二人も一緒に行くと思っていたからか、少し安心していた。
 でも、まさか一人で行く事になるとは思わず、急に緊張してくる。

 それでも、日向の事を思うと勇気が湧いてきた。

 僕は病院に到着して、日向のお母さんに連絡をした。
 リハビリを終えて数時間が経過しているらしく、今が一番筋肉の張りも少ないとのことだ。
 歩くのも問題ないとのことだが、できるだけ移動に負担をかけたくないので、タクシーを呼んでいた。

 近くで待機していると、お母さんに車椅子を押されて日向がやって来た。
 何も知らされてなかったのだろう。
 口止めしていたから当たり前だけれど、僕に気づいて、目を見開く。
 それから後ろを振り返り、お母さんに何か言ったところまではわかる。でも、僕は目を逸らしてしまった。
 怒らせてしまっていたらどうしようと、反応を見るのが怖かったからだ。

 それから少しして、日向のお母さんに声をかけられる。

「小野寺くんお待たせしました。日向を、よろしくお願いいたします」

 顔を上げると日向が僕を見ていた。その表情からは何を思っているのかはわからない。
 僕は、何年も会っていなかったと思うくらい緊張している。
 それから彼女は、小さく声を漏らすかのように僕の名前を呼んだ。

「都希くん……」
「ごめん日向。びっくりしたよね。僕がお願いしてたんだ」
「……何を?」
「それを、今から見せたい」

 それだけ伝えて、僕は日向の車椅子を手に取った。
 話したくないのではなく、驚かせたい。そう伝えると「……わかった」と頷いてくれた。

 言葉を交わすことはなく、病院の外で待機してもらっていたタクシーのところまで行く。
 車椅子のままでは乗れないので、まず日向の身体を支えて後部座席に乗せる。
 と言っても、彼女も歩けないわけじゃない。
 座ってもらった後は、車椅子をトランクに積み込んで、あらかじめ伝えていた場所に出発してもらった。

 車が発進。隣にいる日向の息遣いまで聞こえそうなほど静かだ。

「日向、体調は?」
「……今日は大丈夫だよ。あのね……この前……の」
「これから行く場所、日向はきっと喜ぶよ」

 僕は、絞り出すような声で話す日向の言葉をあえて遮った。
 気にしてないよ、なんていっても彼女には伝わらない。

 それより、見せてあげたい。

 僕たちが、どれだけ日向のことを考えているか。

 僕が、どれだけ君の事を想っているのか。

 日向は少し困った顔をして小さく頷いた。
 彼女からすると何も知らされていないことに不安を感じているだろう。
 申し訳なくなりながらも「大丈夫だよ」とそっと彼女の手を握った。
 
 目的地までは20分ほどかかった。

 沈黙にしては長いけれど、不思議と早く感じた。

 山のふもと、運転手さんは畳んでいた車椅子を取り出すと、後部座席のすぐ横で広げてくれた。
 僕が先に降りて、日向の手を優しく引く。

「ありがとうございます。ここで待機しておいてもらえますか?」

 あらかじめ伝えていたので話しはスムーズだった。
 僕が向かおうとしているのは、彼女と花火を見ようと約束した場所だ。

 秘密の場所を伝えていたわけではないが、気づいたのだろうか。
 日向は振り返り、僕の顔を見上げる。
 
「なんで、ここに?」
「約束を叶えたいからだよ」

 花火大会は二週間前に終わっている。もちろんわかっている。
 日向は何かを勘違いしたのか、表情を曇らせた。

「……ごめんなさい。私のせいで」
「花火を、一緒にみよう」
「え? で、でも!? もう――」
「今日は特別なんだよ。日向と花火を見られる日なんだ」
「どういうこと……?」
「それは後のお楽しみ。近くまで車椅子で行って、側道に入ると歩くことになるんだけど……いい? 僕が支えるから」

 半信半疑みたいだけれど、どうやら僕の言葉を信じようとしてくれているのか、強く頷いた。
 一番心配だったのは雨だ。でも、今日は木々が少し揺れる程度の風しかなく、空は澄んでいる。

 風で揺れる木々の音を聞きながら山の丘近くまで車椅子で進んで、側道で止まる。
 日向が一人で立ち上がろうとしたので急いで手を取り支える。

 肩を貸すほどでもなかったけれど、手を繋ぎながらゆっくり山道を進んでいく。
 次第に道幅が広くなっていく。そして見えてきたのは、小さな鳥居だった。

「凄い。こんな場所があったんだ」
「地図にはあるけど、場所が場所だからね。全然人は来ないんだ。昔、おじいちゃんに教えてもらったんだよね」
「そうなんだ。綺麗なところだね」
「もう少し、歩ける?」
「うん」

 僕の問いかけに、日向は先ほどまでと違って少しだけ穏やかな表情で頷いた。

 少し手を貸したけれど、日向は自分の足でしっかりと噛み締めるかのように歩いた。
 一歩、また一歩と着実に前へ進む。
 それはまるで、彼女の未来への想いのようだった。
 まっすぐ、時折立ち止まりながら、それでも着実に進んでいく。意志の強さが垣間見える。

 鳥居をくぐると、本殿がすぐ間近になった。
 記憶に新しい。なぜなら、僕がタイムリープする前に見たものと同じだから。
 手入れはされておらず、雨ざらしになっているからか苔が生えている。
 でも、不思議と嫌な感じはなかった。
 神秘的、なんて口に出すつもりはないけれど、ありのままの姿で生きている気がしたからだ。

 本殿まで行くと、濡縁に日向を座らせ、僕も横に座った。
 少し不安そうに俯く彼女に優しく声をかける。

「日向、顔を上げて」

 彼女はゆっくりと顔を上げた。その景色を目にした瞬間、息を吞んだのがわかった。
 ここは、街を一望できる秘密の場所だ。

「……凄い。こんな綺麗な景色が見える場所があったんだ」

 日向は、驚きながら声を漏らす。高いビルが遠くにあり、手前は商店街、そして住宅街が見える。
 その横には、彼女が入院している病院が微かに見えていた。

「お爺ちゃんが神主さんと仲が良くて教えてもらったんだ。昔はそれこそ、沢山の人が花火を見にきてたらしいよ」
「そうなんだ。確かにここならもの凄く綺麗だろうな……」

 見上げれば、遮るものは何もなく、夕焼けに染まる空がどこまでも続いている。

「リハビリはどう?」
「……順調だよ。最近は身体の調子もいいしね。でも、夏休み明けの登校は車椅子で行くことも増えちゃうかも。そうなると、もう隠せなくなる……」

 日向にとっては何気ない言葉だったのだろう。
 でも僕にとってはすべてが繋がった気がした。

 一周目、彼女は学園祭に行けなかった。
 さらに身体が悪くなり、車椅子での登校を余儀なくされた。

 おそらくだが、言い訳をしたくなかったのだろう。
 体調を理由に、学園祭に来られなくても仕方なかったと、言ってほしくなかった。

 だから、行かない選択をした。

 でも本当の彼女は、夏休みを終えても学校へ行きたいと思っているはずだ。

「……都希くん、本当にごめんね。私、花火の約束を――」
「日向、言ったでしょ? 今日は花火を見に来たんだよ」
「え?」

 そして僕の右ポケットに入っていたアラームのバイブレーションが鳴った。
 時間ピッタリだ。

 次の瞬間、聞き覚えのある音が聞こえてくる。

 ひゅ~と、空を駆け上がっていく流れ星のような白い煙。

 やがて空でそれが弾け、パァッンと轟音を響かせると、桜色の花火となり散った。

「え……!?」
「ほら、約束叶ったでしょ?」
「……どうやって?」

 日向の動揺もつかの間、次の花火が打ちあがる。
 それから一定間隔で打ちあがっていく。

 桜色から始まり、淡い緑や黄色、青と色とりどりの花火が順番に打ちあがっていく。

 これは、僕が、いや僕たちが花火師さんに個人で依頼したものだ。

 高校生にしては少し値も張ったけれど、颯太と園田も手伝ってくれて、僕たちは勉強の合間に短期のバイトでお金を貯めた。

 すべては、日向の笑顔のために。

『ありがとう。颯太、園田。無理を言って』
『何言ってんだ。俺がサッカーで悩んでたら、お前が後押ししてくれただろ。それに三城さんが喜ぶなら最高じゃないか』
『そうよ。私も日向が喜ぶなら何でもしてあげたい』

 二人とも本当に日向のことを想っている。

 時間にして五分もなかっただろう。
 でも、人生で見た花火で一番綺麗だった。

 それは日向も感じてくれていたのか、「凄く綺麗……」と囁きながら涙を流していた。

 最後の一発は最初と同じ桜色。
 これが終わりの合図だ。

 そして、僕は日向の手を握る。

「失敗しても、ダメでも、何度でもやり直せばいい。何も遠慮しなくていい。日向、これからも一緒に頑張ろう」

 何を、と日向は聞かなかった。学校も、未来を諦めないことも、すべての気持ちを込めた。
 そして彼女はゆっくり頷く。

「うん。もう、落ち込んだりしない。こんなに私のことを想ってくれてる大切な友達がいるから。みんなと一緒にこれからも前に進んで行きたい」

 握り返してくれた手のひらからは彼女の強い意思を感じた。
 僕は、ずっと悩んでいた。二周目なんだと言うべきなのか。
 このまま黙っていることは、本当に正しいのだろうか。
 するとそのとき、日向が僕の名を呼んだ。

「都希くん。私、最後まで都希くんと一緒にいたい。だから、頑張るね」

 『一緒にいたい』それは、彼女が今まで絶対に言わなかった本当の気持ちだとわかった。
 自然と涙がこぼれてしまう。
 彼女に気づかれないようにそっと顔をそむける。

 彼女は気づいている。自分の命が長くないことに。
 それでも強く前に進むと決意したのだ。
 ならば、僕はずっとそばにいる。
 最後まで、ずっと。

「日向はすごいね」
「私がこうしていられるのは都希くんがいてくれるからだよ。……都希くんが、私の願いをなんでも叶えてくれるから」
「なんでも、は言い過ぎだよ。できないことだってたくさんある。でも、僕にできる出来る限りのことはしたいんだ」
「ありがとう。都希くんのおかげで、私はすっごく幸せだよ。これからも、きっとそうなると思う」
「僕も、日向が笑ってくれて、幸せだと言ってくれて、すごく幸せだよ」

 日向は嬉しそうに微笑んだあと、少し真剣な表情になる。
 そして僕の顔を覗き込み、遠慮がちに口を開いた。

「ねえ都希くん、私の一生のお願い、聞いてもらってもいいかな?」
「もちろん。なんでもきくよ」
「キスが、したいの」
「え……」

『好きな人とキスがしたい』

 僕はこの願いを知っている。
 日記として書かれていたわけではない。
 ただ、一番最後、他には何も書かれていない最後のページ。
 そこに小さく小さく震える文字で記されていた日向の願い。

 この願いは、きっと叶えることはできないだろうと思っていた。
 だけど、初めて自分から伝えてくれた日向の願い。
 
 「僕で、いいの?」

 彼女は僕のことを好きだとは言っていない。
 僕たちは誰よりも仲がいいし、お互いのことを大切に思っている。けれど本当の気持ちはわからない。

 でも、僕は日向が好きだ。

「都希くんが、いいんだよ」

 その言葉だけで十分だった。
 きっと日向はこれから先も僕に好きだとは言わないだろう。
 それが、彼女の優しさだとわかっている。
 
 日向の頬にそっと触れ、ゆっくりと顔を近づけていく。
 目をつむった日向は本当の白雪姫のように綺麗で、しっかりと目に焼き付けてから僕も目を閉じる。
 鼻先をかすめる。まつげが揺れる。
 唇が、触れ――――。


 ひゅ――


 乾いた音が空気を切り裂く音が聞こえる。
 そして弾けた瞬間、世界がまばゆいばかりの光に包まれた。


 ◇


「はっ……」

 目の前に日向はいなくて、一人薄暗い神社に佇んでいた。

「日向?! 日向っ!」

 辺りを見渡しても日向はいない。
 急いでポケットからスマホを取り出すと、それは最新式のスマホだった。
 画面を付ける。二〇二X年、八月XX日
 日向が亡くなった報せを受け、アパートへ行った日だ。

「戻って、来た? なんで……。そうだ、花火……」

 あの時、もう花火は終わっていたはずだ。それは、間違いない。
 なのに、とても、とても大きな音が響いていた。
 でも日向には何も聞こえていないようだった。

「夢……、だったのか?」

 全部、あの時間全部、夢だったというのか……?

 幸せな、時間だった。僕が、未来を変えたと思っていた。

 拳を握り下を向いた。

「っ!!」

 俯いた足元に、日向の日記を見つけた。急いで拾う。
 すると、日記の間から一枚の写真が見えた。抜き出し、その写真を見た瞬間、僕の心臓が震えた。

「卒業式……」

 そこには、車椅子に乗った日向を囲むように、僕と颯太と園田が並んでいた。
 みんな卒業証書を持って笑っていて、日向も嬉しそうに微笑んでいる。

 その瞬間、頭を殴られたような衝撃を受け、そして全身を巡るように記憶が流れ込んできた。
 全ての記憶がフラッシュバックするようにこれまでの出来事が頭の中を駆ける。

『都希くんと出会えてなかったら、私はきっと卒業できなかったよ。本当にありがとう』

 一周目と二周目の記憶が、頭の中で混ざり合っていく。
 ……そうだ。日向は――僕たちと一緒に高校を卒業したんだ。

『都希、何泣いてんだよ! これでお別れじゃねえんだぜ!?』
『う、うるさいな。勝手に出るんだよ』
『花火のあとからずっと泣き虫じゃない? ねえ、日向』
『うん。でも、どんな都希くんも素敵だよ』

 卒業式の帰り道。
 僕は日向の車椅子を押していた。颯太も、園田も一緒だ。

『やった。やった、合格したよ。都希くん!』

 また、念願の短大にも合格した。ただ、入学はできなかった。
 なぜなら卒業後すぐに入院することになったからだ。

『後悔はしてない。だって、きっと夢は叶ってたはずだから』

 どれだけ辛いときでも日向は前を向いていた。
 弱音なんて一切吐かずに、笑顔だった。

 病院では、入院している子供たちに絵本の読み聞かせをしたり、一緒に絵を描いたり、子供たちに囲まれて楽しそうにしていた。

『今日は、なんだか疲れたな』

 それでも、非情にも病状はどんどん悪化していった。
 起き上がれない日もあれば、会話すらままならないときもある。
 でも、日向は笑顔を忘れなかった。
 僕が会いに行くと、目を細め口元を緩める。
 彼女はどんな状況でも自ら面会を拒むことはなかった。
 だから僕も、そんな彼女と最後まで笑顔で過ごすと決めた。

『日向、僕はそばにいるよ。これからもずっと』
『……都希くん、ありがとう……私、幸せだった……』

 そして日向は高校を卒業して三度目の夏、静かに息を引き取った。

 正直に言えば生きていてほしかった。
 もっと……もっと話したかった。いろんな場所に行きたかった。

 タイムリープしたのに、結果は変わらなかった。

 本当は何かできることがあったんじゃないだろうか。

 日向は、本当に幸せだったのだったのか。

 僕は、写真が挟まっていた日記のページを開く。
 そこには一周目にはなかった、卒業式の日の日記が書かれていた。

 三月X日

 今日は高校の卒業式だった。
 最近、身体が思うように動かなくて車椅子での参加だったけど、最後まで参加できて良かった。
 学校にも行けない日が増えていたけど、瀬里ちゃんや萩原くん、都希くんのおかげでちゃんと卒業することができた。
 みんなには感謝してもしきれない。
 みんなのおかげで高校生活がとっても楽しかったし、かけがえのないものになった。
 特に、都希くんには本当にたくさんのものをもらった。私が諦めていたこと、我慢していたこと、願いを都希くんが全部叶えてくれた。
 いつも私に寄り添って、支えてくれた。
 そして、ずっと教えてくれなかった将来の夢を、今日教えてくれた。
 都希くんが理学療法士になりたいなんて思ってもいなかった。
 それも、私のおかげで夢を見つけることができた、なんていわれたからすごく恥ずかしくなった。
 でも、こんな私でも、誰かに夢を与えることができるんだと思わせてくれた。
 都希くんならきっと、つらい思いをしている人に寄り添える素敵な理学療法士さんになると思う。
 私は保育士になるという夢を叶えることができないけど、私の分まで夢を追いかけて欲しい。
 明後日から入院生活になるけど、落ち込んだりはしない。
 みんな、会いに行くって言ってくれてる。
 だから私は笑顔を絶やさないように、前向きに、最後まで私の人生を生き抜いていく。
 私のことを大切に思ってくれる、大切な人たちのために。


「日向……」

 気づけば涙を流していた。
 僕は、日向の願いを叶えることができていた。最後までそばにいることができた。
 その事実が今の僕を救ってくれた気がした。

 これから先、僕は日向と過ごした日々を思い出し、幸せを嚙み締めながら生きていくだろう。

 この、幸せな人生の中に、三城日向という大切な人がいたことを一生忘れない。