手伝おうとしたけれど、座っててねと言われ日向を眺めていた。
 ご飯は既に炊かれていたらしく、冷蔵庫から卵を取り、片手で割ってかき混ぜる。
 普段から料理をしているのだろう。
 僕はいつも親に作ってもらってばかりで、大学生になって一人暮らしをはじめても出来あいのものばかり食べていた。
 何もしていない自分が、ちょっと恥ずかしくなった。
 それでもお皿を用意したり、できることはする。

 ものの数十分でオムライスが出来上がった。
 お皿に盛りつけられた、綺麗な黄色いふわふわの卵に食欲をそそられる。

「凄い。もしかしてプロの料理人?」
「褒めてもオムライスしかでないよ」
「じゃあもっと褒めるね」
「味は保証しないよ」

 新しい麦茶も用意してくれて、軽く冗談を言い合いながらテーブルに着く。
 すぐにスプーンを握りそうになるが、なんとか留まる。
 早く食べたい気持ちを抑え、いただきますを言った。
 崩したくないなと思いつつスプーンでオムライスに切れ込みを入れると、具沢山だとすぐにわかる。
 できるだけ大きくすくって口に運ぶ。
 卵の甘味とケチャップライスの酸味が口の中で溶け合って、凄く美味しい。

「……やっぱりプロだ。美味しい」
「言い過ぎだよ。でもありがと都希くん」

 僕が食べるのを待っていたのか、それから日向も食べ始める。
 彼女は食べ方が凄く綺麗だ。僕もできるだけ、背筋を伸ばして食べる。

「都希くんは、どうして学園祭の実行委員に立候補したの?」
「えっと……思い出作り、かな。最後だし、何か記憶に残したくて」
「……記憶か。確かに、私もそう思う。自分にとっても誰かにとっても、記憶に残ることをしたいと思ってるよ」

 日向はいつも前向きだけれど、やっぱり言えないこともたくさんあるのだろう。
 だから余計に、誰かの記憶に残って欲しいと思っているもかもしれない。

「日向の演技はみんなずっと覚えてると思うよ。凄く上手だし、感情表現が豊かで見惚れるというか」
「ありがとう。都希くんも上手だよ。もしかして昔、演劇してた?」
「まさか。幼い頃スーパーヒーローに憧れてよく物まねしてたらしいから、それのおかげかも」
「ヒーローね。私にとっては本当にそうなんだよね」
「どういうこと?」
「実行委員。都希くんが立候補しなかったら、私はやってなかったと思う。勇気をもらったっていうのかな。私がやってみたくても言い出せないことを、都希くんはいつも進んでしてくれるから。だから、感謝してる」

 日向の言葉が本当に嬉しかった。
 日記に書いていたとはいえ、僕がやっていることは彼女にとって迷惑になっているかもしれないと思うときもあったからだ。
 一周目の願いと今が違う可能性もある。
 そもそも、やりたいと思っていた事をした結果、後悔することだってある。
 実行委員は思っていたよりも大変だ。さらに主役も兼ねている。
 でも、日向は感謝していると言ってくれた。
 心の重荷を取り除いてくれるような一言が、本当に嬉しかった。

 ◇

「それじゃあ、つけるね」

 食事を終えて、ふたたび僕たちはDVDを観始めた。
 新しい白雪姫だ。
 CGも綺麗で、話の内容も洗練されている。

 凄く面白かった。同じ作品なのに、全く違うような。
 でもなぜか昔の映画のほうが僕と日向は好きだった。
 最新の技術を使った綺麗な映像よりも、どこか趣のあるリアルな情景や、生き生きとした登場人物たちに目を奪われていた。
 それが、今の僕たちにとって必要なものを感じたからかもしれない。
 
 その後、終わってからロミオとジュリエットも続けて観る事にした。
 お互いに少し疲れていると感じていたけれど、口にはしない。

 もし今を逃せば、きっとこうやって一緒に観ることはないとわかっているからだ。

 白雪姫と違って、ロミオとジュリエットは悲劇だ。
 決して結ばれることのない者同士が、叶わぬ恋に落ち、愛し合う。そして、すれ違いからお互いに命を落としてしまう。

 前に見たときは、ただ悲しい映画だと思った。
 でも今は違う。僕はこれが愛なんだと感じた。

 愛する人のために命をかけられるなんて凄い。それほど想い合えるなんて、何て素晴らしい事だろう。そして二人の愛が周りをも変えていった。
 
 映画のエンドロールが流れていく。

 ふと隣に視線を向けると日向は涙を流していた。
 僕に気づかないようにそっと拭う。

「悲しい映画だけど、良い映画だったね」
「……私も、そう思ってた」
「思ってたって?」
「遅かれ早かれ人はいつか死んじゃう。確かに愛する人の死を受け入れられないこともあるかもしれない。でも私なら、私の分まで生きて欲しいって思う。私の分まで幸せになって、その幸せな人生の中に私がいたことを思い出して欲しい。そう思うようになったかな」

 日向のすべてが詰まったかのような言葉だった。
 一つ一つが心に響いて、未来の彼女の事を考える。

 病気の事を聞きたい。でも、彼女は黙っている。
 僕はずっとその理由を考えていた。どうして言わないのか。
 それはおそらく、普通に接してほしいからだ。
 同級生の三城日向として。
 もし知ってしまえば少なからず関係性が変わるだろう。
 どこへ行くにしても、何をするにしても、やめておこうとなるかもしれない。

 だから、言わない。

 本当の事はわからない。でも、確かなことがある。

「忘れないよ」
「……え?」
「僕はこれから先、何があっても日向の事を忘れないよ」

 心の底からの想いだった。ずっと、ずっと彼女の事を覚えているだろう。
 明るくて前向きなところも、決して弱みを見せない姿も、すべて。

 すると日向の瞳から涙がこぼれた。
 はらはらと、次から次へとあふれ出る。

「あれ……おかしいな……ごめんね。映画が、ちょっと悲しかったのかな」
「……大丈夫だよ。気にしないで」
「ええと、ごめんね。ええと、その――」
「我慢しなくていいから。泣きたいときは、泣いていいんだよ」

 僕は日向の手をそっと握った。握り返された手は少しだけ震えている。
 そのまま、俯く日向の頭を優しく撫でる。
 そしてゆっくりと僕の胸に抱き寄せ、背中を擦った。
 日向は何も言わず、僕の胸で泣き続けた。

 ただただ泣き続けた。

 僕も何も言わなかった。

 でも、心の中で何度も呟く。
 僕は日向を忘れない。三城日向を、ずっと忘れない。絶対に――。

 しばらくそうしていたが、気づくと日向は僕の胸で眠っていた。
 瞼は少し腫れて、頬には涙の跡がある。

 泣き疲れてしまったのだろうか。
 映画を三本観て、時間ももう遅い。
 眠ってしまっても仕方ないだろう。

 いつも明るくて笑顔を絶やさない日向だが、きっとこれも本当の日向だ。
 僕たちの前では我慢して我慢して、一人で抱え込んでいたのだろう。

 そんな日向が僕の前で弱みを見せてくれたことに少し安心した。
 これから先、日向にとって心の内をさらけ出せる、甘えられる、そんな存在でありたい。

 眠った日向を抱え、ベッドに寝かせる。
 
 このまま家を出て帰ってもいいのだろうか。
 日向を起こした方がいいのだろうか。
 でも、疲れているだろうし起こすのも申し訳ないしな。

 そんなことを考えていると

「都希くん……」
「――っ」
 
 眠っている日向が僕の名前を呼んだ。
 僕の夢を、見ているのだろうか。

 どんな夢を見ているかはわからないけれど、夢の中で僕の名前を呼ぶ日向がたまらなく愛しいと思った。

 もう少しだけ彼女のそばにいよう。
 少ししたら声をかけて帰ろう。

 そう思ってベッド横に座ったが、だんだんと意識が遠のいていくのを感じた――。