屋上で藤枝と対峙した翌日。
繭加は文芸探求部の部室で一人静かに放課後を過ごしていた。
俊平は今日は一度も部室に姿を現していない。橘芽衣の死の真相を確かめるという目的を達成した今、俊平にはもう繭加に協力する理由はない。もしかしたらもうここに顔を出すことはないかもしれない。
ダークサイドを暴かれた藤枝は今日は学校を休んでいるようだ。彼に一切同情はしないが、昨日あんなことがあれば学校を休みたくなるのは当然かもしれない。
「……これからどうしたらいいんだろう」
誰も独り言を拾ってはくれない。一応学校に来て授業を受けてはいたが、正直ずっと上の空だった。目的を達成したことで、燃え尽きてしまったのかもしれない。思えばダークサイドを追いかけるに精一杯で、それ以外のことをまったくしてこなかった。結果、友達を作ることが出来ずに教室ではボッチな日々を過ごしている。
「……終わったら何も残らない。趣味でも何でもなかったんだ」
本当に趣味だったら、次なるダークサイドを求めて活動を始めればいい。だけどまったくそんな気にはなれない。結局あれは、橘芽衣の死の真相を突き止めるための予行練習と、覚悟と度胸を手に入れるための準備期間に過ぎなかったのだ。
「帰って映画でも見ようかな」
ふと思い出したのは、雑談の中で俊平がよく口にする映画の話題だった。普段あまり映画は見ないけど、親がサブスクに加入していてリビングのテレビから映画を見ることが出来る。以前俊平が口にしていたタイトルを気晴らしに見てみよう。そう決めて、繭加は学校を後にした。
「今更、私の前に現れてどういうつもり?」
繭加が徒歩で帰宅していると、学校と自宅の中間に位置する公園に、一方的に見覚えのある女子生徒の姿を見かけて足を止めた。
――吉岡舞衣子さん。それに一緒にいるのは。
公園で制服姿の男女が何やら言い争っている。一人は緋花高校一年生の吉岡舞衣子。繭加と面識はないが、白木真菜のダークサイドを語る上で舞衣子の存在は不可欠であり、調査の過程で一方的に見知っていた。他校の制服をきた男子生徒の顔にも大いに見覚えがある。舞衣子の元カレで、現在は真菜と交際している市村一弥だ。
発言から察するに、一弥が舞衣子とよりを戻そうとしているのだろうか? 一度二人について調べていたこともあり、状況が気になってしかたがなかった。手段だったとはいえ、何度もダークサイドを調べてきたことで、聞き耳を立てることに対する抵抗は大して感じなかった。
「……君と別れたことを後悔してるんだ。許してもらえるならもう一度僕と」
「許すも何も、私は最初からあなたに一ミリも興味ないよ」
気弱で控え目な印象は成りを潜め、舞衣子は堂々と、それでいて冷淡に言ってのけた。二人の破局には真菜が関わっているが、舞衣子はそのことを知らない。舞衣子からすれば一弥から突然、一方的に振られた形なので、愛想を尽かすのは無理もない話ではあるが、普段とのギャップも相まってとても鋭利に感じられる。
「市村くんは十分に役目を果たしてくれた。だけどもうあなたは用済みなの」
「舞衣子……何を言って」
市村とシンクロして、繭加も思わず言葉を失っていた。自分を振った相手を突き放すにしても、用済みというのはかなり強い言葉だ。映画の黒幕が利用した相手を切り捨てる時ぐらいにしか聞かない。
「もう私の前には二度と現れないで。あなたと一緒にいるところを見られたら色々とややこしくなるから」
強い口調で一弥を圧倒すると、舞衣子は足早に公園を後にした。一弥は呆然と立ち尽くしており、すぐには動けそうになかった。
「今の口振り。もしかして白木真菜と市村の関係を知っているの?」
一緒にいるところを見られた色々とややこしくなる。友人の少ない舞衣子が思い浮かべた人物は親友である真菜である可能性は高い。だとすれば、二人の関係を舞衣子が知らないという前提そのものが崩れてくる。だとすれば、舞衣子が一弥に放った言葉の一つ一つが急に意味深になる。もちろん、繭加が白木真菜のダークサイドを調べた後に舞衣子が事情を知り、状況が変わった可能性もあるが。
「まだ、私の知らない何かがあるのかもしれない」
繭加は自然と舞衣子の尾行を開始していた。今の繭加の瞳には、ダークサイドを追い求めている時の探求心が滲み出ていた。
※※※
屋上での藤枝との対峙から一週間後。何事もなかったかのように、緋花高校では平和な日常が流れていた。
朝のホームルーム前。
俊平と小夜の席の周りに彰と唯香が集まり、四人で談笑を交わしていた。瑛介もすでに登校しているが、職員室に用事があり、今は席を外している。
「昨日、瑛介とも少し話したんだけどさ、夏休みに入ったらみんなでどこかに遊びに行かね?」
「いいねいいね。海行こうよ海!」
まだ少し先の夏休みに、彰と唯香が思いを馳せている。お馴染みのメンバーは部活や塾、アルバイトの関係で普段はなかなか時間が合わせられない。夏休みは予定を合わせる絶好の機会なので、今から予定を話し合っておくのも悪くない。
「海か。水着、新しくした方がいいかな」
「セクシーなので頼みますよ。小夜さん」
「唯香。女の子同士ならセクハラにならないと思ったら大間違いだよ」
「いたたたた」
同性なのを良いことに体を触ってこようとした唯香に向けて、小夜は容赦なくデコピンを見舞った。
「おっ、瑛介が帰って来たな。なあ瑛介、夏休みなんだけど」
「悪い。その話はまた後で」
瑛介が駆け足で教室に戻ってきたので、彰が早速瑛介にも夏休みに海に遊びに行く計画を伝えようとする。ムードメーカーの瑛介のことだ。ノリノリで会話に参加してくると思ったが、今の瑛介にそんな余裕はなかった。
「おい俊平。藤枝先輩のこと聞いたか?」
藤枝の名前が出たことで、桜木志保の友人である小夜と唯香も何事かと目を丸くする。
「藤枝さんがどうかしたのか?」
「職員室で小耳に挟んだが、藤枝先輩、何か問題を起こしたらしくてな。教師陣が処遇に関して職員会議を行っているらしい。仲の良い先輩に聞いたら、藤枝先輩は処分が決まるまで自宅待機だとか」
「処分って、いったい何をやらかしたんだ?」
「詳細は俺も把握してないけど、噂だと女性関係だとか何とか。もしかして藤枝さん……いや、何も知らずに邪推なんてするものじゃないな」
校則の厳しい学校でもない限り、異性との交際自体が問題となることはない。処分を検討されるまでの大事となるとやはり、瑛介が想像しているようなケース考えられるが、真実は瑛介の想像の斜め上を行っている。藤枝が処分を受ける理由に思い当たる節のある俊平、小夜、唯香。三人の視線が交錯した。
「それって、もしかして」
「俺にも分からないけど、たぶんそういうことなんだろうな」
「なに? お前たち何か知ってるの?」
状況を飲み込めぬ瑛介は、キョトンとした様子で小夜と俊平を交互に見比べている。続けて彰の方へと目配せすると、彰は肩を竦めて「俺も知らない」と即答。状況を飲み込めていないのは自分だけではないと分かり、瑛介はどこかホッとしていた。
※※※
放課後。足早に学校を後にした俊平の姿は、以前繭加と桜木志保がお茶をした喫茶店にあった。待ち合わせ相手がまだ到着していないので、今はアイスコーヒーをお供に時間を潰している。
「待たせてごめんなさい」
私服のパーカーとスキニーデニム姿の少女が一人来店した。顔見知りのマスターに会釈すると、俊平と相席して向かい合った。
「気にしないで。俺も着いたばかりだから」
待ち合わせ相手を俊平は快く迎え入れる。相席したのは今日は学校を欠席していた桜木志保であった。
「藤枝、処分される方向で話が進んでいるようね」
「それだけの行いをした。当然の報いだよ」
俊平は落ち着き払った印象だが、桜木はやや緊張していてそわそわしている。落ち着くきっかけを求めるように、マスターにアイスティーを注文した。
「藍沢くんには感謝している」
「俺は大したことはしていない。藤枝を追い詰めたのは、あいつを告発する決断をした君達の勇気だ」
「きっかけを与えてくれたのは君だよ。君が用意してくれた藤枝の音声。あの証拠を手にいれたことで、私は行動する勇気が持てた」
桜木はポーチからボイスレコーダーを取り出した。このボイスレコーダーは二日前に、俊平が桜木志保へと提供したものだ。記録されている音声は、先日の藤枝との屋上でのやり取りで、自分や繭加の存在が露見しないよう、藤枝の証言部分だけを切り取ってある。証言の場に繭加もいたことは桜木には知らせていない。あくまでも藤枝の知人であった俊平が、彼の悪行を知り一人で問い詰めたということになっている。
あの日、藤枝の言葉を記録していたのは繭加だけではない。俊平もポケットにボイスレコーダーを忍ばせていた。現在の展開を見越して、高見とファストフード店で会った日に、駅通りの家電量販店で購入したものだ。
俊平の工作は音声の録音だけではない。あの後、繭加に内緒で独自に藤枝と再接触し、ボイスレコーダーを交渉材料に、これまで藤枝が撮りためてきた被害者の画像を全て消去させた。音声を使って藤枝を告発しようとも、自暴自棄になった藤枝が被害者達の画像を拡散でもさせたら事態は最悪だ。その可能性は排除しなければいけなかった。藤枝は俊平からの要求を飲んだ。これで一件落着と安心していただろうが、それで終わらせるほど俊平は優しい人間ではない。最終的には被害者側へと音声を提供し、現在の状況を作り出した。学校側からの処分を待つ今の藤枝は、地獄に叩き落とされた心地だろう。
「藍沢くんは、どうして私にここまでしてくれたの?」
志保と俊平は、共通の友人こそいても直接の知り合いではない。他の被害者の中にも俊平の関係者は見当たらない。それどころか、被疑者は中学時代から親しかった藤枝耀一なのだ。むしろ忖度してしまう可能性だってあった。証拠を提供してくれた恩人にこのような考えを抱くのは失礼と承知の上で、桜木は俊平の真意を測りかねていた。
「純粋な正義感といったら笑うか? 自分でも驚いてるよ。厄介ごとに関わるなんて御免だと思いながら、いざ悪行を目の当たりにしたら、見て見ぬふりは出来なった」
淡々とそう告げると、俊平はアイスコーヒーに口をつけた。
「笑いなんてしないよ。君には感謝してもしきれない。だけど藍沢くんを動かしたのは本当に正義感だけなの?」
「どういう意味だ?」
「変な言い方してごめん。決して君を疑っているわけではないの。だけど、こんな大胆な行動を、正義感の一言で片づけられるものなのかなって思っちゃって。少なくとも私なら無理。もっと個人的な恨みとか、そういった感情でも絡まないと行動に移せない気がする。もちろん価値観なんて人それぞれだし、自分に当てはめることに意味なんてないとは分かっているんだけど……ごめん。今の私、凄く失礼なこと言っているよね。本当にごめん。藤枝とのこともあって、ちょっと人間不信気味なのかも」
「謝らないで。桜木は一度酷い裏切りにあってるんだ。警戒してしまう気持ちは理解出来るし、機嫌を損なったりなんかしないよ」
「藍沢くん……」
「さっきの言葉は俺の紛れもない本心だ。事情を知った以上、例え仲の良い先輩だろうと藤枝のことを許せないと思った。桜木に証拠を提供したのは正義感故の行動。これが全てだ」
俊平は穏やかな語り口と笑顔で、志保の緊張を解きほぐしていく。
藤枝の裏切りを受けたこともあり、今の志保は相手の感情の機微に敏感だ。そんな彼女が安心感を覚えたのは一重に、俊平の言葉が飾りっけのないありのままの感情であるからに他ならない。嘘を吐かない真摯な姿勢が、発言に大きな説得力を与えていた。
多くの女性を悲しませ、口封じのための策まで講じる卑劣漢を許してはおけない。反省は口にしていたが、一度染みついた習慣はそう簡単に抜けるものではない。新たな被害者が生まれる可能性もある以上、見て見ぬふりをするという選択肢は俊平の中には存在しなかった。橘芽衣の自殺の件と、藤枝の女性達への悪行の件は完全に分けて考えている。だからこそ音声の録音や画像消去に関しては、純粋な正義感ゆえの行動だったと言い切れる。
藤枝のことは軽蔑している。だけど橘芽衣の件については、彼だけを恨むことなんて出来ない。
繭加は文芸探求部の部室で一人静かに放課後を過ごしていた。
俊平は今日は一度も部室に姿を現していない。橘芽衣の死の真相を確かめるという目的を達成した今、俊平にはもう繭加に協力する理由はない。もしかしたらもうここに顔を出すことはないかもしれない。
ダークサイドを暴かれた藤枝は今日は学校を休んでいるようだ。彼に一切同情はしないが、昨日あんなことがあれば学校を休みたくなるのは当然かもしれない。
「……これからどうしたらいいんだろう」
誰も独り言を拾ってはくれない。一応学校に来て授業を受けてはいたが、正直ずっと上の空だった。目的を達成したことで、燃え尽きてしまったのかもしれない。思えばダークサイドを追いかけるに精一杯で、それ以外のことをまったくしてこなかった。結果、友達を作ることが出来ずに教室ではボッチな日々を過ごしている。
「……終わったら何も残らない。趣味でも何でもなかったんだ」
本当に趣味だったら、次なるダークサイドを求めて活動を始めればいい。だけどまったくそんな気にはなれない。結局あれは、橘芽衣の死の真相を突き止めるための予行練習と、覚悟と度胸を手に入れるための準備期間に過ぎなかったのだ。
「帰って映画でも見ようかな」
ふと思い出したのは、雑談の中で俊平がよく口にする映画の話題だった。普段あまり映画は見ないけど、親がサブスクに加入していてリビングのテレビから映画を見ることが出来る。以前俊平が口にしていたタイトルを気晴らしに見てみよう。そう決めて、繭加は学校を後にした。
「今更、私の前に現れてどういうつもり?」
繭加が徒歩で帰宅していると、学校と自宅の中間に位置する公園に、一方的に見覚えのある女子生徒の姿を見かけて足を止めた。
――吉岡舞衣子さん。それに一緒にいるのは。
公園で制服姿の男女が何やら言い争っている。一人は緋花高校一年生の吉岡舞衣子。繭加と面識はないが、白木真菜のダークサイドを語る上で舞衣子の存在は不可欠であり、調査の過程で一方的に見知っていた。他校の制服をきた男子生徒の顔にも大いに見覚えがある。舞衣子の元カレで、現在は真菜と交際している市村一弥だ。
発言から察するに、一弥が舞衣子とよりを戻そうとしているのだろうか? 一度二人について調べていたこともあり、状況が気になってしかたがなかった。手段だったとはいえ、何度もダークサイドを調べてきたことで、聞き耳を立てることに対する抵抗は大して感じなかった。
「……君と別れたことを後悔してるんだ。許してもらえるならもう一度僕と」
「許すも何も、私は最初からあなたに一ミリも興味ないよ」
気弱で控え目な印象は成りを潜め、舞衣子は堂々と、それでいて冷淡に言ってのけた。二人の破局には真菜が関わっているが、舞衣子はそのことを知らない。舞衣子からすれば一弥から突然、一方的に振られた形なので、愛想を尽かすのは無理もない話ではあるが、普段とのギャップも相まってとても鋭利に感じられる。
「市村くんは十分に役目を果たしてくれた。だけどもうあなたは用済みなの」
「舞衣子……何を言って」
市村とシンクロして、繭加も思わず言葉を失っていた。自分を振った相手を突き放すにしても、用済みというのはかなり強い言葉だ。映画の黒幕が利用した相手を切り捨てる時ぐらいにしか聞かない。
「もう私の前には二度と現れないで。あなたと一緒にいるところを見られたら色々とややこしくなるから」
強い口調で一弥を圧倒すると、舞衣子は足早に公園を後にした。一弥は呆然と立ち尽くしており、すぐには動けそうになかった。
「今の口振り。もしかして白木真菜と市村の関係を知っているの?」
一緒にいるところを見られた色々とややこしくなる。友人の少ない舞衣子が思い浮かべた人物は親友である真菜である可能性は高い。だとすれば、二人の関係を舞衣子が知らないという前提そのものが崩れてくる。だとすれば、舞衣子が一弥に放った言葉の一つ一つが急に意味深になる。もちろん、繭加が白木真菜のダークサイドを調べた後に舞衣子が事情を知り、状況が変わった可能性もあるが。
「まだ、私の知らない何かがあるのかもしれない」
繭加は自然と舞衣子の尾行を開始していた。今の繭加の瞳には、ダークサイドを追い求めている時の探求心が滲み出ていた。
※※※
屋上での藤枝との対峙から一週間後。何事もなかったかのように、緋花高校では平和な日常が流れていた。
朝のホームルーム前。
俊平と小夜の席の周りに彰と唯香が集まり、四人で談笑を交わしていた。瑛介もすでに登校しているが、職員室に用事があり、今は席を外している。
「昨日、瑛介とも少し話したんだけどさ、夏休みに入ったらみんなでどこかに遊びに行かね?」
「いいねいいね。海行こうよ海!」
まだ少し先の夏休みに、彰と唯香が思いを馳せている。お馴染みのメンバーは部活や塾、アルバイトの関係で普段はなかなか時間が合わせられない。夏休みは予定を合わせる絶好の機会なので、今から予定を話し合っておくのも悪くない。
「海か。水着、新しくした方がいいかな」
「セクシーなので頼みますよ。小夜さん」
「唯香。女の子同士ならセクハラにならないと思ったら大間違いだよ」
「いたたたた」
同性なのを良いことに体を触ってこようとした唯香に向けて、小夜は容赦なくデコピンを見舞った。
「おっ、瑛介が帰って来たな。なあ瑛介、夏休みなんだけど」
「悪い。その話はまた後で」
瑛介が駆け足で教室に戻ってきたので、彰が早速瑛介にも夏休みに海に遊びに行く計画を伝えようとする。ムードメーカーの瑛介のことだ。ノリノリで会話に参加してくると思ったが、今の瑛介にそんな余裕はなかった。
「おい俊平。藤枝先輩のこと聞いたか?」
藤枝の名前が出たことで、桜木志保の友人である小夜と唯香も何事かと目を丸くする。
「藤枝さんがどうかしたのか?」
「職員室で小耳に挟んだが、藤枝先輩、何か問題を起こしたらしくてな。教師陣が処遇に関して職員会議を行っているらしい。仲の良い先輩に聞いたら、藤枝先輩は処分が決まるまで自宅待機だとか」
「処分って、いったい何をやらかしたんだ?」
「詳細は俺も把握してないけど、噂だと女性関係だとか何とか。もしかして藤枝さん……いや、何も知らずに邪推なんてするものじゃないな」
校則の厳しい学校でもない限り、異性との交際自体が問題となることはない。処分を検討されるまでの大事となるとやはり、瑛介が想像しているようなケース考えられるが、真実は瑛介の想像の斜め上を行っている。藤枝が処分を受ける理由に思い当たる節のある俊平、小夜、唯香。三人の視線が交錯した。
「それって、もしかして」
「俺にも分からないけど、たぶんそういうことなんだろうな」
「なに? お前たち何か知ってるの?」
状況を飲み込めぬ瑛介は、キョトンとした様子で小夜と俊平を交互に見比べている。続けて彰の方へと目配せすると、彰は肩を竦めて「俺も知らない」と即答。状況を飲み込めていないのは自分だけではないと分かり、瑛介はどこかホッとしていた。
※※※
放課後。足早に学校を後にした俊平の姿は、以前繭加と桜木志保がお茶をした喫茶店にあった。待ち合わせ相手がまだ到着していないので、今はアイスコーヒーをお供に時間を潰している。
「待たせてごめんなさい」
私服のパーカーとスキニーデニム姿の少女が一人来店した。顔見知りのマスターに会釈すると、俊平と相席して向かい合った。
「気にしないで。俺も着いたばかりだから」
待ち合わせ相手を俊平は快く迎え入れる。相席したのは今日は学校を欠席していた桜木志保であった。
「藤枝、処分される方向で話が進んでいるようね」
「それだけの行いをした。当然の報いだよ」
俊平は落ち着き払った印象だが、桜木はやや緊張していてそわそわしている。落ち着くきっかけを求めるように、マスターにアイスティーを注文した。
「藍沢くんには感謝している」
「俺は大したことはしていない。藤枝を追い詰めたのは、あいつを告発する決断をした君達の勇気だ」
「きっかけを与えてくれたのは君だよ。君が用意してくれた藤枝の音声。あの証拠を手にいれたことで、私は行動する勇気が持てた」
桜木はポーチからボイスレコーダーを取り出した。このボイスレコーダーは二日前に、俊平が桜木志保へと提供したものだ。記録されている音声は、先日の藤枝との屋上でのやり取りで、自分や繭加の存在が露見しないよう、藤枝の証言部分だけを切り取ってある。証言の場に繭加もいたことは桜木には知らせていない。あくまでも藤枝の知人であった俊平が、彼の悪行を知り一人で問い詰めたということになっている。
あの日、藤枝の言葉を記録していたのは繭加だけではない。俊平もポケットにボイスレコーダーを忍ばせていた。現在の展開を見越して、高見とファストフード店で会った日に、駅通りの家電量販店で購入したものだ。
俊平の工作は音声の録音だけではない。あの後、繭加に内緒で独自に藤枝と再接触し、ボイスレコーダーを交渉材料に、これまで藤枝が撮りためてきた被害者の画像を全て消去させた。音声を使って藤枝を告発しようとも、自暴自棄になった藤枝が被害者達の画像を拡散でもさせたら事態は最悪だ。その可能性は排除しなければいけなかった。藤枝は俊平からの要求を飲んだ。これで一件落着と安心していただろうが、それで終わらせるほど俊平は優しい人間ではない。最終的には被害者側へと音声を提供し、現在の状況を作り出した。学校側からの処分を待つ今の藤枝は、地獄に叩き落とされた心地だろう。
「藍沢くんは、どうして私にここまでしてくれたの?」
志保と俊平は、共通の友人こそいても直接の知り合いではない。他の被害者の中にも俊平の関係者は見当たらない。それどころか、被疑者は中学時代から親しかった藤枝耀一なのだ。むしろ忖度してしまう可能性だってあった。証拠を提供してくれた恩人にこのような考えを抱くのは失礼と承知の上で、桜木は俊平の真意を測りかねていた。
「純粋な正義感といったら笑うか? 自分でも驚いてるよ。厄介ごとに関わるなんて御免だと思いながら、いざ悪行を目の当たりにしたら、見て見ぬふりは出来なった」
淡々とそう告げると、俊平はアイスコーヒーに口をつけた。
「笑いなんてしないよ。君には感謝してもしきれない。だけど藍沢くんを動かしたのは本当に正義感だけなの?」
「どういう意味だ?」
「変な言い方してごめん。決して君を疑っているわけではないの。だけど、こんな大胆な行動を、正義感の一言で片づけられるものなのかなって思っちゃって。少なくとも私なら無理。もっと個人的な恨みとか、そういった感情でも絡まないと行動に移せない気がする。もちろん価値観なんて人それぞれだし、自分に当てはめることに意味なんてないとは分かっているんだけど……ごめん。今の私、凄く失礼なこと言っているよね。本当にごめん。藤枝とのこともあって、ちょっと人間不信気味なのかも」
「謝らないで。桜木は一度酷い裏切りにあってるんだ。警戒してしまう気持ちは理解出来るし、機嫌を損なったりなんかしないよ」
「藍沢くん……」
「さっきの言葉は俺の紛れもない本心だ。事情を知った以上、例え仲の良い先輩だろうと藤枝のことを許せないと思った。桜木に証拠を提供したのは正義感故の行動。これが全てだ」
俊平は穏やかな語り口と笑顔で、志保の緊張を解きほぐしていく。
藤枝の裏切りを受けたこともあり、今の志保は相手の感情の機微に敏感だ。そんな彼女が安心感を覚えたのは一重に、俊平の言葉が飾りっけのないありのままの感情であるからに他ならない。嘘を吐かない真摯な姿勢が、発言に大きな説得力を与えていた。
多くの女性を悲しませ、口封じのための策まで講じる卑劣漢を許してはおけない。反省は口にしていたが、一度染みついた習慣はそう簡単に抜けるものではない。新たな被害者が生まれる可能性もある以上、見て見ぬふりをするという選択肢は俊平の中には存在しなかった。橘芽衣の自殺の件と、藤枝の女性達への悪行の件は完全に分けて考えている。だからこそ音声の録音や画像消去に関しては、純粋な正義感ゆえの行動だったと言い切れる。
藤枝のことは軽蔑している。だけど橘芽衣の件については、彼だけを恨むことなんて出来ない。