憶よりもたくさんの笑顔を見せてくれている。それが、たまらなく嬉しかった。
「小野寺くんと話してると楽しい。もっと、もっと早くに出会いたかったな」
ただ最後の日向の言葉が少しだけ悲しかった。
ほどなくして颯太と園田が到着したと連絡があった。
入口付近に戻ると、二人して全面ガラス張の水槽に興奮している。
ちょっとだけ眺めてから声をかけると、申し訳ないと謝ってきたが、むしろ楽しかったので心の中でお礼を言った。
「すげえ、ペンギンだ。ほら、瀬里! ペンギンだ!」
「見ればわかるよ。ちょっと日向に似てるよね」
「ええ!? それ、小野寺くんにも言われた」
「そうなの? 私の可愛い日向にそんなこと言うなんて」
「どの口が言ってるんだ……」
四人になってからは、また違う意味で水族館が楽しくなった。
颯太は相変わらず颯太で、園田とは少し打ち解けた気がする。
もちろん、日向ともたくさん話をした。
やがてイルカショーの時間が近づいてきた。
会場へ移動すると既に人でいっぱいだった。
半円を描くように並んだ席が十五列ほどあり、一つの席に十人は座ることができる。
後ろの方で立っている人たちもいたが、一番前の席は空いていた。
「お、あそこ行こうぜ!」
颯太が先導して、僕たちは後についていく。
席に座る直前、颯太はなんだか暑いなと呟いていた。
何か忘れている気がする。でも、思い出せない。
直後、アナウンスが流れた。
軽快な音楽とともに飼育員が現れる。同時にイルカも水槽の底から舞い上がっていき、空高く飛び上がった。
水しぶきが少しかかるも、思わず笑顔になる。
それからイルカは、とても楽しい芸を見せてくれた。フラフープの中をくぐるために飛び上がったり、飼育員を乗せて動きまわったり。
でも僕は日向の笑顔ばかり見ていた。
ショーも終盤が近くなり、イルカが水中で速度を速めた。
そして僕は思い出す。
「日向、園田、もっとこっちに!」
「え? 何が?」
「え、ええ!?」
隣に座っていた日向を引っ張り、園田は訳も分からずついてくる。
そしてイルカはギリギリまでやってくると、思い切り水をかけてきた。
よくみると椅子にはずぶ濡れ注意と書かれている。
一周目、確かみんなでびちょびちょになったのだ。
「…………」
「そ、颯太。大丈夫?」
ふと横を見ると、颯太だけがもの凄く濡れていた。
申し訳ないなと思っていたら、思い切り笑い出す。
「ははっ、気持ちいいー! 最高だなイルカショー! もっとかけてくれー!」
やっぱり颯太は、いつも元気でいいやつだ。
ショーが終わり、僕たちはイルカショーの余韻に浸りながら、引き続き水族館を回った。
触れることのできる水槽では、日向はとびきりの笑顔を見せていた。
一通り見て回り、最後にお土産物屋さんに入った。
魚のアクセサリーや水族館をモチーフとしたクッキーが並んでいる。
ぬいぐるみコーナーで、日向が足を止めた。日記にも書いていた『オオサンショウウオ』を見つけたらしく、じぃっと見つめている。
思えば、日記の通り、欲しがっているのだろうか。
買ってあげたいけれど、それって押し付けにならないかな。と、思っていたら日向が呟いた。
「……オオサンショウウオ、可愛い」
思わず微笑む。どうやら気持ちは変わっていないみたいだ。
そこで、颯太が静かに声を掛けてきた。
「で、都希。どうなんだよ?」
「……何が?」
顔を向けると明らかにニヤニヤしている。もしかして僕が日向を見ていたことに気づいているのだろうか。誤魔化そうとして首をかしげると、肩をぽんぽんっと叩かれる。
「素直じゃねえなあ。何でも言ってくれよ。親友だろ」
「だから、何が……」
「三城さんのこと気になってるんだろ?」
「えっ?!」
突然のことでつい声を上げてしまい、少し離れた場所にいる園田と日向が顔を向けてきた。
誤魔化すように苦笑いで手を振る。
颯太は意外と敏感なのだ。豪快そうにみえて、しっかりと人を見ている。
一周目、僕は確かに日向に恋をしていたと胸を張って言える。
明るくて前だけを見ている彼女ともっと仲良くなりたかった。
でも今はちょっと違う。彼女の笑顔をできるだけ守りたいのだ。
そのために日記が残っている気がしている。
自分の気持ちを伝えるためじゃない。
「別に、何とも思ってないよ」
「ふーん、まだヒミツってか。じゃあまた気持ちの整理がついたら教えてくれよな」
「ほんとにそんなんじゃないよ」
はいはい、といった様子で離れていく颯太。
僕は気持ちを伝えるつもりはない。
それが彼女にとって重荷になる可能性もあるからだ。
颯太は気を利かせてくれたのか、園田に話しかけにいく。
「瀬里、これなんかどうだ? ほら、ウツボの被り物だってよ」
「前から思ってたけど、颯太ってサッカー以外のセンスないよね」
「え、嘘だろ……」
少ししか聞こえないが、何か良くないことが起きたらしい。
日向は、まだオオサンショウオのところにいた。
僕は近寄り、ぬいぐるみを手に取って日向に見せる。
「可愛いね。このオオサンショウウオ」
実はお年玉を下ろしてきた。日向にぬいぐるみをプレゼントしたいからだ。
喜んでもらえたらいいな。
そんな気持ちとは裏腹に、彼女は予想とはまったく違う反応をした。
「確かに可愛い。でも、ちょっと子供っぽいね」
日記には確かに大きなオオサンショウウオのぬいぐるみが欲しいと書いていた。
でもどこか興味なさげに答える。なのにぬいぐるみから目を離さないのが可愛い。
欲しいけど、我慢しているんだ。
買ってあげるよ、と言いかけて止まる。よく考えたら、日向がそれを了承するとは思えない。
何か……方法を考えないと。あ、そうだ。
「僕、これ買おうかな。可愛いし」
「え……うん。いいと思う」
日向は意外そうに僕をみていたが、そのままオオサンショウウオのぬいぐるみをレジへ持っていった。
颯太と園田とは水族館近くの駅で別れて、僕たちはまた二人で電車に乗った。
行きほど混んでいなかったので席に座っていると、日向は僕が抱えるオオサンショウウオの入った大きな袋に何度も視線を向けていた。
駅に到着するまで水族館の話をした。
水槽大きかったね、ペンギン可愛かったね。
ほとんどはイルカショーの事だったが、それも楽しかった。
電車を降りて歩いていると日向がふと足を止める。
「小野寺くん」
「どうした? 日向」
「また、日向になってるよ」
「え? あ、ご、ごめん!?」
「いいよ。私も、都希くんって呼んでいい?」
『私も、都希くんって呼んでいい?』
一周目の記憶と日向の姿が重なる。
あのとき、少し照れくさくなりながらも頷いた。
でも、日向から都希くんと呼ばれることはなかった。
その数日後、彼女は突然いなくなったからだ。
けれども、今回は違う。
まだ、時間がある。まだ、出来ることがある。
「もちろんだよ」
「ありがとう、都希くん」
そして僕は、何でもないふりをしながらオオサンショウウオの入った袋を手渡した。
「え、どうしたの?」
「プレゼント。この前、誕生日だったでしょ?」
ふと思い出したのだ。日向は先月、誕生日だった。
「そ、そうだけど……なんで、知ってるの?」
「え?!」
迂闊だった。僕が彼女の誕生日を知ったのはずっと後だ。ついこないだ仲良くなったばかりなのに、変に思われてしまう。
「ええと――たまたまクラスメイトの名簿を見て!?」
「そうなの? ……でも、こんな高いものもらえないよ」
「気にしないで。その代わりたまに会わせてね。ご飯食べさせてもらっているかどうか、確認するから」
僕の冗談がおもしろかったらしく、日向がくすくすと笑う。それから両手でしっかり袋を手に取り、深々とお辞儀をした。
「本当にありがとう。実は、すごく欲しかったの」
「そうだったの?」
日記には詳しいことは書かれていなかった。
「昔ね、お母さんと一緒に水族館に行ったことがあってね。そのとき買ってもらったぬいぐるみと同じなんだ。ボロボロになって間違って捨てられちゃったから、ほんと嬉しい」
それは知らなかった。
日向はオオサンショウウオを両腕で抱え、満面の笑みを浮かべる。
一周目では見られなかった。
この笑顔のために、僕は過去に戻ったんだと確信できる瞬間だった。
「ねえ、都希くんの誕生日は?」
「え? いや、気にしないでいいよ」
「誕生日は?」
目線を逸らさず、真剣な表情を浮かべている。
「……来月だけど、お返しとか気にしなくていいから」
「何か考えておく」
何度も断ったけれど、日向は頑なに頷くことはなかった。
金銭的な負担をかけることはしたくなかったので、買ったものとかは受け取らないと伝えると、静かにわかったと答えた。
「でも、絶対にお返しはするからね」
どうやら僕の知らなかった、頑固な彼女もいるみたいだ。
その後、いつもの交差点で日向と分かれた。
手を振る日向は、とても満足気だった。
今日の日記はなんて書くのだろう。見てみたいな。