「瑛介。藤枝さんってどういう人だと思う?」
「急にどうしたんだ?」
翌朝。教室にやってきた瑛介が席に着くなり、俊平はそんな質問を投げかける。
俊平の意図はもちろん、藤枝のダークサイドを探るための情報収集にあるのだが、事情など知る由も無い瑛介は唐突な質問に困惑し、ショルダーバックの中身も出さぬまま、その場で目を細めている。
「昨日久々に話してさ。当たり前なんだけど、中学の頃よりも大人びてて、見え方がまた変わったなと思って」
俊平の言葉に一応は納得したらしく、瑛介は顎に手を当て考え込む仕草を見せた。
「俺は最近会えてないから印象はあまり変わってないけど、藤枝先輩といえば運動神経抜群で成績も優秀で、イケメンで女子人気も高い超絶リア充。それでいてユーモアもあって、人柄が良いから男子にも慕われてる完璧人間って感じかな。俺にもそのスペックを少し分けてもらいたいよ」
表現はともかくとして、瑛介の語る藤枝燿一像は、他の生徒が抱いているそれとほとんど変わらないはずだ。藤枝のことを知る生徒なら皆、多かれ少なかれ同じような印象を持っている。
「悪い噂とかは?」
「少なくとも俺は聞いたことないけど。てか、藤枝先輩のことなら俺よりもお前の方がよく知っているだろ」
「まあ、それはそうなんだけど」
もっともな意見に俊平は苦笑する。瑛介も藤枝と顔見知りではあるが、あくまで同じ中学出身の先輩後輩程度の関係性でしかない。一方で俊平は中学時代から生徒会で一緒になる機会が多かったので、他の生徒に比べて交流が深い。
「何が気になってるのか知らないけど、噂を聞きたいなら小夜か唯香にでも聞いてみたらどうだ? 女子には独自の情報網があるからな」
「そういうものか?」
「そういうものだ。はむかったら最後。俺らは残りの高校生活を社会的に死んだ状態で送ることになるぞ」
瑛介が話を誇張させ面白おかしく語る。その姿は怪談や都市伝説を語り聞かせて反応を楽しむ様にどこか似ていた。
「それなら問題ない。俺は別に探られて困る腹とか無いから。お前と違ってな」
「いや、俺もねえよ!」
「お前の意見を取り入れて、二人にも話を聞いてみるよ」
瑛介の肩を軽く叩くと、俊平は自分の席から立ち上がり、小夜と唯香が談笑している廊下側の唯香の席へと向かった。
「ごめん。ちょっと邪魔していいか?」
一声かけて、空いていた近くの席に腰を下ろす。
「二人に聞きたいことがあって」
「どうしたの改まって」
「らしくないよ、俊平くん」
堅苦しい間柄でもないのだろうにと思い、二人は苦笑顔で頷き合っている。
「実は藤枝燿一さんについて聞きたいんだけどさ」
「藤枝さんって三年の?」
小夜の言葉に俊平は頷く。
「聞きたいことって具体的には? 私達、藤枝先輩と親しいわけじゃないし、むしろ俊平の方が詳しいんじゃない?」
直前に瑛介に言われた言葉を思い返す。やはり、藤枝に最も近い位置にいるのは俊平だというのが周囲の共通認識のようだ。だが、今回俊平が知りたいのは、自身の知らない藤枝の一面にあり、藤枝に対して親しい先輩というフィルターがかかっている俊平の審美眼は、今回に限っては役には立たない。今必要なのは第三者からの客観的な意見だ。
「変な噂を小耳に挟んでな。まさか藤枝さん本人に聞くわけにもいかないし、個人的に調べてるんだ」
流石にいきなり女性関係の噂を口にすることは憚られたため、噂という曖昧な表現で尋ねる。もし引っ掛かりを覚えるのなら、二人に何かしらのリアクションがあるはずだ。
「知ってたんだ。俊平」
小夜の声のトーンが僅かに下がり、唯香も困惑気味に目をパチクリさせている。変化は明白だった。やはり藤枝燿一には何かがある。二人の反応を見て、俊平はそう確信した。
「信じたくないけどさ。藤枝さんって、女性関係で悪い噂があるんだろ?」
ここぞとばかりに俊平は核心をつく。言葉とは裏腹に心は波紋一つ立てずに落ち着いている。疑惑が徐々に確信へと変わっていく。不思議な高揚感が体を支配している。
「……俊平なら悪いようにはしないと思うから言うけど、実は私達の友達に、藤枝先輩と付き合ってた子がいたの」
小夜からもたらされた情報は俊平の想像以上のものだった。女子の中での藤枝に対する評判を聞ければ上々と思っていたのだが、まさか当事者の存在まで明らかになるとは思っていなかった。
「……C組の桜木志保って子なんだけどね」
唯香が気まずそうに女子生徒の名前を口にする。その様子から、穏やかな内容ではなさそうだ。
「その桜木って子と、藤枝さんの間に何があったんだ?」
一呼吸置いて、小夜は重い口を開いた。
「……藤枝先輩、志保以外の子とも付き合ってたの」
「二股ってことか?」
「そんな生易しいものじゃないよ。一体何人の女の子と関係を持っていたのか分らないくらい」
「気持ちの移り変わりも早くて、捨てられた子も多い。志保もその一人だし……」
言葉の節々に小夜は怒りを、唯香は不快感をそれぞれ表していた。友人が被害に遭っているの。感情的になるのも当然だった。
「そんなに悪名高いのか、藤枝さんは」
冷静に現実を受け止められるようになってきたとはいえ、流石の俊平もここまでの悪評には驚きを隠せなかった。
「身近に被害に遭ったことのある子たちの間での評判は最悪だけど、悪評を知る子自体は少数派だと思う。内容が内容だし、被害に遭った子たちも口が重いから」
「そんなことになってたのか」
繭加の情報の裏付けが取れた瞬間だった。もちろん話を聞いただけでは根拠としては不十分かもしれないが、二人が俊平に嘘をつく理由など何も無い。少なくとも、一部の女子生徒の間で藤枝の印象が最悪であることは確実だろう。
「どうして今まで俺に言わなかった?」
話振りから察するに、藤枝の悪評が立ったのは昨日今日のことではない。なぜ小夜や唯香が一度も自分にそのことを話さなかったのか、俊平には疑問だった。
「だって俊平って、藤枝先輩と親しいんでしょう? そんな人の悪評なんて、俊平に言えないよ」
「仲の良い先輩の悪口なんて言われて、俊平くんが気分良いわけがないし」
「気遣ってくれてありがとう。情報提供に感謝するよ」
そう言い残して俊平はその場を立ち去ろうとする。普段なら雑談でも交えていくところではあるが、今の俊平にそこまでの余裕は無かった。
「ねえ、俊平」
去り際の俊平を小夜が呼び止めた。
「志保ちゃんのことは、そっとしておいてあげてね」
小夜が危惧すること。それは更なる情報を求めて、俊平が桜木志保の心の傷を掘り返すような真似をしてしまうことだった。もちろん俊平がそんな行動を取る人間だとは思っていないが、それでも傷心の友人を思えばこそ、念は押しておきたかった。
「そんなことはしないよ。人の気持ちは分かる人間のつもりだ」
俊平ははっきりとそう告げて、自分の席へと戻っていった。
「ありがとう。俊平」
背を向けた俊平の表情に、笑顔が無いことには二人は気づいていない。
――ごめん。二人とも。
友達に嘘をついた。俊平は桜木志保にも事情を聴くことが必要だと心に決めていた。小夜たちの気持ちを裏切るのは心苦しいが、それでも真実を知りたいという気持ちの方が今は圧倒的に勝っている。己の感情を優先し、友人にも平気な顔をして嘘をつく。自分は決して善人ではないと、俊平は改めて自覚した。
※※※
「それでは、藤枝耀一のダークサイドを探るための作戦会議を始めましょう」
放課後。俊平が再び文芸探求部の部室を訪れると、繭加はすでに会議の準備を整えていた。
長机の上にはこれまでに繭加が収集してきた、藤枝の疑惑に関する情報を記したノートや写真が並べられている。さながら捜査会議の様相だ。
「ここに並べたのは、私がこれまで収集してきた藤枝に関する情報です。作戦会議をする上での参考にしてください」
「よくもまあ、こんなにたくさん」
机に並べられた情報量はかなりのものだった。流石に本業の探偵や興信所などには及ばないものの、これを女子高校生一人でやったのだから恐れ入る。
「芽衣姉さんのためなら、私は苦労を惜しみませんよ」
確かに人のダークサイドを覗き見ることは繭加の趣味には違いない。だが、今回の対象者である藤枝燿一は、橘芽衣の死に大きく関係しているのだ。趣味だけでは片づけられない。真実を求める探究心。大切な人の死の原因を作った相手への復讐心。その両方が繭加の原動力となっている。
「実は俺も、藤枝さんについて少し調べてみた」
「早速情報を集めてきてくれるなんて、熱心ですね」
繭加はやや驚いた様子で目を見開いている。俊平とは協力関係にあるが、親しい藤枝を疑うことにはどうしたって葛藤が付きまとう。心の整理にもっと時間がかかるかと思っていたが、俊平は翌日にはこうして情報を提供してくれている。
「藤枝さんと男女の関係にあった女子生徒を見つけた」
「本当ですか!」
「なるほど、そういう反応か」
これだけの情報を集めておきながら、繭加が桜木志保の存在を知らないというのは意外だった。となると、昨日のやりとりにいくつかの疑問が生じてくる。
「御影。俺を焚きつけるために昨日は話を盛ったな?」
この情報量からして、繭加が藤枝に狙いを絞っていたことは事実だろう。だが少なくとも、悪評を裏付けられる程の情報はまだ得られていないのだろうと俊平は推察した。
昨日の会話の中で、俊平が藤枝の知人であることは早々に繭加に知れた。それを受けた繭加は藤枝が黒であると強調し、俊平の心に微かに存在していた藤枝に対する疑念を刺激したのだ。一度着火した疑念の火は、記憶の導火線を辿って過去の印象的だった出来事を思い起こさせる。思考は疑念の火をより激しく延焼させた。駄目押しで繭加が情報を肯定して油を注いだ。これでもう、俊平の中の疑念の火は当面鎮火することはない。
結果、疑念を抱いた俊平は能動的に働き、独自のルートで、繭加も掴めなかった新たな情報を入手してきた。繭加の目論見は大成功だったといえるだろう。
「藍沢先輩は鋭いですね。少々手詰まり感があったので、先輩の顔の広さに頼らせていただきました。知人が絡んでいるのなら、強い確信があるように見せかけなければと思いまして」
「……その場で見抜けないとは、俺も間抜けだな」
悪びれる様子もなく、繭加は屈託のない笑みで白状する。そんな姿を前にしても、俊平に怒りは湧いてこなかった。昨日の話が完全に繭加の想像であり、藤枝が潔白であったなら俊平も怒り心頭だっただろうが、結果的に藤枝の悪評は恐らく事実であり、盛られた繭加の話を裏付けることになった。もちろん利用されたようで良い気持ちはしないが、今はそれよりも藤枝に対する失望感の方が圧倒的に強い。
「手詰まり感というのは?」
「藤枝の悪評は事実である確信しながらも、被害者を特定できずに困っていたところだったんです。内容が内容ですし、かなり踏み込んだ調査が必要ですが、入学間もない一年生が上級生を探るのは難しい……人脈を広げようにも、友達もいませんし」
「そ、そうか。なんかすまん」
余計な事を言ってしまったような気がして俊平は苦い顔をした。ともあれ俊平が入手してきた情報は繭加にとっても有益になりそうだ。
「それで、その女子生徒というのは?」
「教える前に条件がある」
俊平が右手の人差し指を立てると、繭加と首を傾げた。
「その女子生徒に話を聞く時は、節度を弁え相手の気持ちを思いやること。相手が嫌がったら無理に聞きだそうとせずに切り上げること。この二つを約束してくれ」
小夜たちが危惧していた通り、桜木志保から藤枝に関する情報を得るということは彼女の傷を掘り返す行為に他ならない。情報を得ることを前提としている時点で、すでに小夜たちとの約束は破ってしまっているが、必要以上に桜木志保を傷つけないように配慮することが、俊平のせめてもの心遣いであった。
「分りました。私の目的はあくまでも、藤枝の本性を炙り出すことですから」
繭加は入手したダークサイドを脅しには使わないなど、己にしっかりルールを課している。口約束とはいえ、約束した以上はそれを守ってくれるはずだ。
「名前は桜木志保。俺と同じ二年生だ。過去に藤枝さんと交際していたが、どうやら何股もかけられていたらしい。詳しい事情は友達にも話していないみたいで、真相は本人のみぞ知るところだ」
情報元が小夜と唯香だということは語る必要は無いだろうと判断し、名前は出さなかった。それを知ったところで繭加が何かをするとも思えなかったが、可能な限り小夜と唯香は今回の一件からは遠ざけておきたかった。約束を破り、第三者に桜木志保の名前を漏らしてしまっているという罪悪感もある。
「桜木志保さんですか、上手くお話を聞ければ、藤枝の正体を暴く突破口になるかもしれませんね」
繭加は顎に手を当て考え込んでいる。どうやって桜木志保から情報を聞き出すのか、早速そのシュミレーションを始めているようだ。
「一般論として、見ず知らずの相手に恋愛関係の嫌な記憶を快く話してはくれないだろうな」
「一年生の私では厳しいかもしれませんね。入学間もない一年生に、そんな話を打ち明けてくれるとは思えません」
「確かに。関係値は不足しているな」
「藍沢先輩が聞き出すことが出来ないんですか? 先輩は交友関係が広くて、コミュニケーション能力も高いでしょう」
「お褒めに預かり光栄だが、それは厳しいだろうな。同じ学年とはいえ直接の知り合いではないし、内容的に異性には特に言いにくいだろう」
口にした理由はもちろんだが、本音を言えば情報源である小夜たちの手前、自ら直接桜木志保に事情を尋ねることは気が引けた。俊平の関与がすぐに小夜や唯香に伝わってしまう。
「ここまで来て諦めるわけにはいきません。無理は承知で桜木さんからお話しを聞くしか――」
「もう俺との約束を忘れたのか?」
感情的になりつつある繭加を俊平が諌める。今の急いた繭加では、確実に桜木志保に害を与える結果となる。
「だけど芽衣姉さんのためにも」
「落ち着け。俺に考えがある」
仮にも情報を持ってきた張本人だ。俊平も作戦ぐらいは考えてきている。
「無関係の人間だと話を聞くのが難しいのなら、無関係でなくなればいい」
「藍沢先輩、寝言は寝てからにしてください」
「おい御影。真顔で言うな真顔で」
すかさず物申すと、俊平は咳払いをして仕切り直し、プレゼンテーションを開始した。
「話を聞く側。つまりこちら側も、藤枝さんの被害者だという体で桜木に話を聞いてみるのはどうだ? 共通点を作ることで、無関係の人間から被害者同士に関係性を変えるんだ」
もちろんこの方法は確実ではないが、被害者同士ということになれば、相手から見たこちら側の印象が大きく変わる可能性がある。共感によって藤枝の情報を引き出すことが出来るかもしれない。
「確かにその方法ならば初対面でもやり取りが成立するかもしれません。藤枝は多くの女性と関係を持っていたようですし、その中の一人だと語れば怪しまれることはないでしょう」
繭加の中では俊平の作戦は好評価だ。これまで入手した情報を駆使すれば、藤枝の被害者の一人に成り済ますことも十分に可能だ。
「ですが不安もあります。例えば桜木さんに話を切り出すにしても、やはりいきなり藤枝の話題を出すのは不自然ではないですか?」
「そこはこれから詰めて行こう。どういう風に話を切り出せば自然か、どうすれば桜木志保からより多くの情報を得ることが出来るか。演技プランを考えるんだ」
「今日の藍沢先輩は頼もしいですね」
「いつも、の間違いだろ?」
出会ってまだ三日。リップサービスなのは分かっているが、褒められて悪い気はしない。
「それで、演技力に自信は?」
被害者同士という設定でいく以上は、繭加かが演技をして桜木志保に近づかなければいけない。相手に心を開かせる必要があるため、それ相応の演技力が求められる。
「……」
俊平の期待も虚しく繭加は沈黙を答えとした。
「それじゃあ脚本力の方は?」
演技も重要だが、話の辻褄が合わなければそれ以前の問題だ。演技力に自信が無いのなら、尚更事前に脚本を作って練習しておく必要がある。
「……」
デジャブを感じさせる沈黙が流れ、俊平の瞬きの回数が増加する。気まずいのは繭加も同様で、不自然な作り笑いを浮かべて沈黙をやり過ごそうとしている。
「前途多難だな」
俊平は項垂れて、大きく溜息をついた。俊平の仕事はどうやら思ったよりも多くなりそうだ。
「急にどうしたんだ?」
翌朝。教室にやってきた瑛介が席に着くなり、俊平はそんな質問を投げかける。
俊平の意図はもちろん、藤枝のダークサイドを探るための情報収集にあるのだが、事情など知る由も無い瑛介は唐突な質問に困惑し、ショルダーバックの中身も出さぬまま、その場で目を細めている。
「昨日久々に話してさ。当たり前なんだけど、中学の頃よりも大人びてて、見え方がまた変わったなと思って」
俊平の言葉に一応は納得したらしく、瑛介は顎に手を当て考え込む仕草を見せた。
「俺は最近会えてないから印象はあまり変わってないけど、藤枝先輩といえば運動神経抜群で成績も優秀で、イケメンで女子人気も高い超絶リア充。それでいてユーモアもあって、人柄が良いから男子にも慕われてる完璧人間って感じかな。俺にもそのスペックを少し分けてもらいたいよ」
表現はともかくとして、瑛介の語る藤枝燿一像は、他の生徒が抱いているそれとほとんど変わらないはずだ。藤枝のことを知る生徒なら皆、多かれ少なかれ同じような印象を持っている。
「悪い噂とかは?」
「少なくとも俺は聞いたことないけど。てか、藤枝先輩のことなら俺よりもお前の方がよく知っているだろ」
「まあ、それはそうなんだけど」
もっともな意見に俊平は苦笑する。瑛介も藤枝と顔見知りではあるが、あくまで同じ中学出身の先輩後輩程度の関係性でしかない。一方で俊平は中学時代から生徒会で一緒になる機会が多かったので、他の生徒に比べて交流が深い。
「何が気になってるのか知らないけど、噂を聞きたいなら小夜か唯香にでも聞いてみたらどうだ? 女子には独自の情報網があるからな」
「そういうものか?」
「そういうものだ。はむかったら最後。俺らは残りの高校生活を社会的に死んだ状態で送ることになるぞ」
瑛介が話を誇張させ面白おかしく語る。その姿は怪談や都市伝説を語り聞かせて反応を楽しむ様にどこか似ていた。
「それなら問題ない。俺は別に探られて困る腹とか無いから。お前と違ってな」
「いや、俺もねえよ!」
「お前の意見を取り入れて、二人にも話を聞いてみるよ」
瑛介の肩を軽く叩くと、俊平は自分の席から立ち上がり、小夜と唯香が談笑している廊下側の唯香の席へと向かった。
「ごめん。ちょっと邪魔していいか?」
一声かけて、空いていた近くの席に腰を下ろす。
「二人に聞きたいことがあって」
「どうしたの改まって」
「らしくないよ、俊平くん」
堅苦しい間柄でもないのだろうにと思い、二人は苦笑顔で頷き合っている。
「実は藤枝燿一さんについて聞きたいんだけどさ」
「藤枝さんって三年の?」
小夜の言葉に俊平は頷く。
「聞きたいことって具体的には? 私達、藤枝先輩と親しいわけじゃないし、むしろ俊平の方が詳しいんじゃない?」
直前に瑛介に言われた言葉を思い返す。やはり、藤枝に最も近い位置にいるのは俊平だというのが周囲の共通認識のようだ。だが、今回俊平が知りたいのは、自身の知らない藤枝の一面にあり、藤枝に対して親しい先輩というフィルターがかかっている俊平の審美眼は、今回に限っては役には立たない。今必要なのは第三者からの客観的な意見だ。
「変な噂を小耳に挟んでな。まさか藤枝さん本人に聞くわけにもいかないし、個人的に調べてるんだ」
流石にいきなり女性関係の噂を口にすることは憚られたため、噂という曖昧な表現で尋ねる。もし引っ掛かりを覚えるのなら、二人に何かしらのリアクションがあるはずだ。
「知ってたんだ。俊平」
小夜の声のトーンが僅かに下がり、唯香も困惑気味に目をパチクリさせている。変化は明白だった。やはり藤枝燿一には何かがある。二人の反応を見て、俊平はそう確信した。
「信じたくないけどさ。藤枝さんって、女性関係で悪い噂があるんだろ?」
ここぞとばかりに俊平は核心をつく。言葉とは裏腹に心は波紋一つ立てずに落ち着いている。疑惑が徐々に確信へと変わっていく。不思議な高揚感が体を支配している。
「……俊平なら悪いようにはしないと思うから言うけど、実は私達の友達に、藤枝先輩と付き合ってた子がいたの」
小夜からもたらされた情報は俊平の想像以上のものだった。女子の中での藤枝に対する評判を聞ければ上々と思っていたのだが、まさか当事者の存在まで明らかになるとは思っていなかった。
「……C組の桜木志保って子なんだけどね」
唯香が気まずそうに女子生徒の名前を口にする。その様子から、穏やかな内容ではなさそうだ。
「その桜木って子と、藤枝さんの間に何があったんだ?」
一呼吸置いて、小夜は重い口を開いた。
「……藤枝先輩、志保以外の子とも付き合ってたの」
「二股ってことか?」
「そんな生易しいものじゃないよ。一体何人の女の子と関係を持っていたのか分らないくらい」
「気持ちの移り変わりも早くて、捨てられた子も多い。志保もその一人だし……」
言葉の節々に小夜は怒りを、唯香は不快感をそれぞれ表していた。友人が被害に遭っているの。感情的になるのも当然だった。
「そんなに悪名高いのか、藤枝さんは」
冷静に現実を受け止められるようになってきたとはいえ、流石の俊平もここまでの悪評には驚きを隠せなかった。
「身近に被害に遭ったことのある子たちの間での評判は最悪だけど、悪評を知る子自体は少数派だと思う。内容が内容だし、被害に遭った子たちも口が重いから」
「そんなことになってたのか」
繭加の情報の裏付けが取れた瞬間だった。もちろん話を聞いただけでは根拠としては不十分かもしれないが、二人が俊平に嘘をつく理由など何も無い。少なくとも、一部の女子生徒の間で藤枝の印象が最悪であることは確実だろう。
「どうして今まで俺に言わなかった?」
話振りから察するに、藤枝の悪評が立ったのは昨日今日のことではない。なぜ小夜や唯香が一度も自分にそのことを話さなかったのか、俊平には疑問だった。
「だって俊平って、藤枝先輩と親しいんでしょう? そんな人の悪評なんて、俊平に言えないよ」
「仲の良い先輩の悪口なんて言われて、俊平くんが気分良いわけがないし」
「気遣ってくれてありがとう。情報提供に感謝するよ」
そう言い残して俊平はその場を立ち去ろうとする。普段なら雑談でも交えていくところではあるが、今の俊平にそこまでの余裕は無かった。
「ねえ、俊平」
去り際の俊平を小夜が呼び止めた。
「志保ちゃんのことは、そっとしておいてあげてね」
小夜が危惧すること。それは更なる情報を求めて、俊平が桜木志保の心の傷を掘り返すような真似をしてしまうことだった。もちろん俊平がそんな行動を取る人間だとは思っていないが、それでも傷心の友人を思えばこそ、念は押しておきたかった。
「そんなことはしないよ。人の気持ちは分かる人間のつもりだ」
俊平ははっきりとそう告げて、自分の席へと戻っていった。
「ありがとう。俊平」
背を向けた俊平の表情に、笑顔が無いことには二人は気づいていない。
――ごめん。二人とも。
友達に嘘をついた。俊平は桜木志保にも事情を聴くことが必要だと心に決めていた。小夜たちの気持ちを裏切るのは心苦しいが、それでも真実を知りたいという気持ちの方が今は圧倒的に勝っている。己の感情を優先し、友人にも平気な顔をして嘘をつく。自分は決して善人ではないと、俊平は改めて自覚した。
※※※
「それでは、藤枝耀一のダークサイドを探るための作戦会議を始めましょう」
放課後。俊平が再び文芸探求部の部室を訪れると、繭加はすでに会議の準備を整えていた。
長机の上にはこれまでに繭加が収集してきた、藤枝の疑惑に関する情報を記したノートや写真が並べられている。さながら捜査会議の様相だ。
「ここに並べたのは、私がこれまで収集してきた藤枝に関する情報です。作戦会議をする上での参考にしてください」
「よくもまあ、こんなにたくさん」
机に並べられた情報量はかなりのものだった。流石に本業の探偵や興信所などには及ばないものの、これを女子高校生一人でやったのだから恐れ入る。
「芽衣姉さんのためなら、私は苦労を惜しみませんよ」
確かに人のダークサイドを覗き見ることは繭加の趣味には違いない。だが、今回の対象者である藤枝燿一は、橘芽衣の死に大きく関係しているのだ。趣味だけでは片づけられない。真実を求める探究心。大切な人の死の原因を作った相手への復讐心。その両方が繭加の原動力となっている。
「実は俺も、藤枝さんについて少し調べてみた」
「早速情報を集めてきてくれるなんて、熱心ですね」
繭加はやや驚いた様子で目を見開いている。俊平とは協力関係にあるが、親しい藤枝を疑うことにはどうしたって葛藤が付きまとう。心の整理にもっと時間がかかるかと思っていたが、俊平は翌日にはこうして情報を提供してくれている。
「藤枝さんと男女の関係にあった女子生徒を見つけた」
「本当ですか!」
「なるほど、そういう反応か」
これだけの情報を集めておきながら、繭加が桜木志保の存在を知らないというのは意外だった。となると、昨日のやりとりにいくつかの疑問が生じてくる。
「御影。俺を焚きつけるために昨日は話を盛ったな?」
この情報量からして、繭加が藤枝に狙いを絞っていたことは事実だろう。だが少なくとも、悪評を裏付けられる程の情報はまだ得られていないのだろうと俊平は推察した。
昨日の会話の中で、俊平が藤枝の知人であることは早々に繭加に知れた。それを受けた繭加は藤枝が黒であると強調し、俊平の心に微かに存在していた藤枝に対する疑念を刺激したのだ。一度着火した疑念の火は、記憶の導火線を辿って過去の印象的だった出来事を思い起こさせる。思考は疑念の火をより激しく延焼させた。駄目押しで繭加が情報を肯定して油を注いだ。これでもう、俊平の中の疑念の火は当面鎮火することはない。
結果、疑念を抱いた俊平は能動的に働き、独自のルートで、繭加も掴めなかった新たな情報を入手してきた。繭加の目論見は大成功だったといえるだろう。
「藍沢先輩は鋭いですね。少々手詰まり感があったので、先輩の顔の広さに頼らせていただきました。知人が絡んでいるのなら、強い確信があるように見せかけなければと思いまして」
「……その場で見抜けないとは、俺も間抜けだな」
悪びれる様子もなく、繭加は屈託のない笑みで白状する。そんな姿を前にしても、俊平に怒りは湧いてこなかった。昨日の話が完全に繭加の想像であり、藤枝が潔白であったなら俊平も怒り心頭だっただろうが、結果的に藤枝の悪評は恐らく事実であり、盛られた繭加の話を裏付けることになった。もちろん利用されたようで良い気持ちはしないが、今はそれよりも藤枝に対する失望感の方が圧倒的に強い。
「手詰まり感というのは?」
「藤枝の悪評は事実である確信しながらも、被害者を特定できずに困っていたところだったんです。内容が内容ですし、かなり踏み込んだ調査が必要ですが、入学間もない一年生が上級生を探るのは難しい……人脈を広げようにも、友達もいませんし」
「そ、そうか。なんかすまん」
余計な事を言ってしまったような気がして俊平は苦い顔をした。ともあれ俊平が入手してきた情報は繭加にとっても有益になりそうだ。
「それで、その女子生徒というのは?」
「教える前に条件がある」
俊平が右手の人差し指を立てると、繭加と首を傾げた。
「その女子生徒に話を聞く時は、節度を弁え相手の気持ちを思いやること。相手が嫌がったら無理に聞きだそうとせずに切り上げること。この二つを約束してくれ」
小夜たちが危惧していた通り、桜木志保から藤枝に関する情報を得るということは彼女の傷を掘り返す行為に他ならない。情報を得ることを前提としている時点で、すでに小夜たちとの約束は破ってしまっているが、必要以上に桜木志保を傷つけないように配慮することが、俊平のせめてもの心遣いであった。
「分りました。私の目的はあくまでも、藤枝の本性を炙り出すことですから」
繭加は入手したダークサイドを脅しには使わないなど、己にしっかりルールを課している。口約束とはいえ、約束した以上はそれを守ってくれるはずだ。
「名前は桜木志保。俺と同じ二年生だ。過去に藤枝さんと交際していたが、どうやら何股もかけられていたらしい。詳しい事情は友達にも話していないみたいで、真相は本人のみぞ知るところだ」
情報元が小夜と唯香だということは語る必要は無いだろうと判断し、名前は出さなかった。それを知ったところで繭加が何かをするとも思えなかったが、可能な限り小夜と唯香は今回の一件からは遠ざけておきたかった。約束を破り、第三者に桜木志保の名前を漏らしてしまっているという罪悪感もある。
「桜木志保さんですか、上手くお話を聞ければ、藤枝の正体を暴く突破口になるかもしれませんね」
繭加は顎に手を当て考え込んでいる。どうやって桜木志保から情報を聞き出すのか、早速そのシュミレーションを始めているようだ。
「一般論として、見ず知らずの相手に恋愛関係の嫌な記憶を快く話してはくれないだろうな」
「一年生の私では厳しいかもしれませんね。入学間もない一年生に、そんな話を打ち明けてくれるとは思えません」
「確かに。関係値は不足しているな」
「藍沢先輩が聞き出すことが出来ないんですか? 先輩は交友関係が広くて、コミュニケーション能力も高いでしょう」
「お褒めに預かり光栄だが、それは厳しいだろうな。同じ学年とはいえ直接の知り合いではないし、内容的に異性には特に言いにくいだろう」
口にした理由はもちろんだが、本音を言えば情報源である小夜たちの手前、自ら直接桜木志保に事情を尋ねることは気が引けた。俊平の関与がすぐに小夜や唯香に伝わってしまう。
「ここまで来て諦めるわけにはいきません。無理は承知で桜木さんからお話しを聞くしか――」
「もう俺との約束を忘れたのか?」
感情的になりつつある繭加を俊平が諌める。今の急いた繭加では、確実に桜木志保に害を与える結果となる。
「だけど芽衣姉さんのためにも」
「落ち着け。俺に考えがある」
仮にも情報を持ってきた張本人だ。俊平も作戦ぐらいは考えてきている。
「無関係の人間だと話を聞くのが難しいのなら、無関係でなくなればいい」
「藍沢先輩、寝言は寝てからにしてください」
「おい御影。真顔で言うな真顔で」
すかさず物申すと、俊平は咳払いをして仕切り直し、プレゼンテーションを開始した。
「話を聞く側。つまりこちら側も、藤枝さんの被害者だという体で桜木に話を聞いてみるのはどうだ? 共通点を作ることで、無関係の人間から被害者同士に関係性を変えるんだ」
もちろんこの方法は確実ではないが、被害者同士ということになれば、相手から見たこちら側の印象が大きく変わる可能性がある。共感によって藤枝の情報を引き出すことが出来るかもしれない。
「確かにその方法ならば初対面でもやり取りが成立するかもしれません。藤枝は多くの女性と関係を持っていたようですし、その中の一人だと語れば怪しまれることはないでしょう」
繭加の中では俊平の作戦は好評価だ。これまで入手した情報を駆使すれば、藤枝の被害者の一人に成り済ますことも十分に可能だ。
「ですが不安もあります。例えば桜木さんに話を切り出すにしても、やはりいきなり藤枝の話題を出すのは不自然ではないですか?」
「そこはこれから詰めて行こう。どういう風に話を切り出せば自然か、どうすれば桜木志保からより多くの情報を得ることが出来るか。演技プランを考えるんだ」
「今日の藍沢先輩は頼もしいですね」
「いつも、の間違いだろ?」
出会ってまだ三日。リップサービスなのは分かっているが、褒められて悪い気はしない。
「それで、演技力に自信は?」
被害者同士という設定でいく以上は、繭加かが演技をして桜木志保に近づかなければいけない。相手に心を開かせる必要があるため、それ相応の演技力が求められる。
「……」
俊平の期待も虚しく繭加は沈黙を答えとした。
「それじゃあ脚本力の方は?」
演技も重要だが、話の辻褄が合わなければそれ以前の問題だ。演技力に自信が無いのなら、尚更事前に脚本を作って練習しておく必要がある。
「……」
デジャブを感じさせる沈黙が流れ、俊平の瞬きの回数が増加する。気まずいのは繭加も同様で、不自然な作り笑いを浮かべて沈黙をやり過ごそうとしている。
「前途多難だな」
俊平は項垂れて、大きく溜息をついた。俊平の仕事はどうやら思ったよりも多くなりそうだ。